旅先風信57「ウガンダ」


先風信 vol.57

 


 

**お仕事です!(後編)**

 

―フーライ嬢野ぎくちゃんの仕事日誌―

3月15日:ナクル→エルドレッド→キタレ、キタレ泊

3月16日:キタレ→マラバ(国境、ウガンダ入国)→トロロ→ムバレ、ムバレ泊

3月17日:ムバレ⇔シピ滝、ムバレ泊

3月18日:ムバレ→ジンジャ、市内調査、ジンジャ泊

3月19日:ジンジャ、ラフティングの1日、ジンジャ泊

3月20日:ジンジャ→カンパラ、カンパラ泊

3月21日:カンパラ(大使館周り、市内調査)カンパラ泊

3月22日:カンパラ(市内調査)、カンパラ泊

3月23日:カンパラ→セセ諸島(ブカラ島)、カランガラ泊

3月24日:ブカラ島(島内調査)、カランガラ泊

3月25日:カランガラ→マサカ→カバレ、カバレ泊

……お仕事はこうして、まだまだ続いております。

まあ、やってることは前回からそんなに変わりません。
基本的には、ホテルとレストラン回り。あとは乗り物のアクセスの調査。
移動が続くと疲れますね。16日とかきつかったなあ。マラバの国境越え!モヤレ(エチオピア→ケニア)の悪夢再来か?と思いましたよ。マラバとトロロは小さい町なので、のんびり宿泊して調査するわけにも行かず、またクソ重たいバックパック背負って炎天下の中をウロウロ…「ハウマッチシングルルーム?ハウアバウトダブルルーム?」…はあー(ため息)。

カンパラ→セセ諸島(※ビクトリア湖上に浮かぶ88の島の総称)もツラかったですね。
ここは、編集部から「元の原稿がいい加減で書き直したいので、しっかり調査して下さい」とのお達しがあり、いつも以上のプレッシャーを感じておりました。なるほど、読んでみると確かに意味が分からん(苦笑)。誰だこんな原稿書いたの!これでは行く前からある程度のシュミレーションが出来ないではないか。
カンパラ→セセには2通りの行き方があって、1つはカンパラからカセニという港町に行き、そこから地元の船で渡るというもの。もう1つはウガンダ南部のマサカという町までミニバスで行って、ニエンドの港からフェリーに乗るというもの。インフォメーションのお兄さんには後者の方が確実、安全と強く薦められたのですが、ガイドブックにはカンパラ→カセニのアクセスの方をメインに書いているので…仕方ない、行くしかありません。往路は前者、復路は後者で。あっぱれな取材魂だ(ウソ)。

カンパラ→カセニはフツーにミニバスで行けるのですが、ここからの”地元の船”というのがクセモノでした。
いわゆる、丸木舟なんだよね(笑)。一応エンジン付いてるけどさー…。
それはともかく、何故か湖岸から船までの間にヘンな距離があって、歩いて渡れない。そこで、運び屋なる人間がいるわけですが、ガイドブックを読んでいたにもかかわらず、それをすっかり忘れていたわたし。何だか分からないうちに、その辺の兄ちゃんに抱き上げられて船に乗ったはいいものの、「お前の分が2000sh(=約1ドル強)、荷物の分が2000sh」と云われ、はアー?!何でそんな大金(?)払わなアカンねん! とまたもブチ切れです。
大体、湖岸からのこの妙な距離は何じゃ? 船をもうちょいこっち(砂浜の方)に寄せればええ話ちゃうんかい。てゆーかお前は誰や?(※運び屋です)
ただでさえ、こんなアンティークな船に乗せられた不安で気持ちが高ぶっているわたしは、
私「そんな金払うくらいだったらもう降りる!」
運び屋「ほー。どうやって降りるんだい?水浸しになるぞ」
私「結構です!泳いで帰るわよ!」
…と、こんな感じで30分くらいバトルを繰り広げておりました。でもねー、運び屋という仕事があるのはともかく、2000shてのはやっぱりボッタクリで、地元の人にあとで聞いたら本当は全部で500shくらいとか、そんなんらしいのです。結局わたしは人代500sh、荷物代500sh払わされました…。

