旅先風信86「ブラジル」


先風信 vol.86

 


 

**アマゾンdeウルルンな船旅(笑)をする話(後編)**

 

アマゾン船旅はのろのろと(笑)続いています。

時間が経つにつれ、このゆるい生活ペースにも慣れていきました。
Mさんと手持ちの本を交換して読んだり、今までバックパックの奥底に仕舞ってあった英語の本を読んだり、日記を書いたり、ときどき甲板に出て景色を眺めたり(基本的にほとんど一緒。河と緑)、疲れたらウトウトと昼寝になだれ込んだりしているうちに、食事のベルが鳴り…というのが1日のサイクル。
食事は毎日、1ミリたりとも変わらないメニュー(笑)なんですが、それでも、犬のように食事の時間が待ち遠しくなってくるから不思議。単調な生活の中では、食事も立派な娯楽ですからね。

乗客はほとんどがブラジル人です。
この船にいる異邦人は、どうやら、わたしと、日本人のMさんと、英国人のアンドレア嬢だけのもよう。東洋人が特に珍しい国でもないとは思うのですが、色んな人が話しかけてきます。もちろんポルトガル語で、わたしはさっぱり「ノーエンティエンド(分からない)」なのですが、それでも退屈はしません。甲板に立ってりゃ、誰かが相手してくれるもん(笑)。

それでもポルトガル語がもう少し出来ればもっと楽しいのになあ、と思っていたところ、ちょうどいいところに若い兄ちゃん2人組が話しかけてきたので、そうだ!ポルトガル語を教えてもらおう!そうすればそれがきっかけで会話ももうちょっと長続きするハズだ(笑)と、早速メモを片手にポルトガル語講座を開いてもらうことにしました。
この内の1人、ナタリーノ(※クリスマスに生まれた彼は、ポルトガル語でクリスマスを意味するナタルからこの名前がつけられたそう。いい名前だと思いません?)はスペイン語が出来るので、わたしのつたなすぎるスペイン語と簡易辞書を駆使して、基本単語やよく使いそうなフレーズを片っ端から聞いてみました。こういうとき、教えてほしい言葉がぱっと浮かんで来ないのが歯がゆいですね。

勘のいい人っていますよね?ものの飲み込みが早いというか、機転が利くというか。ナタリーノはまさにそういう人で、わたしのどうしようもないスペイン語にもかかわらず、ナゼか会話がちゃんと進む。こっちの云いたいことを、うまいこと掬って、向うの云いたいことは全部カンタンな言葉とボディランゲージで表してくれる。彼のおかげで、これまでほとんど分からなかったポルトガル語が少〜し見えてきて、また、それを仲介するスペイン語もこれまた少〜し上達したような気がします。ま、気のせいかも知れませんが。

AMAZON10.JPG 船から見えるジャングルの入り口。

狭い船内ですから、3日もすればみんな顔見知りです。
もちろん、ちょこちょこと寄港しては乗客は入れ替わるのですが、マナウス→ベレンまで通しで行く人たちの顔ぶれは、わたしにも大体把握できるようになりました。
ナタリーノたちも、ベレン→マナウス組。彼は職場の友達と、甥っ子1人、姪っ子1人の4人組での旅路です。マナウスのあとはアマゾン支流の方のリオ・ブランコまで行くのだそう。

夜になると、3階の甲板ではガンガンに音楽がかかり、比較的若い層のブラジル人軍団がビールを飲みまくっています。
Mさんの近くのハンモックを占めているパトリック軍団は、中でも一番にぎやかな人々で、わたしもMさんともども輪に入れてもらったんですが、まー、この人たちは本当によく飲む。そしてよく騒ぐ。何だかよく分からないけれど、誰かが一言何か云うたびに盛り上がって大変です。
調子に乗ってくると(って、ずっと調子に乗ってるけど)、「フォホ」という、この地域特有のダンス音楽で急に踊り出します。これが、ランバダみたいな踊りでやたらエロいんだ。お前も踊れ、なんて云われますが、ムリムリ!その腰の振り方は日本人にはムリだ!(苦笑)

