旅先風信70「チリ」


先風信 vol.70

 


 

**モアイ・モアイ・モアイ**

 

みなさま、こんにちは。 大海の孤島、イースター島からお届けします。

汐見荘でだらだら暮らしているうちに、あっという間にイースター島行きの日はやって来ました。
島は物価が高いというので、8泊9日分の食糧をビーニャ・デル・マールで買い込んだのはいいのですが、ただでさえ荷物が重いのに、米1キロとかパスタ400グラムとかにんじん10本とか玉ねぎ3つとか缶詰とかお菓子などの入ったスーパーの袋を提げて、本当に指がちぎれそうでした。。。

イースター島へは、首都サンチアゴからラン・チリ(チリ航空)で5時間のフライトです。
さすが、名だたる観光地だけあって、こんな時期でも日本人がわたしのほかに3人乗っていました。
次の目的地ペルー及びボリビアは大変寒いということで、ラン・チリの毛布を失敬しようとしたら、しっかりアラームが付いていました。。。残念。

さて、イースター島と云えば、もちろんモアイですよね。
まさかモアイ自体を知らない人はいないと思うのですが、モアイがいかなるものかはあまり知られていないのではないでしょうか。
モアイが建てられたのは、日本で云えば平安時代あたり。紀元前くらいからすでにあったものと思っていたわたしには、少々意外でした。太平洋のどこかからやってきた伝説の王様・ホツマツアがイースター島に国を築き、モアイはホツマツアの神として作られ、祭られたようです。

なので、モアイは通常、”アフ”と呼ばれる祭壇の上に立っています。
イースター島には約1000体のモアイがいると云われていますが、多くのモアイは倒され、 風化し、ただの石の塊と化しているものも少なくありません。
来る前は、「イースター島にはきっとモアイがごろごろしているのね」と、犬も歩けば棒に当たるじゃないけれど、歩けばそこら中でモアイに出くわすものとばかり思っていましたが、実際はモアイがいるのはいくつかの場所に限られています。この小さな島の何処に1000体も隠れているんだ?と思うくらいです。

イースター島に到着したその夜、「ラパ・ヌイ・イン」(※ちなみに、ラパ・ヌイというのがイースター島の現地名)という空港近くの宿にチェックインすると、ひと足先に汐見荘から来ていた板前Sさんとチャリダー(自転車旅行者)Mくんがいました。
「イースター島どうですか?」と尋ねると、2人同時に「…もうやることないよ」との答えが。。。
レンタカーで周れば1日あれば充分、自転車で周っているMくんですら、この3日間でやるべきことは全部終わった、と云い出す始末です。8泊9日コースのわたしはどうしたらいいのだ…。

わたしは国際免許証がない上、マニュアル車は運転できない(ださいっ)ので、自転車を借りるか、誰か車を運転できる人に便乗するしかありません。イースター島は1周しても60キロくらいの小さな島です。今のところ、宿には車をシェアできる人はいないため、とりあえず自転車を借りて周ろうと考えていると、Mくんから、「自転車はやめた方がいいよー。風とかマジできついし」というアドバイスが…。
普通の旅行者ならともかく、チャリダーがそう云うからには、相当しんどいのでしょうな…。しかし、翌日町を歩いて車をシェアできそうな人を探すも、なかなか見つかりません。

しかし、ぐずぐずしていても仕方ないので、1日目は歩いて行ける「アフ・タハイ」など近いところを周り(と云っても5時間くらい歩いたので、相当遠くまで来ていた)、2日目、早起きして自転車を借りました。1日10ドルと、決して安くはありませんが、頑張れば今日明日の2日間で全て周れるのではないか、昨日5時間歩いたことを考えれば、自転車なんてラクなもんだ……
と考えたわたしは本当に甘かった。
いざ出発してみると、ハンガロア(島唯一の町、つーか集落)から500メートルくらい漕いだだけで、すでにはーはーと息が切れているわたし…いくら何でもちょっと早すぎだろ。汐見荘で怠惰な生活を送ったツケが回ってきたのでしょうか…。
道は1本しかなく、観光ポイントまでの看板も出ているので迷うことはないにしろ、海岸部を貫く道には微妙に起伏があり、また風も絶えず吹いていて、なかなか思うように進みません。
さすがにチャリダーに否定されただけのことはあったな…と今ごろ気づいてももう遅い。とりあえず、最大の見どころであるモアイ製造工場「ラノララク」の丘までは行かなくてはなりません。あっさり横をすり抜けていく自動車をうらめしく見ながら、とにかく漕ぎ続けます。

