旅先風信62「ジンバブエ」


先風信 vol.62

 


 

**強盗後日談**

 

本当は、何もかもが片付いてから、”後日談”を書くつもりだったのですが、いつまでたっても片付かないので、とりあえず、ここまでの近況を書くことにします。

強盗事件に際しては、事件を知った友人知人に多大な迷惑・心配をかけてしまいました。
気が動転して、気持ちのやり場がなくてつい、勢いであんな原稿をアップしてしまったことを、今さらながら後悔しています。本当に申し訳ないです。

色んなメールをもらいました。
もう見ていられない、帰った方がいいのではないか、と心配してくれる声が半分、めげずに頑張れと応援してくれる声が半分。「引くのもひとつの勇気だ」という言葉は、いくつかのメールに共通していました。

正直、どうしたものかと悩みました。
少なくとも、ケープタウンまでは行くつもりでしたが、ケガのこと、たまりにたまった取材の資料及び原稿のこと、盗まれたカメラや日記のこと…などなどを考えると、もう全てが袋小路に入ってしまったように思えて、一度全てをぶちっと断ち切ってしまった方がいいのではないか、という気もしました。が、こんなところで、あんな犯罪者に邪魔されて旅を終えるなんて、あまりにも悔しすぎます。
ともかくも、傷の治療と、気持ちの整理と、荷物の整理と、取材の整理と…整理ばっかだな(笑)、まあでもいろいろ整えるべきものがありすぎるので、すべてはそれが終わってからです。

強盗に遭った翌朝、日本大使館の領事さんが、ニュースを知って、宿まで訪ねて来ました。
わたしと、一緒にいたUくんは領事さんの車で、大使館に連れられ、事情徴収などを受けました。
この領事さんと、医務官のF先生が親切な人で、「ああ、日本大使館というのは何て頼りになる機関なのだろう…」と、感動すら覚えましたね。
「事故がハラレでよかった。田舎の方だったら、大使館がないですもんね」と云ったら、領事さんは「どこで事故があっても飛んで行きますよ」なんて、カッコいいことを云ってくれるではないですか。
先生が毎日傷を診てくれた、というのも本当に助かりました。「何やったら、毎日ここに通って来るか。消毒と傷診るくらいはできるから」と、あくまでも気さくに云って下さったので、遠慮なく甘えることにしました。病院に行けば、保険が下りるとは云えお金もかかるし、言葉の違う現地人相手では何かと不安だったのです。結局抜糸まで面倒みていただきました。大使館万歳!(なんちって)

抜糸までの1週間は、ときどき頭が痛くなったり、何故か手が震えたりして、「やっぱり打ち所が悪かったんじゃないのか???」と何度も不安になりました。あと、頭が洗えないのも辛かった。でもこれは、3日もすれば慣れてきました。今までは、1日でも頭が洗えないと、イライラするような人間だったんですけど。抜糸後の洗髪は、涙が出るほど気持ちよかったなあ。。。

そうそう、ちょうど、前回分をアップした翌日だか翌々日だかにメールを読みに行くと、心配する友人たちのメールに混じって、弟からの短いメールが…「おい、生きてんのか!!電話して来い!」。
心臓が縮み上がりましたね。ご存知のように、わたしの家族は、わたしがこのような旅をしていることを知りません。イギリスで優雅にエーゴの勉強中、ということになっているのです。
なので、当然このHPの存在など知るよしもなく、一体どうやってこの事件のことを知ったのか?誰か友人が連絡してしまったのか?…と、生きた心地もしませんでした(それは大げさ)。
が、何事もなかったようにノー天気なメールを送ったところ、どうやらわたしの早とちりだったようで、単に最近電話をしていなかったことに対するお咎めだったのでした。はあ、びっくりした。

とは云え、一応家に電話を入れてみました。
父親はやはり、何も知りませんでした。「おーい、もう帰って来んでええぞー」なんて云われる始末…。
ははは…云われなくても、まだまだ帰らねーよ(笑)。しかし、父親は電話のたびに、「金は大丈夫か?」と云ってくれるので、感動してしまいますね(笑)。わたしが親だったら、こんなバカ娘、金が尽きたって知るかい、野垂れ死にでも何でもしろ、って感じですけど、これが親の愛ってやつなんでしょうか。

