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++2年ののち++
旅を始めて、そして、この旅行記を始めて、今日(3/14)でちょうど2年目になった。
2周年の日にわたしがいることになったのは、サンフランシスコである。1周年は、ケニアのナクル湖でフラミンゴやしまうまやライオンを見ていた。今回は、林立する高層ビルの谷間でこれを書いている。エラい違いだ。♪思えば遠くに来たもんだ〜、と。

2年経った、という実感は、正直なところほとんどない。
日付がそれを教えてくれるのみである。
こうも旅が長くなると、はっきり云って時間の感覚は麻痺してくる。今年の誕生日でおん歳28歳になろうという事実にも、日本にいれば「がーん!もう28歳!三十路へのカウントダウンが始まってるじゃないのーーー!このままでいいのわたし?!」と頭をかきむしっているところだけれど、旅先にいるとあまりピンと来ない。よくよく考えたら恐ろしいことである。まさに「浦島太郎」ではないか!玉手箱はもらわないにしろ、帰国したら、自国に馴染めずに苦しむ自分の姿が、今にも目に浮かんでくるぞ。

25年間、かたときも家族と離れて暮らしたことがなかったのに、2年も離れても大してホームシックにはならないし、お互い元気でやってればそれでいいんじゃないのかな、と妙な悟りの境地に至っている昨今である(ちなみに、父親はかなり怒っている)。これまた、浦島ではないが、帰国したらカンドーされてて、「お前、誰や?ウチには娘なんかおらん!」なんて云われたりして・・・こわいなあ。

旅が2年続いていることも異常事態だが、このホームページも、更新がつとに遅いとは云え(わはっ。すみません・・・)、2年続いているというのには、我ながら驚いて、小さな目を無理に見開いてしまう。
初めた当時から1年くらいは、「おい、カウンター壊れてんのとちゃうか?」と云いたくなるくらいアクセス数が少なかった。一時は本気で落ち込み、もうこんなページは閉鎖じゃ!と思ったことも、何度あったか知れない。
それでも、異様に偏執的な性格が、とりあえずここまで続けさせてきた。いやー、ほんと、しつこく生きててすみません、って感じだ。

今だって特にすごいアクセスがあるとは云えないけれど、ときたま知らない人からメールやBBSへの書き込みをもらったりするようになって、それなりに手ごたえを感じられるようになった。
もう昔のように、無理に宣伝しようとか、どうやったら「世界一周デート」のようなアクセス数を稼げるのか?などとは考えなくなった。今までと変わらずに、自分が書きたいことを書く。それでいいと思うようになった。それが、地道でも確実に読者を増やす方法だという気がする。ま、増えなきゃ増えないでいい。別に、このHPがわたしの旅行資金に化けるわけでもないのだから(笑)。

しかし、このHPがあったからこそ、旅が続いてきたのかも知れない。
始めた当初は、片手間の余暇のつもりだったHPも、今では旅自体と切っても切れない関係にある。
このHPをやっていなければ、わたしの旅はずいぶん違ったものになっただろう。それが果たして、よりよい方にか逆なのかは分からない。
でも、HPを抜きにして、今やこの旅は語れない。や、別に語らなくていいのだが、語りたい気分なので語らせてくれ(笑)。

つらいとき、孤独なとき、自分とは何とつまらない人間なのかと自己嫌悪に陥るとき、世界中から見放されている気がするとき、わたしのよりどころは”書くこと”だった。今だってそうだ。
とにかく、書くんだ。今できることは、書くことだけだ。そう思って、ノートに、パソコンに思いのたけをぶちまけてきた。
書くことで何とか自分を保っていける。
書くことで初めて、わたしは人並みの人間になれる。
大げさではなくて、本当にそう思う。

わたしから書くことを取ったら、本当に何も残らないだろう。自分で云いたくないけれど、顔も身体も人並み以下だし、服の趣味は悪いし、性格ももちろん悪いし、小心者で臆病で卑怯なわたしが、唯一生きている意味があるとしたら、何かを書いて残すことだけだ。
そんなことは誰にだって出来ることかも知れないけれど、それでもいい。ペンを持てば、わたしは自由になれる。いろんなものから解放される。ときどき、書くことは、祈ることに似ているかも知れないと思う。事実、書いているときの自分は、ちょっと宗教がかっている気がするのだ(笑)。

