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++その後の頭文字”D”問題について++
前回、このネタで原稿を書いてから随分月日が経つ。その間も、「旅先風信」本編でちらほらとは書いてきたが、真面目にこの問題に取り組むのは久々である。

その後――未だに頭文字”D”(※ドラッグ、主にマリファナのことを勝手にこう記述してます)をやらずにここまで来ているわたしである。
これまでには、さまざまな誘惑もあった。例をあげると、グアテマラのアンティグアで会ったある男性は、マリファナから覚せい剤まで一通り経験し、結局マリファナに落ち着いたという人だった。彼は、宿が麻薬禁止にもかかわらず、毎日きまっていた(笑)。わたしはその人の話はわりと素直に聞けたので、マリファナについてあれこれと疑問をぶつけたりしていて、「吸う気になったらいつでも云ってよ」と云われたけれど、結局お願いすることはなかった。
極上物が手に入るというアフガニスタンでも、かなり心が揺れ動いたが、これまたやらなかった。アフガン旅をともにしていた人が、かなり好き者だったので、あやうく貞操を破るところであった。口に入るまであと15センチくらいだったと思う(笑)。

そう云えば、アンティグアの男性に「わたしは、日本人の旅人(パッカー)は9割喫煙者だと思うんです!」と力説したら、彼と、その場にいた全員に反論を喰らった。「常習者は1割、経験者5割ってとこでしょ」というのである。そんなワケないってー!だったら、何でわたしの友人知人(旅先での)の8割が喫煙者なの??教〜えて〜おじい〜さん〜♪♪

そんなワケで(?)、ここ、北パキスタンのフンザでも、マリファナ(この辺はハシシですね)喫煙者が、予想通り多い。宿にそういう人たちが大挙してくると、喫煙しないわたしとしては、何となく居場所が狭くなったような気がしてしまう。疎外感を覚えるというのかなあ・・・。ま、大体、こういうのんびりした村とかビーチは、こういう人たちが集まりやすいのであるが。
ある日、この辺では有名な日本人宿かつボン宿(地元の人がそう云っているのだから本当だろう)に遊びに行ったところ、ちょうどマリファナの話になっていて、耳をそばだてていると、「きまってるときに宇多田ヒカルを聞くと、普段聞こえない音が聞こえてきてやばいんですよ」なんて話が聞こえてきた。そんなもん聞いてどーすんだ?とちょっとばかしイヤな気持ちになったが、もちろん何も云わなかった。ちなみに、”きまる”という言葉にも、すっかり慣れたとは云え、未だに微妙な違和感があって、聞くたびに胸騒ぎがしてしまう。

最近になって、うちの宿に、”何処でもボン宿にする男”がやって来た。わたしは、彼とはほかの街でも会ったことがある。そのときも、毎晩毎晩、旅行者を自分の部屋に集めては吸っていた。そこには1週間くらい滞在したが、本当に、毎晩だった。当時行動をともにしていた友人も、喫煙する人だったので毎晩呼ばれていた。一人で吸えばいいのに、って思うけれど、やっぱみんなで吸わなきゃおもしろくないのかなぁ?それとも寂しがりやさん?(笑)
そして、現在の宿でも早速、テラスにて、宿内外の好き者たちを集め、輪になって回していた。テラスは一応公共の場である。そこでそんな風にたむろされると、何となくテラスに出にくいではないか。夜空を見上げてぼんやりするにも落ち着かない。例えて云うなら、家の近所の必ず通る道にヤンキーがたまっているようなものである(笑)。

しかしこれが、”酒盛り”であったなら、わたしの神経をそうまで逆撫ですることもなかっただろう。そのことに、自分自身疑問を感じるし、この差は何だろうと考える。
酒とマリファナは、色んな点でよく似ていると思う。その効果と害、いかがわしさ(笑)において。
そして、酒≒マリファナと考えたとき、わたしは何故、酒は許容し、マリファナを受け入れられないのか、と自問自答するのであるが・・・。
マリファナをみんなで回して吸うことに、何となく違和感のあるわたしだが、酒ならば、みんなで呑むのが当たり前な感じがするし、「一人で吸えばいいのに」なんて書いたけれど、これが酒なら、「一人で呑めばいいのに」とは、多分思わないだろう・・・。