そんな大騒ぎの後、船は夕方5時に動き出しました。
船はのろのろとビクトリア湖上を走るんですが、日が暮れるにつれ、かーなーり寒くなってきました。丸木舟なので、トーゼン風除けも屋根もありませんから、湖上を渡る風が頬を撫でて気持ちいいどころか、身に沁みまくって凍え死にそうです。
夜はどんどん更けてゆき、寒さに身を縮めながら、今度は次第に、こんな夜更けに島に着いて大丈夫なのか?という不安が頭をもたげて来ました。湖上から見る風景は一面闇に覆われ、遠くの方に星のように小さな灯りがちらほらと見えるばかりです。
船頭(?)によると、メインの島であるブカラ島に到着するのは、夜10時とのこと。夜に着くことは分かっていたのである程度の覚悟はしていましたが、それにしても、こんな街灯もなさそうなところで、そんな時間に到着して、宿とかは大丈夫なんだろうか…。

船を下りる際もしっかり運び屋料金を取られ(何故湖岸ギリギリで停泊してくれないのだ?!)、いざ上陸!…したものの…ここは何処だーーーっ?!と絶叫したくなるような、うっそうと茂る木々に覆われた、見るからに未開の地っぽいこの景色…しかも真っ暗。
とにかくは、カランガラという島の中心地まで行かなくてはなりません。同じ船に乗っていた人たちに、なりふり構わず助けを求め、バイクタクシーを捕まえてもらいました。またこいつがふっかけて来るので、「そんな値段だったらもう乗らない!歩いてカランガラまで行く!」と、どー考えても出来そうにない大ボラを吹き、さらに味つけとして涙のひとつも流し、ようやく適当な値段で折り合って、カランガラまで行くことができたのでした。しかしそれも、バイタクの兄ちゃんに襲われてその辺に捨てられてもおかしくないような夜道で、「何で命がけでこんなところに来なけりゃなんないのよぅぅぅ…」と、恐怖と不安と惨めさでいっぱいでした。

この後も、宿を取ったアンドロニコロッジの部屋では、夜になると壁中に大量の蚊が、まるで幾何学模様のように張り付いていたり(ローソクの火で片っ端から焼き殺してしまった…大量虐殺で地獄に落ちるかも)、次の日取材に訪れたとある宿の犬が、1日中わたしをストーキングしたりと、まあ細かいトラブルはいろいろとありました。

ANDRONICO1.JPG - 25,936BYTES アンドロニコロッジの食卓とアンドロニコおじさん。おじさんは敬虔なカトリック教徒らしく、部屋の内装が宗教グッズ満載で、わたしは大興奮でした。キッチュな感じで楽しかった。

ま、しかし、つらいことばかりではやってられません。
取材にかこつけて、でもないけれど、首都カンパラでは、それなりに高くて(少なくともこっちの物価ではね)美味しいお店に入って、舌鼓を打ったりもしておりました。カンパラって意外と都会なんですよ。ナイロビほどではないにしろ、そう大きくもない、マイナーそうな国の首都にこれほどビルが建ち並んでいるとは、驚きました。
元のガイドブックには載っていない、地元誌おススメのお店に行ってみたところ、これが2つとも大当たりの美味しさ!新規の得意先を開拓したサラリーマンの心境でした(笑)。ちなみに、タイ料理とイタリアン。ウガンダとカンケーないやん!て話はまあ置いておきましょう。

あと、ナイル源流での(正確にはブジャガリの滝)ラフティングは面白かったですねー。
65USドル、と結構なお値段で、かなり躊躇したものの、結果的には大満足!自腹でも全然後悔なしです。
とは云え、その後、「記事は書きますので、経費で落としていただいでもいいですか?」というメールを送ることも忘れてはいませんでしたが(笑)。こういうのは本と、役得です。

