旅先風信60「ザンビア」


先風信 vol.60

 


 

**ビクトリアの滝と幻の虹**

 

※今回は全く写真がありません。この2日後、例の強盗事件でカメラ及び中に入っていたメディア類を全部やられてしまったからです。返す返すももったいない、そして悔しいです…。

勢い込んで、TAZARA鉄道(タンザニア=ザンビア鉄道)に乗り、勢い余って、ザンビアまで来てしまいました。
本当は、ムベヤという駅で降りて、そこから国境を越えてマラウイに入り、マラウイ湖で性懲りも無くダイビングをするつもりだったのです。が、列車に乗る当日、ザンジバルで会ったUくんから「マラウイ湖の住血吸虫はマジでやばいらしい。こないだそれでアメリカ人が死んだんだって」というメールを受け取ってしまい、すっかり腰が引けてしまったのでした。
よくよく考えてみれば、ダイビングセンターが営業しているくらいだから、そんな命に関わるようなリスクはないようにも思うのですが…。

とは云え、列車のチケットはムベヤまでしか買っておらず、列車に乗った後もマラウイに行く心づもりでした。
それが何故ザンビアに?それには住血吸虫以外の理由があるのです。

ダル・エス・サラームのクラブで偶然会った在留日本人から、こんな話を聞きました。
「1年に2回、4月と5月の満月の晩にだけ、ビクトリアフォールズに虹が架かるんだ」。
満月の夜、滝にかかる虹…何と云う神秘的かつ浪漫あふれる響きでしょうか。しかも、どうやらこれからザンビアに向かえば、ちょうど満月の晩に間に合いそうではないですか。ちなみに、何故4月と5月だけなのかと云うと、この時期は水量が多く、よって虹が架かり易いということらしいです。

とか云いながらも、実はムベヤに着くまでは、「んー、そんな話もあったなあ」くらいにしか気に留めていませんでした。
それが何故ザンビアに?本当の理由は、着いた途端、これから下車して国境を越えて、バスを探して…といういつもの段取りが異様に面倒くさくなり、ザンビアに行けば、このままあとまる1日は寝台で寝ていられるなあ…と思ったからでした。わはは。ま、これも運命の神が「ザンビアで虹を見るべし」と云っているんだろう、とまたいつものように都合よく解釈し、わたしは追加料金を払って一路ザンビアへと向かいました。

ところが、どうやら今回は、運命の神の声を聞き違えたらしい。てか、もともとそんなものはないんですけど。
毎度毎度で、本っっっ当にお恥ずかしいのですが、まーた、まーたトラブってしまいました…しかも、入国早々に。

タンザニア⇔ザンビア間の国境は、列車に乗ったままで越えることになります。
バスなどと違って、いちいち下車してイミグレオフィスに出向く必要も無く、あらかじめ車内で配られる出国カードに必要事項を記入するだけ。まーラクチンだわ、と怠け者大王のわたしは呑気にベッドに寝転がっておりました。
その内、イミグレの職員がカードを回収しにやって来たので、バッチリ記入済だぜ、ほらよっ、と自信満々に渡したところ、「ここ抜けてるわよ。埋めなさい」とあっさり突き返され、職員はコンパートメントを去って行きました。

職員が再び戻って来るものとばかり思っていたわたしは(普通思うよね?)、カードを埋めた後、またぞろベッドに寝転がって日記を書いたりしていました。
ところが、1時間くらい経っても職員は現れません。列車はずんずん走っており、とっくにザンビア国内に入ったものと思われるのですが
……って、おい、何かマズくねーか。
出国カードの回収はもちろん、出国のスタンプももらってないんだけど?!
…急激な不安に襲われ、車掌のコンパートメントに出向きかくかくしかじかと事情を話したところ、「DON’T WORRY!NO PROBLEM!」と、声高らかに、あくまでもスマイリーに云い放つので、とりあえず胸をなでおろしました…が、わたしはすっかり忘れていたのです。この人たち(アフリカ人)は、何でもかんでもすぐにNO PROBLEMで片付けてしまうことを…。

さらに30分ほど過ぎた頃、今度はザンビア側のイミグレ職員が車内を巡回し始めました。
わたしは、あくまでも念のため、職員に「タンザニア側のイミグレの人がわたしのコンパートメントに回って来なかったので、出国スタンプがないんですけど、NO PROBLEMですよね?」と尋ねてみました。
すると職員のオヤジはみるみる顔をこわばらせ、「それはBIG PROBLEMだ」と云うではないですか。
やっぱり、という思いと、しかしわたしのせいではないという思いがないまぜになって混乱するわたしに、さらに追い討ちをかけるかの如く「スタンプなしで出国は認められない。もちろんザンビアに入国もできない。どうしても入国したければ、今から国境に戻ってスタンプをもらって来い」。

