旅先風信91「メキシコ」


先風信 vol.91

 


 

**中米上陸!**

 

…機上から見る景色は、いつの間にか闇に覆われていました。
そして「あと数分で着陸です」のアナウンス。
機体が雲を突き抜けていくと、そこには大量の宝石を散りばめたようにキラキラと、オレンジ色の光の海がどこまでもどこまでも広がっていました。

「これがメキシコシティか…。」
わたしは、感嘆と不安の入り混じったため息を、思わずついていました。
世界で一番人口の多い都市(2000万人)というだけあって、何と、何と巨大なのだろう…。
空から見る限り、一体どこまでメキシコシティなんだ?!と混乱してしまうほどに大きな街。
事前に、メキシコシティの危ないうわさもいろいろ聞いていました。そりゃあ、これだけの規模の街だったら、何があってもおかしくないだろうな…。

メキシコシティ国際空港に到着したのは、夜の10時。
チケットを取ったときからそれは分かっているので、この日は空港で寝るつもりでした。
大体、こんな大都会に夜の10時に着いて、それからメトロに乗って、宿まで歩いて…なんて、暴挙としか云いようがありません。しかも、タクシーを使うという発想が、貧乏パッカーのわたしの頭にはまるっきり存在しないのです。

世界一大きな街の空港だからさぞかし立派であろう。ということは寝床となる椅子もいくらでもあるだろう。
…勝手にそう思い込んですっかり余裕こいていましたが、いざ探し出すと、全然椅子なんか見当たらない。バックパックを背負って、汗かきながらなっがいロビーを2往復くらいしましたが、やっぱりない。
いかにも固そうな椅子が、申し訳程度に並んでいる場所が1箇所だけありましたが、そのすべての椅子に人が着席しており、眠るどころではありません。
さらに駆けずり回って、ようやく、何とか眠れそうな椅子群を見つけました。それが何と、ヒルトンホテルの真ん前なんだよ(涙)。ヒルトンのエントランスを眺めながら、固い椅子で眠るなんて…惨めだ…惨めすぎる。

空港内のお店は、さすがにこの時間、飲食店以外はほとんど閉まっていました。ショーウインドーから見るおみやげ屋や本屋のラインナップが、いかにもメキシコらしいおどろおどろしさでちょっぴり興奮。クレープ屋の軒下にも、死者の日用の飾りなのか、色とりどりのガイコツの切り絵が万国旗のように吊るされています。

あまりに固くボロい椅子と、妙に底冷えのする気温と、荷物の盗難の不安とで、なかなか寝つけませんでしたが、それでもいつしか眠りに落ち、気がつくと時刻は6時半を指していました。
しかしこの季節、メキシコシティの朝は遅いらしく、7時になっても、7時半になっても空がいっこうに明るくなりません。嗚呼、いい加減空港から出たい。早く宿に着いて、シャワーを浴びたい。

薄明かりの中を、メトロの駅に向かって歩き出しました。
メキシコのメトロ(地下鉄)はたいそう巨大です。マップを見ると、東京並みとは云わないまでも、大阪並みには色とりどりの線が入り組んでいます。
とりあえず、わたしが目指すのは、2号線レボルシオン駅。ここには、ペンション・アミーゴという老舗の日本人宿があるのです。

MEXICO1.JPG - 25,944BYTES レボルシオン駅近くの美味しいタコス屋。やっぱメキシコと云えばタコスです。

アミーゴと云えば、かのカイロ・サファリホテルとタメを張ると云われるほどの濃い宿だと、旅人間のうわさで何度も聞いていました。
それはぜひともこの眼で見たい。でも…ちょっと怖い。いや、かなり怖い(笑)。
こういった日本人宿は、長期旅行者というか沈没者の溜まり場になっており、閉鎖的であることがままあります。南米でもいくつか日本人宿と呼ばれる宿に泊まりましたが、ブラジルの「青い家」以来、けっこうごぶさたしていたので、妙な緊張感を抱いていました。ヌシみたいな人がいて、その人に目つけられていびられたりしたらどうしようかしら…とかね。旅先でするような心配じゃないっつーの(苦笑)。

日本なみの満員電車を3回乗り換え揺られること約1時間、やっとのことでアミーゴにたどり着くと、ちょうど、宿泊客が朝食を食べているところでした。
管理人のSさんに宿帳を渡され、名前を記入しながら、横目で”濃い”アミーゴの様子をうかがってみました。
…サファリとは、ちょっと違うな。思ったより普通かもな。生活向上委員会もないし、「サファリのいろは」ならぬ「アミーゴのいろは」みたいなのもないし、何より、サファリよりはきれいだ。ただ、この管理人さんはいかにも長期滞在っぽい雰囲気だが(笑)。
ちなみに、管理人というのは、長期滞在者が宿代その他の特典と引きかえに、オーナーに代わって部屋の案内や宿代の支払いなどを受け持つことになっているシステムのこと。このときは、Sさんともう1人、弱冠16歳のボクサーHくんがやっていました。

