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++3年3ヶ月履いた靴++
ヨーロッパ、中東、アフリカ、南米、中米、北米、アジア・・・。
ここまで一緒に歩いてきた靴。わたしの足を支えてきた靴。一心同体に近かった靴。 71カ国の地を踏んだ靴。

その靴が、先日、お亡くなりになりました。ちーん
遺影を載せたいのですが、あいにく写真が一枚もありませぬ。

・・・・・・

旅に出る前、旅のために、それまでめったに履くことのなかったスニーカーを買おうと、あれこれ店を探し回った。
旅の間は、何足も靴を持ち歩けるワケではないから、この一足は慎重に選ばねばならない。何しろその頃、ロリータにややはまりだったため、持っている靴はことごとく旅に向かないものばかりだった。ピアノの発表会で小学生が履いていそうなストラップ靴とか、底で人を殺せそうなブーツとか・・・。
運動靴なんて趣味じゃないが、旅で歩き回るのなら、やはりスニーカーしかないだろう。

短足なので、5センチ以上10センチ未満の厚底の靴しか受け付けない体質だったわたしは、厚底のスニーカーというものを探したのだが、その頃すでに厚底ブームが去っていたため、捜索には困難を要した。
ギャル系の店には厚底スニーカーも若干あるものの、高下駄なみの厚底で、とても普通に歩けるシロモノではない。
そんな中で、唯一見つけた”まともな厚底スニーカー”が、アメリカのブランド、スケッチャーズであった。

確か、どれも8000円前後はしたと思う。
原色系、豹柄、ストライプ・・・色々あったが、わたしが買ったのは、真っ黒なスニーカーだった。別に汚れているという意味ではなくて、色が黒なのである。
これにはワケがあって、とある旅本に「高級レストランにも入れるように、靴は黒色がよい」と書いてあったためである。バックパックの旅で高級レストランに入る機会などほぼ100パーセントないのだが、まあ要は、黒ならば、たとえ形がスニーカーでも、フォーマルに見えるということだ。
その点、このスケッチャーズの黒いスニーカーは、まごうかたなき黒。ロゴの「S」の部分まで黒い。これならぱっと見、スニーカーに見えないだろう。
というわけで、わたしはそれに決めた。
履き慣らすために、遊びに行くときにも時々履いて行ったら、ある友達から「あんた、今日ヘンな靴履いてるなあー」と何気なく云われて激しく凹んだりもしたが、ともかくこの靴がわたしの旅のパートナーになることに決定したのである。

・・・そして月日は流れた。
フォーマルな場でも使えるようにと黒を買った意味は、まったく無くなっていた。
まず、ヨーロッパの数ヶ月で、靴ヒモがボロボロになった。歩き方がいびつなのか、外側の底が目にも明らかに減っていた。
それでも、半年後に一時帰国して靴ヒモを変えると、新品・・・にはさすがに見えないが、まだまだいけそうには思えた。

だが、その後のアフリカ旅行で、自分も靴もかなり酷使したため、自分も靴も目に見えてボロくなっていた。
2年目くらいからは、定期的に修理を重ねることになった。(自分の修理はなし)
発展途上国では、靴の修理おじさんがそこら辺にたくさんいて、値段も安いので、よく直してもらっていたのである。アフリカでも、中南米でも、アジアでも・・・これまでに、軽く10回以上は直しているだろう。

よく綻びるのが、つま先部分。底からつま先に、カバーするようにつながっているゴムが、いつの間にかべろんと剥けていることが多かった。下手したら、靴下の先が見えていることもあった。
紐の両側の甲部分の布も、よく破けた。あまりに縫い直したため、元の布地が弱りきっていて、最近では、修復しても焼け石に水状態であった。雨の日など、速攻で浸水してくるので、靴を履いている意味がないくらいだった。
あと、靴のかかと部分の内側が、1年目からすでにめくれていて、中からプラスチックがトゲのように飛び出していた。これはよくある綻び方である。こうなるともう、かかとにそいつが刺さるので、靴下がしょっちゅう穴空くことになるのだが、それも、修理と、靴の履き方の工夫(ってほどでもないが)で、何とか耐えてきた。
買った当初は光沢のあった黒い色も、すっかり褪せていた。これもたまに、靴磨き屋で磨いてもらって、しばらくはつやを取り戻すのだが、下手な美容整形のようにたちまち元に戻るのであった。

しかし、不思議なもので、これだけボロくなっても、買い換えようと思ったことは一度もなかった。さらに不思議なことに、こんな靴でも、けっこうまともに歩けるものなのである。
3年目くらいになると、もはやここまで履いたら博物館に飾れるだろうというくらい(実際、そう云われたこともある)、かえって貴重なものに思っていた。今さらほかの靴なんて履けない。この靴と心中する気だった。
チベットのトレッキングも、エベレストのトレッキングも、はっきり云ってこのボロ靴では危なすぎると思ったが、トレッキングシューズはあえて購入せず、修理屋に補強をしてもらって臨んだ。そしたらやっぱ、ちょっと危なかったけどな(苦笑)。

3年3ヶ月、71カ国をともに歩んできた靴。
日本に必ず連れて帰るつもりだった。
そして、友人連中に見せて「すごいやろー」と云うつもりだった(←イヤな奴)。

・・・・・・

その日は、メコンデルタツアーの2日目であった。
前日スニーカーを履いて雨に降られ、足がたいそう気持ち悪いことになったため、その日は風呂用に持参したサンダルで臨むことにした。ベトナムは今、バリバリの雨季なのである。
ホテルの部屋をチェックアウトし、1階に降りた時点では、スニーカーは間違いなくあった。サンダルを履いて、スニーカーは手に持って降りたのだった。
そのまま、そこで朝ごはんを食べ、車に乗った。

靴がないのに気づいたのは、ツアーが終わってからだった。
足元に置いてあるものとばかり思っていたので、移動中はまったく気にも留めていなかったのである。
「荷物の忘れ物がないように確認して下さい」とガイドに云われて、車を降りる段になって、初めて靴がないことに気がついた。
と云っても、移動中に、後ろの方に流されただけだと思って、座席の下を見渡してみた。
・・・ない。
・・・ない。
・・・ないよ?

