旅先風信・まとめと謝辞


まとめと謝辞

 


 

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ただでさえ長い旅、その旅行記がまたこんなに長くなるとは、正直、自分でも驚くというか呆れています。
その”長さ”というのがまた、量もさることながら、旅が終わって3年以上もの間、むちゃくちゃな更新頻度で続いていたという意味で、本当に長かったなあと思うわけです。

「旅行記を書いている間は旅は終わってない」と云ったのは作者さんでしたが、この3年、いや4年?はまさにそうで、わたしは実質の旅×2倍は旅をしていたことになり、そういう意味ではオトクだったのかも知れん(笑)と、ヘンにポジティブな気持ちも湧いてきます。
つい先日までは香港の旺角あたりを歩いていたし、そう云えば最後に香港に来たとき佐敦駅の改札で荷物がでかすぎて通れなかったなあとか、急に遡って夕方のアンコール遺跡を心細い気持ちで自転車を漕いでいたりとか、いちいちリアルに追体験していました。だから、香港で大阪行きのチケットを買ったときの虚脱感は、そのまま、この旅行記の最後、香港編を書き終わったときの気持ちにつながっています。
たまに人から、「そんな前のこと、よく詳細に書けるよね」と云われると、「わたし、記憶を冷凍保存できるんですよ」なんてまことしやかに(笑)答えていましたっけね。実際、旅行記を書くときは、ノートや写真を手がかりに記憶の階段をぐぐーっと降りていって(それに時間がかかるのですがね…)、わりと鮮明なその(過去の)世界に降り立つ感じになるんです。
最も、記憶は間違いなく風化もしていくわけで、最後の方は、どこまでリアルさやライブ感をキープできていたか、疑問も大いに残るところですが……。
ともあれ、仕事や日常がつらいとき、いや旅行中ですらも、旅の記録を書くことは、癒しであり、自分の心が帰っていく小さな部屋のようなものでした。逃げのように思われるかも知れませんが、まあそのとおりです(笑)。

それと同時に、完全に自主的に旅行記を書き続けることは、けっこうな重荷でもありました。特に帰国して、働き始めてからはその重さがずっしりと身に応えました。
何をしていても、心のどこかに「旅行記を書かなければ」という無駄な使命感(笑)が引っかかっていたのです。それはもう、どこにも行き場のない、完全に自分との戦いでした。これを書いたからと云って、誰の役にも立たない、誰かが求めているわけでもない、それでも書いて、アップする。それって何なの?と思いながらも、書く。それも、締め切りがないもんだからダラダラとやる。その繰り返し。
でも、そんな自己満足の世界に、いつしか読み手になる人たちが現れてくれて、旅行記は少しだけわたしの手を離れて、いろんな人に共有してもらうことができました。
だから、最終的には自己満足だけれど、自分だけではここまでやって来られなかったと思います。拠り所があるとしたら、やっぱりそれは、読んで下さる人たちの言葉であり存在でした。
特に帰国してからは、こんなどうしょうもない更新頻度のサイトに、まるで敗戦の将に寄り添う武士のように励ましのメッセージを送ってくれる見ず知らずの人たち、その人たちの「楽しみにしています」という声がなければ、ここまでしつこく(笑)続けられたかどうか。
「遠くの親戚より近くの他人」とか云いますが、こと旅行記に関しては、生活において身近な人たち以上に、遠くの、顔も知らないたくさんの人たち無くしては語れません。「近くの友達より遠くの他人」という不思議なことになりますね(笑)。
本当にありがとうございました。
そんなありきたりなひと言で済ませるのも忍びないけれど、やっぱり「ありがとう」としか云いようがなくて……言葉の通じない旅先で云う「ありがとう」と同じくらいもどかしいですね。

