旅先風信63「ジンバブエ」


先風信 vol.63

 


 

**さらにしつこく強盗の話**

 

―在ジンバブエ日本国大使館による被害報告―

@強盗事件
4月15日午後6時頃、ムタレ(モザンビークに近い都市)において邦人旅行者が市内散策後、駅へ向かう路上(駅より500メートル程手前)にて2人組の男に背後から襲われ、携行していたバッグを奪われそうになり抵抗したが、その際、バッグの紐をナイフで切られ強奪された。被害者は通りかかった車に助けを求めたが、その車の運転手は強奪犯人の仲間であった。

A強盗傷害事件
4月21日午後10時頃、首都ハラレ市内において、邦人旅行者が友人と共に夕食先のレストランから宿泊しているロッジへ帰る途中の路上(ロッジまで100メートル程手前)にて、突然3人組の強盗に襲われ携行していたバッグを奪われそうになり抵抗したが、顔面を殴打され、更に後頭部を石のようなもので殴られ負傷し、バッグを奪われた。

Aの方がわたしです。

………

この強盗事件に関しては、いろいろ思うところありまくりなので、しつこく引っ張ります。すみません。

前回の旅先風信を読み返してみると、強盗事件後のわたしは、どうもただ沈没していただけのように思われるのですが(笑)、実のところは、そんな呑気なものでもありませんでした。

孤独と疑心暗鬼と、しても仕方のない後悔と。その繰り返しでした。
精神的に参っていたというより、ほとんど荒んでいました。
シェア飯して宿の仲間と話していると、何事もなかったかのように落ち着いているのですが、1人になると、糸が切れたように精神状態がダウンしてしまい、寝る前に急に憂鬱やら不安に襲われて眠れなくなったり、あげく急に泣き出したり…。
孤独なのは前からだけど、こんなとき、つききりで側に居てくれる誰かがいればいいのに、こんな事態になってすら、神はわたしを1人にしたままなのか…なんてまた、しょうもない考えを巡らせて(大体、どこの神なんだっての)。

例えば、ある親しい友人からこんなメールをもらったとき、わたしは云い様のない怒りを覚えてしまいました。
彼は、パソコンを持っていないので、このHPもチェックしていません。なので、強盗のことは知る由もなく、たまたまこの時期に彼が久々にメールを寄越してきたので、その返信という形で報告したところ、
「あーほんまかー。強盗に遭って大変やろうけど無事で何よりやわ」という返事が返ってきました。
メールというのは実にむつかしいものです。この一文を読む限り、わたしは彼が、呑気に番茶でもすすりながらこの事件を聞いているのかと思いました。あーほんまかー、やと?!こっちは頭かち割られて血流して6針も縫っとるんじゃ!これのどこか”無事”やねん!それが、何年も付き合ってる友達の云うセリフかい!レイプか殺人でもなかったら驚かへんのかい!
…と、怒りまくったメールを送りつけ、共通の友人にまで矛先を向けてしまいました。ま、結果的には、お互い誤解があったのであろう、ということで落ち着きましたが…。メールは不用意に送っちゃいかんね。

それ以外にも、おそらくHPを見て事件を知っているであろう××さんとか○○さんとか▼▽さんとかが、何の反応も示してくれないことにも、―もしかするとHPを見られる状況ではないのかも知れないと思いつつも―、怒りのような、絶望のような、どうにもやり切れない気持ちでいっぱいでした。
そうなると今度は、メールをくれた友人たちにまで、猜疑心が湧いてきて…「起きてしまったことはどうしようもないと思ってるんじゃないのか」「頭の傷くらいで済んでよかったとか思ってるんじゃないのか」…などと、常日頃の孤独感と相まって、もう誰のことも信じられなくなる始末です。
こんな、海外で勝手にほっつき歩いているだけのわたしが強盗に遭ったからと云って、彼らの人生に何の影響もありませんし、もちろん彼らのせいではないのですから、こんな憤りは理不尽きわまりないのですけど。。。

