IKUMOP.GIF - 1,393BYTES旅先むだ話IKUMOP.GIF - 1,393BYTES


++旅は老いる++
アラビアに行きたいなあ・・・。
この期に及んでまた、そんなことを考えている、呆れるほど欲深いわたしである。
もちろん、根拠のない衝動ではない。もともとイエメンに大きな憧れがあったのだが、これまではルートの関係上あきらめざるを得なかった。が、現在地インドの、ボンベイからドバイまでの飛行機が安いといううわさを聞き、さらにドバイでならイエメンビザが即日で取れるという話もあって、にわかに食指が動いているのである。

しかし、今、日本に近づきながらのルートを歩んでいるところに、また日本から離れた場所に飛んでしまうのは、何となく躊躇してしまう。
もちろん、フライトが安いならば、飛ばないテはないのだが、微妙な値段であれば、やめた方がいいような気もする。

・・・と、わくわくとルートに頭を悩ませながらも、わたしの心は、どこか沈んでいるのであった。

沢木耕太郎が、確か『深夜特急』のどこかで、こんなことを書いていた。
「旅にも、幼年期、青年期、壮年期、老年期がある。」
正確ではないのだが、ともかくもこのような内容であった。そして、わたしはこの言葉を、旅先風信のポルトガル編で一度引用している。
それ以来、ほとんど思い出すことのない言葉だった(にしても、やっぱ沢木耕太郎は、旅人のココロを射抜く言葉をよく知っているなあと感心する)。それが今になって急に、頭に浮かんできたのは、ある旅人との会話がきっかけであった。

その人は、今年の夏に日本を出て、世界一周ルートで旅をする予定の旅人だった。おそらく1年以上の長旅になるだろう。
旅の話が好きな人で(ついでに沢木耕太郎好き)、わたしも珍しく、旅哲学?とでもいうようなものを、居酒屋でくだまくオヤジのように語りまくってしまった。何だかんだで、シリアスな話が大好きなわたしなのである(笑)。

その中で、彼が、「これからパキに入って、イラン、アラビア半島、アフリカ、ヨーロッパ、南米、サンチアゴからイースター、タヒチ経由で日本に・・・」と今後の計画を話すのを聞きながら、わたしは無性にうらやましくなった。アラビア半島はともかく、アフリカも、ヨーロッパも、南米も、もうすでに、自分で旅をした場所ばかりである。それなのに、まるでひとごとのように、それらの場所へこれから行く彼のことが、とてもまぶしく見えてしまったのだ。彼の旅には未来がある。わたしの行けなかった場所にも、これから行こうとしている・・・。

わたしは、まるで彼に対抗するかのように、自分のルートを熱く(笑)語る。
「インドから、スリランカ、バングラディシュ、ミャンマー、東南アジアを全部回って・・・」と。もしボンベイ⇔ドバイ間の飛行機が安いなら、アラビアにも行きたいですね――。
でも、同じように旅のルートを話しているはずなのに、何かが違う、と思った。
一体何が?
わたしはまだまだ、見たいものも、行きたい国や地域もたくさんあって、感動する心だって充分に持ち合わせているつもりだ。それらが、決して彼に劣っているとは思えない。なのに、何かが足りない気がする。それは、ついこの前までは持っていた”何か”であるように思うのだが――。

そのとき、わたしは急に、気がついたのである。
自分の旅は、老いを迎えている。足りない、と思ったのは、”若さ”じゃないのか――わたしの旅には、未来がないんだ。少なくとも、彼以上には・・・。
愕然とした。

2年半旅したからと云って、わたしの旅人としてのレベルは大したことはないし、旅慣れているとも別段思わない。そりゃまあ、旅の当初に比べれば慣れてはいるだろうが、あいかわらずボラれるし、現地人ともケンカするし、ついでに荷物も重いままであるし、新しい土地に行く前はいつだって不安だ。
しかし、わたしの”旅”は確実に老いている。
好奇心や感動が薄くなったという意味ではなく(それもあるのだろうが)、旅そのものが老いているのだ。

