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++すれてしまった悲しみに・・・(by中也)++
永遠も半ばを過ぎて、旅も3年と4ヶ月を過ぎて・・・。
年月だけ見たら、すっかりベテランバックパッカーになってしまった不肖のそれがしでありまする。

2年を過ぎたあたりから、旅人に「どのくらい旅しているんですか?」と聞かれて答えると、のけぞって驚かれることがしばしばであったが、2005年度に入ってからはもはや普通の人とは見なされなくなっているような気がする。まあな。そりゃ普通ではないだろう。普通じゃ考えられないバカであろう(涙)。分かってるさ。ああ、分かってるとも。今さら「わたしは普通の女の子なの!何でみんな分かってくれないの!」などと、アイドルのような台詞を吐くつもりはないよ。

まあしかし、大部分の人は礼儀正しいので、「本当にバカですね」とは云わない。「へええ。すごいですねー」というコメントが大多数である。「ツワモノですねー」とか。でも、わたしは別に、ツワモノでも、旅慣れたベテランパッカーでもない。少なくとも、そういう自覚はない。
今だに新しい町に着くとそわそわするし、食堂やら土産物屋でしっかりぼったくられるし、日本語以外の言語はまともに話せないし、ドラッグもやらないし、誰もが行くような観光地・旅ルートしか行かないし・・・。社会人としては普通じゃないかも知れないが、旅人としてはいたって普通、ついこないだパッカーデビューした青年青女と、基本的には同じである(おこがましい)。

大体、旅慣れることがカッコいいかというと、そんな風には思えないのだ。昔は憧れていたけれど・・・少なくとも、旅の年月だけがムダに長くなっている今の自分を振り返るに、ちっともカッコよくないのである。もちろん、本当に旅慣れてカッコいい旅人もいるんだろうけどさ・・・。
夜行列車で早朝の駅に着いて、途方に暮れながら「地球の歩き方」を堂々と広げて突っ立っている(通行人の邪魔になるとなおベター)、どこから見てもカモネギのような旅人でいたい。
ドミトリーの猥雑さに恐れをなして、2、3ドルをケチらずに即座にシングルに移る旅人でいたい。
目をキラキラさせながら、ガイドや旅行者の話を一字一句漏らさず聞いてメモまで取ってしまう旅人や、会った人全員とアドレス交換をする旅人や、イスラエルに行ったことを武勇伝として誇れるような旅人に、わたしはなりたい(ちょっとウソ)。

なるべく旅の長い人に見られないように・・・という、やや意味不明の努力に常日頃励んでいるわたしであるが、いつの頃からか、外見にまで旅の長さがにじみ出るようになってしまったようで、まことに残念としか云いようがない。
少し前のこと、「中国初恋」の作者氏に、昔の旅の写真を披露していたところ、南米あたりのわたし写真を見て彼が云うことには「今とぜんぜん違う・・・」。

今と違う?違うって、どこがっ!?
わたしの目には、特に変わったところはないように見えるけど・・・いったい何が、何が違うというの!?
と、詰め寄ると、
「写真は初々しい感じがするけど、今は・・・(わたしの顔をしげしげと見ながら)何かすれた感じが・・・」

(数秒の無言、顔ハニワ状態)

すれた!?
すれたって云った今?!
すれた・・・すれた・・・すれた・・・すれた・・・すれた・・・すれた・・・すれた・・・(←脳内リフレイン)。

あまりにもショックを受け、さらに詰問したところ、
「3年4ヶ月も旅してて、今さら初々しい旅人に見られようなんてムリだよ!てか、図図しいよ!色は真っ黒だし、顔はこけてるし、そばかす多いし、髪はボサボサだし(違ーう!そういう髪型なんだ!シャギーなんだよ!)、虫刺されの跡がいっぱいあるし、バックパックはぼろぼろだし、あと、セコいし・・・
ああっ、もう分かったよ!みなまで云うんじゃない!そうだよ、あんたの云うことは、全部本当だっ!
しかし、PCの中に1300枚ものグラビアアイドル写真を格納して旅の夜のオカズにしているあんたに、そんなことを云われる筋合いはないぞっ!

ああ、それにしても何ということであろうか・・・。
清純派乙女パッカーを自分から積極的に名乗っていたわたしが、今もなおフリフリを愛してやまない心はロリータなわたしが、往年の松田聖子なみにブリッコと嘘泣きがうまいと評判のこのわたしが(歳を考えろ!)、こともあろうに、”いかにも旅が長そうな人”に見えているなんて・・・。

旅が長そうな人、といって思いつくのが、大体こんな感じではないだろうか。
@ドレッドもしくは無造作な長髪(後ろで束ねるとなおベター)
A浅黒い肌
B妙に痩せた身体
C無精ひげ
D明らかに購入当時の色をしていないTシャツ(首部分がよれよれ)
Eタイとかインドあたりで買ったよーな草木染めの綿パンツ、いかにも洗ってなさそうなジーンズ
Fボロボロのバックパック、汚いスニーカーorサンダル
G少数民族系手作り肩掛けバッグ
H腕に数珠やミサンガ、ただのヒモなどがたくさん巻きつけてある
I頼りがいのありそうな顔つき(って、どんな顔??)