何だかこっちの地方の人たちは、下の方―とりわけリオとかサンパウロなんていう都会の人に輪をかけてノリがいい気がしますね。典型的なラテンのりというか何というか。年がら年中暑いからかしら?
そう云えば、ナタリーノに「わたしボサノヴァが好きなんだよ」と云うと、彼はフフンと鼻で笑って、「あんな軟弱なのが好きなのか?」と一蹴されてしまいましたっけ。ボサノヴァなんて、都会のひよった奴らの音楽だと思っているらしいです。そのクセみんな、好きなサッカーチームはVASCO(リオのチーム)なんだけど(笑)。この辺の地元チームは哀しくなるほど弱いらしい。やっぱ暑いから?

余談ですが、この晩、英国人のアンドレア嬢も加わっていて、パトリックと何やらいい雰囲気で話しているなあ…と思っていたら、翌日からは人目もはばからずすっかり出来上がっておりました(笑)。しまいには、パトリックのハンモックで二人でいちゃつき出す始末で、さすがに彼の友人たちも遠慮して、甲板とかに出払ってました。真隣のハンモックのMさんも「いやあ、もう朝からあんな調子なんだよ。何だかこっちが照れちゃうよねえ」なんて苦笑していました。ブラジル男は手が早いのかしら?早そうよね(笑)。

甲板でゲームに興じる乗客たち。

4日目、船はサンタレンという、アマゾン流域では比較的大きな町に寄港しました。
ここではほぼ半日以上停泊するので、体力のある人は、この近くのアルター・ド・ションという川ビーチまで出かけて行きます。わたしはこの船旅ですっかり怠惰になってしまったので、ぶらっと市内を歩くに留めました。途中、安いネット屋があって、つい入って文明に触れてしまった(苦笑)。
とりあえずメールチェックすると、ブダペストの宿仲間・アクセルから「就職しました」というメールが来ていました。しかも、誰もが知っているような大手の会社です。純粋に嬉しい反面、何となく置いていかれたような気持ちになりながら、ネット屋をあとにしました。外はむうっと暑くて、就職なんて言葉からは最も遠い場所にいるように思えました。

SANTAREN6.JPG サンタレン・アマゾン河沿いの遊歩道。河沿いというか、完全にビーチの光景ですな。。。

船旅はさらに続きます。
相変わらず、ハンモックに揺られて地図帳を飽くまで眺めたり、サンパウロからたまっている小遣い帳をつけたり(ためすぎですな)、Mさんから借りた『ダライ・ラマ自伝』と植村直己の『北極圏12000キロ』を読んだり(これでダライ・ラマのイメージがちょっと変わった。けっこうすごいギャグを云ったりするオモロイおっちゃんなのだ)、甲板に出てMさんやナタリーノたちやその他の乗客と話したり、疲れたら昼寝したり。単調と云えば単調なのですが、中間地点のサンタレンを過ぎた辺りから、この怠惰でルーチンな生活が、何だか愛しくなってきて、あと2日で終わるのか…と思うと一抹の寂しさを覚え始めました。
ああ、このままずっとハンモックに揺られていたい。ここにいれば、宿の心配も食事の心配も移動の心配もしなくていいし、寂しいと感じることもない。こんな風に、明日のことなんか考えなくていい毎日が、ずっと続けばいいのになあ…。

………

ある夜、嵐が来たのか急に船が揺れだし、しかも何かにぶつかったような感触がしたかと思うと、いきなりストップしてしまいました。ここまであまりにも順調に来ていただけに、必要以上に不安になり、また船の揺れでいきなり酔ってしまいました。
甲板に出て、ほとんど何も見えない夜の河をのぞきこみます。何かに座礁してしまったのでしょうか?思わず『タイタニック』を思い出して、身震いがしました。ま、巨大とは云え、所詮は河なので、沈没なんてしないと思うんですけど、どうもわたし、昔から墜落とか沈没とかを、すぐに想像してしまうんですよね…(なので飛行機に乗るのも未だに怖い)。

