旅先風信68「アルゼンチン」


先風信 vol.68

 


 

**今夜、宇宙の片隅で**

 

ブエノスアイレスに来て、早10日が過ぎてしまいました。
日本人宿にいるわけでもないのに、見どころが山ほどあるわけでもないのに、はたまたビザ待ちとかカメラ待ちとか重大な仕事(?)があるわけでもないのに、この体たらくはどういうことでしょうか。責任者出て来い、って感じです(お前だお前)。
アフリカが予定より長引いてしまったため、南米は高速移動するぞ!と固く決心して上陸したはずが…毎度ながら、フタを開けるといつもこうなる自分が情けないです…とほほ。

でも、ちょこっといい訳すると、この街には、不思議な吸引力があるような気がするのです。
立ち去りがたい魅力とでも云うのかしら…。少なくとも、わたしを惹きつける何かがあるとは思う。
もう帰って来ないかも、と思うと、どうしても思い切れず、まだ何か見逃しているような気がする、何かしなくてはいけないことがあるような気がする…という妙な強迫観念に追い立てられて、来る日も来る日も、ぶらぶらと出かけてしまうのです。
一応、美術館やら見どころと云われている地区に出かけてはいるものの、どうしても外せない見どころというのは…多分ない。レコレータ墓地とタンゴショーくらいかしら。

個人的には、美術館がよかったですね。フェルナンド・ボテーロとかフリーダ・カーロに代表されるラテンアメリカの芸術家の作品に、にわかに惹かれています。街や建築物なんかはヨーロッパの亜流っぽいラテンアメリカだけど、アートには独自性があって面白いですね。
現代美術もかなりさかんで面白い。わたしがいたときには大規模なモダンアートの見本市が開かれていて、かなり楽しめました。またフライヤーなんぞ集めまくってしまい荷物がじわじわ増殖しています…。

話は戻って、アルゼンチンと云えばタンゴ。
「タンゴとフラメンコとサルサってどう違うの?」なんてバカな質問を人にしていたわたしですが、街のあちこちでタンゴの調べを耳にしているうちに、タンゴ音楽が好きになりました。あのそこはかとなく哀愁のあるメロディが、どんよりと暗く重々しいブエノスの街並と相まって、何とも云えぬ旅情を掻き立てます。
今では、歩きながらあのメロディを口ずさんでしまうくらいの成長ぶり(?)。
路上ではない、ちゃんとしたお店のタンゴショーもばっちり見に行きましたが、その話は、ちょっと横に置いておきます。

あと面白かったのは、日曜日のドレーゴ広場。
ここでは毎週日曜日に蚤の市が開かれ、ガラクタだかお宝だか分からないアンティークがずらりと並び、乙女なあたくしとしてはひとつくらい掘り出し物を見つけたいところですが、通貨が暴落したとは云え、どれもけっこうなお値段でした。。。
しかし、買い物などせずとも、5メートルおきくらいにいる大道芸人を見ているだけでもかなり楽しい。広場の中心ではタダでタンゴが見られるし、綿菓子が売られていたり、知恵の輪が売られていたりして日本のお祭り屋台チックだし、ツタンカーメンやら銅像やらに変装した芸人があちこちに立っているのも何ともシュール(笑)。
中でもウケたのはアル中マリオネット。人形遣いと同じ服を着たマリオネットが、ひたすら酒を飲み泥酔してポストにしなだれかかったり、足を滑らしたりするだけなんだけど、これが上手いのなんのって!酒ビンを持つ手が小刻みにぶるぶる震えていたりして、リアルすぎです(笑)。で、人形遣いの顔を見ると、どうも本人がアル中っぽくてさらに笑えました。珍しくお金投げちゃったわ。