もうダメだ、これ以上漕げない、もう帰りたい…そう思った頃、やっと目の前に「ラノララク」の看板が現れました。
そして、遠くの方に、モアイらしき石の塊がぽこぽこ埋まっているのが見えました。ここまで所要2時間半…ああ、やっと来たーーー…。

バスで来るツアー客よりひと足早く到着したらしく、人影はまったくありません。
半身をうずめ、空を見上げている、製造途中の何十体ものモアイたち。そのまわりを、馬たちがのんびりと歩き、草を食んでいます。
モアイはみんなゼッペキ頭で、時々、その頭の上で小鳥が羽根を休めています。
…静かな、静かすぎるほどの光景でした。時間が止まっているかのようでした。

EASTER48.JPG モアイは見事なほどゼッペキ頭。

モアイの表情は、何処かマヌケで可笑しく、しかし哀しげに見えました。
そして、何かを待っているようでもありました。
でも、その”何か”は、永遠に訪れることのない”何か”―例えば遠い過去の時間とか―であるような気がしました。もちろん勝手な想像ですが…。
無いはずの目で、モアイ達は何を見ているのでしょう?
重い石の身体を横たえた、作りかけのモアイ。うつぶせに倒れたままのモアイ。顔だけ地表に出しているモアイ。首と胴体が離れてしまっているモアイ。
そのすべてが、まるで命と心を持っているかのように、何か云いたげで、わたしはその光景の前に立ち尽くし、知らない間に泣いていました。

モアイは、ただの奇妙な石の人形ではないのでした。
よく、顔がごつくて長い人に「モアイ」いうあだ名を、からかい半分につけて楽しんだりしますが(しない?)、ラノララクのモアイの哀しげな顔を見てしまっては、あまり笑えない冗談に思えます。
モアイはまた、わたしには、神秘的というよりも、人間的に見えました。特に、このラノララクの作りかけのモアイたちは…。何故このモアイたちがこれほどわたしの心を打つのか、それは、おかしな話なのですが自分とモアイの距離が、それほど遠いものではないような気がするからです。果てのない寂しさとか、あてのない待機とか、自分の抱えているそういうものを強く感じさせられるのです。モアイにこんな感情を抱くなんて、本当におかしいんですけど。

EASTER53.JPG - 24,974BYTES ラノララク。

ラノララクのすぐ先には、イースター島で最も有名な、「アフ・トンガリキ」のモアイが立っています。
この15体のモアイは、例によって倒されていたのですが、日本の「タダノ」という会社が修復作業を行い、現在の堂々たる姿によみがえったのです。
アフに立つ巨大なモアイたちは、製造途中で打ち捨てられたラノララクのそれとは違って、さすがに威厳がありました。太平洋を背にして立つというロケーションも最高に素晴らしく、これぞモアイの真骨頂といった感じです。
しかし、しばらく眺めているうちに、やっぱりマヌケに見えてきて(笑)、「今日もヒマだよなー」とか「腹減ったなー」とか、マンガの吹き出しを付けたくなってしまいました。だって、本当に会話してそうなんだもの。隣のモアイと。
そういう想像を起こさせるだけでも、やはりモアイは神様というより、人間に近いような気がするな。

EASTER58.JPG - 19,496BYTES (左)「ヒマだね〜」(右)「そ〜だね〜」と会話しているであろうモアイ。

もうこの辺で引きかえしたいところでしたが、半分まで来た以上、引きかえすくらいなら1周した方がいい、と欲を出してさらに次の目的地「アナケナビーチ」まで行くことにしました。
ところが、途中から完全オフロードになってしまい、いつ転倒してもおかしくないような状態が30分以上続きました…全く、苦行好きですねわたし。別に好んでやっているわけではないんですけど。