よかったら朝食余ってるんでどうぞ、と勧められるままに朝食を食べ、「プロレス観たいんですけど、いつやってるんですか?」とか「バラガンの教会に行かれた方いますか?」とか当り障りのないことを聞きながら、朝のひとときは過ぎていきました。
そのうち、何人かの泊り客が学生証を作りに行くというので、早速わたしも便乗させてもらうことにしました。
学生証というのは、国際学生証およびメキシコ学生証のことです。国際の方は昨年レバノンで作ったものを今も持っているので、わたしが欲しかったのは、メキシコ学生証でした。
メキシコでは、国際学生証はほとんど威力がない代わりに、メキシコ学生証つまり国内学生証があれば、遺跡、博物館はほとんどタダになる上、学生の休暇シーズンになればバスも割引になるというのです。メキシコはバス代が異様に高いので、もしこれで割引になれば、かなりお金が浮くわけです。
残念ながら、今はそのシーズンではないのでバスの割引はありませんが、制作費たった15ペソ(150円)の学生証で遺跡などがタダになるというのですから、作らないテはありません。遺跡の入場料は大体が37ペソ(何でこんな中途半端なんだ)ですから、1回どこか観光すれば、もう元が取れてしまうわけです。観光病のわたしには、必須アイテムですね。

さて、メキシコシティは、他の中米各国の首都のように「何もないだけの危険な都会」ということは全くなく、観光都市としての顔もちゃんと持っています。
人類学博物館は、カイロの考古学博物館に匹敵する、いやもっとすごいのではないかと思われる品揃え(つーのもヘンだが)。世界的に見ても相当レベルの高い博物館ではないでしょうか。ここの展示物を見ていると、アステカ人とかマヤ人ってやつらは、本当に宇宙人だったのではないか?と真面目に考えてしまう。それくらいシュールでありえなくて、面白いです。
そして、メキシコのプロレス、ルチャ・リブレ。別にプロレスファンじゃないけど(でも猪木は好きだ)、これはぜひとも観たかった。全部で5ラウンドくらいあるんですが、格闘技のあのヒリヒリするような緊張感はあまりなく、どちらかと云うとショー的な印象で、3ラウンド目あたりから「うーん、何か全部一緒に見えて来たぞ…」と眠くなる始末。でも、ギラギラした覆面とか衣装は見ていて楽しかったですね(ちなみに、アミーゴには日本人レスラーが宿泊しています。)
あと、外せないのは、テオティワカン遺跡ですね。ここは、アミーゴで沈没している人でもちゃんと行っていますから(笑)、普通の旅行者は当然行ってしかるべき場所。世界で3番目に大きな建造物と云われる”太陽のピラミッド”は圧巻です。とにかくでかい。頂上まで一気に上るとさすがに息が切れました。もう1つの”月のピラミッド”は修復中?なのか、上まで上ることができず残念。

そのほか、中心地ソカロの世界遺産の街並、そのすぐ側にあるテンプロ・マヨール遺跡、夜になるとマリアッチの演奏が繰り広げられるガリバルディ広場、小さな美術館が集まった閑静な住宅地コヨアカン地区、大規模な泥棒市テピート&ラグニージャ(泥棒市というより、コピー製品がやたら多い)…などなど、シティ観光だけで最低1週間はかかりそう。近郊の町なんかにも行っていたら、いつまでたっても観光が終わらなそうな雰囲気です。


