ゲイ術手帖其の壱拾伍

『司祭』(1994年イギリス映画/監督=アントニア・バード/出演=ライナス・ローチ、トム・ウィルキンソン、ロバート・カーライル)


  約2年ぶりくらいにこの映画を観直したのですが、予想通り、またしてもラストシーンで大泣きしてしまいました。ゲイ映画だから傑作、という偏狭な視点は一応持っていないつもりですが、ゲイ映画にはやっぱり傑作が多いです(まあセンスの問題でしょうけど)。反対に、読者の方の中には「ゲイには興味がないから観ない」というこれまた偏狭な考えの持ち主もいらっしゃるかも知れません。しかし、どうかそんな偏見は捨ててこの映画を見ていただきたいと思います。

 タイトルの『司祭』そのまま、主人公のグレッグは、若くて美しいカソリックの司祭です。性格は真面目で保守的、理想に燃える彼はしかし、実はゲイで(こういうの多いですね)、夜になるとセックスの相手を求めてゲイバーに繰り出すという(こういうのも多いな)秘密を抱えています。
 ある日グレッグは、リサという14歳の少女から、父親から性的虐待を受けていることを告白されます。カソリックでは懺悔の内容を他人に話すことは禁じられており、彼は宗規と人間的良心の間で葛藤します。父親に忠告したり、母親にそれとなくリサの側にいるようにとほのめかしているうちに、結局母親が現場を押さえてしまい、母親は、見て見ぬふりをした(わけではないのですが)グレッグに「地獄で焼かれるがいい」と吐き捨てます。そんな折、ゲイバーで出会った恋人グラハムと密会(?)しているところを警察に捕まり、マスコミで叩かれることに。男同士の恋愛を禁じるカソリック教会のスキャンダルとなり、司教区を追われます。同じ下宿に住む先輩神父のマシューは「戻って一緒にミサをやろう」と促すのですが・・・・・。

 虐待、信仰、性……さまざまな問題を孕んだこの映画は、TSUTAYAではゲイ映画ではなく社会派という棚に分類されていました。実際、全米のカソリック教会から放送禁止の抗議を受け、ローマ法王からの抗議声明までいただいたといういわくつきの映画です。何とも偏狭な話ですが、無宗教状態の国に暮らすわれわれのような人間には計り知れないものがあるのでしょう。『モーリス』でもそうですが、あちらのゲイ映画では、キリスト教が重要な観点になっているものが多いです。登場人物がまるでキリスト教という牢獄の囚われ人のように見えるのは、宗教とはほぼ無縁の世界に生きているせいでしょうか。
 ある意味で、われわれ日本人は宗教を超越した高みにいるような気もします。宗教そのものを否定するわけではありませんが、すべてを賭けるに足るものではないということを、何となく認識しているからです。勿論それが正しいかどうかは分かりません。不幸なことなのかも知れません。けれども、宗教という幻想の一種によって人が殺し合うこともない。無駄な争いの種は一つでも少ないに越したことはないのですから。

 結局、われわれは人間であり、人間性を否定したところに神も宗教も愛も幸福もありません。グレッグが何の疑いも葛藤もなく理想のみを追い求める司祭なら、この映画は何の感動も生まなかったでしょう。聖職者としての理想と肉体の欲望、相反する感情に引き裂かれ、もがき苦しむ姿は、人間がいかに複雑な生き物であるかを端的に物語っており、しかしそれこそが良くも悪くも人間らしさであるとわたしは思います。
 自らもカソリックの禁忌を冒して家政婦の女性と男女の関係にあるマシュー神父(※カソリックでは聖職者は独身を通す決まりがある)は云います。「神の教え、愛と哀れみはすべての人間のためにある。男、女、白人、黒人、老人、若者、ゲイ、ストレート……」。神とは本来そういうものではないでしょうか? また、男を愛し、愛されたいという欲望に悩むグレッグに、別の神父が云います。「好きな人間を愛せ」。ただでさえ嫌なことの多いこの世で、神と愛くらいは信じるに足るものであってほしいと思うのは、感傷的に過ぎるでしょうか。

 とまあ、ややこしい話はさておき、何回観ても泣けるラストシーンについて、つたない筆ではありますが書いておきましょう。ゲイであることがばれ、教区の信者たちにそっぽを向かれるグレッグ。ミサの聖体拝領も、誰もグレッグからは受けようとしません。そこへただ一人やって来たのが、リサでした。性において虐げられた者同士にしか分からない痛みを、ひっそりと分かち合うかのように、二人は抱き合います。ああ、思い出しただけで泣きそう。ベタな展開と云われればそうかも知れませんけど、これでいいんです。私的にはとっても納得のいく”これぞハッピーエンド”です。

 主役のライナス・ローチは、『モーリス』のジェームス・ウィルビーを思い出させるような清潔感のある英国男子。今どき珍しいかも知れません。こういうお上品なタイプが苦悩する姿というのは何とも艶めかしいです。『トレインスポッティング』『フル・モンティ』などのイギリス映画で注目されたロバート・カーライルが恋人役。服の着こなし方がいかにもゲイらしくて笑えました。関係ないですが、わたしには彼が萩原流行に見えて仕方ないのですが、如何なものでしょうか??? 笑えると云えば、グレッグがある家のお葬式で「お父さんの好きだった音楽を流してあげましょう。で、好きだった音楽は?」と尋ねると、娘が神妙な顔で「"火の玉ロック"です」という場面には思わず吹き出しました。テーマは重いですが、こういう馬鹿馬鹿しいエピソードも結構散りばめられていて楽しめますよ。


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