アナケナは、イースター島唯一のビーチであり、ここには帽子(髷とも云われる)をかぶった「ホツマツアのモアイ」が並んでいます。
アフ・トンガリキに比べると小さなモアイでしたが、みんな帽子をかぶっているのが何とも可笑しい。帽子はモアイ本体の石とは違う、赤褐色の石を使っています。
とりあえずモアイを着々とカメラに収めていると、レンジャーのおっちゃんが英語で話しかけてきて、何故か野生のココナッツ&ジュースを食べさせてくれました。自転車をこぎまくって喉がカラカラだったので、五臓六腑にしみわたるようでした。さらにおっちゃんは、5時になったら仕事が終わるので車で町まで送ってあげよう、と実にありがたいことを申し出てくれました。普通ならちょっと警戒するところですが、このすこぶる治安のよい島では、安心して親切を受け入れられます。おかげで、自転車ならあと2時間は漕がねばならないところを、20分で帰ることができました。ありがとう、おっちゃん。

こうして、やや苦行じみたイースター島1日自転車ツアー(人数1名)は終わりました。

EASTER117.JPG - 17,588BYTES 帽子をかぶったアナケナのモアイ。

翌日は、ハンガロアから3キロくらいのところにある「アフ・ビナプ」のモアイ(ほとんど倒れているので少々しょぼいんだけど)を徒歩で見に行き、1時間くらいそこでぼーっとしたのち、午後は”モアイの目玉”が収蔵されているモアイ博物館を見学(所要10分)して、終了。途中で会った新婚旅行中の日本人カップルに「随分のんびりですねえ」と半分呆れられていましたが、こちとらあと4日もあるのですから、あんまり焦って観光するわけにはいかないのです。
それに、半分埋まったモアイにもたれかかって、ぼんやり海を眺められるというのは、実はめちゃくちゃゼータクなことなのでして、「ああ、金はないけどヒマだけはたくさんあるバックパッカーでよかった」としみじみ思うのでした。

水曜日のフライトで、汐見荘で一緒だったM&I さんカップルとM井さん(Mさんばっかりで紛らわしいですね;)がやって来たので、早速翌日、車をシェアしてまた観光することになりました。
鳥人儀礼のあったという「オロンゴ」と、島で唯一、海を見つめて立っている「アフ・アキビ」のモアイ、あとパワーストーンとかモアイの帽子工場(本当にそんなものがあるのです)とか細かい見どころはすっ飛ばしていたので、前回の上書きをするような形でじっくり見ることができました。多分、イースター島のモアイ及び観光スポットはほぼ手中に収めたね(笑)。
オロンゴのクレーターと、そこから見る夕暮れの太平洋は例えようもないほど美しいものでした。ちょっと信じがたいような海と空の色でしたが、写真でお見せしてもあまりピンと来ないでしょうから、あえて載せないでおきます。

ラノララクでは、2回目にも関わらずまた写真を撮りまくってしまいました。すでにここの写真だけで100枚はあるかも…我ながらキチガイじみている気が…。でも、ここのモアイが一番味わい深くて大好きなんです。本当に。
さる情報によると「丘と反対側の、クレーターに面している方のモアイは笑っている」ということで、前回見逃したそちらの方まで歩いて見に行くと、むむ、確かにこっちのモアイ、何となく微笑んでいるように見えるぞ。。。
こちら側は日当たりのよいこともあって、
「あ〜気持ちエエな〜」と何故か関西弁で日光浴を楽しんでいる風に見えました。モアイ、やっぱり深くて楽しいな。

EASTER95.JPG - 34,627BYTES 笑うモアイ。

そして、本日またまた車を借りて、またまた同じコースを周りました。
前回、ラノララクに居るという「正座したモアイ」を見落としていたのもあり、それを見に行くのが一応目的だったのですが、3度目ともなると、さすがに感動も磨り減ってしまい(笑)、さらに、カメラが故障するという最悪の事態が起こり、観光を楽しむココロの余裕もすっかり失われていました。前回と違って天気も悪く、雨まで降り出したので、今日はさくっと切り上げました。ま、3回も見ればいくら何でも充分すぎです。見落としていた”食人の行われていた洞窟”というのにも行ったし、いやはや、本当にイースター島制覇と云っても過言ではない(笑)。

