旅先風信72「ペルー」


先風信 vol.72

 


 

**お楽しみはこれからだ!?(コンドル・地上絵編)**

 

こんにちは。みなさまつつがなくお過ごしでしょうか?
わたしはというと、南米に来て約1ヶ月、悩みに悩んでいた南米旅行のルートが、やっと完成したところです。
汐見荘で夜毎、宿の住人たちを相手にああでもない、こうでもないと管を巻いていたわたしですが、おかげさまで以下のような計画が出来上がりました。
それはムリなのでは?ムダなのでは?というアドバイスがあれば、お知らせいただけると嬉しいです。

まず、チリからペルー南部に入り、アレキパ・ナスカ・クスコ(マチュピチュ)・プーノという南部のハイライトを回る。
プーノからボリビアの首都ラパスに抜け、ウユニ、ポトシなどの見どころを回る。
ボリビアからパラグアイに抜け、イグアスの滝を目指す。
イグアスからブラジル国内を回る。サンパウロ→リオ・デ・ジャネイロ→サルバドール→…といった感じで北上し、ベレンからアマゾン河を上って、マナウスへ。
マナウスからベネズエラに入り、コロンビア、エクアドルと回って、エクアドルから中米のどこかに飛行機で飛ぶ。その前に、エクアドルからペルー北部の遺跡に行って帰って来る(ガラパゴスは…余裕があれば行きたいけど多分行かないだろうなあ)。

…いかがなものでしょうか。逆S字型ひと筆書きルート。サンチアゴで次の行き先をボリビアにするか、ペルーにするかで悩んでいたとき、M&I さんと話しながらふと思いついたのです。そのときは自分を天才だと思った(笑)けど、よく見ると別にそうでもないですね。パタゴニアも結局外しているし。。。

そういうわけで、とりあえずサンチアゴからペルーを目指すことにしました。
夜行バスを乗り継いでまる2日。ペルー最初の町は、コンドルの見える谷で有名なアレキパです。

アレキパは、別名”白い町”の名の通り、白っぽい建物が並び、さわやかな印象です。
朝、国境のタクナからアレキパに到着し、タクシーでセントロに向かいながら「おお、何だここは?何だかヨーロッパチックに洗練されているではないか…」。
というのも、チリ⇔ペルー国境で夜行バスを待っていたとき、周りの風景が一変し、そして人も、それまでのラテン系から色の黒いインディヘナたちにガラっと変わったのです。
いわゆる山高帽に三つ編み、カーディガン、ふくらんだスカートというアンデス衣装に身をつつんだおばちゃん連中が、バスターミナルをうろうろしており、また、アフリカのジンバブエ以来、久々に”布巻き赤ちゃん”の姿が…。
”布巻き赤ちゃん”というのは、お母さんの身体に布でぐるぐる巻きに括りつけられた赤ちゃんのことです。エチオピアあたりから始まって、ケニア・タンザニアなどではカンガ、ウガンダ・ルワンダ・ザンビアでも鮮やかな模様の布を、赤ちゃんごと身体に括りつけて運搬するという光景が、あちこちで見られたものです。そしてジンバブエでは、布の代わりに何故かバスタオル…ださいぞ。

洗練された雰囲気のアルマス広場。

なので、アレキパのちょっと小洒落た風な町は、意外でした。
まあ、よく見ると安食堂やらひなびた雑貨屋などが並んでいて、その辺の泥臭さはやはりペルーなのだなあと思いましたが。

アレキパの見どころは、サンタ・カタリーナ修道院と、アンデス聖地博物館に眠る少女ミイラ「フワニータ」、そしてアレキパの郊外にあるコルカ渓谷です。
墓好き、ガイコツ好きのわたくしが、このフワニータのミイラを見逃すはずもないのですが、実はこのミイラ、何年か前に日本に上陸していたことがあり、しかもわたしも見に行っていたことを思い出してしまいました。ちょっとがっくし。
サンタ・カタリーナ修道院は、わたしの眠れるやおい妄想を大いに刺激してくれ、個人的にはなかなか楽しめました。修道院の禁欲的な空間って、どーしてもわたしに”やおい”を連想させるんだよなー…若く純粋な修道僧ニコラスと10歳くらい年上の不良修道僧アンドレアの恋愛(ホモ)物語とか、考えちゃうんだよなー(←病気です)。

