ゲイ術手帖其の八

「永遠の命」(E.M.フォースター著作集6『永遠の命』 E.M.フォースター・みすず書房刊)


 フォースターが続きますが、すみません。かくれホモだった彼は、『モーリス』以外にもいくつかのゲイ小説を書き残しています。みすず書房から出ている著作集の第6巻『永遠の命』には、そういった作品が集められています。
 中でも表題作である『永遠の命』と『あのときの船』は、きわめて真面目にゲイの恋愛を描いた傑作です。「森のどこかで愛が生まれた。どういう性質のものであったか、それは未来が決めることであろう。」という美しい文で始まる『永遠の命』は、カソリックの宣教師ピンメイと、とある土着民族の酋長であるヴィソバイのひそやかで禁欲的な愛の物語。『あのときの船』は、子供の頃にある船の上で出会った、前途有望なイギリス人士官ライオネルと、黒人かアジア人の血が混じった商人のココナッツ(というのは本名ではなく肌の色によるニックネーム)が、偶然インド行きの船で再会し、やがて愛を交わし合うようになるのですが、階級と常識を飛び越えた関係がやがて悲劇を生むというお話です。どちらの物語も結末としては大体同じで(ここでは云いませんが)、やっぱしゲイの恋愛ってせつないなー、と不覚にも泣いてしまいました。

 ゲイもの・非ゲイものにかかわらず、フォースターの作品の特徴として、階級の違う者同士が愛し合ったり、理解し合うことを目指す、という点が挙げられます。先の2作品も構図としてはまさにそうです。現実には困難をきわめる作業ですが、フィクションとは云え敢えてそれをテーマにし続けたフォースターの開拓精神(?)にわたしは賛辞を贈りたい。困難ではあるが、不可能ではない――フォースター作品を読むとわれにもあらず希望がわいてくるのです。分かり合えなくても愛し合える、というのは、恋愛について考える上で非常に重要なことなのではないでしょうか。

 ところで、わたしは彼の抑制された(時代柄そうせざるをえなかったのでしょうが)恋愛および性表現が好きです。露骨ではない、あくまでも読者の想像力を必要とする性描写 は、非常に奥ゆかしいと思うのです。こういう精神を卑しいと思われますか?
 わたしにとってセックスは自然なことではありません。少なくとも信念としてはそうです。実際の行動についてはしばしば裏腹な場合もなきにしもあらずですが(笑)、セックスを、まるで食事を採るかのような自然さで描く小説には嘔吐を催します。確かに性欲は、食欲・睡眠欲と並ぶ人間の三大欲求ですから、食事や睡眠と同じ自然なものと考えるべきなのかも知れません。性を不自然に考える思考は、極めて近代的な道徳に縛られた、抑圧されたゆがんだ精神だということはよく分かっています。それでも構いません。自由で自然なセックスからは何の物語も生まれません。そして誰しも完全に自然であることは不可能なのです。何だか話が横道にそれてしまいました。今回はこの辺りで。


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