BUENOS47.JPG 危ないアル中人形。

さらに、ブエノスアイレスはステーキ(現地語でアサード)が有名ということで、ホテルの近所にある”行列のできるステーキ屋”「デズニヴェル」には、4回も通ってしまいました。
ここは本と、値段も手ごろで何でも美味しいので、他の店にも挑戦してみなければなあ…と思う心とは裏腹に、気がついたらまたここに来ているというありさま。全く、罪なお店です。
ウワサの韓国焼肉ビュッフェも美味しかったなあ。ここも近所だったら、ますますヤバかったですね。いやはや。こんなに肉ばっか食った日々は、アラブ以来かも。

ところで、ブエノスでは、日本旅館という、新しくて評判のいい日本人宿に宿泊するつもりでした。
が、ここはセントロ(中心地)から地下鉄で10駅、と立地に少々難があり、また、こんな場所に移動してしまったら、沈没する可能性は200パーセント間違いないので、今回は断念しました。前述の韓国焼肉屋も近所ということだし…んー、絶対出ないなこりゃ(笑)。
自分の中では、世界各国の日本人宿を垣間見るのが、旅のひそかな裏テーマのひとつになっていたりもするのですが…ま、そんなのどうでもいいですね(笑)。

前回はパリっぽい、なんて書いていましたが、パリ以外にも何処かに似ているなあ、とつらつら考えていると……そう、ハンガリーのブダペスト。
あまりスカッとしない天候のせいもあって、どこかメランコリックな街の雰囲気、そして何より身体が勝手に沈没していく(?)現象は、まさにブダペストでの日々を彷彿とさせるではありませんか…。
さらに、よくよく思い出してみると、実はパリも長かったわたし…。見どころが多いとは云え、あんな物価の高い都市に10日も居座るとは、まったくいい根性してますが、パリで沈没している人というのは意外に多いのです。
わたしは行かなかったけど、あそこには「白い門」という韓国人宿があって、1泊15ユーロ(飯付き)というけっこうな値段にもかかわらず1ヶ月2ヶ月沈没しちゃっている(た)人が…わたしの知人にも1人います。

というわけで、急にブダペストでの日々を思い出し、現在ブダペストに住んでいるタケシさん(たけぢい)にその旨メールを送ってみたところ、
「実は映画『エビータ』の撮影は、ほとんどブダペストで行われていたらしい。だから、ブダペストとブエノスの相似については、野ぎくちゃんの錯覚というわけではないんだよねー」という驚くべき返事が返ってきました。
な、なるほど…そうだったのか!だから沈没しそうなのか(違うって)。

冗談は抜きにしても、街の吸引力、磁力というものは、目には見えないけれど、やはりあるのだと思います。
もちろん、旅する当人と街との相性が一番なんですけどね。
ヨーロッパで3つ美しい都市を挙げろと云われると、前にも書いたとおり、プラハ、ヴェネツィア、ドブロブニクなのですが、この3都市にはいずれも2日しか滞在していません。まあ、プラハは人と一緒だったので、これが1人だと長居していた可能性はありますが…。
それとは対照的にパリ、ブダペスト、ロンドンなんかもそうですけど、ヘンに長居してしまった街には、”美しい”を越えた魅力があるのでしょうね。本当にそれは、魅力としか云いようのない、不思議な力なのですけど。

BUENOS39.JPG - 20,743BYTES タンゴ発祥の地、ボカ地区・カミニートのカラフルな掘っ立て小屋の窓。

…しかし、そんなこと云っていてもキリがないので、今日の夜行バスで次の町・メンドーサに発つことにしました。
南米旅行計画の青写真も焼けないまま、半ば無理矢理決めた目的地ですが(苦笑)。

さて、今までの話と今回の気取ったタイトルは、どういう関係があるのかというと、全然関係ありません。
実は、何気にここからが本題なのです。
ちなみにタイトルは、3〜4年くらい前?に放送されていた、三谷幸喜脚本のドラマのタイトルからそのまま引用です(地味な内容だったけど、けっこう好きだったのよね)。