・・・死刑宣告でも受けたような気分でした。今から国境に戻れ?どーやって?!列車は容赦なく、ザンビア側の終着駅へと進んでいるのです。いくら何でも本気で戻れとは云っていないだろう、と思いきや、オヤジは、懇願するわたしに対しますます頑なな態度で「イッツユアフォルト!ビーッグプロブレ―ム!」と云い放ち、一向に取り合ってくれません。
「イッツユアフォルトー??アホかー!!係員が回って来ーへんのに、オレにどうせいっちゅーんじゃ!イッツノットマイフォルト!
「係員が回って来なかったのなら、お前が自分で探しに行かなくてはならなかったのだ」
…ホンマ、ナメてんのかこいつ。そんな話聞いたことないわボケ!
「とにかく、スタンプがないと入国は出来ないのだ」
もうとっくに入国しとるっちゅーねん、と心の中でツッコミつつも、事態は悪くなる一方で、手の施しようがありません。これまでうっとうしい、しょーもないトラブルに幾度となく巻き込まれてきた(と云うか、自分で呼び寄せているのか?)わたしですが、今回の件はもしかすると、かなり深刻なのでは…。不安は不安を呼び、額に脂汗がにじんできました。冷静に事態を見つめれば見つめるほど、どうしようもないことが分かるばかりです。
そんなわたしに出来ることと云ったら…泣く。これしかない(そうなの?)。

てなわけで、まあ意図するまでもなく、水道の蛇口をひねるが如くあっさり涙が出てきて、いつにも増して派手に泣き倒しました。本と、タチ悪いですね。
すると、段取り通り(笑)、まわりにいた一般乗客のみなさんが、「お嬢さん、一体どうしたんだい?」と救いの手を差し伸べてきてくれました。この辺の素直さ(笑)が、アフリカのよいところ。わざとらしくしゃくりあげながら一番近くにいたお兄さんに事情を話すと、「そうかそうか。それは君のせいじゃない。大丈夫。ノープロブレムだ」
…出たね。ノープロブレム。一体この事態のどこら辺がノープロブレムなのか、さっぱり分かりませんが、イミグレの頑固オヤジに話をつけてくれるというので、半信半疑ながらもお兄さんに付いて行くことに。

オヤジはしかし、相も変わらず頑なに「ユーアープロブレム。ユーマストゴーバック」。
あのなー…もうホンマ、えーかげんにせーよこのクソオヤジ。さらには、オヤジとペアになっていた女性職員が「どうしても入国したかったら、ビザ代を100USドル払いなさい(※本当は25ドル)」とのたまう始末です。

とっくに神経は5.6本切れていました。が、さらにぷちぷちぷちっと、10本くらい切れ、頭がすっかり沸いてしまったわたしは、
「OK。どーーーーーしても戻らないといけないのね。じゃあここから飛び降りて戻るわよ!
と叫んで、コンパートメントの窓から上半身を乗り出し、次の瞬間、はらりと飛び降りました…というのはウソで、飛び降りるフリをしました。本当に飛び降りるわけねーだろ。
しかし、オヤジをはじめ、まわりにいた全員が顔面蒼白になり(って、黒いから分かんねーけど)、
「バカなことは止めなさい!死にたいのか!?君はまだ若いのに!
と、腕づくでわたしの自殺(狂言)を止めにかかってきました。
わたしも何も、そこまでせんでも…って感じですけど、派手なパフォーマンス(?)が攻を奏して、無事入国スタンプ+ビザをGETすることができたのでした☆

実は、わたしがオヤジとぎゃんぎゃんもめている時、すぐ側のコンパートメントには、日本人男子パッカー2名が乗っていたんですよねー…。彼らはわたしのあまりのブチ切れようにおののいたのか、それ以後目を合わせてくれませんでした(苦笑)。

さらに、列車が終点のカピリ・ムポシ駅に着いてからも、パスポートチェックの段になって駅員が、
「出国スタンプはどうした?何?ない?それはプロブレムだ」。
と、まるでテープを巻き戻したかのようなやり取りが繰り広げられたのでした…ホンマ、どこまで行ってもトラブルに遭うわたし。しばらくの間でいいから、心安らかに旅が出来ないものかしら。