EASTER147.JPG - 24,548BYTES お約束な写真ですが…”正座するモアイの隣で正座するわたし”。

最初は8泊9日なんて、長すぎる!と思っていましたが、意外に退屈せずに終わりを迎えられました(まあ、車をシェアできなければ、そうも行かなかったでしょうが…)。
モアイは、ものすごいインパクトがあるわけではなかったけれど、じわじわと染みてくる、静かな波のような、或いはいぶし銀のようなよさがあったな、と思います。それは、当初抱いていた「モアイ=神秘=壮大なロマン」的イメージを少々裏切られた形ではあったものの、500ドル払ってでも来る価値はあった、と素直に満足して帰ることができそうです。

あと、これは余談ですが、泊っていた宿では、庭にアボガドの木が生えており、毎日のように果実がぼたぼた落ちてくるので、タダで、しかも熟れ熟れのアボガドを食べられてサイコーでした。汐見荘でしょうゆとワサビもばっちり入手しているので、アボガド丼など作ったりして、毎日3つくらいアボガドを食べていました。いやー、アボガドって本当に美味しいね(笑)。

…それにしても、この島は本当に平和ですね。Mさんによると、島というのは通常、めちゃくちゃ治安がいいか、めちゃくちゃ悪いかのどちらかだということですが、イースター島は明らかに前者の方でしょう。
オフシーズンということもあってか、世界的な観光地なのに、せわしない様子もなく、お土産屋もアグレッシブじゃないし(笑)、住民は恐ろしいほどフレンドリーです。
道行く人々が、ほとんど全員と云っていいほど、「オラ!」とか「ハロー!」とかにこやかに挨拶してくるのには驚きました。モロッコあたりなら、「何だよ。何要求してんだよ」とか思うのですが(それもヒネくれているが)、ここの人々はそういう下心をまったく感じさせません。

そして、こういう場所に来ると毎回思うのが、「この人たちは何を考え、何を人生の目的にして生きているのだろうか」ということです。
1周しても60キロくらいしかない、大海の孤島で、3500人の人間が暮らしている。1軒しかないスーパー、1軒しかないレンタルビデオ屋、1軒しかないガソリンスタンド…彼らの人生・生活は、おそらくこの小さな島の中で完結している。まあ、観光地という点は差し引いたとしても、実にミニマルではありませんか。
金を稼ぐことが至上命題で、豊富な物質と有名になりたい人間があふれている社会で生きてきたわたしには、価値観を揺るがされるまではいかないにしろ、こうした世界はさながらアナザーワールドです。

旅を続ければ続けるほど、色んなことが分からなくなる。
いつか、ブダペストでタケシさんが云っていたことを思い出します。
今、これを書いている間、例えば父親はビールを飲みながらプロ野球を見ていて、弟はバイトに出かけていて、友人Aは塾で講義をしていて、ブダペストではタケシさんが食堂で働いているだろうし、カイロではワエルの親戚たちが相も変わらず昼間っからダラダラ喋っているだろうし、バグダッドのワリード氏はガイドを続けているだろうし(※イラクツアーで一緒だったTさんが、日本のTV中継で彼が映っていて仰天したとメールをくれたのです)、サンチアゴのどこかにフラ君は生きているだろうし、そして、明日には去るこの島の住民たちも、わたしが帰ったあとも生活を営み続け…なんてことを考えると、自分の生きている世界とは、何と多くのことから成り立っているのか…と、ため息をつかずにはおれません。
そして、その多くのことの1ミリも把握できないまま、一生を終えるのだろうと思うと、何だか絶望にも似た諦めを感じてしまいます。

しかし、こうして多くの人が同時進行で生き(或いは死に)、世界が動いているのは事実なわけで。
分からないなりにも、そのことがぼんやりと感じられるようになっただけで、旅に出た価値はあったのかな、と思ったりします。これからは、世界各国の元旦の様子とかをTVで見たら、涙を流して感動するかもな(笑)。
うーん、また最後はこんな、モアイと何のカンケーもない話になってしまいましたが、とりあえずこの辺で終わります。それではまた。

※今回のタイトルは『ダンス・ダンス・ダンス』風に読んで下さい。

(2003年7月6日 イースター島)

ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system