ジンバブエの宿で一緒だったTくんとは、その後、多少の時間差はあるにしろ、南ア→ナミビア→南アと全く同じルートを歩んでおり、ナミブ砂漠にも一緒に行き、ブエノスアイレスにも同じ便で飛んで、その後も同じ宿に泊っていたりします(もちろん、部屋は別です)。
その際、わたしの行動の方が何でも半歩くらい遅いため、ブエノス行きのチケットが同じになってしまった日には「うう、ストーカーだと思われているかも…」と不安になってしまったほどです。すでに思われているかも知れませんが(笑)。

これまでの旅で、これほど長くルートが同じだった人というのは、”彼女”を除いては誰もいません。しかも、彼女とは相談の上一緒に行くことになったわけで、図らずも、偶然一緒になるケースは、今回が初めてです。
とは云っても、一緒に行動することはあまり、いや、ほとんどなく、ブエノスに来てからは、各々シングルに泊まっていることもあって、全く顔を合わせない日もあります。
実はTくんは、エジプトのバハレイヤオアシスツアーのメンバーでもありました。最もそのときは、ほとんど話さなかったんですけど・・・。
わたしを含むほかのメンバーが、一緒に町を観光しているのを尻目に、1人でどっかに消えてしまうような人で(笑)、「あの人、団体行動が嫌いなんですかね?」なんて云われたりもしていました。そうねえ、なんて相槌を打ちつつも、内心では「別にいいじゃん。仲良しグループじゃないんだからさ」とも思っていたのを、今でもよく覚えています。
そんなこともあり、彼の1人好き(?)はよく分かっているので、わたしも極力、一緒に○○に行こうよー、などとは誘わないようにしていました。
しかし、レストランに1人で入るのは苦手だというので(ちなみにわたしは1人で何処にでも入れる)、それならというのでもないけれど、時々一緒にご飯を食べに行くことはありました。
ナミビアではシェア飯していたし、ケープではしばらく宿は別でしたが、出発前日は寿司を食べに行ったし、ブエノスではステーキ屋やら韓国焼肉屋に通って肉をかっ喰らっていましたっけ(笑)。

お互い思うところがあるわけでもなく、だらだらと顔をつき合わせてきたわけですが、さすがにこれだけ長いと、全くの他人という気にはなれず、よく顔を合わせるご近所さん、くらいの親近感は湧いてきます。
隣の隣の部屋に、Tくんが泊っていることは、わたしにとって当たり前の日常と化してしまいそうでした。朝でも夜でも偶然顔を合わせたら「おはよー」なんて挨拶することが、そしてたまたまお互いヒマであれば「ご飯食べに行かない?」と声をかけることが、洗濯物が干してあることが…。

ある日、本場のタンゴショーを見に行こうという話になり、珍しく2人で外出することになりました。
結論から云うと、タンゴショーはなかなか楽しく、観客も満員で盛り上がりました。
しかし、われわれのテーブルには、何故か食事が来ず、「もしかして、チケットに含まれてないのかしら?確認したはずだけど…」と云いながら、先にサーブされていたワインをちびちび飲み続けていました。

BUENOS21.JPG - 15,882BYTES 「Taconeando」(タンゴ屋)の華麗なるタンゴショー。

タンゴショーが始まって間もなく、胃がキリキリと痛み出しました。
明らかに「空腹時にアルコールを入れた」せいでした。食事を持って来てくれ、と云いたいところが、ショーが始まってしまうと、なかなかウェイターが呼べません。
ショーの終わり頃になって、やっと食事を頼むことができたのですが…下手に食べたのがいけなかったのか、胃は回復するどころか、どんどん痛くなっていきます。

ショーの後は、にわかに舞台がダンスフロアになり、観客はみな思い思いに踊っていました。
体調さえよければ、わたしだって入って行きたいところです。しかし、もはや立つこと、身動きすることすら苦痛でした。
あまりに苦しそうなわたしを見て、いつもは冷たい(笑)Tくんも「大丈夫?帰れそう?」と一応いたわってくれました。「ここにいても仕方ないから、ホテルに帰ろう」と、酔っ払いを運ぶときのように、わたしの腕を肩にかけて、わたしは引きずられるようにして店を出ました。