…列車ネタがずいぶん長くなってしまいました。すみません。

カピリ・ムポシから超満員のバスに揺られて首都ルサカまで来たはいいものの、ルサカには特に見るべきものもないので、さっさと目的地のリビングストン(ビクトリア滝観光の拠点)に向かうことにしました。
と云うのも、昨夜、列車の中で何気に窓の外を見ると…まんまるなお月様が、煌煌と輝いているではないですか!おいおい、ちょっと早くないか満月さんよ?え?
というわけなので、月が欠けてしまう前に、一刻も早く滝に向かわなくては、ここまで来た意味がありません。

ルサカ→リビングストンは、夜行列車で行くのが旅行者の間ではポピュラーなのですが、あいにく列車は翌日しかなく、どうしたものかと悩んでいると、どうやらミニバスがリビングストンまで出ているらしいことが判明。
よっしゃ、これで今日中にリビングストン入りだぜ、と喜んだのも束の間のこと。このミニバス、ケニアで云うところのマタツなんですけど、毎度ながらなかなか出発しません。満員になるまで待っているのです。わたしはそんなマタツが大嫌いなのですが、これしか乗り物がないので仕方ありません。
今回はまた、地元の人々ですら怒り出すほど待たせやがったあげく、途中で故障しやがり、通りすがりの別のバスに乗り換えるハメに…。ま、それはいいとしても、余計な人数を放り込んだせいで、バスは超・超満員。とりあえず座席は確保できたと思ったら、何と、わたしの膝の上にわたしよりガタイのいいおねーさんが座って来て、リビングストンまでの2時間弱、人間椅子状態。座席に座ったと思ったら自分が座席にされたってわけさ。本と、死ぬかと思いました。バスから降りたら、足がギブスはめたみたいにカチコチになってて、しばらく歩けなかったわ。

そんな風にして、2泊3日、移動に明け暮れたあげく、ようやくリビングストンにたどり着きました。
ここには、「JOLLY BOYS」という有名なバックパッカーズがあって、満月の虹を見に行くツアーも催行しているというので、宿をそこに決めました。
そして、荷物を置く間もおかず「ところで、満月の虹ツアーなんですけど」とレセプションに尋ねたところ、
「それは昨日もう終わったんだ」との答え。
…ちょっと待ってくれる?終わった??終わったってどーいうこと???月、まだ丸いんですけど?天気もいいんですけど?
どうやら、満月の虹ツアーは、たった1日しか行われておらず、それじゃあ個人で見に行けるのかと云うと、少なくとも観賞スポットには個人では入れないとのことでした。

…何なの。ここまでひーひー云いながらやって来たわたしの苦労は一体何なの?!
列車の中でにわかに決めたとは云え、ここまで来たらもはや、虹こそがわたしの最大の目的だったのです。
だって、ビクトリアの滝自体は、これから行くジンバブエでも見られるわけだし、それだったら、何もこんなに焦ってザンビアに来る必要もなく、マラウイ→ジンバブエで全然行けたわけだし…。あきらめようにもあきらめられません。

うなだれてドミトリーに入ると、日本人の男性が4人いました。
同じバックパッカーかと思いきや、彼らはJICA、海外青年協力隊の隊員で、このイースター休暇を利用して、遊びに来ているとのこと。彼らは昨夜、しっかり満月の虹を見に行っており、それを聞かされたわたしの悔しさは3倍増です。1人だけ、間に合わなかったというMさんに、「明日タクシーで個人的に見に行きましょうよー」と、話を持ちかけてはみるものの、本当に個人で行けるかどうかは、わたしにも分かりません。

翌日、とりあえずここまで来たからには、と昼間のビクトリアフォールズを見に行くことにしました。
JICAの彼らと一緒だったおかげで、本来なら10USドルのところを、レジデンス価格の2000クワッチャ(約50円)で入場できたのはラッキーでした。
今の時期は滝の水量が多いらしく、とにかく水浸しになるよ、と聞かされてはいたものの、いやはや、本当に全身びっしょりになってしまったわ…。入り口で一応カッパを借りたのですが(1USドル。いい商売だよなあ)、足元からもじゃんじゃん水が入って来るので、結局濡れ濡れです。いやらしいほどに…。
しかしまあ、水浸しになるだけのことはあって、滝は大迫力でした。遠くからでも水煙が見えるくらいですからね。現地名では「モシ・オン・ツンヤ」=雷鳴のような水煙、と云うのだそうです。まさに”名は体を表す”の通り。音もすごい。轟音というか爆音というか、腹の底を直接叩いてくるような響きなのです。
自然物に興味の薄いわたしですが、これは素直に感動しました。途中の橋からは、橋を直径にして虹がぐるりと円を描いているのが見え、これまた驚きの眺め。これが満月と一緒なら…と、また云っても仕方のないことを考えてしまいましたが。