MEXICO22.JPG - 808,355BYTES メキシコ名物ルチャ・リブレ(※撮影は禁止です。知らないで撮ったら注意された…)。

そんな中でも、さらにわたしが外せなかったのが、以下の場所でした。
・フリーダ・カーロの絵がある美術館
・ルイス・バラガン邸3つと教会
・ソノーラ市場

フリーダ・カーロは、映画になったこともあり、日本でもすっかりお洒落ピープルに消費されてしまった感がありますが、彼女の絵こそは、メキシコのセンスやその他もろもろを体現していると云っても過言ではないでしょう(…過言かな?)。
あのおどろおどろしい構図と、ヨーロッパの絵画とは違う、生々しく派手な色使い。そして何より、あのキッチュな風貌だ(笑)。眉毛、見事につながってるよ!水道橋みたいに。
とにかくあのセンスは、ヨーロッパではありえない気がします。
メキシコ国内では、旦那の画家ディエゴ・リベラの方が、国民的画家として有名ですね。シケイロス、オロスコと並んでメキシコ絵画の三大巨匠と云われていますが、こちらもなかなかすごいです。絵もすごい(「ディエゴ・リベラ壁画館の「アラメダ公園の日曜の夢」は必見。タイトルからして何か、妖しいよねえ)が、風貌がやはりすごい(笑)。あのビックリするような巨体!腹!そして三つ目小僧みたいにギョロギョロした目!この2人の伝記、すっげー読んでみたいなあ。
カーロ、リベラ、シケイロス、オロスコ…etcの絵は、近代美術館に集まっています。久しぶりに見ごたえのある美術館でしたね。キーワードは”おどろおどろしさ”ってことで(笑)。

MEXICO10.JPG - 14,870BYTES 近代美術館にある、最も有名な絵のひとつ「二人のフリーダ」(写真ボケててすみません…)。

ルイス・バラガン建築。これまた、フリーダ・カーロ以上にスノッブ度の高い、お洒落ピープル必須のアイテム(?)なわけですが、何故わたしが彼の建築を見たかったかというと、ボリビアで会ったGさんに強力に薦められたから。
自らも建築の仕事をしていたGさんが、「メキシコに行ったら絶対に見てほしいな。特に教会はね、全体がオレンジ色でさ、あの中にいると何とも云えず暖かい気持ちになるんだよね」と、例のアレキサンダーコーヒーで、それはそれは熱く語っていたのです。

バラガン邸に着くと、待合ロビーのようなところにいるのは、日本人外人現地人問わず、みーんなお洒落さんばっか(笑)。やばい、わたし、こんな灰色のウインドブレーカーなんか着てる場合じゃねえ…。
わたし以外に日本人でここに来ているのは、いかにも”違いの分かる”雰囲気を醸し出している、ピンクの縁の眼鏡とかつば広帽子とかをさらりと着用している(かのように見える)若い女子ばっか。
そりゃ入場料も高いはずだよ(笑)。スノッブな人たちは、こういうことにお金を惜しみませんからね。

あとで聞いたところによると、雑誌『カサ ブルータス』で大々的にバラガン特集があったみたいなんですよねえ。
なるほど。『カサ ブルータス』か。道理でお洒落ピープルが押しかけて来るわけだ(笑)。
待合室で話しかけてきた女の子も、「あのピンクの厩舎とか、すごいですよねえ。見に行かないんですか?」なんて云い出すので、は?何ですかそれ?と面食らってしまったけれど、彼女の中では、わたしもブルータスのバラガン特集を読んでここに来た人と認識されているのね、と。みんながみんな、同じ理由で見に来ているわけじゃないっつーの。
そんな感じで、建築そのものよりも、まわりに群がる人々の方が気になってしょうがなかったです(苦笑)。

かの安藤忠雄がバラガンをリスペクトしているというのは有名な話です。
確かに、安藤忠雄の建築をあれこれ思い出すと、バラガン建築の影響を受けているのがよく分かる(光の教会なんて、バラガンの教会にインスパイアされているのが一目瞭然…って違ったらごめんなさいですが)。
ただ、バラガン建築の方が、温かみはあるなと。ミニマリズムに貫かれているのはどちらも同じだけれど、安藤忠雄と云えば、一歩間違えれば独房のような無機質なコンクリートの箱を思い出すのに比べて、バラガンのはもう少し有機的と云うのかしら?
そう云えば、美輪明宏が、昔ドイツでバウハウスという無機質な建築が流行った頃、自殺者が急増したという話をしていたことがあります。彼いわく、ああいう家に住んでいたら気が狂って当然とのこと。まあわたしは、安藤忠雄建築を嫌いではないけれど、あの家に一生住むとなったら、ちょっとしんどいかなという気はします。静謐すぎてね。

カサ・ヒラルディという、現在も個人が住んでいるバラガン設計の家があるんですが、何と、ダイニングルームの中に、屋内プールがあるんですよ(笑)。箱はブルー、壁が白、柱が赤。で、ダイニングの床は板張り。プールと反対側には、中庭に出られる大きなガラス戸。何だか、絵画の中にいるような錯覚を覚えます。
バラガンは、ピンクが好きだったのか、このヒラルディ邸の外壁もピンクだし、バラガン自邸にもところどころピンクが使われています。だからってわけでもないんですが、わりと人間味を感じるんですよねー。バラガン邸には普通に心地よく住める気がする。そこが安藤忠雄との違いかしら。

