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++最もダメで偉大な旅人、金子光晴++
最近めっきり口数が減ったせいか、どうでもいいことを色々と考える。
そんな中で、今回はひとつ、金子光晴にまつわるとりとめもない独り言を書いてみようと思う。

どんなジャンルにでも有名人は存在する。旅人の世界とて例外ではない。
旅に出て知ったのは、現役の旅人の間にも有名人がいるということ。彼らは主にパッカー間で半ば伝説の如くその名をとどろかせているという、きわめて限定されたセレブ(なんてほどのものでもないか…)である。「ああ、○×パッカーの△□さん!どこで会ったの?」という会話が、パッカーの間ではごくフツーに繰り広げられるのだが、帰国してサラリーマンの友人に云ったところで怪訝な顔をされるだけであろう(笑)。
いずれはそんな旅先有名人たちのことも書いてみたいが、今ここでは触れない。

金子光晴は、そういう人物ではなく、もっと原初的な意味で著名な旅人である。
本業は詩人だが、それよりも、七年にわたる海外放浪の方が有名な感がある。

わたしは彼の放浪記が好きだ。『深夜特急』も『全東洋街道』も好きだが、やっぱりマイベスト放浪記は、彼の『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』の三部作なのである。
一説には、あの話はすべて金子光晴の妄想という話もある(それはそれで笑えるなあ)が、それでもあの本は間違いなく旅行記の傑作だと思う。まず、ああいう放浪を、大正から昭和にかけての昔の時代にやってのけたということがすごい。それも、植村直己的な”冒険”ではなく、ただの放浪をである。あの時代は比較的リベラルだったということもあるだろうが、今の時代ですら「放浪してきます」などと云うと変人扱いされかねないというのに、彼は何と、三十歳になって旅に出、その後七年間、しかも妻を伴って海外(中国、東南アジア、西ヨーロッパ)を放浪し続けたのだ(さらに云うなら、子供たちを日本に残してである)。

で、わたしが、彼の旅の何を好きかと考えるに、たったひとこと「ダメなとこ」なのである。
読めば読むほど、ああー何てダメなやつなんだ、とあきれてしまう。その反面、ダメなわりにはしぶとく生きているなあ、と不思議に勇気がわいてもくる。
例えば、奥さんにほとんど見限られているのに未練がましいところや、すぐに金が底をついて(笑)あやしい商売に手を出したりするところなんか、人ごととは思えない。で、ヘタレなわりにはプライドばっか高いのだ。ああ、本と情けないやつだ(笑)。
でも、そのダメさ加減は、例えば少し前に有名になった「だめ連」のダメさとは違ったものだとわたしは思う。
彼はダメであることを隠さない。しかし、ダメであることに開き直らない。ダメってのはエライんだ、などとは間違っても云わない。ただ、ダメなやつとして、ダメなりに生きている。もちろん、詩人というインテリジェントな(?)職業の彼は、プライドが高く、頑固で、決して謙虚な人間とは云いがたい。その傲慢さ、鼻持ちのならなさ、「オレは本当はダメじゃないんだ」ともがく姿、そういったことが、もうことごとくダメであるという(笑)、そこが生粋のダメ人間たる資格である(何のこっちゃ)。

放浪なんて、どんな体裁を繕っても、基本的にはダメな行為だ。あの沢木耕太郎ですら、「ただただ酔狂をやってみたい」という理由で深夜特急の旅に出たのである。ダメであることを前提にしていない放浪記なんて、わたしには面白くない。林芙美子の『放浪記』にしたって、まだ途中までしか読んでいないけれど、あれもひたすら、貧乏だよーしんどいよー、という愚痴がえんえん続くところに、逆説的な面白さがあるのではないか(違うかな)。

長い旅は遊びであって、遊びではない。遊びではないけれど、やっぱり所詮は遊びでしかない。そういう矛盾をはらんだものだ。だからやっぱりダメに決まっている。
そもそも、立派な放浪なんてありえるのか??そんなもの、「さわやかな色気」と同じくらいワケが分からないではないか。
立派じゃないから放浪なのだ。わたしはダメになりたい、いや、ダメな自分でも、それに開き直ることなく、謙虚に静かにダメでありたい。そして、「本当のわたしはこんなにダメじゃないはずだ」ともがき苦しみながら、それがどんどんダメさを増す結果になろうとも、それでもしぶとく生きていきたい。
金子光晴の放浪は、だから、どうしようもなくダメであるという点において、最も偉大で模範的な放浪と云えるのだ(言語矛盾を承知の上で)。

実のところ、わたしはそれほど彼の本を熟読していたわけではない。
持っているのは三部作と一冊の詩集のみで、旅人の間では『深夜特急』なみに重要な(?)『マレー蘭印紀行』も未読というていたらく。その三部作ですら、実はほとんど内容を覚えていない(笑)。例えば「あの場面がよかったと思わない?」なんて細かい感想を求められた日には、全く分からないと思う。
また、あの三部作は、スリリングでエキサイティングな冒険ものではないから、一気に読めるという類の本ではなく、濃い酒のように、或いは糖分ぎっしりのアラブ菓子のように、ちびちびやるのが最も適切な味わい方だと、個人的には思っている。少しずつ味わわなければ胃もたれしてしまうのだ。とにかく、文章から行間から、濃厚でむせ返るような匂いが立ち上ってくる。そんな感じ。

今の若い世代には、やはりバイブルは『深夜特急』で決まりなのだろうが、そこで止まらずにぜひ、少し古の旅人・金子光晴の放浪記を読んでいただきたいなあと思う(そのまま松尾芭蕉まで行くか?)。

(2002年11月)

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