さて、その後の生活ですが、んんんー、一体何してたのか分からないうちに時間だけがさらさらさらーっ、と流れていってしまった感じです。
最初の内は、傷の治療・療養という名目があったものの(…にかこつけて、毎日大使館で週刊誌を読み漁っていた)、抜糸も済んで、健康体になってからは、もはやただの沈没です。だって、こないだ皿を洗いながら、ふと日数を数えてみると、…知らない間に半月経ってる。やばい…。
お隣の宿で1ヶ月とか2ヶ月とか半年いる人を、笑えなくなってきました。
別に、テレサのときみたいに、あんまり楽しいんでついつい滞在が延びた…とかっていうんじゃないです。何だかつまんない用事が山積みで、それが終わらないので、出るに出られないんです。
終わらないのはてめーの怠惰ではないのか?と云われると、まあその通りなんですけど、それにしてもねえ・・・。強盗にさえ遭わなければ、もう少しいろんなことがスッキリしていたはずなんですが。

今泊っている宿は、日本人宿「パームロックヴィラ」…ではなく、その隣の「ジャカランダ」というホテルです。
わたしが来た頃は、パームロックは満員御礼だったんですよねー。
当初は、隣に空きができたら、すぐにでも移るつもりでしたが、同じ宿に泊っている人々―スーダンからちょこちょこと再会しているTさん夫婦と、エジプトはバハレイヤオアシスツアーで一緒だったTくん、強盗友達(?)Uくんと毎日シェア飯→その後だべる習慣がついたため、すっかりここに根を下ろしてしまっているわけです。
特に、Tさん夫婦は、前々から知っていることもあってか、何かと気にかけてくれて(カップルはやっぱり優しいのだ)、元美容師の奥さんに、髪も切ってもらっちゃって。おかげで、傷口のハゲも見えなくなりました(笑)。。年齢的にも、兄さん姉さんって感じなので、かなり頼りにさせてもらってます。

加えて、個人的には、部屋中取材の資料類が散らかりまくっており、出るに出られないという事情もありまして(苦笑)。
盗難が怖いので、部屋の清掃に人を入れないようにしていて、部屋は汚れる一方、シーツもそのまんまで、不潔なことこの上なし(自分で云ってて情けない)。やたらゴキブリもいるし…って、これはわたしの部屋に限った話じゃないんですけど。

HARARE1.JPG ある日のシェア飯。I奥さんは料理がうまい(※写真は、U君のデジカメで撮った)。

ところで、強盗以来、黒人に対する生理的な恐怖と嫌悪を、つとに感じるようになってしまいました。
坊主憎けりゃ袈裟まで、と云いますが、ほんと、そんな感じですね。
今までだったら些細なこととして済んだものが、いちいちイラつきます。例えば、冷蔵庫の中のものが勝手に無くなっていたりする。料理をしていたら、しょっちゅう「塩くれ」だの「砂糖くれ」だのと云ってくる。食べた後始末を全然しない。…あー、台所ネタだけでもこんだけあるな。
さらに、宿の周りにたまっている黒人というのが、どうもガラがよろしくない。こないだ、I旦那さんが云ってたんですが、「お前は空手をやっているのか?」とやたら探りを入れてくるらしく、もし空手をやってなければ”こいつはちょろい”と見なされて、何らかの標的にされるのではないか、という話でした。

この町の危険性って、例えばイラクや、イスラエルの戦場とは全く違うんですよね。
イスラエルはもちろん危ないけれど、われわれ旅行者が狙われているわけじゃない。でも、ここで起きている犯罪は、明らかにわれわれが標的なのです。
わたしの事件の1週間前には、ムタレという町でやはり日本人の女性旅行者が強盗に遭っており、昨年末には、男性旅行者が、宿の近くでボコボコにされています。彼は、大人しくお金を渡したにも関わらず、タコ殴りだったそうです。