MEXICO19.JPG - 20,670BYTES 外から見ると何の変哲もないバラガン邸(※中は撮影禁止なのだ)。

そして、ソノーラ市場。上記3つのうち、最もマニアックというか、観光客はほとんど行かないところですね(笑)。
しかし、わたしの中ではシティで一番ヒットだったかもくらいの、それはそれは素晴らしい場所なのでした。
何が素敵ってあなた、あやしい宗教グッズが満載!ちょうど死者の日の前ということで、仮装グッズも満載!ガイコツグッズも満載!本来ここは、おもちゃの卸売り市場なので、おもちゃ屋もたくさん並んでいます。
宗教グッズとおもちゃで埋め尽くされた市場なんて…乙女的にうれしすぎるじゃないですか!!
宗教グッズがまた怪しくって、ブードゥー教の儀式で使う?小さな人形とか売っているんです。怪しげなお香、ろうそく、マリア様や死神やらの置物、何を意味しているのかさっぱり分からないお供え物…ああ、くらくら(危ない?)。
こんなわたしを評して、のちに、汐見荘で会ったM&I さんカップルは「野ぎくさんは魔女になりたいんだね?」と云っていましたが、いやー、そういうわけでは…でも、それもいいかもな(笑)。なれるもんならなりたいな。

わたしがどうやってこの市場のことを知ったかというと、それは、ドイツのKさんに依頼していたありがたいリサーチの賜物。彼女も墓とかガイコツとか大好きな人なので(笑)、彼女のセレクトなら間違いないと思って、メキシコのおどろおどろ系スポットの調査をお願いしていたのです(※それについては、旅先風信「私家版・極彩色メキシコ巡礼ウルトラバロック編」に詳しく書きます)。
Kさん情報では、この市場のどこかのお店に「目から血を流す女の子の像」というゴスロリファンにはたまらないお宝(?)?があるということだったのですが、この像はのちに、プエブラという町の教会にあることが判明(もちろん行った)。
ともかく、この市場に、死者の日の仮装グッズやお供え物が山積みされているのを見るにつけ、「ああ、苦労して死者の日のためにメキシコに来てよかった…」と、恍惚すら覚えるのでした。それで、シティ滞在1週間中に3回も行ってしまった…やっぱ危ないかわたし?
この市場の写真の一部を、写真館の方にも載せていますので、興味のある方はどうぞご覧になって下さいませ。

さて、精力的に観光しつつ、アミーゴの雰囲気にも染まりつつ、メキシコシティでの日々はあっと云う間に過ぎて行きました。
あれほど怖れていた(?)アミーゴも、初日からシェア飯に入れてもらったりして、わりとすっと中になじんでいきました。
一番仲良くなったのが、Kくんという、弟と同い年の男の子。彼はアミーゴ滞在がすでに1ヶ月以上という立派な(何が立派なんだか)長期滞在者なのですが、こういう人がかまってくれると、アミーゴみたいな宿は過ごしやすくなるんだよね(笑)。

Kくんといると、アクセルと一緒に遊んでいたときのことを思い出します。
2人には共通項があって、まず、関西人。そして年下。だからなのか、あまり気を遣わなくてすむ。
旅の間に、めっきり標準語がうまくなってしまったわたしですが、関西弁で話す方が断然ラクなんですよ。大げさだけど、何かが解放される感じがする。それに、関西ノリというのはやっぱりありますよね。ボケたら即ツッこむ、とかでもないけど、会話のテンポとか流れが、関西人同士だと相通じるものがあるかな、という気はします。
そして、年下の男の子と遊んでいると、弟がいるせいだからかなとも思うんですが、これまたラクでして。アクセルのときもそうだったけど、出来のいいボディガードを連れて歩いてるみたいで、何だか気分がいい(笑)。
彼は、来月開店するという日本人経営のレストランでアルバイトすることになっていて、今はそのオープン待ちらしく、毎日ヒマそうにしているので(違う?)、あちこち観光やら買い物につき合わせてやりました。さすがに、ソノーラ市場ではつまらなそうにしていましたけど(笑)。

そんなアミーゴで、わたくしついに麻雀に開眼してしまいました。
もう随分昔から、麻雀を覚えたいと思っていて、5年前中国に行ったときも、クソ重いのに麻雀牌セットを2箱も買って帰ってしまったほどに、かなり本気だったのです(今も自宅の部屋の片隅に放置してある)。ちゃんと麻雀教本も買って、役とか勉強してたこともあったよ。直接の理由は、西原理恵子の『まあじゃんほうろうき』を読んだからかな、確か。

