IKUMOP.GIF - 1,393BYTES旅先むだ話IKUMOP.GIF - 1,393BYTES


++続々・荷物が重い!(もう限界)++
ううううう・・・うぐぐぐぐ・・・ぐごごごご・・・・・・。
荷物がっ、荷物が重すぎるぞーーー!!!
か、肩がちぎれる・・・腕が脱臼する・・・足で身体が支えきれない・・・。
全身の穴という穴から、汗がしたたり落ちてくる・・・。
はあはあ・・・はあはあ・・・はあはあ・・・ダメだ、もう電池が切れる・・・ヒットポイントあとわずか。か、神様、助けて・・・お願い・・・。
あと5分以内に宿が見つからなかったら、多分、死ぬ・・・死ぬ・・・死ぬ・・・死ぬ・・・・・・(バタッ)。

・・・てな場面が、この旅において、実に100万回くらいあった。
わたしは、そのたびに深く反省し、「今度こそ、荷物の大改造計画を実行して、現在の重量の半分に減らさなければ・・・近いうちに死んでしまう」と決意を固める。
固めるのだが、この3年と数ヶ月、旅立ち直後を除いて荷物が20キロを下回ったことは、おそらく一度もない。出国時、バックパックとショルダーバッグだけで足りていたのが、本当に奇跡のようである・・・。
しかし、それは本当に”直後”の話。 ヨーロッパ時代の旅先風信を読み返すと、10キロくらいとか書いてあったが、多分それはないだろう。今思えば、そんなに軽いハズはない。10キロの重量感というものを知らなかったのだと思う。イギリスを出たあたりから、すでにサブバッグが登場していたし、一時帰国前など、5つに膨れ上がっていたのだから・・・。

わたしの荷物は、旅のかなり初期の頃から、バックパック1個では済まなくなっている。細かい変遷はあるにしろ、大体はこういう構図である。
@バックパック(40リットルくらいか?未だに知らん;)
Aバックパックの半分〜3分の1くらいのサブバッグその1
Bバックパックの半分〜3分の1くらいのサブバッグその2(ビニール袋など)
C待ち歩き用のショルダーバッグ

ちなみに現在は、@は旅の当初から同じバックパック、Aがラクダ革のボストンバッグ(インド製)、Bが「ノースフェイス」のリュックサック(タイ製のコピー品)、Cがインドからずっと持っている布のショルダーバッグである。
@を背負い、Aを肩にかけ、Bを手で下げ、Cを反対側の肩にかける。
それで歩くさまは、はっきり云って異様である。罰ゲームでもない限り、こんなことはありえない。わたしが荷物を持っているのか、わたし自身もまた荷物の一部なのか、傍から見たら判断に苦しむかも知れない。

先日、タイに父親が来る前は、@、A、Cは同じで、Bは、インドにて20ルピー(約50円)で買ったジュート製のでっかいショッピングバッグだった(けっこうかわいい)。この中には、ほぼ100パーセントがらくた・・・ではなく、世界各国の民芸品(←だから、それががらくたなんだっつーの)が詰め込まれていた。
これを、嫌がる父に無理やり手渡し(本当に、心から嫌そうであった)、おかげでわたしの荷物は1つ減り、重量も軽くなった・・・はずだった。

それから2週間後。
タイ出国時のわたしの荷物は、何故かまた4つに増えていたのである!
現在持っている偽ノースフェイスのリュックサックが、仲間入りしたためなのだが、これは何も、リュックが欲しかったのではない。片付いたはずの荷物が、どういうワケかまた、@ACでは収まり切らなくなって、やむなく購入したのである!

・・・怪奇現象じゃねーの?
だって、たったの2週間よ?何が増えたっていうのっ?
首長族のコイル?リス族のポーチ?アカ族のスカート?仏像ペンダントのマニア雑誌?バンコクで買ったTシャツ?ペーパーバックの古本?ガイドブック?
・・・くっ、増えてる・・・確実に・・・。しかも、またガラクタばっかり(涙)。

新しいリュックは、タイ出国の時点で満タンになっていた。
どころか、荷物はすでにリュックからあふれていた。アカ族のギャザースカートが異様にかさばるので、重ね着テクを駆使してくズボンの上から着用、ミャンマー軍の帽子も常に着用、長袖のシャツは腰に巻き、キャミソールの上にTシャツを・・・このクソ暑いのに、グランジファッションかよ!だって、カバンに入らないんだもん!!!しかも、リュックの中に食べさしのドリアン(約500グラム)が入ってて、くさいんだよ!!!