隣に、やはり気になって出てきたらしい黒人の兄ちゃんがいたので、「ちょっとー、これ大丈夫なのー?プロブレマ(問題)?プロブレマ?」とまくし立てたりしていたのですが、船は10分もしないうちに、元通り動き出しました。心配して損した…。
ふいに彼が、「ちょっと待ってて。あげたいものがあるから」と船内に帰って行きました。何だろう?と不思議に思っていると、彼が持って来たのは、筒状に丸めた1枚の紙でした。開けて見ると、そこにはわたしの似顔絵が描かれていました。と云ってもあんまり似ていなかったんだけど(笑)、意外なプレゼントがあまりに嬉しくて、意味もなく兄ちゃんの肩をバシバシ叩きながら「すごいねー。うまいねー。お兄さんは芸術家なんでしょう?」なんて調子のいいことを云ったりしていました。

そのことがきっかけになって、わたしも、お兄さんやナタリーノたちに何かささやかな日本のものをあげたいなあと思い立ち、ナゼか持ち歩いていた千代紙を折ることにしました。
普段は乳児並みのポルトガル語しか喋れないわたしだけど、日本が誇る折り紙のワザであっと云わせてやるぜ、ジャパニーズ・マジックだぜふっふっふ、とほくそえみながら、とりあえず基本の鶴を折って見せたところ…「あれ?羽根が開かない…?」

ナタリーノたちは不思議そうにわたしの方を見ながら、どうしたんだ?プロブレマか?と尋ねてきます。
あれあれあれ?鶴ってどうやって折るんだっけか??額に汗をかきながら必死にあれこれ試してみるのですが、どうしても鶴になりません。その内、ナタリーノたちも各々のことを始める中、1人空しく折り紙と格闘…アホだ。ついにギブアップして、読書中のMさんのところに行き、「鶴折ってくれませんか?」とお願いしてみるも、何とMさんも折れない(笑)。Mさんはその後1時間くらい、やはり1人で格闘していましたが、結局折れませんでした。

すると、横から、「それはもしかしてオリガミではないですか?」と若い学生風の男の子が話しかけてきました。
彼とは初日に少し話したことがあり、そのとき確か、マナウスに日本人の先生がいてどうたらこうたらと云っていたのを思い出しました。
「ええ、これはオリガミなんですが、ツルの折り方を忘れてしまいました」と頭をかきかき告白すると、彼、マルス君(確かそんな名前だったと思う)はごそごそと自分の持っていたファイルを開け、鶴などよりもはるかに高度な折り方の”あざらし”やら”ハート”やらの作品を取り出すではありませんか。「え?これあなたが折ったの?」「そうです。ボクはオリガミが好きなんです」…まじですかい。
折り紙選手権日本代表、あえなく予選敗退。

日本の文化を忘れてしまったことに(?)打ちひしがれながらも、せっかくなので折り紙名人の彼に、あざらしと船の折り方を教授してもらうことにしました。
しかし、彼もどうやら教本がないと折り方が曖昧らしく、マルス君と、わたしと、ナタリーノ甥っ子と3人がかりで完成形のあざらしを解体してはああでもないこうでもないと試行錯誤していました。いやー、世にも奇妙な光景だわ(笑)。
そのうち、マルス君とナタリーノ甥っ子はあざらしを完成させてしまいましたが、わたしだけがどーしても折り方を解明できずに哀しそうな顔をしていると、2人とも作ったアザラシをわたしにくれました(笑)…って、わたしゃ子供かえ?!まったく情けない。。。

そんなことがありつつ、6日目の深夜、船は予定通りマナウスに到着しました。

深夜だというのに、港には迎えの人たちがごった返していました。
昔、まだ明石大橋が開通していなかった頃、四国の祖父の家に遊びに行くときはいつも船でした。大阪から3時間半の船旅が終わると、祖父か伯父かが港まで、車で迎えに来てくれました。そんなことを思い出し、今、自分には何の迎えもないことが、少し寂しくなってしまいました。旅人には迎えはないのです。いつだって。迎えがあるとしたら、それは自分の国に帰ったときだけ。わたしの場合、それもあるかどうか分かんないけどさ(笑)。