ある晩、Mさんという、大酒飲みかつ麻雀大好きといういかにもただれたおにいさんが、背中をぼりぼり掻きながら「あー、麻雀してーなー。誰かできる人いないのー?」と面子を探していました。
わたしはおずおずと、「あのー、わたしファミコンでしかやったことないんですけど、それでよかったら…」と手を挙げてみたところ、Mさんは喉から手が出るほど面子が欲しかったらしく、2つ返事でOKということになりました。

とは云え、ファミコンでやっていたのも遠い昔の話。役はおろか、ポンとかチーなどの麻雀用語もほとんど覚えていないし、「ドンジャラみたいなもんだろ」くらいな認識しかないわたしが、いきなり打てるワケがない。
そこで、Kくんに二人羽織よろしく後ろからアシストしてもらうことに。1回つもるごとに「えーと、この場合はどれを捨てればいいの?」「これって役になるの?」などと聞きまくって、何とか場をしのいでいました。うーん、まさに実地訓練。
自分ではよく分からなかったのですが、つもる牌がよかったらしく、けっこう何回も上がっていて、卓を囲んだMさん、管理人Sさんも驚いていたくらい。これぞビギナーズラックというのでしょうか。

そんなわけで、初日はなかなか気分よく終了し、「わたし意外と才能あるんじゃないの?」なんて調子に乗っていたのですが、翌日の晩は、打って変わって緊迫した雰囲気になり、昨晩のようにのんびり捨て牌を考えていると、
Mさん「牌は3秒以内に切ってくれるかな」
Sさん「そうだねー。早いスピードに慣れないと、どこ行っても打てないよ」
と、ニコリともしないで注意が飛んで来ました。
ひょー。これが麻雀の世界なのね(?)と少しびびりながら、しかし急に早く捨てろと云われても、昨日始めたばかりのわたしにそんな過酷な…でも捨てないと怒られてしまう…。
アシストKくんも困ってしまい、無口になる始末。
ええい、とにかく捨てるしかないのだな。はっきり云って、何捨ててるのかぜーんぜん分かってないけれど、3秒で捨てることだけを念頭に置いて、捨てる。とにかく捨てる。
混乱のあまり、わたしもすっかり無口無表情になり、ひたすら牌だけを見つめていました。
まあしかし、そうやっているうちに、そのスピードにも慣れてきて、翌日の麻雀ではMさんから「いやー、かなり早くなってきたじゃない。もうアシストなしでも一人前に打ってるよ」とお褒めの言葉をいただくことができました(笑)。

それから少しメンツは変わって、Sさんが抜け、代わりに雀荘で働いていたという筋金入りの雀士I さんとその彼女Nさんが加わりました。
I さんの彼女Nさんもわたしと同じ、まったくの初心者。しかし何を思ったか急に麻雀を覚える気になったらしく、I さんに朝から晩までしごかれていました(笑)。
で、Mさん、I さん、Nさん、わたしで卓を囲むのですが、最初にじゃらじゃらっと牌をかき混ぜて積むじゃないですか。その際、わたしとNさんの積む手つきがいかにも心もとなく、しかも数が少ないのが可笑しかった。そんで時々、積む瞬間にぐしゃって潰れたりするんだよね(苦笑)。

そうして、アミーゴを出るまでの4夜連続麻雀が繰り広げられたわけですが、さすがに続けてこれだけやれば、麻雀のイロハくらいは体得できたのではないかと自負しております。
しかし、まだまだ一人前とは云いがたいですね。あと1ヶ月くらいは毎晩やらないと(笑)。
相手の捨て牌を見る、なんてことも、基本中の基本だけれど、それは未だに余裕がないなあ。自分の手を作るので精一杯。女子的な考えなのか、ついついキレイな手を作りたくなって、上がることをそっちのけにしてしまったりして。三色同順とか、七対子とか好きなんですよねー。

ともあれ、麻雀はやっぱり楽しかったです。
これで沈没する人の気持ちが、よく分かりましたよ。ええ。
しばらくは、麻雀の打てる宿はなさそうなので、パソコンに麻雀ソフトを落として、それで練習に励むこととします。
どなたか、帰国後でも、わたしと一緒に卓を囲んでくれる方、募集してますんで(笑)。即行カモられそうですけど。

MEXICO103.JPG - 900,928BYTES 卓を囲む面々。左から反時計まわりにI さん、Mさん、Nさん、わたし。

(2003年10月30日 オアハカ)

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