一緒にツアーに参加していた日本人旅行者Aさんも探してくれたが、やはりなかった。

無くなったとしたら、昨日の宿に置き忘れてきた可能性が、もっとも高い。
ガイドが宿に電話してくれるというので、わらをもつかむ気持ちで「プリーズ!」と頼んだ。
Aさんに、「あるといいんだけど・・・あまりにボロいから、ゴミと間違えて捨てられてたりして・・・なんて、まさかね」
と云ったまさにその直後。
電話を切ったガイドが云うことには、
「あーお前の靴って、古い黒のやつだろ?あんまり古いから、ゴミに出したってさ。きゃははは。捨てちゃったんだってさ♪」

・・・・・・神経が、脳内で音を立てて切れるのが分かった。
お前!何がそんなに可笑しいんじゃ!?
その辺の椅子でもテーブルでも蹴飛ばして、ガイドの胸倉に掴みかかりたい衝動に駆られたが、他の旅行者の手前もあって、それはできなかった。
それよりも、ショックの方が大きすぎて、怒りは花火のようにすぐに沈下していった。
そう。ガイドは何も悪くない(しかし、笑った(嘲笑った)ことに対しては・・・うぐぐ、許せん)。
忘れたわたしが、単にバカなのだ。

それに・・・あの靴は確かに、本当に本当に本当にボロかった。
普通のツーリストたちはもちろんのこと、世界最貧国争いに堂々名を連ねるバングラデシュ人にすら、「お前・・・その靴はヒドいぞ。買い換えないのか?」と驚かれたくらいである(ほっとけ)。それはそれはもう、伝説になるくらいボロかった。
ボロいからわざと置いて(捨てて)行った、とホテルの人が思っても、やむを得なくはある。あるが・・・。

・・・・・・何て、何てこった・・・・・・。
戦争前のイラクに行ったときも、ジンバブエで強盗に襲われたときも、エベレストを見て泣いたときも、男に振られて泣いたときも(ウソ)、病めるときも健やかなるときも・・・ずっと、ずっとあの靴と一緒だった。そこら辺のカップルなんかより、よほど強い絆で結ばれていたはずだった。
旅の間、数々のものを失ったり、古くなって買い換えたりしてきたけれど、パソコンと、バックパックと、この靴だけは、わたしにとって三種の神器、愛着もほかの何よりも持っていたのだ・・・。
どうせなら、「あと1回は履ける」と云って結局1年近く履いているよれよれのパンツや靴下などから、先に逝ってほしかった・・・。資料用に持ち歩いている、昔のガイドブックとかさ・・・。幸か不幸か、彼らはまだ健在だ。

あの靴。将来、エラくなったら、自分博物館に展示しようと思っていたのに。
「放浪乙女が3年間履いた靴」として、ガラスケースの中に展示されるはずだったのに。
もしくは、ヤフオクでプレミアがついたかも知れないのに。

・・・って、そんなくだらない冗談云ってる場合じゃねーや・・・。

わたしは、半ば放心して、旅行会社の椅子に座っていた。
図らずも一緒にいたAさんは、あまりに落ち込んでいるわたしを前にして、かなり当惑していた(と思う)。
多分、一人だったら、滂沱の涙を流して泣いただろう。普段、HP上では5歳児のように泣き喚いているわたしだが(そしてそれは事実なのだが;)、さすがに同じ旅行者、しかも日本人の前ではできない・・・。
・・・と思ったけれど、結局涙が出てしまった。
はたから見たら、カップルの痴話喧嘩で、Aさんがわたしを泣かしているみたいで、Aさんはさぞかし居心地が悪かったことと思う(でも、「あまりにかわいそうなので・・・」と、その日の夕食はごちそうしてくれた。わーい・・・じゃなくて、重ね重ねすみません)。

かたちあるものは、いつかなくなる。
靴は、その役目を終えて、必然的に無くなっていったのかも知れない。役目というなら、靴としてはとっくに終わっていたとさえ云えるくらいなのだから・・・。
2年位前、大事にしていた布を無くしたときも、誰かにそんなことを云われた気がする。

でも・・・でも、やっぱり悲しいよ。そんな風に割り切れないよ。
人や動物の死を納得できないのと同じでさ・・・。生命体の死と比べては不謹慎かも知れないけれども。
あの靴は、誰かに拾われたわけでもなく、ただ、ゴミになって捨てられていったのだ。それも、どことも知れぬ異国の地で。
ここまでさんざん酷使されて、最後は持ち主の不注意(!)でゴミ箱行き。われながら、ひどいよな・・・。

あの靴。今ごろはもう、靴のかたちをしていないのかもな。
ほかのゴミと一緒に、ゴムと布の破片になって・・・どこへ行くんだろう?

もし”物”にも魂が宿るなら、あの靴は、わたしと一緒に世界中を歩き回ったことを、覚えていてくれるだろうか。

(2005年7月 ベトナム)


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