さらに云うなら、イランでは2日に1回ペースで水タバコをぷかぷか吸っていたわたしである(トルコでもやってた。でも普段はノンスモーカーです)。あれも、1人で吸うときもあるが、1本のパイプを複数人で回して吸うのがポピュラーなスタイルで、皆でマリファナを回すのと何が違うんじゃい?!と云われると、反論につまってしまう。

ちなみに、前述した”疎外感”について考えると、酒の呑めない人の心境というのはこういうものなのかなと思ったりする。わたしは、酒は相当弱いが、呑めないわけではないし、即行酔っ払えるので(但し、それを越えると頭痛と吐き気に悩まされ、もう二度と呑むか!と思うのだが・・・)、酒の席に参加するのにはやぶさかではない。
しかし、世の中には、身体が受け付けず「一滴も呑めない」人が存在する。日本は宴会社会なので、そういう人は本当に気の毒だと思う。酒豪は半ば英雄と見なされる宴会の場で、一人ウーロン茶をすすり、皆が酔っ払ってハイになっているのを横目で見ているのは、相当寂しく、壮絶な孤独体験ではないだろうか。悪いことに、そこにデリカシーのないやつがいて「おい、お前何で呑まないんだ?!オレの酒が呑めないっていうのか?え?」とか云い出すともはや始末に終えない。

マリファナを強要されることはまずないが、酒の席と違って、吸わない人間はまず輪の中に入れないので、疎外感はこちらもなかなかのものである。酒だと、とりあえず、食べ物がセットになるし、呑めない人は食べて、ジュースでも呑んでいれば、とりあえずその場に居ることはできる。
マリファナ愛好家の中には、”酒が一滴も呑めない”のでマリファナを吸う人たちもいる。わたしの知り合いにも2、3人いる。そういう人たちに、「マリファナはよくない」とはなかなか云えない。というか、誰に対しても云えないけど。そういう”はけ口”のひとつという意味では、酒もマリファナも、同じである。

唐突だが、「悪法も法なり」という、ソクラテスの言葉がある。ソクラテスが死刑の前に、逃亡を薦める友人(弟子?)に対して云った言葉だ(ったと思う)。色々な解釈があるのだろうが、わたしは”悪法であっても法に従うことが正義である”と認識している(そのまんまか)。
だったら、国の法律が「人を殺してもいい」ということになっていたら、それに従うのが正義か?とかいう問題も出てくるわけだが・・・うーん、勉強不足なのでよく分かりません。きっと、もっと深遠な言葉なんだと思うが。

わざわざソクラテスの言葉を引用したのは、わたしがマリファナをやらない大きな理由の1つは、「法律で禁止されているからだ」と思ったからである。
それに対しては、色んな反論がある。例えば「昔は日本でも普通にやってた」とか「今でも北海道では自生している」とか、インドやパキスタンではローカルの奴らが普通に(?)吸っているし・・・それに、オランダでは合法になっているのだし、医療に使われている国もあるし、何と云ってもタバコより害はなく常用性もない・・・。
では何故、オランダ以外の国では違法(ドイツは所持はOKらしい)、果ては死刑になる国まで存在するのだろうか?
それについても、反論はちゃんと用意されている。一言でまとめると、「禁止されているのは、経済のためだ」。マリファナ喫煙者が多くなると労働効率が落ちるとか、麻薬マーケットそのものに関わる損害とか・・・よく分からないけど、とにかく経済効果が落ちるってことらしい。
マリファナが違法になったのも、たかだかこの50年くらいの話であって、それこそ人が云うように「昔は普通のことだった」のであろう。