CHIVAY28.JPG - 32,879BYTES こういう部屋を見るとよからぬ想像が…オレだけか(お前だけだ;)。

ま、そんな妄想は宇宙の果てに追いやるとして、アレキパでの最大の目的は、コルカ渓谷でコンドルを見ること。
コルカ渓谷は、グランド・キャニオンよりも深い谷と云われており、朝のまだ早い時間だけ、コンドルが飛び交うさまが見られるという、かの名曲『コンドルは飛んでいく』をそのまま地でいく観光スポットなのです。
自力でも行けるのですが、怠惰なわたしは、早速18ドル払って1泊2日のツアーに申し込みました。

ところが、たった標高2800メートルのアレキパにてすでに高山病を患ったらしく、この日の夕方ごろから急に頭がガンガンしはじめ、観光を切り上げてホテルのベッドに倒れこむことに…。はっきり云って高山病をナメてました。と云うか、自分は高度に強いから大丈夫だ、とか何の根拠もなく思ってた(力なく笑)。
ガイドブックによると、高山病対策には、まず水を呑むこと。深呼吸をすること。アメを舐めること。などといろいろ書いてあります。さらに読み進めると「症状が進行すると、脳がむくむ脳浮腫などを併発し、死に至ることも…」マジですか???
この記述を読んだためか、ますます気分が悪くなり、「呼吸が苦しくなるため、横にならない方がいい」などという注意書きを完全に無視して、フテ寝を決め込みました。とにかく一刻も早く眠りに入って、痛みを忘れたかったのです。

翌朝は何とか頭痛も軽減し、白人ツーリストだらけの大型バスに揺られて、コンドル観光拠点の村、チバイに向かいました。とは云え、チバイ、およびコンドルの谷は標高4000とか5000メートルとかそんなレベルなので、いつ高山病が再発するとも限りません。途中の売店で、高山病に効くと云われるコカの葉およびコカの葉キャンディーを大量に買い込み、さらに水もがぶがぶ飲んで観光に備えます。
が、やっぱりどうも鈍い頭痛が取れず、もやもやと気分の優れない時間を過ごしておりました。
この日はチバイ村の温泉プールに浸かり、フォルクローレの演奏を聞いて終了。高いツーリストレストランで食事する白人たちを尻目に、村の食堂で10分の1くらいの値段の夕食を、一人寂しく食べていました。

CHIVAY28.JPG - 32,879BYTES チバイ村。いかにもアンデスな民族衣装のおばちゃんたち。

翌朝は5時起きの6時出発という、少々ハードなスケジュール。何故なら、コンドルは朝の決まった時間帯にしか飛んでいないから。早朝&山岳地帯の厳しい寒さに震えながら、パンと紅茶のみの朝食を終え、バスに乗り込みます。
コルカ渓谷までの道は全く舗装されておらず、バスはそこそこ立派なのに、揺れまくって大変でした。しかし車窓風景はアンデスらしい雄大さと凄烈さでなかなか見ごたえがあります。何せ4000メートル級の山間を縫うようにして走っていくのですから。まあ、1時間くらい見続けているとさすがに飽きますけどね(笑)。

チバイから谷までは約2時間。コンドルの谷には、うっそでしょー!?というほどの大量のツーリストがつめかけており、しかもほぼ100パーセントが白人(欧米人)…。何だかうんざりしてしまいました。[コンドルは飛んで行く」の哀愁あるメロディなんて、とてもじゃないけど流れてきそうにありません。
だって、ざっと見渡しただけでも200人くらいはいそうな感じなのよ!それも全部白人なのよ!コンドルツアーは毎日敢行されていることを鑑みると、一体どれだけの白人ツーリストが押しかけてきているのやら…と、自分もまごうかたなきツーリストであることは棚に上げて呆れてしまいます。