以上、長期のパッカー(主に男性)にありがちな外見を挙げてみた。
これを見て浮かび上がってくるのは、旅が長い=小汚いというイメージである。つまり、旅が長そうに見えているわたしは、小汚いということなのである!
これは、妙齢の婦女子として、甚だ由々しき問題である。三十路に近い、小汚い女など、社会の粗大ゴミではないか!とても結婚する権利はなさそうだ(涙)。
ちなみに現在のわたしは、@とCとI以外は当てはまっており(いや、@も若干)・・・ということは、「旅が長そう」と云われてもまったく文句が云えないのであった・・・うぐぐ。

”すれた”の一言に、すっかり打ちひしがれるわたしを見て、
「大丈夫だって。日本に帰ったら、日本食をたらふく食って、家に引きこもって『三国無双』(※プレステソフト)をやり込めば、色も白くなって体重も増えて、初々しい野ぎくちゃんに戻るよ!」と慰める(慰めてるのかそれ?)作者氏。
うーん、しかしそういう問題なのだろうか・・・。
外見にすでにそういう兆候が出ている(出ているも何も・・・)ということは、わたしは相当旅慣れてしまったのに違いないのだ。
否定したところで、3年4ヶ月という年月を聞けば、誰も初心者とは思わないであろうし、自身、”すれてしまった”さまざまな部分があることは否めないのである。

むだ話の「旅は老いる」でも書き綴ったように、旅に年齢があるとするなら、わたしの旅はいよいよ死に際にさしかかっている。
あれを書いた2004年秋ですら、わたしは自分の旅を「老いた」と感じていたのである。いわんや今においてをや。わたしの旅は、風前の灯火、すりきれたボロ雑巾の如しである。

この先、旅を続けることなんて、もう出来ないのだ。理由はお金だけど、それだけでもない。
これ以上旅を続けても、昔のようなバイタリティや好奇心のフレッシュさには、及ぶべくもない。旅が大好きで、お金さえ許せばいつまでだって旅したい、なんて人には云っているけれど、本当はもう、旅にある程度の限界を感じている。少なくとも、この旅には。旅がもたらしてくれるものが、以前よりも少なくなっているのが分かる。断じて認めたくないが・・・。
旅の最初の頃の、滾るような情熱や、無謀さ。混沌。あれらはどこに行ってしまったのだろう。旅の中にある喜びにも悲しみにも、ある程度の耐性がついてしまっている。人に出会ったときからもう別れを予測している。新しい場所や観光地に行くのに、どういう段取りを踏めばいいのかを身体が覚えている。観光地に行けば、「どこかで見たような・・・」とか「どこそこより大したことない・・・」などと、ついつい昔の経験を引っ張り出してしまう・・・。

どんな旅人だって、きっといつかはそういう風になるのだろう。多分。
いくら若々しい心を持った人でも、老いからは逃れられないのと同じように。あるいは、どんなに楽しいことでも、慣れすぎると当たり前のことになってしまうように。
またもや沢木耕太郎を引っ張り出して申し訳ないが、旅の汐どきということについて書いている文がある。ずいぶん前に、インドでメモったやつだ。
「『汐どき』を捉えられるか否かに、故郷喪失者からの復活がかかっているのだ。もちろん、旅を終えるにふさわしい『汐どき』というものはない。自らが、汐の干満を見て、終えるべき刻を発見しなくてはならないのだ。しかし、やがてその汐の干満を見る気力さえ失われるような時期がやってくる。下降に下降をつづけ、すべてがどうでもよくなってくる」

今こそ、帰るべきときなのだと思う。旅がただの惰性にならないうちに。
それが分かっていながら、自分でも汐どきを感じていながら、わたしは未だ、終わりを迎える覚悟が出来ていない。
毎日音を立てて迫り来る終わりの日から極力目をそむけようとしている。
これは、死にたくないという心境と似ているのだろうか?
この旅をしたことに後悔はない。この旅が出来たことに感謝してもいる。
それならば、終わりを迎えることが、何故こんなに怖いのだろう?いや、何だって終わりは悲しく、怖いものだから、仕方ないのだろうか・・・。

あと1カ国。

(2005年7月 ベトナム)


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