若さとか青春というものは、あくまでも心のもちようだ、とはよく云われることである。
確かに、年齢が若くても心が老人の人はたくさんいるし、逆もしかりである。
でも、心のもちようだけではどうにもならない若さの部分だって、あるに違いないのだ。
いくら吉永小百合が若く見えようとも、実年齢はまごうかたなき50過ぎなのである。森光子はとっくに80を過ぎている。どちらが”美しい”かはともかく、モーニング娘。の”若さ”には、かなうべくもない。時間にはどうしたって逆行できないのである。

旅を始めた頃よりも、好奇心やバイタリティといったものが、減少しているとは思えない。
でも、当時と比べて変質してしまったことは、たくさんある。
もう、めったなことでは旅人とアドレス交換をしない自分。出会いにそれほど新鮮味を感じなくなっている証拠ではないのだろうか?
HPのカラーもとっくに固まって、昔のように、あれこれ工夫を凝らす努力もしなくなった。惰性でたまった原稿をしこしこと書いているだけだ。
1ヶ月や2ヶ月の旅が、もはや”短い”旅としか思えなくなり、自分に残された半年という時間を、”あっという間”だと認識している。
ここまで62カ国。おそらくあと、10カ国も行けないだろう。限界が、終わりが見え始めている。以前のように、自分はどこまででも行けるんじゃないか、という錯覚は、もはやない。

バックパック、靴、パソコン・・・旅の最も重要なアイテム、三種の神器とでもいうべきこれらのものが、もはや限界にきている。バックパックのチャックはぶっ壊れ、靴は何十回と修理しては破れ、を繰り返し、パソコンのハードディスクは常にギリギリで、しょっちゅうフリーズする。わたしの旅を支えてきたものたちが、悲鳴を上げている・・・。

それだけ行けば(アラビアなんて行かなくても)充分じゃないですか――彼はそう云った。
自分でもそう思う。それはよく分かっている。親に電話するたびに、怒りと悲しみの混じった声で「いつ帰って来るんや」と云われ、そのたびに言葉を濁す自分。親に云われなくとも「ホンマ、ええかげんにせえよ」なのである。分かってる。分かってるよ。

もう終わらなければいけないこの旅。だからこそ、もう一花咲かせたいような、そんな気持ちになってしまうのだ。バカみたいだとは思うけれど・・・。
多分それは、今のわたしにとっては旅がすべてであり、わたしから旅を取ったら何が残るのかという不安が、”この期に及んでアラビア”という、半分暴挙に近いルートを取らせようとしているのだろうと思う。
「若いモンには負けられん」わたしの中に、いつの間にかそんな思いが生まれている。これって、いわゆる”年寄りの冷や水”というやつではないのか。それはとても惨めだし、美しくない。何よりも、悲しいではないか、そんな風に考えてしまうなんて・・・。

でも、わたしは、これから旅をするすべての人が、うらやましい。
さんざん好き勝手に旅してきて、見知らぬ他人からも「いいですね、そんな旅ができて」とうらやましがられてきたわたしが、そんなこと云える立場にないことは分かっているけれど、それでも、うらやましいのだ。自分の旅には、さまざまな後悔がある。あそこに行きたかった、あれを見たかった――やり直せるならやり直したいことも、いっぱいある。もちろん、当時できなかったことには、それなりの理由があったのだけど・・・。
これから旅に出る彼らには、無限とも云える可能性が広がっている。わたしには出来なかったことを、出来る可能性を持っている――。
そんな風に思うあたりがもう、旅が老いてしまったことの、何よりの証拠ではないのか?

2年半も旅したら、旅のベテランですね、なんて云われても、あまりうれしくない(とか云いつつ、やっぱちょっとは得意げになってしまうが)。
旅なんて、ベテランになってしまったら終わりなのだ。多分。ボラれようが、騙されようが、まだどこか浮き足立っている旅の初めのあの感じに比べたら、ベテランなんて、何の意味もない。
たまに、「南米のオススメありますか」なんて聞かれて、つい嬉々として聞かれてもいない情報までしゃべってしまったりすると、大体後から、ああ、しゃべりすぎてしまったかも・・・とくよくよしてしまう。何だか、「あたしに何でも聞いてちょうだい」な世話焼きおばばにでもなったみたいで、いたたまれないのである。
いるじゃないですか、時々。えらそーに自分の旅してきた場所のこととか語る人。「あー、あそこね。つまんないよ」とか断言しちゃう困った人とかね(苦笑)。それには絶対なりたくないと思っていたのに、どうもそうなりつつあるような気がして嫌になる。ま「つまんないよ」なんて云ったりはしないが・・・。