つまり、マリファナそのものが悪であることについては、根拠が乏しいというわけだ。

その点、ヘロインとかコカインとか覚せい剤なんていう、いわゆる”ケミカル”のドラッグは分かりやすい。常用性があり、明らかに身体と精神に異常をきたす。それでも、パッカーでもこれらを嗜む(苦笑)人々は、決して少なくはない。そして、それすらも、本当に”悪”なのか否かは分からない。覚せい剤でボロボロになっても、その人が別にそれで幸せならば、一概に悪とは云えないかも知れない。ボロボロになることが=悪かどうかは、突き詰めると分からなくなる。

結局は、「本人の自由意志」ということであって、善悪の問題ではないのだろうか。
でも、そんなこと云い出したら、何したっていいことになってしまうだろう。何がよくて、何が悪いのか。自分で決めればいいのかも知れないけれど、その決める”自分”はとても曖昧なものだ。
そういうとき、法というのは、ひとつの拠り所になると思う。法は、絶対的な善悪の基準としては心もとないものかも知れないが、公共の利益を考えて作られたものであるから、”公共にとっての正しさ”ではあるわけだ。人は、自分だけの判断で生きられるものではないし、ソクラテスも公共のために殉じたのであろう(違うか?)。
偉大な哲学家ですらそうしたのなら、わたしも同じように、法に従おうと思う。たとえ、つまらないことであっても。

しかし、以上のことは、あくまで理論武装に過ぎない。もっと個人的な理由は、ちゃんとあるのだ。
@やったら、抜けられなくなって、そのうちハードドラッグに手を出すかも知れない
A吸っている人たちのかもし出す”何ちゃってアウトロー”な雰囲気が嫌い
簡単にまとめると、そういうことである。

@わたしは、病的に好奇心が強いというか、むしろ好奇心を通り越して、体験は”義務”であると思い込んでいるフシがある。寺山修司云うところの”経験の狩人”たらんとせんわたしなのである。わたしが、マリファナを吸えずに悶々としているのは、そういった己の性質から来るものだと思う。別に、「吸わなきゃ吸わないでいいじゃん」というのが大方のご意見だろうが、それはわたしの好奇心が許さない。今の状態は、好奇心と道徳心が絶えず戦い、道徳心が優勢なのだが、好奇心はしぶとく生き長らえているという状態である。
なもので、マリファナを吸って、万一「おおお、こりゃすげー・・・マリファナでこんなんだったら、コカインとかヘロインってのは、もっとすごい世界を見せてくれるかもしんない」といらぬ好奇心を抱いてしまったら・・・という不安がぬぐいきれない。そして、そうなったとき、カタギの世界に戻ってくる自信がない(笑)。

A喫煙者の中には、日本でもやる人もいれば、旅行のときだけという人もいる。前者に関してはちょっと横に置いて、後者については、わたしはこう云いたい。「他人の国やったら、何してもエエんかい?!」いくらインドやパキスタンやその他の国ではマリファナが蔓延している(のか?)とは云え、法律ではあくまでも「違法」である。ムショに入れられたって、絶対に文句は云えないのである。そういうケースは稀なのだろうけど(だからみんなやってるんだろうけど)、わたしにしてみれば、「わざわざそんな危険を冒してまで、やらなくてもいいのに」という感じである。こんなこと云っちゃなんだが、喫煙者の中には、”アウトローを気取ったやつら”もかなり混じっている気がして、それが気に食わない。
”何ちゃってアウトロー”でも、三島由紀夫くらい必死にやってれば、わたしは認めるが、ほとんどの奴は腰が入ってないんだもの。わたしがこの世で最も苦手な人種は、”自分が全て正しいと思っててそれを押し付ける人”と、”中途半端に悪ぶって自分をカッコいいと思い込んでいるエセアウトロー”なのである。あああ、今何人かの顔が具体的に浮かんできて、イヤ〜な気分になっちまったい。

