ゲイ術手帖其の参

「日出処の天子」(山岸凉子・白泉社文庫、全7巻)


 唐突ですが、皆さんは聖徳太子についてどんなイメージをお持ちでしょうか。旧1万円札でシャモジ(じゃないけど)を持っているうりざね顔の兄さんか、日本史の授業で官位 十二階と十七条憲法を制定し「和を以て尊しと成す」などと立派なことを言っていた温厚で優秀な為政者というのが大方のご意見かと思われるが、梅原猛の『隠された十字架』を読むと、聖徳太子って実はけっこうコワイ人なのだということが分かる。彼によると法隆寺は聖徳太子の鎮魂の寺なんだそうである。

 さて、『日出処の天子』の主人公は聖徳太子だ。これを読んで聖徳太子のイメージが変わったという人はおそらくかなりいるだろう。天皇の嫡男にして冷酷な政治家、女嫌いの美少年で、超能力者で、同性愛者。とんでもない設定なのだが、不思議と違和感がない。どころか、こわいくらいリアリティがある。
 厩戸(うまやど)王子(後の聖徳太子)には生れつき、不思議な力が備わっていた。故に母親からも敬遠され孤独な生を送っていたが、ある時、蘇我家の嫡男である毛人(えみし)と出会う。王子の超能力を知っても変わらぬ 態度で接する毛人に、王子はどうしようもなく魅かれていく。毛人も、女よりも美しい王子に胸が騒ぐことはあったが、本質的にノンケなので、王子を恋愛相手としては愛せない。すれ違う思いはやがて悲劇を生む。

 この漫画のすごいところは、ホモとノンケの2人の男の愛憎をあますところなく描き切ったことだろう。特に、激烈をきわめる王子の愛情とそれを受け入れられない毛人の苦悩は、鋭利 な刃物のように胸に突き刺さる。愛と憎悪が本質的には同じものだということがよく分かる 。超能力で毛人の無意識に入り込んだり、ある時は女装してせまったり、兄の子をはらんでしまった毛人の妹刀自古(とじこ)を妻に迎えたりと王子の行動ははっきり言ってメチャクチャ。真性乙女の如き傍若無人さは痛快だが、一抹の哀しさがつきまとう。やがて王子は、毛人が自分にとっては欠くべからざる存在でありながら、毛人にとって自分はそうではないことに思い至る。それでも毛人への執着は捨てられず、傷つけると分かっていても欲せずにはいられない。しかし現世では結ばれない関係である二人は、同じ道を歩むことはできない。かくして王子の孤独はますます強固なものとなり、毛人は罪の意識に苦しみながら生きていくことになる。愛ってその辺のラブソングみたいにお手軽なもんじゃないのだ、とつくづく考えさせられる。

 文庫版コミックにして7巻もある漫画だが、6巻まではあくまでも助走である。何と言っても読むべきは7巻。一体誰がこのようなラストを想像(創造)しえただろうか? という驚愕の結末である。すべての登場人物をどん底に落として、さらに続編でその子孫までも悲劇に導く後味の悪さ! 山岸凉子ってやっぱスゴイわ。


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