さらに振り返って、旅自体のことも少し、まとめてみます。
今、旅全体を総括して思うのは、若気の至りでも済まされないような大恥を全国各地で晒しまくったものだな……という気持ちが一番に湧いてきます。
旅したこと自体は後悔していませんが、旅先での行動はかなり後悔が多くて、読み返しながら、懺悔の念を禁じえず、ホームページごと自分の存在を抹殺したくなることも、時々あります。
しかし今さらそういうわけにもいかないので、今は、こんなアホの日本人旅行者を、多かれ少なかれ相手してくれた現地の人たちに、改めて感謝するほかありません。
いつかまた旅に出るときは、出会う人たちに何かよいものをもたらせるように……(Sさんみたいな発言)。
そこまではできなくても、人に悪意をもたらすような旅はなるたけやめたいものだと(汗)。
と反省する一方で、旅先では良くも悪くも、喜怒哀楽をむき出しにしていたわけで、あんな激しさを懐かしく思ったりもします。今ではまた、無表情で冷たく、淡白な印象の人間に戻ってしまったようなので、余計に。
旅の思い出というと、「たくさん笑ったこと」なんていう答えが模範的なのでしょうけど、自分を制御できずに怒りまくったり、赤子のように泣いたりしたこともまた、少なくとも「わたし」にとっては貴重な思い出とも云えます。

反省と云えば、長期旅行中は、現地の人でも旅人でも、なかなかそのあとが続かないことも多くて、例えばマメに連絡を取るとか、写真を送るとか、そういうことが全然できてなかったなあ、という反省もあります。
基本的に語学力もコミュニケーション能力も低いため、世界中に友達をつくるような素敵なマネはできなかったのですが、それでも、数えきれないほどの人たちと係わってきたのにあんまり何も残せなかったなあという遺憾の念は拭えません。
まあでも……それも旅人らしいっちゃらしいのかなあ。だいぶ自己弁護入ってますが(笑)。
なんか、未だにわたしは、放浪の旅というのは、世間的な成功とか世間で善とされていることに、必ずしも繋がるものじゃないと思っているところがあるのです。むしろ、繋がらないところに価値があるんじゃないか、いや価値という言葉さえどうなんだ?と。
旅に出たときからずっと抱いていた、「どこまでも非生産的な行為」への思いは、今も心の奥底に流れています。あてもなく彷徨う。わたしがやりたかったことは、本当はそれだけだったのかも知れません。
だから、観光をやたらと頑張ったり、出版したいなあと思ったり、こんなHPを残していること自体、その思いには反していて、我ながら甚だしい自己矛盾を感じてもいるのですけどね……。しかも、「世界一周バイヤー」なんかに応募しちゃってさあ、完全に「旅の(世界一周の)経験を活かそう」としているじゃないのさ!!!(爆)何なんだよオマエはっっっ!!!
ひとえにそれは、わたしがセコイ性格だからってのもありますが、でも、よほどの大器か稀代の大馬鹿でない限りは、生産的な行為をまったくしないということに、精神が耐えられないと思うんだよなぁ。

そんなエラソーなことを云いつつも、旅先で多くの人から支えられたことは厳然たる事実であり、それだけは書いておかねばなるまい。
インドのラジャスタンで「お前みたいに語学力のないやつが何で旅ができてるんだ?」と云われて「あたしはめちゃめちゃラッキーな人間なんだよ!!」と吠えたことがありましたが、今振り返ってみると、何だかんだでホントに、めちゃめちゃラッキーだったんだろうなあ。
3年半も旅ができたこともそうだし、強盗に襲われたり病に倒れたりしつつも五体満足で帰ってこれたこともそうだし。いろんな人の親切に助けられてここまでの旅ができたんだなあと、今さらながら思います。陳腐なコメントですが、本当にこれだけはそう思う。

最後に改めまして……長い間、「放浪乙女」をご愛読いただき、真にありがとうございました。
永久欠番となりそうな(笑)旅先風信98や、アウシュビッツについての記述も、いずれはひょこっと更新するかも知れませんし、わたしの心と日記の中で永遠に留められるかも知れません。
旅先風信の外伝的なスリランカ旅行記やこのたびのフィンランド紀行なども、のんびりと更新していくことになるでしょう。
ブログもぼちぼちと続けます。あれこそ、本当にどうでもいいことばっかり書いてますが(苦笑)。
HPは終わっても、そんな感じでダラダラと文章を書いていければと思います。
これからも、よろしければどうぞお付き合いくださいね。

懐かしのダンジェネス。いつかトップページの画像にしようと思って作っていたパノラマ写真。お蔵入りしそうなので、ここで日の目を見させてあげよう(笑)。

(2010年1月)
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