それを、ただノートに書き記しているだけでは満足できず、ネット上に、露出狂のごとく心情を垂れ流しにすること2年も経ってしまったわけだ。ああ、恐ろしい(笑)。そんなに有名なページじゃないからいいものの、こりゃ立派な公害かも???なんて思いつつ、やめられない。ところがそれを、少数ながら楽しみに読んでくれる人もいるわけで、インターネットはつくづく偉大だと思う。
わたしのような、書くことしか手段のない人間に居場所を与えてくれるネットは、いろいろ問題をはらんでいるにしても、その功績は大いに認められるべきだろう。こんな、愚痴と自己愛に満ち満ちたたわごとのページを、好き好んで読んでくれる人がいるなんて、ネットが起こした奇跡だとしか思えない(笑)。

この2年の旅で、わたしは何かをつかんだだろうか?
旅に出る前、この旅が何かを与えてくれる過剰に期待するのはやめておこう、と、自分に戒めた。
それでも、心のどこかでは、絶えず「何かを得なければ」「自分を変えなければ」という使命感のようなものが渦巻いていた。今でもそうだ。
そういう意識は、世間一般の人も持っていると思う。2年も海外にいれば、実に多くのものを得て、成長したはずだ、と、多分誰もが思っている気がする。

確かに、得たものはいろいろあるだろう。
普通に働いていたら、一生見られなかったかも知れない景色に何度も出会い、人に出会い、ありえない出来事にも遭遇してきた。
しかし、それでわたしが成長したかというと、甚だ疑問である。歳はとりあえず取ったけどね(笑)、しかも2つも。多分このままいけば、旅の間に3つ歳を取るだろうが、精神的には退行していっているのでは?と思うこともしばしばだ。赤ん坊みたいにギャーギャー泣くし、反抗期のガキみたいにキレまくるしな。

でも、それでも旅を続けてきた、そのことに後悔はない。
そしてそれが唯一、旅を続けてきたことの成果であり誇りなのだと思ったりする。何だかヘンな云い方だけど。

・・・・・・

ここからは、成長と云えるかどうか分からないけれど、ごく最近考えていることを書こう。

旅の間中、孤独という言葉を何度もかみしめ、HPでも安っぽく書き散らかしてきた。
文字通り、一人で旅をしていると、一人で旅をしていない人たちにたくさん会う。わたしはそのたびに、彼らをうらやみ、わたしは何と寂しい人間なのだろうか、と愕然とする。
そして、これまでの人生とわが身を振り返れば、親や祖父母以外の人間にとって、わたしはどうでもいい存在に過ぎず、明日死んだって誰もかまいやしないだろう、ということに気づく。

そんなことは百も承知なのだけれど、せめて一人くらい、誰か、血のつながりなんか関係なくわたしを愛し、理解してくれる人がいればいいのに、と思い、次々と結婚し家族を作っていく友人たちを見るにつけ、何故わたしだけが、ブラックホールのような孤独に苛まれながら生き続けているのか、とわが身を呪う・・・そんなことの繰り返しであった。

わたしはどうしょーもない俗物なので、未だに「好きな男(人)と結婚して幸せに暮らしたい」願望を捨てきれずにいる。この願望は、自分で意識しているよりもずっと根深い。何故だ?分からん。しかし、気がつくと、そんなことを夢見てぼんやりしているときがある(長時間の移動のときなど)。
人生相談の本や、経験豊かな大人たちが、あれほど口を酸っぱくして「結婚は現実の生活であり、決してバラ色の夢物語ではない」と説いているにもかかわらず、わたしは結婚への夢を放棄できない。100歩譲って、戸籍上の結婚をしなかったとしても、誰か、人生のパートナーになる人がこの世にいればよいのになあと思う。
世の人々は、それをいともあっさりと見つけているように見えるのが、つくづく不思議でならない。まあ、中には生まれたときから赤い糸が切れているかわいそうな人もいるのだろう・・・ってそれは、わたしのことかい。嗚呼、わたしの王子様はいづこに?(←頭悪くてすみませんね)。

しかし・・・と、はたと思う。わが身を振り返ってみれば、わたしは、自分以外の他人を本気で愛した、あるいは理解したことがあるだろうか?
もちろん、「あの人が好きだ!結婚してえ!」と浮かれた気分になることはしょっちゅうある(それもどうかと思うけど)。しかし、自分の存在を賭けてまで、その人を愛しているのかというと、甚だ怪しい。
そんな人間が、他人から愛されようとするのは、傲慢以外の何物でもないのではないか?