ほとんどの乗客が降りて、あれほど密集していたハンモックの無くなった船内は、信じられないほどガランとしていました。さながら”祭りのあと”といった感じです。わたしの右隣を占めていたあの大家族も、左隣にいたロナウジーニョをコギャルにしたような(笑)女の子とその家族も、もういません。
迎えのない数人だけが、船に残っていました。もちろんわたしも。ついでに云うなら、マナウス在住のハズのパトリックも、アンドレア嬢との別れを惜しんでか、残っていました(笑)。
今から少し眠って、目が覚めたらまた、新しい旅の始まりです。いくつもの出会いと別れを巻き込みながら、また旅は続いていくのです。

朝6時過ぎになって、空もすっかり白んだ頃、残っていた乗客がぼちぼち仕度を始めました。わたしも、眠い目をこすりながら、ハンモックを畳みます。
ナタリーノたちともお別れです。最後に一緒に記念写真を撮って、わたしとMさんはひと足先に船を出ることにしました。
ナタリーノと肩を抱き合って別れの挨拶をしたとき、何故か急に涙がどっとあふれて来て、しばらくナタリーノの肩につかまったまま動けませんでした。スペイン語で何という単語なのか分からなかったけれど、「(別れるのが)寂しいか?」みたいなことをいつもの調子で云うので、ますます泣けてしまいました。

………

この船旅で考えたこと。
今までは、このラインを越えなければ友達とは云えない、みたいな基準が、あいまいだけど自分の中にあって、「この人のことを友達と呼んでもいいんだろうか?」とかいちいち考えていました。
特に旅先だと、いろんな人と知り合っては別れるじゃないですか。たった1日ご飯を食べただけの人を友達と呼ぶべきだろうか、メールは交換すべきだろうか、なんてことをそのたびに考えるわけです。だから、「デリー行きの電車の中でさあ、インド人と友達になって…」なんて話を聞くと、”そんなにカンタンに友達なんてなれるワケねーだろ”と意地の悪い感想を抱くこともしばしばでした(笑)。

でも、そんな必要ってあるのかな?友達かそうでないか、を考えたり、線引きしたり。
前にもどこかで書いたけれど、一瞬でも、心が通じ合ったな、って思うことがあったら、それはそれでいいのであって、期間が長かったり、ちゃんとした名前のある間柄だったり(つまり家族とか夫婦とか彼氏彼女とか)という風に、永続的な関係であることが必ずしもエライってわけじゃないのであって。
Mさんとも話していたんですが、船の中の人たちを見ていると、一体どこまでが家族で、元々のグループなのか、全然分からないんです。そういうのって、何だかいいなあって。
「あの人とわたしは友達なのか、それともただの知り合いなのか」なんて、わざわざ考えたりしなくてもいいんじゃないかって。何だかもう、そんなことどうでもいいじゃん、って、この人たちを見ていると思うんです。「○○だから、あの人とは友達」っていう、ちゃんとした?理由付けが必要なのかなって。

きっと、この船で会った人たちとは、二度と会うこともないでしょう。
ナタリーノたちともメルアドやら住所交換なんてしていないし、彼らはやがてわたしの難しい名前は忘れてしまうかも知れません。
でも、わたしは彼らのことを忘れないし、この船で会って話した人たちを忘れないし、毎日が楽しかった。それで充分なんじゃないのかな。

AMAZON48.JPG ナタリーノ軍団。

タイトルに”ウルルン”なんて書いてあるので、一体どんなすごいウルルン話が聞けるのかと期待していた人にはごめんなさい、なしょぼい内容かも知れないけれど、わたしには充分これで、ウルルンな体験なのですよ。ウルルンなんて、ほんのささいなことでいいのさ。現地人の家に住んで、お父さんとかお母さんとか呼ばなくても(笑)ウルルンは成り立つのさ …ってことで、今回はこの辺で終わります。

(2003年9月29日 マナウス)

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