さて、コンドルですが、いくらコンドルの谷と云えども、その辺をうじゃうじゃ飛んでいるわけではありません。
到着してバスから降りると、200人のツーリストが固唾を呑んで(?)コンドルの現れるのを今かと待っています。もちろん手にはカメラ。ものすごい望遠レンズに三脚と万全の人も少なからずいます。
わたしもその中に混じって、ぼんやりとコンドルの登場を待っていました。すると、ほどなくして1羽の黒い鳥が谷を横切っていくのが目に入りました。
わたしはそのとき、「どうせトンビだろ」と勝手に決めつけてしまい、コンドルだとは思わなかったのですが、周りの忙しくシャッターを切る反応などから、ようやくそれがコンドルであることを認識しました。

そのうち、5分ごとくらいに、数羽が上空を旋回するさまが見られるようになり、わたしも他のツーリスト同様、バシャバシャと激しく写真を撮りまくりました。絶えず動いているコンドルの写真を撮るのはなかなか困難で、デジカメでなければ何枚ものフィルムをムダにしたことでしょう。”2枚連写”などという小技を駆使しつつ、とりあえず30枚くらい撮っておきました(撮りすぎだ)。

コンドルはまた、こっちが「もうしばらく現れないだろ…」と写真の手を休めた瞬間に、いきなり眼前を横切っていくという、なかなか憎たらしいやつらでありまして、わたしも何度も舌打ちさせられました。
コンドルが飛ぶさまを間近で(ってそんなに近くはないけど)見ると、ブーンという、ブーメランのような飛翔音が聞こえて来て、迫力満点です。何しろコンドル、体重が15キロという鳥にあるまじきデカさなので、飛ぶさまにも迫力があって当たり前と云えばそうなのですが。

CORCA11.JPG これがコンドルだ!ぎゅいーん。

コンドルツアーが終わって息つく間もなく、次なる目的地ナスカへの夜行バスに乗り込みました。
ナスカと云えばもちろん、巨大なラクガキ…ではなくて、地上絵ですね。
一体誰が、何のために書いたのか…なんてベタなTV番組のナレーションのようですが、ナスカの大平原に14パターンの巨大なひと筆描きの絵が残されているのです。描かれているのは、サルとかクジラとかオウムとか、動物系が多いのですが、何故かガチャピンにそっくりの宇宙人なんていう絵もあります。ともあれ、”古代の謎”系では、ピラミッドあたりと並んで知らない人はいないくらい有名な場所でしょう。

そのナスカでは、ツアー会社とケンカしまくって大変でした。
南米に来て初ギレかも知れない…。何だかもう、詳しく書くのも面倒なのですが…。
巨大な地上絵の観光は通常、小型のセスナ機に乗って上空から見学することになります。とりあえず、ナスカにはこのヒコーキを手配している旅行会社がたくさんあるので、朝、まだ店もほとんど開いていない内からあちこち回ってみるのですが、オフシーズンなら30ドルとかその辺なのに、現在シーズン真っ最中のため、50ドルとか云ってくる。
いくら何でも高すぎるので、もちろん交渉。しかし、40ドル以下には下がりそうもありません。結局、近郊の見どころ”インカの墓”などのツアーとセットで45ドル(空港税込)、で手を打ちましたが、ま、しっかりぼられているんでしょう…。

ナスカには1泊するつもりだったので、近郊の観光と地上絵は1日ずつにふり分けることにしました。
というのも、この日、申し込みをした次の瞬間、空港にあれよあれよという間に連れて行かれ、『世界遺産』のナスカの回のビデオまで見せられたにもかかわらず、「今日はツーリストが多くて、君のフライトは3時半までない」と云われ、「とりあえずインカの墓に行こう」とこれまたあれよあれよという間にインカの墓に連れ去られてしまいました。