あと、マリファナ好きがやたら唱える「シャンティ」って言葉も嫌いである(ああ、こんなこと書くとまた嫌われそうだけど・・・でもインドに云ったら変わるかも知れないし)。確かヒンディー語で「平和」とかそういう意味だったと思うけれど、その言葉自体はともかく、マリファナ吸ってシャンティになろう、みたいな言い草が大嫌いだ。マリファナ=平和っていう考え方が。逆に、マリファナ吸わないとシャンティになれない人って、どうなの?って思う。

話は飛ぶけれど、こないだある人から「何で君はいつも笑顔じゃないんだ?」てなことを云われて、ムッとした覚えがある。いつも笑ってなきゃいけないのか?そんなやついるか?
わたしは平和主義者だし、戦争には全面的に反対する者だが、だからと云って、やたらに「ラブ&ピース」とか「みんな友達」を振りかざす輩には、胡散臭いものを感じる。「ていうか、人間って、そんな単純なモノ?」と思ってしまう。喜怒哀楽、という言葉があるように、すべては平等な感情だと思う。”喜”と”楽”がいいモノで、”怒”と”哀”が悪いモノという考え方には疑問がある。敬愛する年上の女性が云っていたが、「喜怒哀楽、全て味わい尽くしてこその人生」わたしもそう思う。
また、ある人が「人を出し抜こうとか、人より上に立とうという気持ちが分からないし、そんなことで人を呪ったりする気持ちも理解できない」と云っていたが、わたしにはとてもよく理解できる(残念ながら・・・)。わら人形を実際に作って釘を打ってしまうような人は、確かに怖い。でも、その根元にある感情は分かるのだ。東洋思想の”陰陽”という考えを信じるわたしは、美しい心と醜い心を持ち合わせているのが普通の人間だと思っている。わたし自身は、醜い心の方が多くて問題あるけど(苦笑)。

閑話休題。またしても話が彼方へ行ってしまった。

わたしのマリファナに対する姿勢は、月日を経るごとに頑なになっていっているように思う。
旅の初めなどは、わりと柔軟だったのだが、そして、真ん中辺りでも転換期があったのだが、・・・ううむ、何がわたしをこんな風にしてしまったのか。
単純に生理的嫌悪なのか、個人的嗜好なのか、道徳心なのか・・・も、よく分からない。「にんじんを食わず嫌いする」のと、そんなに変わらないのかも・・・なんて思うこともある。
もし、わたしがオランダ人なら、酒を呑むようにマリファナを嗜んでいたかも知れない。イスラム教徒であれば、酒に対して同じ思いを持っていただろう。単に、環境に左右されているだけの、ちっぽけな考え方なのかも知れない、と思う。これまで自分を縛っていた常識から自らを解放することが、旅の1つの目的でもあるはずなのに、この件については、恐ろしく臆病になってしまう。

いつか、マリファナが駅の売店で(タバコと同じように)買えるようになったらやってみてもいいと思っている。でも、そんな日は果たしてやって来るのだろうか?(笑)
そこまでポピュラーにならなくてもいいから、せめて合法になれば(オランダのように、コーヒーショップだけで吸うとかね)、わたしのこの頑なな心(笑)も融けるような気がする。お天道様の下で堂々と吸える環境ならば、マリファナの本来のよさ(何だそりゃ)が正しく分かる・・・のかも知れない。
そう。マリファナにまつわる”不穏な空気”ってやつが、どうにもダメなのだ。喫煙者は、口をそろえて「危ないものでも何でもない」むしろ「身体にいい」とすら云う人もいるが、非合法のもとで吸う限りは、どうしてもダーティーな印象がぬぐえない。それに、さっきも書いたように、アウトロー気取りな人たち&芸術家気取りな人たちのマストアイテムっぽくなっていることが、よけいにイメージを悪くしている。いや、喫煙者たちが全員そうだとは、もちろん思っていないけれども。

そんなわけで、相変わらずこの問題については、解決を見ないのであるが、インド辺りに行けばまた、新しい展開もあるかも知れないので、またその頃にお会いしましょう。

(2004年6月)


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