結局のところ、痛みというのは、自分がリアルに感じなければ、どうにも理解できないものなのだと思います。
それは、どうしようもないですよね。わたしだって、死に行く己の母親の痛みすら、分からなかったのですから、人のこと云えた義理じゃありません。
大体、他人の痛みまで自分の痛みとして感じていたら、身が持ちませんものね。「他人の身になって考える」なんていう小学校で習ったようなことも、このクソ忙しい社会では、ムリな相談なのかも知れません。
痛みだけではなく、その他の感情も全て、自分にしか分からない、誰かに分かち合ってもらうこともできない、それは仕方のないことだと諦めてはいるものの…人間というのは、かくも孤独な生き物なのか。でもせめて、分かち合うことなどできなくても、つまらない慰めであっても、一瞬でも、孤独から逃れられればいいのに…。

その辺のことをつらつらと考え出したのは、ある年上の友人(以下姐御と書きます)とのメールのやり取りからでした。
姐御は、わたしが強盗に遭ったと知って、すぐさま、わたし以上に激昂したメールを(しかし、メールの文面から感情がこれほど伝わってくるというのは、すごい才能だ)送ってきてくれました。
事件直後、妙に冷静だったわたしは、「いらん気苦労をかけてしまった…」と恐縮しきりでしたが、日が経つにつれ、彼女がこれほどまでに”怒ってくれている”ことに、感謝のような気持ちが湧いてきたのです。何せ、枕を強盗に見立てて殴りまくったらしいですからね(笑)。

わたしなんて、姐御がここまで怒ってくれなかったら、「あんな時間に歩いてたわたしが悪いのね。こんな目に遭っても仕方ないのね。自業自得なのね」と、ウルトラC的自虐理論で納得してしまうところでした。危ねー。
そうだよ。よく考えてみたら、いや考えてみなくても、100パーセント強盗の方が悪いじゃねーか!夜歩いてる人間に対しては、襲っても何してもええんかい!!誰がそんなこと許したんじゃ!!ざけんなよ。いじめでもそうだけど、いじめられる方にも責任があるとかっちゅうのは、どういう理論なのか?あんまり犯罪者を甘やかしたらいかんだろ。

姐御は、「大したことじゃない、って絶対思うなよ!」とも云っておりました。「犯罪を犯す方も犯される方も、慣れてしまう事は避けないといかん気がするよ。『平気』って思ってしまったら、今まで居た地平とは違うところにガクン!ってシフトしてしまうような…。自分は気がつかなくともね」。
…目を覚ませ!って水をぶっかけられたような気分でしたね。誰もが、本人ですら「起きてしまったことは仕方ない」と思っている中で、実は激昂していながらも、彼女が一番本質を見ているのではないか、と。
起きてしまったことを、仕方ない、という感情で片付けてしまうのは、他人はともかく、当人はやってはいけないことのように思います。「強盗に遭っても平気、大丈夫」だなんて、ありえないです、やっぱり。とことんムカついて、とことん悲しまないといけないような気がするのです。あ、これは自分に対してなんですけど。別に他の人がムカついたり、悲しんだりする必要はないです。

姐御のように、他人の身になれる人間というのは、実に稀有なのだと思います。
でも、本当は、それはとても基本的なことだったりもするわけで。
何度目かのメールの往復で、彼女はこんなことも書いていました。
「世界中の人間が『うわーっ!痛ええええ!!』って本気でビビってリアルに感じるだけで、『生と死』『戦争』がもっと重くて切実なもんなんだって思えるようになるのにな」。

ともあれ、わたしもせっかくこんな痛い目に遭ったのですから、少しは他人の痛みが分かる人間になりたいものだと、切に思います…と口で云うのはヒジョーに簡単、実際はなかなかできることではありませんが。
強盗話はとりあえず今回で終わります。傷はすっかり治りました。大使館のF先生も「人間の回復力はすごいなあ」と驚いていたくらい(笑)です。それではまた。

(2003年5月13日 ハラレ)

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