わたしを愛してくれていると確信できる数少ない人間である、父親や祖父母のことすら省みないわたしである。彼らは本当に、無償の愛と云っていいくらいの愛情を注いでくれていると思う。わたしにはもったいないほどだ。なのに当の本人は、ウソをついて海外に逃亡し、1年で帰ると云っておきながら、気がつけば2年も経ち、まだしつこく旅を続けようというのだから、親不孝とはまさにこのことである。それでも、父親は、電話をすれば「元気にしてるんか?風邪引いてないか?金は大丈夫か?」などと心配し、怒り呆れ果てつつもわたしを見捨てようとはしない(今んとこ)。何て見上げた奴なんだ、父ちゃん・・・うう、書いてて涙出そうになってきたぜ。人生のパートナーなんか見つからなくたって、わたしは充分幸せなんじゃないのかよ?人生で受けるべき愛情は、もうちゃんと受けてるんじゃないのかよ?その上他人様からも愛されようだなんて、ちょっと図々しいんじゃねーのか?

ただ、父親も祖父母も、わたしを愛してはいても、理解してくれているわけではない。と思う。
愛だけでなく、理解も欲しいというのは、傲慢で不毛な望みだろうか?そうだよな。でも、愛だけじゃ孤独なんだ。誰かに分かってほしいと願ってしまうんだ。その気持ちが、ますます自分を惨めな孤独に陥れる。

だが、本当は、どんなに愛と理解を勝ち得ても、人は結局、孤独から逃れることは出来ないのではないか。そして、それは至極当たり前のことなのではないだろうか。
どんなに逃げても、孤独は影のように付いて来るし、人生が終わるその瞬間まで、人は孤独とともに歩いて行かなければならない。酒を呑んだり、セックスしたり、何らかの快楽に耽っている間は忘れられるかも知れないが、それは単に、瞬間的に忘れているだけのことで、孤独は常に己の隣にいるのだ。まるでストーカーみたいなやつだ(笑)。それも、一生ついて来る、ミラクル
ストーカーである。普通のストーカーみたいに、「警察に電話しますよ!」って云ったって聞かないのである。おお、こわー・・・と怖れても仕方ない。それなら、思い切って仲良くするしかない。”孤独ちゃん”とでも名づけて、テキトーに付き合っていくしかない。そうだよね、孤独ちゃん?あんたは何も答えてくれないけど、ずっと、ずーっとわたしの隣にいるんだよね?

ものすごーーーく矛盾した云い方だが、”孤独ちゃん”と一緒にいる限り、わたしは一人ではないとも云える。年がら年中、孤独ちゃんに話しかけている(ただの独り言だが)わたしは、実はそんなに孤独ではないのかも知れんなあ・・・なんて、あれ、話が何だかこんがらがって来た。

己の孤独に気づかされることなく、幸せに一生を終える人も、中にはいるのかも知れない。
本当のところは分からないけれど、そんな風に見える人たちが、わたしのまわりにも居る。そうだとしたら、つくづく目出たいことだと思うが、世の中には知らない方が幸せなこともあるので、別にそれが悪いこととも思わない。ただ、ちょっとうらやましくはある。

だが、とにかくもう、孤独をむやみに恐れて、自分を哀れんだり、他人をうらやんだりするのはやめよう、と思う。
それに、わたしは今、孤独かも知れないけれど、自由でもある。孤独だけど自由。自由だけど孤独。自由であることの喜びを享受するならば、孤独であることの痛みも引き受けなければならない。当然だ。世の中、ウマい話はないのである(ちょっと違うか)。自由と孤独はいつだってセットさ。

孤独であることを認めて、そこから逃げないこと。それは、自分にとっては、ドラクエにおける”(勇者)ロトの紋章”みたいなものだ。そして、そのロトの紋章とは、”さまざまなものから自由になること”なのかも知れないな、なんちって。

今回もまた、最後は、旅とは何のカンケーもない繰言になってしまったけれど、書いておきたかったので書いた(そのまんまやがな)。旅が終わったとき、わたしは何を考えているのか、自分に大きな不安と期待を抱いている。

(2004年3月14日、サンフランシスコ)


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