そんな状態でのタイ−ラオス間の国境越えは、地獄の苦しみであった。もうほんと、行き倒れるんじゃないかと思ひました・・・。バスを降りた時点からイミグレまでが4キロくらいあったのだが、地図の縮尺が間違えていたため、「ま、歩けるだろ」とタカをくくり、トゥクトゥクの誘いをはねつけて、歩き出したのがいけなかった。
・・・半分も来ないうちに、悶死寸前になった。 国境に向かう車が時折通るので、誰かこのかわいそうな姿(笑)を見て、そこまで乗っけていってくれないものだろうか・・・と甘い期待をするも、ことごとく猛スピードで立ち去られる。ムダな体力を消耗しちゃいかんと思いながらも、呪いの言葉をぶつぶつと唱えずにはおれない(苦笑)。ああ、まるで十字架を引きずって歩くキリストのようなわたし・・・って、そんな神々しいもんかい。
しかし、世の中にはちゃんと親切な人はいるもので、欧米人らしき年輩の女性の車がわたしのために止まってくれた。ああ、地獄に仏とは、まさにこれ!感動のあまり半泣きになってしまったよ・・・。女性は、「そんな大きな荷物を抱えて歩くなんてムリよ!」と明らかに同情した口調で云い、わたしはかすれる声で、何度も何度もありがとうと云うしかなかった。

さて、ここで問題。
そんなに重いわたしの荷物って、いったい何キロなの?

常に荷物の正確な重量を把握しているワケではないのだが、飛行機に乗る機会があると、バックパックを預ける際に重量チェックがあるので、そこからの増減で大体を計測している。
飛行機に乗るときは、バックパックだけ預けて、パソコンやCDなどの重要アイテムは機内持込にしてある。つまり、そのときバックパックに入っているのは、服とかタオルとかお風呂セットといった、日用品がほとんどである。

なのに・・・なのに・・・なのに・・・
「17.8キロ」
って、どういうことですかね!?
本当に、悲しいくらい毎回、この辺の数値が出るのである。
ということは、だ。パソコンやCDなど重いアイテムの入っているAのサブバッグは、少なくとも5キロから8キロある。さらに、おみやげやガラクタを満載したBのサブバッグも同じくらいある。AとBがそれぞれ5キロ(ミニマム)だとしても、28キロである。プラス、カメラやらノートやらペットボトル水の入ったCもある。
30キロだ。もしAとBがそれぞれ8キロあったら・・・。

この荷物、誰か住んでる?こなきじじいでも憑いてる?(憑いてるかも・・・)
本当に、人からそう云われたこともあったぜ。「君のバックパックには、赤ちゃんが入っているのか?」と・・・んなワケないやろ!それに、赤ちゃんだったら、3〜5キロくらいだから、もっと荷物は軽くなっているハズだ・・・(涙)。
このほか、「恋人でも入っているのかな?」というバージョンもある。気の利いた冗談のつもりなのだねきっと・・・本当に恋人が入ってたらいいのにね(遠い目)。

そんなことはどうでもいい!人だの妖怪だののせいじゃないのだ!
しかし、兎にも角にも、重い!これだけは、まごうかたなき真実なのだ!
自力で歩いて国境を越えるときなんて、もう本当に死んでしまいそうなくらい、つらいのだ!
しかも・・・荷物を背負って移動しているときの自分の姿と云ったら、目も当てられないくらい醜い。
普通、か弱い女子が重いバックパックなどを背負っていると「ああ、痛々しい・・・」と思われるはずなのだが、わたしの場合、痛々しいというより、単にイタい・・・。同情の余地がないほど、無様な姿なのである。夜逃げと間違われても文句は云えない。
何がひどいって、全身荷物に絡まれているのもさることながら、バックパックがボロボロすぎるのが、ビジュアルの醜さにさらに拍車をかけている。女の持つカバンじゃないぜこりゃ・・・。実際、いろんな人から「バックパック汚いですね」と云われるのだが・・・ほっといてくれ!それか、新しいの買ってくれ!(笑)

とは云え、時々は、たまたまそこに居合わせたお優しい殿方たちが、宿まで荷物を持ってくれたりすることもある。ややフェミかぶれのわたしは、つい「いや、けっこうです!自分で持てます!」と云ってしまいそうになるが、プライドよりも荷物の重さの方がずっと深刻なので、申し出にはたいてい甘えることにしている。おありがとうございます。これを読まれている方が、今後もし、異様に荷物の多い日本人女子パッカーがよれよれになって歩いているところを見かけたら、多分わたしなので、荷物を手伝ってあげて下さい(笑)。