で、ラフティングですが、めちゃくちゃスリルに満ち溢れているんですよ。まして、初心者のわたしには怖いのなんのって!
インストラクターの説明(英語)もロクに聞き取れないので、スリルは5倍増し(笑)。
激流に飲み込まれるとき、インストラクターが「Hold on!Get down!」とかけ声して、われわれは綱を握り締めてボートの中に伏せるのですが、このときのスリルはたまりませんね。見事にボートは転覆し、1回目なんてもう「何何何?!?何が起こってんの―――ッ!?!」といった感じで川に飲み込まれました。オールは飛んで行くわ、水はがぶがぶ飲むわ…。
最後に、ハイライトとも云うべき100メートルの激流があるんですけど、それを見た時は本気で青ざめましたね。本と、このまま「も、もうケッコウです!」と尻尾巻いて帰ろうかと思った…(って帰れねーだろそこから…)。幸か不幸か、この時はボートは転覆せず、激流を乗り切った瞬間、「あー…わたし生きてるよー…」と云って涙まで流して、同じボートの人々に笑われておりました。
いやいや、生きてるってのは素晴らしいことだ(笑)。

そうそう、話は前後しますが、ナイルの源流というのは、ここウガンダのジンジャにあるのです。
ビクトリア湖から流れ出す水は、3ヶ月、ナイル川を旅して北上し、地中海に注ぐのです。その辺の説明を看板で読んだとき、何だかえも云われぬ感動が静かに湧いてきて、少し冷たい水に手をさらしながら、「ああ、君らも今から旅に出るんだねえ。わたしは君らと逆方向からずっと旅して来たんだよー」と、ちょっと気持ち悪いですが、水に話しかけてみたりしました。

NILE2.JPG - 18,985BYTES ここがナイルの始まり。ここから水は3ヶ月かけてエジプトのアレキサンドリアまで旅をし、地中海に注ぐ。

さて、ウガンダでは、少なくともわたしにとっては大きな、3つのニュースを受け取りました。

まず1つ目は、ご存知アメリカの対イラク戦争が始まったこと。
これについては、旅先風信のイラク編の補足として書いているので、ここでは省略します。

2つ目は、カイロのサファリホテルが崩壊したという話。
サファリを実質的に支えていた丸山さんが、2月に帰国したことは知っていました(理由は知りません)。
しかし、その後ほどなくして、旅人の間を駆け巡ったのが、このニュース。詳しくは知りませんが、オーナーが突如ブチ切れ、サファリにあった本、情報ノート、その他もろもろを全て撤去、長期滞在組は全員、下のスルタンホテルに移ったという話なのです。有名な(?)麻雀部屋も、その内片付けられるだろうとのこと。
丸山さんがいなくなった後はどうなるんだろうなあ、とは思っていたものの、まさかこんなに早く、しかも”崩壊”する(つまり日本人宿ではなくなる)とは…。賛否両論あるものの、やはりサファリはおもしろいところだったと思います。少なくとも、あの膨大な情報ノートはもったいない。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。わたしもギリギリセーフでした。本と、間に合ってよかった。

そして3つ目。これは個人的な話題なのですが、中東で一緒に旅していた”彼女”のこと。
わたしより、1〜2週間遅れでアフリカ縦断を始めたはずの彼女からは、その後一向にメールが来ませんでした。まあわたしも、かねてからのフクザツな感情などもあり、あえてこちらかも出さずにいたのでしたが…。

旅人の世界というのは、広いようで実は非常に狭く―特にアフリカなどは絶対数が少ないので―、まるで、田舎の近所づきあいの如く、○「××ちゃんって知ってる?オレこないだアジスアベバで会ったんだけどさあ…」△「あー!わたしもナイロビで会ったよー」なんて簡単に身元(?)が割れる世界。共通の知り合いの異様に多い世界というか(笑)。そして、一度スーダンのハルツームで会った人に、今度はウガンダのカンパラで会う、なんてこともザラなのです。