インカの墓とは、正式にはセメントリオ・デ・チャウチラと云う墓地跡のことです。
ここは、プレ・インカ時代の遺跡の盗掘跡で(だからインカの墓っていうのは間違った呼び方なのだ、ホントは)、何と、1キロ四方にわたって白骨がゴロゴロしているという、ガイコツマニアにはたまらないスポットなのです…とエラソーに説明しているけど、ここの存在は、実はついこないだガイドブックを読んで初めて知りました。すみません。
しつこいようですが、ガイコツと聞いて反応せずにはいられないわたしは、一体どんなブキミな光景が見られるのかと、下手すると地上絵よりも興味深々でした。
実際には、白骨は転がっていなくて、ミイラがいくつかのコーナーに分かれてちゃんと安置されていました。が、よく見ると、荒れた砂地のうえに白い破片のようなものが散らばっており、どうやら人骨ぽい。1本だけ、ごろんと腕だか足だかの骨もあったし…って、これは古いものなのか、新しいものなのか、気になるところです。

CEMENTORIO4.JPG - 17,833BYTES ドレッドガイコツ。

墓観光はあっと云う間に終わってしまい、その日の午後は町を散歩したり、昼寝したりして実にのんびり過ごしていました。何しろ明日はメインイベントの地上絵。セスナはかなり揺れ、酔うと地上絵どころではなくなると聞いていたので、夜行バス明けの疲れをしっかり取り除いて、万全の体勢で臨まなくてはなりません。

そして翌日。
満を持して早起きし、シャワーを浴びに部屋の外に出たところ…わたしは驚愕のあまりひっくり返りそうになりました。
「何だこの天気はーーー!!!」
目の前には、一面みっしりと雲に覆われ、見事なほどに鉛色の空が広がっていました。何というさわやかでない、気持ちの悪い朝でしょうか。早起きは三文の得と云いますが、このときは、はりきって早起きした自分を呪いました。
シャワー室へと歩いていると、今度はすれ違いさま、他のツーリストに旅行会社のあんちゃんがこう云うのが耳に飛び込んできました。「今日は天気がよくないから、地上絵はちゃんと見られない。明日の方がいいね」
…ちょっと待ってくれ。オレはまさに今日のフライトに乗ろうとしているのだが???

不安に駆られたわたしは、3分くらいでシャワーを済ませ、髪も乾かさずにホテルを飛び出し、怒鳴り込まんばかりの勢いでツアー会社の入っている別のホテルに出向いて行きました。
「ちょっとお兄さん!天気めちゃくちゃ悪いんだけど(ティエンポ ムイ マーロ)、今日のわたしのフライトはどーなんのっ!?」
ツアー会社の兄ちゃんは英語が出来ず、またわたしもスペイン語が話せないのですが、わたしのあまりの剣幕に内容を理解したようでした。しばらくして英語の多少できるホテルのフロントが現れ、ここに戦いの火蓋は切って落とされました(何のこっちゃ)。

「こんな天気じゃ地上絵見えないんじゃないの?わたしは今晩クスコに行くからって昨日云ったよね!? つまり今日しか行けないんだよ!どうしたらいいの!」
「でも君は昨日、フライトは明日にすると云ったじゃないか(←云ったっけ?)…それに天気は12時ごろになったら晴れてくるから、ノープロブレムだ」
…そんな、何を根拠に12時とか云うのでしょうか?今にも雨すら降りそうな天気なのに?意味が分からん。
もちろん、天気が悪いのは兄ちゃんのせいではありません。しかし、曲がりなりにもガイドなら、天気のよかった昨日、遅い時間であってもフライトを薦めるべきではなかったのでしょうか?だって、空港まで連れて行っといてさあ…なんて、そこまできめ細かいサービスを望むのは筋違いか…。そもそも、天気のことを人間に責めるのは間違っていると思うでしょ? わたしもすごくそう思う。
分かってはいるのですが、やり場のない怒りは増幅するばかりです。むしろ、やり場がないからこそ……。意志の疎通が図れず、またアレキパから続いている頭痛のせいもあって、もう泣きそうでした。