さて、そんなに荷物が重いなら、郵送すればよいのでは?と、たいていの人は思うであろう。
わたしもそう思うので、限界点に達したら、そのつど送っている。ただし、郵送費の安い国に限るし、船便に限る。
前回は父ちゃん便だったが、それまでは、荷物は友人の家に、数にしてダンボール15箱くらい送ってある。1箱平均3〜5キロといったところだ。2004年度は、ほぼ毎月のように送っていた気がする・・・。
彼女の家はわたしの家の3倍くらい大きいので、それも考慮して彼女に頼んだのだが(あと、家がとても近いので)、さすがにこれだけ送るともうしわけない気分でいっぱいだ。いっぱいなのだが、彼女が「荷物あったらいつでも送っておいでね」と云ってくれるので、遠慮なくばんばん送らせてもらっていた。いやーほんとにすまないね、友よ。

しかし、そうして友人に多大なメーワクをかけているにもかかわらず、一向に荷物が軽くなった試しがないのは、本当に、いったい、何のなせる業なのであろーか・・・。
もし荷物が、いつもの半分の重さだったなら・・・わたしの旅は、きっとかなり違ったものになったはずだと確信する。
もっと快適に、フレキシブルに動けたはずだ。沢木耕太郎も「荷物が軽いことは、旅を楽しくする重要な要素である」とかいうようなことを書いていた。
まったくもって、そのとおりである。荷物を持って歩くのが苦痛なために、「あー行きたくねー・・・」と断念しかけた場所は、いくらでもある。それでも、観光病の方があまりに根深いので、荷物を担いでひーこら云いながら出かけていき、死にそうになりながら移動&観光しているが・・・楽しくねーよ、ぜんぜん(泣)。

例えば、1日目の晩に夜行バスに乗ってA町へ向かい、2日目早朝からA町を観光して、その晩にB町へ・・・というような華麗なる移動術も、わたしのような荷物の重い旅人には、ほぼ不可能なのである。
ドバイからインドのゴアに帰ったとき、ムンバイでのトランジットがあった。早朝6時過ぎに着いて午後2時くらいまで便を待つという状態で、中途半端な時間やな〜と思いつつも、これを逃したらムンバイに来ることもなかろうと思い、頑張って観光することにした。が、荷物を預ける場所が見当たらず、アホみたいに重い荷物を担いで、市バスと市電(しかも満員)を乗り継いで、無理矢理タージマハルホテルとインド門を見に行ったのであった。その後もさらに頑張って(何故頑張る??)1時間近くムンバイの街を歩いたのち、空港に戻る頃には、空気を抜いた風船のようにしぼみきっていた。バカとしか云いようがない。

ときどき、1年以上の長旅のクセに、信じられないほど荷物の軽い旅人がいる。
ある女性の旅人は、今わたしが持っているノースフェイスのリュックくらい、すなわち20リットル弱のデイパックしか持っていなかった。しかも、その荷物の半分が化粧道具だというのである!日焼け止めが5個以上入っているとかいうのである!そんなムダなものを持ち歩いているのか!と云いたくなったが、わたしの方がはるかに荷物が重く、まったく説得力に欠けるので云わなかった。しかも、女子としては多分、わたしの方が間違っている。
その人は、彼氏と旅行していたから、一人旅よりは荷物も少なくなるのかもと思ったが、その彼氏もまた、小学生の遠足なみに荷物が小さかった・・・。多分、2人の荷物を合わせても、わたし1人分の荷物の量には及ぶまい。どうだ、すごいだろ!(←すごくないし)。

荷物の重さ・多さに伴う弊害は、移動の困難だけではない。
わたしはよく物を失くす、という話を、前回の荷物話に書いたが、その後も一向にその性癖は直らず、今に至っている。
ここ1ヶ月で失くしたものを振り返ってみても、大事なボロ靴をはじめ、サンダル、スカーフ、ネックレス、長袖のシャツ、買ったばっかの雨合羽・・・あああああ、もうほんと、いいかげんにしろーーー!!!何でお前はそんなに物を失くすんだよ!痴呆症なのか?!そーいえば、前述のタイ国境越えの際、乗せてもらった車の中に、ミャンマーで買ったお気に入りのサンダルも置いて来ましたです。はい。
靴の話は前に書いたので詳しくはそちらを読んでいただくとして、サンダルはやはり日本から持って来てずっと履き続けていた便所サンダルであり、ネックレスはカトマンズで誕生日祝いに人からもらったものだ。つまり、大事なものであった。って、失くしている時点で、大事にしてねーじゃねーか!と云われそうだが・・・。

失ったものを差し引いても、何故か荷物は一向に減る兆候もなく、しょうゆの小瓶や(何で今更・・・)、少数民族の服(分厚い)や、頭にかぶるすげ傘(路上で拾った・・・って、拾うなよ;)などが増え続けているこの現状・・・。呆れてものも云えん!わたしがこいつの親なら勘当だっ!

はっきり云ってもう限界、いや限界すらもとうに超えているのだが、「あとちょっとで帰国だし」と自分を慰めながら、今日も大量の荷物を引きずって移動している。

(2005年7月 ベトナム)


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