さて、昼間の滝を見て、宿に帰って協力隊のお兄さんたちと話しているうちに、もはや夜の虹のことはどうでもよくなってきました。
「Jolly boys」では、毎晩のように何らかのアクティヴィティがあり(バーベキューとか、サンセットクルーズとか)、1人で夜、怖い思いをして無理矢理虹を見に行くよりは、そっちの方が楽しそうだったからです。夜の虹はまあ、心の中に、永遠の神秘として刻んでおくことにしましょう…なんて、けっ、キザだなおい。

協力隊の人と話す機会というのも、今まであるようでなく、新鮮な体験でした。
海外に出ようと決めたとき、”バックパック旅”という選択がトップではあったものの、”協力隊に志願する”というのもその次くらいの候補として考えていました。実際に、説明会にも足を運びましたしね。
海外に出る時、ここのところの選択はかなり重要です。つまり、放浪して多くの国を広く浅く見るか、定住して何らかの仕事(或いは勉強でも)をしてひとつの国を深く知るか、という点で、同じように長く海外に出ていても、その道は大きく異なるわけです。
わたしは結局、前者を選びましたが、後者を選んだ彼らの話や考え方には、かなり興味がありました。もし、わたしが定住を選んでいたら、というifも、ありえなくはなかったし、もしかするとこの先、思い立って志願するかも知れませんしね(いつまで海外でぶらぶらするつもりや、という非難が聞こえて来そうですが…)。

彼らは4人とも理数科教師という仕事で赴任してきています。
ザンビアなんて、日本にいたら「どこやそれ?」というような国ですが、実は、世界で2番目に協力隊員の多い国なのだそうです。彼らの住んでいる町は、旅しているわたしですら聞いたことのないような場所ばかり(笑)。もちろん各々別の町で1人暮らしをしているわけでして、ある程度の文明が整っていて、物と娯楽が豊富で、多少の話し相手がいないと暮らせないわたしには、どうやらムリっぽい(笑)。元々飽き性だし…。それに、話を聞いていると、朝から晩まで働いていて、けっこう忙しそうです。
また、ザンビアも他のアフリカ諸国同様、決して治安がいいとは云えず、2年間の赴任中、必ず1回はドロボーに入られるとのこと…。
つい最近も、ある隊員が、家に強盗に入られ、銃で手足を撃たれて重傷を負い、日本に送還されたそうです。こうなると、ほとんど命がけの仕事ですよね。わたしはボランティア精神とは縁もゆかりもない人間ですが、素直に頭が下がります(とは云っても協力隊は一応お給料が出るらしいんですが)。ちなみに、ボランティアは偽善だとか自己満足だとかいろいろ云われるけれど、やってもいない人間がとやかくいう資格なんてないと、わたしは思っています。

何かと制限も多い協力隊員から見ると、1年も海外をほっつき歩いているわたしは実に素敵な身分らしく、「これからジンバブエに行って、その後はナミビアでナミブ砂漠見て…」と今後の予定を語ると、「いいなあ、オレも闇任しようかなあ…」とかなりうらやましそうにつぶやいていました。
闇任?何だか聞きなれない言葉ですね。説明しますと、まず、協力隊員は、赴任期間中の1ヶ月間だけ、他の国を訪問できる”任国内旅行”なる機会が与えられます。しかしこれも、表向き(?)は、”他の国に赴任している隊員を訪問する”という名目なので、隊員のいない国、つまりJICAの事務所がない国には行けません。さらに、JICAが存在していても、治安のよくない国には行ってはいけないということで、例えば、お隣のジンバブエは、隊員はいるけれども行ってはいけない国と見なされているわけです。
しかし、それで大人しく黙っていられない人々が、お上の目を盗んで(?)よその国に遊びに行っちゃうことを、”闇で任国内旅行する”つまり闇任と云うのだそうです。わたしだったらまあ間違いなくやってるだろうな、闇任(笑)。いやいや、大変だなあ。

せっかく25ドルも払って、しかも大モメにモメてやって来たザンビアを2日で去るのは惜しいので、もう1泊だけ延ばすことにしました。ま、ここまで移動続きだったし、1日くらい休息しても罰は当たらないでしょう。「Jolly Boys」の庭でのんびりこんなものを書いていると、久々に安堵の気持ちを全身で感じますね。それではまた、次のお便りまで。

(2003年4月19日 リビングストン)

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