だから、彼女とも、いつかどこかで会うでしょう。でも、今はまだ会いたくなかった。
ここまで、ひーひー泣きながらも何とかアフリカの真ん中まで来て、1人でも何とかやっていける自信のようなものを、ようやく体得してきたところなのです。
何て云うんでしょうね、せっかくのそんな成長期(?)に、自分のヘタレな過去を知っている人(=彼女)には会いたくなかったんですよ。縦断が終盤に近づいた、ジンバブエあたりで笑って再会できればベストだなあ、と勝手に思っていました。

そして、今のところまで、彼女に会うことはおろか、他の旅人から消息を聞くことすらありませんでした。わたしと同じ船で南下してきたI さん夫婦も彼女のことは知っており、「そろそろどっかで会いそうなもんだけどねー」と云い合っていたのですが…。 

そんな折、イラクツアーで一緒だったマキさんから、メールが来ました。
「Mちゃん(彼女)今大変なことになってるらしいけど、連絡取ってる?」
…晴天の霹靂とはまさにこれ。しかし大変なことって一体何なのだろう…マキさんも詳しくは何も書いていませんでした。

一瞬は躊躇したものの、やはり彼女にメールを送ることにしました。
彼女から返ってきたのは、わたしが予想もしなかった答えでした。ここで詳しく書いていいものやら判断に迷いますが、簡潔に云うと、「サギに遭って、かなり深刻な金銭的ダメージを受けて、帰国した」ということ。しかも、そのサギ犯は、わたしの知っている人です(※日本人ではなく、エジプト人)。
彼女はやはり、わたしの2週間後の船に乗って、スーダンまで降りて来ていました。そのサギ犯からとある頼まれごとを引き受けて。それが、サギだと判明したのがハルツームででした。サギ犯は、彼女がそのままあきらめてエチオピアに抜けるものと踏んでいたようです。

彼女はエジプトに戻りました。
そして、すったもんだのあげく、見事にサギ犯は捕まり、懲役何年だか知りませんが、とにかく牢屋に放り込まれました。
しかし、こう大事になるともはや、旅を続けるどころではありません。金銭的なダメージも大きかったのでしょう。アフリカ縦断は断念し、この3月に帰国することになったのです。

色んな角度から見て、この一連の事件はショッキングでした。
まず、犯人がわたしの知っている人だったこと。その頼まれごとについても、うっすらとではあるけれど、わたしも知っていたこと。そのときは、彼女も人がいいなあ、と思っていたくらいで、それ以上のことは何も思わなかったのです…。
そして何より、あのしっかりした(少なくともわたしにはそう見える)彼女が、こんなトラブルに巻き込まれてしまったことの意外性が、わたしをショックに陥れました。あの彼女が…あの彼女でさえ。
自分が旅を続けられていることが、不思議でなりませんでした。何故なのだろう?何故彼女は旅を断念し、わたしは旅を続けているのだろう???
運命のいたずら、なんて云うと恥ずかしいけれど、そういうようなものを肌身に感じました。

帰国後の彼女は、やはりこの旅で知り合った恋人との新生活を始め、傷も癒えつつあるようでした。
事件でつかまされたとある物品(※麻薬じゃないですよ、念のため)は、ネットオークションで売りさばくよ、と、しっかり算段も練っているようで。その辺はさすがに彼女らしい(笑)。
ちなみにこの恋人という人に、わたしは会ったことがあるのでした。それも、彼女と知り合う前に。トルコとシリアの国境でバスを待っている間、少しだけ話をしていたのです。それであとで彼女と話していて、「えっ、もしかして○○くんって人ですか?!」…いやはや、運命の妙というか、旅の妙というか。

(2003年3月25日 カバレ)

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