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**受難・マグロ漁船の恐怖** | |||
ついに、こんなところまで来てしまいました。 タリン旧市街。バルト海はすぐそこ。 リーガから夜行バスでたったの5時間。全く眠れないバスでした。 さて、世界遺産に登録されているタリンの旧市街は、これまで見てきた旧市街の中でもかなり上ランク。 また、リーガと同じように、タリンにも「タリン・This Week」というフリーのガイドブックがインフォメーションでもれなくもらえる上、色々と地図や資料も手に入るので、観光しやすいです。 タリン看板三連発。 ……と、ここまで誉めておいてなんですが、わたしはどうもタリンとの相性がよろしくないようなのですねえ。 そもそもタリン到着時からして悲惨でした。 それがまた、このガイドブックが曲者でして(※『歩き方』ではないです念のため)、地図を見るとどうもそんなに離れていないような気がする。 バスステが開いてからも、両替は9時にならないと開かないわ、仕方ないのでビビリながらトラムに無賃乗車したところ反対方向に行っちまうわ…やっとのことでホテルにたどり着いた頃には8時半を回っていました。もちろん、そのままベッドに倒れこんでしまいました。 ロシア正教のアレクサンドル・ネフスキー教会。 しょっぱなからこのような目に遭ってしまったわたしは、その後も細細とした困難と失敗にぶち当たることに。 @…「タリン This week」に、ちょうど今がエストニアン・ミュージック・フェスティバル週間と書いてあったので、急に思い立ってコンサートを見に行った(安かった。700円くらい)。本場のクラッシック音楽を期待して行ったのだが、地味〜な声楽のアンサンブルだった。しかもかなり不気味な旋律でうなされそうになった。 A…スウェーデン行きの夜行船に乗るため、それまで荷物を駅に預けて観光しようと思ったら、駅にはコインロッカーはおろか、荷物預かり所もなく、インフォメーションに行くとバスターミナルにしかないと云われ(だから、バスターミナルは市街地からはずれとるっちゅーねん!)、途方に暮れて旧市街を歩き回った(結局旧市街の中にあるユースが預かってくれた。泊り客でもないのに…感謝)。 B…スウェーデンは物価高なので、物価の安いエストニアで食糧を調達すべくスーパーであれこれ買い物した。袋がもらえないので、いつも下げているショルダーバッグの中に品物をつめこんで歩き回っていたら、いつの間にか、ヨーグルトのふたが破けてカバンの中でビッグバンを起こしていた。カバンはもちろん、地図、手帳、ハンカチ、計算機、友達に出すつもりだったビルケナウの絵葉書…中に入っていたものすべてヨーグルトまみれに。しかし最もショックだったのは英語の辞書がヨーグルトでしなしなになっていたことだ…。これからイギリスで学校に行くというのに…これは、勉強するなってことだろーか?(違うか)お気に入りの道を歩いてゴキゲンだったときに発覚したため、ショック3倍増。 C…今日の真打ち(長いです)。 30分近く歩いた後、ようやく港らしき場所が近づいてきた…と思ったら、何とどこもかしこも金網に覆われていて入れませんが!チェックインはどうやら目の前なのに…泣きたい。金網越しにいたアーミーの兄さんは「何でそんなとこに人が?」とでも云いたげだ。そんなのわたしが聞きたいくらいだよ。にしても、いつの間に間違ったのだろう?仕方ないので兄さんに断って金網をよじ上り中に入る。何でこんなとこまで来てアスレチックせにゃならんのさ! それでも何とかチェックインも済ませ、あとは船に乗るだけ…という段になって、何故かパスポートチェックに時間がかかる。かかりすぎている。船が出るのは9時なのに、8時55分になってもパスポートが帰ってこない。目の前で船が出港していく様子を思い浮かべて背筋が凍り、涙がこぼれそうになる。アーミーの兄さんは「大丈夫」とか云ってなだめるのだが、何が大丈夫なのか全っ然分からない。パニック状態に陥ったわたしは、下手くそな英語でまくしたてて兄さんを困らせまくる。まるっきし幼児である。 ……でも結局船が出たのって、10時過ぎだったんですよね(でも何で?)。バカみたいでした。 パルディスキ港。写真では分かりにくいがとてつもなく寂れている。。。 (2002年4月10日 タリン) | |||
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