英語スペイン語日本語ちゃんぽんでしばらくやり合ったのち、「とにかく空港に行こう。空港に行けば何とかなる」というやや強引な解決策が持ち出され、またしても朝の9時前から空港に連行されてしまいました。
空港には、ツーリストはわたし1人しかいませんでした。『世界遺産』のビデオはもう見てしまったし(何回も)、本当にやることがありません。
しかし、信じがたいことに、11時を過ぎたあたりから、空がウソのように晴れわたってきました。お兄、テキトーなことを云ったわけではなかったのだな…と、天気のことを責めまくったことを大いに反省。今さら反省しても遅いのですが…。

そのうち、天気の回復を見計らったかのように白人の団体が続々とやって来て、コーヒーなど優雅に飲みふけっています。まあそれはいいのですが、何とこいつらはあっという間にフライトの呼び出しがかかり、15分も待たないうちに空港を出て行くではありませんか。そしてまた、空港にはわたしだけ…。
…何で!?何でこの人たちが先なの!? わたしはもう3時間近くもここで、何も出来ずに待っているのに!? 何で? 何で???

空港に来てからは羊のように大人しかったわたしなのに、ついにブチ切れてしまい、またしてもすごい形相になって、空港の外でだべっているツアー会社の兄ちゃんの襟首をつかまえ、
「ちょっと!わたしのフライトはいつなの?何であの人たちが先なのよ!」
「あと1時間後だ。しばし待て」
…さらに1時間後。相変わらずわたしにフライトの呼び出しはかかりません。
「あれから1時間経ってるけど、フライトは何時なの!?」
「1時だ。しばし待て」
…そして1時。案の定、何の動きも進展も見られませんでした。「一体何時になったら乗れるワケ!?」「2時」
…ホンマ、えーかげんにせーよコラ。

わたしが途方に暮れて、と云うか怒りに打ち震えてその辺のゴミ箱など蹴飛ばしていると、わたしの次くらいにひっそりと空港に入ってきた、白人の個人旅行者が話しかけてきました。
「朝早くから待ってるよね?僕もそうなんだよ。一体どうなってるんだか…」
ああ、そう云えばこの人も、ずっと空港のすみっこで本読んでたっけ…。
ちょうど、英語のできるガイドが居合わせたので話を聞いてみると、今本当にセスナがいっぱいいっぱいで稼動しているらしく、あのぞろぞろ入ってきた団体などは、1週間前とかから予約して来ているというのです。何だそりゃ。だったら最初からそう云えよ。こっちは理由も分からずに朝早くから空港で待ちぼうけを喰らっているんだぞ!
何だか、個人旅行者をナメ切っているみたいで、本当に腹が立ちました。わたしたちだって、ちゃんと旅行会社を通してお金も払っているのに…。団体はどこに行ってもエラソーにふんぞり返って、けっこうなことです。

と、このような困難(?)を経て、やっとのことで見た地上絵がどんなものだったかというと、実はそんなに大したことはなかったのでした。。。
地上絵は年々薄れてきていると云いますが、本当に薄い。そして、思ったより小さい。セスナが上を飛びすぎていたのかも知れませんが…。そもそも、地上絵が霞むくらいに紛らわしい線がいっぱいあって、ちょっと見ただけでは「え?どれが宇宙人?どれがサルの絵?」という感じなのです。『世界遺産』はキレイに撮りすぎているよ(苦笑)。
地上絵よりもむしろ、ナスカ平原全体の眺めの方が壮大で素晴らしかったな。
あとは、フライトの時間帯も悪かったようです。午前中のフライトで見た人は、キレイに見えたと云っており、どうも午後だと太陽光線が強すぎてあまりよくないとのこと。このやろー、やっぱりあの旅行会社のせいだー!

NASCA12.JPG - 10,442BYTES これ何か分かるかなあ…分かんないよなあ…真ん中の方にいるのが「ハチドリ」です。うーん、薄い…。

(2003年7月15日 ナスカ)

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