それからもしばらく、Tくんの肩につかまって歩いていたのですが、ボロ人形のような状態のわたしを見かねて、Tくんは「おぶろうか?」と云いました。
えー?おんぶー?大の大人がおんぶなんて、恥ずかしいよー……。
とっさにそう思いながらも、大人しく、その言葉に甘えることにしました。

何度か身体がずり落ちそうになり、そのたびにしょい直すのを見て、
「重い?」と尋ねると、
「いやー、トレッキングよりきついねー」と云われてしまいました。わはは。そりゃいくらバックパックが重いと云っても、わたしの体重ほどはないからな。
ジンバブエの宿にいた頃、やっぱり昔、インドか何処かで、ある女性旅行者をおぶって帰ったという話をしていたことがありました。何故かわたしはその女性と別の場所で会っていたりもするのですが、そして、彼女がぐったりしていた理由はガンジャできまってたからなのですが(笑)、その話を聞いたとき、何故だか「いい話だわ」って思ったんです。Tくんが、彼より5つくらい年上のその女性を背負って、インドの夜道を帰る光景を想像すると、何だかとても微笑ましくって。
それがまさか、自分の身にも起こってしまうとは。運命の不思議というには、あまりにマヌケな事象ですけど(笑)。

Tくんの背中に担がれている間、もちろん胃は痛くてたまらなかったのですが、その一方で、わたしは、ひどく安心し、奇妙な幸福感すら覚えていました。
人の背中におぶさるなんて、一体いつぶりのことなのかしら。小学校の運動会以来?(笑)。
カッコ悪いなあ…と思いつつも、もうカッコ悪くてもいいや、カッコ悪いけど何だかめちゃくちゃ安心するなあ、なんて、何だろうな、カッコ悪いけど嬉しい、みたいな、そんな気分だったのです。

あの、ホテルに帰るまでの10分弱のことを思うと、泣きたくなるような、云いようのない思いにとらわれます。
ああ、そうだ…と思い出すのは、昔、モロッコのバスでフラ君にもたれかかっていたときに感じた、あの気持ちです。自分を知る人もいない場所で、誰かに守られているという絶対的な安心感、そして幸福感。
夜中のブエノスアイレスは、決して治安がいいとは云えないでしょう。でも、わたしは「大丈夫だ」という確信がありました。
ぽつぽつと灯るオレンジ色の街灯、その光に照らされて浮かび上がる古い建物と石畳を、Tくんの肩越しに見ながら、ぼんやりと”永遠の一瞬”という言葉を思い浮かべていました。

ホテルに着いてからも、水を持ってきてくれたり、お湯を沸かしてくれたりして、いつものTくんとは思えない(笑)親切ぶりにちょっと感動しつつ、夜も遅かったので「もう寝てくれていいよ。わたしも寝たら治りそうだし」と云って、自分の部屋に戻りました。30分くらい寒さと痛みに苦しみつつも、いつの間にか眠りに落ち、電気を点けたままで朝を迎えていました。

フラ君のことなんか持ち出すあたりで、「あんたはTくんのことが好きなんじゃないのか?」と思われそうですが、恋愛というには何だか違うんですよね。いつもこんなことばっか云ってるけど(笑)。
わたしとTくんは、実はそんなに気が合うというわけではないのです。
彼について何を知っているというわけでもないけれど、ふとした会話の中で、うーん、そうじゃないんだけど…と思うこともしばしばでした。
例えば、これはつまんない例だけど、夜行バスに乗る際、Tくんが「夜行バスって疲れるからイヤなんだよね」と云うので、「何でー?1泊の宿代が浮いてラッキーじゃん」と応酬すると、「オレはそういう(セコい)考えは持ってない」と冷たく云い放たれてしまったり、とかいうこともありました。いや、本とどうでもいい話だけど(笑)。