人が老いるように、旅も老いていく。
やっぱり、人生と旅は、よく似ているなあと思う。まあ、それを云ったら、人生とはこの世のすべてのものに似ているものなのかも知れないが・・・。
人の老いというのもきっと、こんな風にして、ある日突然、ささいなきっかけで気づかれるものなのかも知れない。
いつものように朝起きて、顔を洗って鏡をのぞいたら、「えええっ!?何でこんなところにシワが!?」なんて瞬間が・・・今んとこ、まだそういうのはないけれど、近いうちにそんな日が来るのであろうなぁ・・・・・・あ、ちょっと脱線。

わたしはふと、ある旅人のことを思い出す。
旅先風信にも出てくる、女性の旅人だ。
わたしが彼女に会った頃、わたしの旅はまだ、幼年期と青年期の間―思春期か?(笑)―くらいにあって、彼女の旅は、壮年期から老年期へ、まさに入ろうとしているような時期だった(と思う)。
あの時点で、彼女の旅はすでに2年半、残りは半年だった。今のわたしと同じである。まあ、彼女の方がツワモノだし、フットワークも軽くて本当にたくさんの国を周っていたけれど・・・。
わたしたちが会ったのはヨーロッパだったが、彼女はその後、イスタンブールから中央アジアを横断して日本に帰った。まだ、情報も少なく、ビザ取りも大変だった中央アジアを、彼女は最後の一仕事に持ってきたわけだ。老境にさしかかっていたとは思えないバイタリティである。

少なくとも、わたしの目に、彼女の旅が老いているようには見えなかったけれど、彼女自身は、どんな風に思っていたのだろう?
いや、彼女だけではない。すべての、長い旅をしてきた旅人たちは、旅の終わりに近づいて、自分の旅が老いたと思ったことはなかっただろうか・・・。

これまでの例えでいけば、旅の終わりは、旅の死だ。
そして、旅の死は、”旅人としての自分”の死を意味する。
多分、わたしが恐れているのは、それなのだ。

旅人でない自分に戻らなければいけない。
旅人でない自分。
旅に出るまでは、そうだったのだ。
でもそれは、どんな風だったのだろう?

今のわたしから、旅を取ったら、本当に、何もなくなってしまう。
お金もない。恋人もいない。仕事もないし、若くもない。
そんな、ないものだらけの今のわたしを支えているのは、旅人というアイデンティティのみだ。それだって、実のところは何者でもないのと同じだが(職業欄に「旅人」って書くわけにいかんしねえ)、わたしにとってはもはや、旅は単なるレジャーではなく、ライフワークのようなものに変質してしまっている。もちろん、帰国すればそうではなくなるだろうが、旅と日常が一緒くたになっている今は、自分−旅=0、になってしまうのだ。

だが、こんなことが、いつまでも許されるわけじゃない。
お金は近いうちに尽きるだろうし、永遠に帰れない旅人――沢木耕太郎云うところの”故郷喪失者”にはなりたくない。わたしは、日本に帰るしかない。日本で生きていくしかない。たとえ、何も待っていなくても(あっ、親は目を三角にして待っていますね;)。
何よりも、ゾンビのようにしつこく旅を続けたところで、旅のはじめの、旅人としてまだ若々しかった自分は、帰って来ないのだ・・・。

あと半年足らず。
南アジアと東南アジアを周って、帰国。
もう終わりにしなければいけないだろう。
でも、もう少しだけ・・・行けるなら、あそこにも、あそこにも、あの国にも行きたいな・・・。

旅の老人――死を迎えつつある旅人の、悲しくも往生際の悪いつぶやきなのであった。

(2004年11月 インド)


ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPむだ話INDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES
inserted by FC2 system