強盗系の犯罪で、何故か、不思議にも共通しているのが、「目的地まであとわずかの距離」で起きていること。旅人のみなさん、ここメモっておきましょうね(笑)。
わたしもそうだったし、前述の女性も、駅まであと500メートルだかのところで、襲われたそうです。もう少しで目的地というのでこちらの気が緩んでしまっているのでしょうか、強盗はそこを見事なまでに狙ってきます。もちろん、ジンバブエに限ったことではありません。

わたしは、今や黒人が半径1メートル以内に寄ってきただけで、ぞっとしてしまいます。
もはや、人種差別とか、そういうレベルの話じゃないんです。本能的恐怖。
事件は強盗傷害で済んだ(という云い方もおかしいけど)わけですが、あの状況を鑑みるに、あれがレイプ事件に発展しててもおかしくなかったかも知れない。
今まで、「レイプ対策にコンドーム持ち歩いてるんですよねー」という話を、冗談半分でしていたのですが、今や冗談でも人事でもありません。よく考えたら、コンドームなんて、レイプの現場で役に立つわけない(持ち歩いているわけでもないし)。
なので、モーニングピルなるものを、どこかで入手しようかと考えています。

わたしはレイプに遭ったわけではないけれど、今回のことで、レイプに遭ってしまった人の気持ちが、少しだけ分かるような気がします。
そして、考えれば考えるほど、卑劣で最低の犯罪だと思うのです。レイプ事件は、被害者の羞恥と恐怖があまりにも大きくて、泣き寝入りするケースが多いですよね?加害者は、ちゃんとそれを見越してやってるんでしょうね。はっきり云って、人として終わってるよな。
考えてみれば、何ゆえレイプ対策などというものをしなくてはならないのか、さっぱり分かりません。何で、そんな頭のおかしい犯罪者のために、ピル飲まなきゃいけねーんだよ、って感じ。本と、レイプ犯は全員死刑にしてもいいんじゃないですかね。

…はっ、ついレイプについて熱く語ってしまった…誤解のないように断っておきますが、今回はあくまでも強盗傷害事件なので、ヘンな心配は無用です。

ま、そんなわけで、こんな危ないわりには面白くも何ともない町は、さっさと出てしまいたいのですが、先述したように、いろいろと懸案事項があって、動くに動けません。
箇条書きにすると、こんな感じ。
@荷物(みやげ)を送る。
A取材の原稿をまとめる。
Bカメラが盗まれてしまったので、その補填。
Cナミブ砂漠への道。

とりあえず、順を追って説明しませう。

@は、ジンバブエの通貨暴落に伴い(?)、郵便料金が激安ということで、ここに照準を当てて、ケニアやらタンザニアやらでみやげをちょこちょこ買い集めていました。さらに、ジンバブエみやげも激安と聞いており、ここでアフリカ雑貨をがしがし買い込むつもりでいたのですが、実際のところ、みやげは激安ってほどではなく、また、そこまで魅力的なものがあふれているでもなくって…(もちろん可愛いものはあるけど)。
毎日のように土産物屋を周って周って、最後の方は、本当にみやげが欲しいのか、単に安い郵便代にかこつけて無理矢理送ろうとしているだけなのか、分からなくなる始末です(苦笑)。
やっとのことで、それに歯止めがかかったのは、郵便料金が値上がりするというニュースによってでした。わたしは慌てて買い物を済ませ、8キロの荷物を日本に(しかも友人宅に)送りました。

そうそう、ジンバブエ=激安国家、という図式は、もう黄昏というか、終焉を迎えつつあるように思いますね。
何でもかんでも安いかと思いきや、そういうわけでもなく、そりゃ日本よりは安いけど、そんなの何処でも当たり前だしねえ。品物もあまり豊富ではないので、今ひとつ購買欲をそそられない。
わたし、スイスアーミーナイフが欲しかったんですが、そういうのに限って安くないんだよなー。要するに、通貨暴落の旨みがないんですよ。これが安ければ嬉しいのに、っていうものは決まって安くない(どうでもいいものは安いけど)。毎日物価は上がっているし。こないだも、250Z$(約25円。100Z$=10円(闇両替))だったペットボトルのコーラ(0.5g)が、いきなり600Z$に値上がりして、びっくりしたな。
「シェラトンに10ドルで泊れる」なんて話は、今は昔…。タイミングが悪かったとしか云いようがないです。ま、他人の国の不幸にかこつけて豪遊するというのも、かなりビミョーではありますけどね…。

