ゲイ術手帖其の壱拾弐

「月魚」(三浦しおん・角川書店)


 先日、偶然立ち読みした「ダ・ヴィンチ」のインタビューで、この本と、作者の三浦しをん氏のことを知りました。その内容が、あまりに自分にかぶってしまい、どうしても興味を抱かずにはいられませんでした。というのもまず、わたしと同い年。女性。私立四大卒。そして、出版社に就職を希望するも叶わず、作家デビューした今でも「マンガの編集者になりたい」と云うところにいたく共感してしまったのです。わたしは一応出版社で働くことにはなりましたが、関係者はよくご存知の通りのヒドい弱小出版社だったし、辞めた今でもやっぱり出版社に就職して編集者になりたい!と思っているのですから。さらに共通しているのは、実はこれが一番重要なのですが、男性同士の恋愛が好きだということ。

 「月魚」は大手出版社の角川書店からハードカバーで出版されているのですが、それについて思ったのは「ああ、ついにやおいも文壇における市民権を得たのね」という感想でした。これまで、女性の手による男性同士の恋愛小説=やおい小説は、同じ角川でも「ルビー文庫」という、それ専門の図書としてしか扱っていなかったのです。栗本薫ぐらいの大御所ならともかく、例えハードカバーでも、書店にはそういうジャンルの本として別個に並べられ、まるで普通の小説とは違うものなのだと云わんばかりでした。しかし「月魚」は、三浦綾子の「氷点」(新版)の隣に堂々と並べられているのです。嬉しいような、気恥ずかしいような、何とも複雑な気持ちでした。

 さて、(またもや)前置きが長くなってしまいました。「月魚」は、古本屋の若き店主と幼なじみの青年のひそやかな恋物語です。古本屋「無窮堂」三代目の本田真志喜と、せどり屋(※古本業界で、いわゆるクズ本の中から少しでも価値のありそうな本を買い、別の古本屋に売り飛ばす職業のこと。業界では下層階級と見なされているようです。)息子で自らは卸専門の古本屋を営む瀬名垣太一。名前からしてそそりまくりですが(分かるかなあこの感じ)、彼らが古本業界という特殊な世界の人間であるということは、物語の重要なポイントです。老舗の古本屋の息子と、古本業界の賎民とも云うべきせどり屋の息子という、ある種身分違いの恋、そして、二人が共有する過去の忌まわしい思い出というのも古本業界ならではの出来事で、"古本"というアイテムがなければ、わりと平坦なやおい小説に終わっていたやも知れません。しかし、古本の醸し出す雰囲気が、物語に深い陰影を与えています。肝心の二人の関係は、まさにくっつきそうでくっつかない、セックスしそうでしない、チラリズム的描写で書かれ、「一体どうなんのよ!」とじれったくもわくわくさせてくれます。で、やおい小説ではトーゼンのことですが、二人とも美しいのですよね(笑)。二人が心のわだかまりを除いて向き合う本編のラストシーンは、具体的描写などなかったにも関わらず、非常に官能的でした。

 やおいって、別に当人同士が根っからのホモということはほとんどなくて、お互いにはお互いしかなく、男であるということは当人たちにとっては二の次なのです。真志喜と瀬名垣(本当にいい名前だわ)もまさにそう。ホモかどうかということで悩んでいる場合ではなく、古本を巡っての、親の代から続く因縁めいたものと相俟って、始めっからお互いしか考えられないのですね。こういった、関係の絶対性(或いは運命性)こそがやおいをやおいたらしめています。優れたやおい小説は、ここのところをしっかりと書いています。そして、世の中に蔓延するお手軽な恋愛にうんざりした女子たちは、例え彼氏がいても、結婚して子供まで生まれてしまっていてもなお、やおいを求めてさ迷うのでした。
 最後に。わたしは小説は書きませんが、この本を読んで俄かに、ああ、こういう小説が書きたいなあ、と創作魂(?)を刺激されましたとさ。まる。


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