ただ、わたしと彼には、いくつかの重要な共通項がありました。ひとつは、旅における、いわゆる”ビューティフル・デイズ”(by沢木耕太郎)が、共にブダペストにあるということです。
あるとき、わたしが「色んな日本人宿に行ったけど、テレサのとき以上の場所ってないんだよねー」と云ったところ、Tくんから「オレもマリア(※同じくブダの日本人宿)が一番楽しかった」という答えが返ってきたのです。
そして、わたしはずっとテレサの再来を夢見て旅を続けているのかもなあ、と云うと、彼も同じようなことを云っていて、何だかそのとき、大げさなんだけど「この人は仲間だわ」って思ったんです。
そして、何よりの共通項は、”1人で長旅をしていること”。どうもわたしは、同じように1人旅をしている人に対して、必要以上に共感を覚えてしまうらしいです。あんまり誉められた癖ではないけれど…。

お互い、いつまでもブエノスにいるかのように、まったく動く気配を見せずにいたわけですが、もちろんそういうわけにはいきません。また、ブエノスから移動したとしても、これからもずっとルートが同じということはありえないわけで、いずれ分かれる日は来るのです。
わたしと彼は、カップルでもなく、また旅のパートナーでもありません。2人とも、1人なのです。それなら、いつまでもずるずると顔をつき合わせているのは、何の発展性もなく、お互いの旅にとってよくないのではないでしょうか?Tくんも、一般論としてですが、そんなことを云っていましたっけ…。

わたしは先にブエノスを去ることにしました。
後になると”置いて行かれた”ような気持ちになるし、あらゆる面から考えて、今動かないと旅が進まないと思ったからです。
しかし、出る前夜まで「やっぱり明後日にしようかな…」と悩んでいたせいもあって、出発はかなり唐突になり、結局、Tくんに出発を告げることなく、ホテルを出ました。前の晩、廊下ですれ違ったTくんが「もう晩飯食った?」と尋ねてきて、「うん、ラーメン作って食べたよ」と答えてそそくさと部屋に入ったのが最後の会話。

その日の朝、まだ寝ているであろうTくんの部屋をノックし、「今日出ることにしたよ。またね」とひとこと挨拶することは、充分できた、と云うより常識的に当然の行為です。でも、何故かそれができず、代わりに簡単な手紙を残して行きました。
何もそんなカッコつけて出てくることはないんですけど(笑)、面と向かって「今日出るよ」と云ったら、あっそ、じゃあまた、なんてどうでもいい挨拶で見送られるような気がして、それがイヤだったのかも知れません。つくづく見栄っ張りですね。

最後くらい、一緒にステーキ屋に食べに行ってもよかったのになあ、なんて思いつつ、ブエノスの街をまたぞろ1人ウロウロして、最後の1日は過ぎて行きました。

色んな未練のあるブエノスの街を去る時、バスが動き出した瞬間、大げさですが、何かが終わったような気分になり、もう二度と来ないかも知れないこの街と、もう二度と会うことがないかも知れないTくんのことを思って涙が出そうになりました。ではなくて、涙が出ました。
他の旅行者と違って、Tくんからはこの先何の連絡もないだろうという気がしてしょうがなかった。それは、彼が「一生旅を続ける」と云ったことに因するのかも知れないけれど…。
この喪失感は一体何なのか、自分でも分かりません。もしかすると、わたしはまだ、Tくんの顔を見ることでアフリカの旅を引きずっていたのかも知れない、とか、またテレサのことなんか思い出して過剰にセンチメンタルになっているだけなのかも知れないとか、おぶってもらったときのことを美化しすぎているんだろうかとか……。
そんなことをとりとめなく思いながら、夜行バスに揺られ続けていました。

…あれっ、タイトルとはやっぱり関係ないですね。自分の中ではあるんだけどなー…。

(2003年6月13日 メンドーサ)

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