Aほとんどガンのようになっていたこの事項については、つい先日、ほぼ全て終了しました。
おめでとうー!…と誰も云ってくれないので、自分で云います。いやー、ほんと辛かった…。毎日毎日、部屋に閉じこもってしこしこパソコンを叩いて叩いて(「鶴の恩返し」のおつうみたいだわ)…これが自分のHPであればそれなりに楽しい作業なのですが、「ヴィクトリアホテル、3500シリング、電話番号×××-××…」なんてのをえんえんと打ち込んでいると、発狂しそうになります。
これまた懸案だった取材経費の計算もようやく終わりました。ずっとほったらかしにしていたわりには、やったら一晩で出来た。。。
これでいくと、経費+報酬でざっと20万近くは返ってくる計算なのですが、編集部の方からは、原稿についても特に音沙汰がないので、かなり不安だったりして…。

Bは、今もなお、現在進行形で困っている件。
当初は、物資豊富な南アフリカで調達しようと考えていたのです。ところが、先に南アに行った旅行者たちに聞くと、「同じ機種が日本だと半額くらい」よーするに、南アはめちゃ高、とのこと。
Iさん夫婦もデジカメを欲しがっているので、毎晩あーでもないこーでもないと、カメラ談義を繰り広げていたわけですが、結論としては、「やはり日本で買って送ってもらうのがよいのではないか」ということになりました。
わたしは、もちろん家族には頼めないので、人選に人選を重ねた結果(?)、気心の知れた高校時代の友人に頼むことに。すると、お金は帰国してからでもいいよ、なんて嬉しいことを云ってくれたかと思いきや、「でも5月いっぱいは忙しくて動けない」…それじゃー間に合わないんだよなー…と思ったところで、忙しい日本人である友人にムリは云えません。
しかしまあ、彼女なりに方法を考えてくれ、わたし自身も一度は却下した「某ガイドブックの編集部の人に頼む」という案を送って来ました。
編集部から振り込まれるハズのお金でカメラを買って送ってもらえば、他人の財布に頼ることなく事が済むわけで、わたしも最初は、自分で思いついて「何てグッドなアイデアなんだ!」と思いました。
しかしですね、Aで書いたとおり、先方からは一向にメールの返信がないのです。友人が、代理で電話してくれるというので、今はそれだけが頼みの綱なんですが…どうなることやら。疲れるなあ本と…。

C”如何に安く効率よくナミブ砂漠に行くか”。
これが毎晩、シェア飯後の議題になってまして(笑)、ああでもないこうでもない、とガイドブックを舐めるように読みながら話し合っているわけですが、一向に結論(?)が出ません。
ナミブ砂漠は、ナミビアという国にあるんですが、ここは行った人全員が「めちゃくちゃよかった」と云う(多分)、超・強力な観光スポット。話を聞いていると、アフリカで1,2を争うのではないかというくらいレベルが高い印象で、他はさておいても、これだけは見ないで済ますわけにはいかないのです。…とか云いながら、わたしも旅に出る前までは、ナミビアという国自体も知らなかったけどね(笑)。
レンタカーを借りて自力で行くか、ツアーに参加するか。このツアーがまたバカ高いんだ…かと云って、レンタカーが安いというわけでもない。さらに、ルートとしては無駄が多いが便利な南アフリカから行くか、ホテル代が異様に高いボツワナを通って最短距離で行くか…などなど、いろいろ問題が山積みなのです。
それもこれも、金さえあれば一気に解決する話なんだけどー(笑)。少なくともわれわれは、もともとビンボーな上、この先、南米大陸という大物が控えているので、少しでもお金は節約しなければなりません。しかし、どうしたものか…。

