旅先風信61「ジンバブエ」


先風信 vol.61

 


 

**強盗に遭ってしまった**

 

2003年4月21日。
わたしはこの日起こった出来事を、一生忘れることはないでしょう。

自分だけは大丈夫だと、誰もが思っています。
そう思わないと、やってられないからです。

まさかねえ。自分が強盗に遭うなんて、誰も思ってないですよねえ。
でも、遭ってしまったんだよなー。強盗。頭かち割られて、今包帯ぐるぐる巻きの状態でこれ書いてます。

カメラを2つとも盗られたのも痛かったけど、何が困るって、日記帳兼アドレス帳兼小遣い帳のノートがなくなったこと(金関係とパスポートは無事だった…宿に置いて行ったので)。
カメラとノートに、わたしの旅のほとんど全てが詰まっていると云っても過言ではないのに。
せこい性格なので、頭割られたことより、そっちの方が気になってしょうがない。
カメラはくれてやるから、日記だけは返してほしい。。。

強盗に遭ったとき、わたしは1人ではなく、日本人の男の子と一緒でした。
ホテルの近所で晩ご飯を食べた帰りのことです。関西人同士なので、くだらないローカル番組の話などで盛り上がって、呑気に歩いていたのでした。
夜の10時。治安の悪いと云われているハラレで、そんな時間に歩いている方が悪い、と云われればそれまでです。

強盗って、本気だから怖いよねえ。あの時の黒人の目を、わたしは忘れないね。
人間の目じゃなかった。下手したら、殺されてたかも知れない。
相手が男か女かなんて、カンケーありません。わたしの方がボコボコにされたもん。鞄を放さなかったからか(結局盗られたけど)。
命があっただけ、よかったと思うしかないって、それは重々承知なのだけど…。

あと、30秒も歩けばホテルに着いていたのに。
不幸中の幸い、と云えるのは、日本人の多く泊っている宿がすぐ側だったこと。
救急車も呼んでもらい、病院まで付き添ってもらって、本当に助かりました。1人だったら、多分死んでた。

実は、この事件の前にも、ザンビアとジンバブエの国境にて、闇両替サギという、どこかで、っていうかブルガリアで経験したことのある犯罪にまたしても遭い、被害額こそ大したものではなかったけれど、かなり落ち込んでいたのです。
あれもまあ、見事だったね。ブルガリアのとはちょっと違って、札束が本当の紙くずに化けてたからね。
手品だよ手品。被害額の26ドルは、すごい手品を見せてもらった観覧料ってか。ま、この話はいずれ詳しく書きます。

その後、例の如く泣いたりわめいたりして、親切な白人やら現地人やらにお金を恵んでもらい(笑)、やっとのことでハラレにたどり着いたら、即行強盗に遭ってやんの。バカだねー。もう旅は止めろってことなのかいな。

ジンバブエは、ここ数年にわたる通貨暴落で、国内通貨の価値が下がりに下がり、旅行者にとっては天国、しかし現地人にとっては地獄という、経済崩壊状態にあるのです。
「ジンバブエで豪遊」がパッカーの間では合言葉(?)だったのですが、ま、そんな国が安全であるワケはないわな。旨い汁だけ吸おうなんて思うから、罰が当たったのかな。

頭は、付き添ってくれた女性によると、5センチほど切れていたそうです。
殴られたときは、実はあんまり分からなかった。しかし、ホテルまで歩いている内に、血がぼとぼと垂れてきて、ビックリしました。一体自分に何が起こっているのか分からず、悪い夢でも見てるんじゃないのか、と思わずにはおれませんでした。
しかし、不思議なことに、意識はずっと、かなりはっきりしていたんですよねえ。出血多量で気絶するかと思ったけど。人間、頭から血が出ても、普通に歩けるんだね(笑)。全く、人体ってのは、強いんだか脆いんだか。

せっかく伸ばしていた髪も、傷口のところを削がれて、500円玉ハゲのようになってしまい、本と、踏んだり蹴ったりです。

何だかねえ。何でこんな目にばっかり遭うんだろうなあ。
闇両替サギのときは、まだ少しは余裕があったのです。人間できていないので、突如思い出してはパニックに陥り、警察に向かって「もう死んでやる!」なんてまた、ワケの分からないことを口走っていたものの、大方は、自分でも驚くほど平静でした。

悪いことはそう続くものではない、と思っていたけれど、続くもんなのですね。
明日は殺されるかもな。冗談じゃなく。
ま、そうなったらそうなったで、そういう運命なのでしょう。運命の神がわたしに、「もうお前は死ね。どうせ生きててもロクなことはないからな。」とかなんとか云っているのでしょう。だったら最初っから生まれてきたくなかったけどな。

今は不思議なくらい、平静な気持ちです。こうしてパソコン叩けるくらいだからねえ。
でも、明日、明後日、明々後日、日が経つにつれて、精神的なダメージが徐々に増大していきそうな、そんな気もするのです。殴られた瞬間には、すぐに痛みが分からないように、今はあまりにもショックで、かえって平静なのかも知れない。
母親が死んだときもそうだったなあ…。

実はこの旅先風信も、ご存知の通り、エチオピアから先の原稿がたまりにたまっており、いきなり現況を報告するのは順序が間違っているのですが、何だかあまりにも事が大きく(少なくともわたしにとってはね)、誰かに向かってぶちまけずにはいられなかったもので。幾人かの方に、ご心配をおかけするのは承知の上ですが、まあ、いずれは書くことになったでしょうから、順序が狂ったということで、許して下さい。
頭の方は、とりあえず縫ってもらったし、脳や骨には異常はないようなので。
その他の原稿は、この療養中に、すべて仕上げるつもりです。取材の原稿もまとめないといけないし…でも小遣い帳なくなっちゃったから大変だな。経費が全部戻って来ないかも…って、こんなときでもすぐに金のことを心配するわたしは、金の亡者ですね。のわりにはビンボーだけど。

それではまた。

(2003年4月21日 ハラレ)

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