そんなこんなで、どうにもすっきりしない毎日なのですが、この曇天のような生活の中で、ひとつだけ、嬉しかったことがあるのです。

テレサとサファリの回で登場したアクセルを、覚えているでしょうか?
実は、わたしがエジプトを出て、アフリカ縦断を始めたあと、アクセルは、やはりアフリカを南下する旅行者に、わたし宛の手紙を託していたのです。
メールでそのことを知ったとき、本当にそんな手紙を受け取ることができるとは思えなかった。わたしは取材うんぬんでペースが遅かったし、その手紙を託したという女性は、とっくにわたしを抜かして行ったのではないか、と思っていました。でも、メールではなく、あえて手紙を書いてくれたアクセルの気持ちが嬉しかったし、できることならやっぱり、ちゃんと受け取って、何が書いてあるのかを知りたかったのです。

いつものように、暗い部屋で、原稿書きのため、パソコンを叩いていたときのことです。
部屋をノックする音がしたので、「何だよ、また宿代払えとか云うのかいな」と面倒くさく思いながら、ドアを開けました。
そこに立っていたのは、日本人の女性でした。
「こんにちは。野ぎくちゃんですよね?アクセルくんからの手紙持って来ました」
…。。。!?▼!□?☆◎♀$*#★?!
そのときのわたしの驚きを表現すると、↑な感じです(パソコンの文字化けみたいだな)。

さらに、何とこの女性とは、一度会ったことがあるのでした。
初めまして、と云いながら、しかしどっかで見たことのある顔だなあ、と思っていたら、チュニジア→パレルモの船で一緒だったのです。もうかれこれ1年近く前。
実はHPにもちらっと登場していて、「わたしは宿探しで焦っているのに、のんびり行こうよ〜などと云われてイライラした」みたいなことを書いてある(笑)。
しかし、こうやって手紙を届けてくれた今となっては、そんな罰当たりなことは云えませんね(笑)。
さらにさらに、この女性は、わたしと中東を一緒に旅していた”彼女”と、スーダンまで一緒だったらしい。また、シェア飯メンバーのTくんとも知り合いで、不思議なリンクに驚きの連続でした。

約100日間、アフリカを渡って、わたしのところに届いた、紙切れのような手紙。
テープで封をした手紙の表紙には、「アフリカを旅する方々へ。この手紙を野ぎくさんに渡して下さい。」そして、わたしの特徴が書いてありました。
その特徴には、@小さくてコケシに似ている。Aやたらバックパックが重い。
と書かれてあって、一瞬ずっこけそうになりましたが(バックパックのことはともかく、コケシには似てないわよ!)、開封するときは、やはり少し緊張しました。

果たしてそれが、どんな内容だったかは、ここでは詳しくは書きませんが、
「この手紙が野ぎくちゃんに届いたら、なぜか少し、僕が旅してて良かったなあ、と思うだろう。」
手紙にはそういう一節がありました。わたしはその部分を、何度も何度も読み返しました。
ちょうど、これを書いたころのアクセルは、旅を続けることに、かなり疲れていたようでした。中東情勢の不安定なこともあり、結局彼は、2月末にエジプトから帰国したのです。
わたしは、自分が今旅をしているからですが、同じように旅してきたアクセルに、旅を否定して欲しくなかった。メールやハガキで、何度かそう書き送りました。

でも、こうして、手紙が届いたことで、アクセルは、旅をしていてよかったと、思ってくれるでしょうか?
少なくともわたしは、旅しててよかったと思いました。
こういうことがあるから、たとえ苦しいことの方が多くても、旅はやめられないんだな、って。

今もあまり状態がいいとは云えないけれど、またこんな、素敵な一瞬の到来をひそやかに待ちながら、これからも前に進んで行こうと思う今日この頃…のはずですが、カメラやら出版社からのメールが来ないことやら高額ナミブ砂漠ツアーやら世界一危険な都市ヨハネスブルグに行くことを考えると、やーっぱ憂鬱だったりします。それではまた。

(2003年5月13日 ハラレ)

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