旅先風信56「ケニア」


先風信 vol.56

 


 

**お仕事です!(前編)**

 

さてさて、またお仕事の日々が始まってしまいました。

ケニア以降の取材は、これまでと違って、改訂前の本(現在の最新版)という資料があるので、そのチェックが主になります。ということは、エチオピアのときのように、目に付いたホテルをしらみつぶしなんていうしんどい作業はしなくてよいわけです。「よっしゃ、楽勝やな」とまたまたタカをくくっていたわたしですが…世の中には、”楽勝”で出来る仕事なんてものはありませんですね、はい。

わたしは、自分で云うのも何ですが、真面目な人間です。
ホテルを取材しろと云われたら、ガイドブックに載っている全てのホテルに出かけて行きます。レストランも同様。ナイトクラブにだって、おいおいアフリカで夜に出歩いたら殺されるじゃねーかよ(それは大げさ)と思いつつも、行きます。
さらに、「近郊の見どころ」「近郊の町」というコーナーもあるので、くそー歩いて行けねーよと思うようなところにも、やはり行きます。もちろん、質問事項はきっちり洩らしません。あまりの暑さに頭がボケて、電話番号の確認を忘れてしまったときは、ここからキロ歩いて引きかえすんかい!と思っても、戻ります。
さらにさらに、せっかく改訂するのだから、新しいホテルやレストランのひとつも載せなきゃいけないのでは?という義務感を常に持っているので、本に載っていないところまでも出かけて行きます。

…しかし、そんな気負ったやり方では、身も心も持たないのは当たり前。
加えて、もともと持久力がないのと、旅のほとんどの時間をホテル・レストラン回りに費やすようになるにつれ、「わたしは旅をしているのではなかったか…」「これは自分の旅と云えるのだろうか…」と悩み始め、ストレスは日々増してゆきます。
無報酬でやっているわけではないから、そんな文句は云っちゃいけないのですが、やはり、わたしのようなお気楽旅行者には荷が重過ぎるのではないか?という気がして…。
加えて、1人の人間が取材できる限界というのが分からなくて、一体わたしはどこまでやればいいのか、どこまでが自分の任務なのか、前回版では何人がどのくらいの期間で取材に当たり、どういう分担で成り立っていたのか(一応取材者の名前は巻末に書いてあるのですが)…色んなことが気になって仕方ありません。

また、高級ホテルを取材するたび、「この本の読者の一体何人がこんな高いホテルに泊るというのだ!誰をターゲットにしているのだ!」という疑問→憤りを感じずにおれません。
某ガイドブックというのは、かつてはバックパッカー必携の書でした。かつては、と書いたのは、どうやら路線変更を狙っていると思しき傾向が、改訂ごとに見られるからです。これは何も、わたし個人の意見ではなく、バックパッカーはみんなそう思っているはず。それでも、マニアックな国まで網羅しているので、今も利用しているバックパッカーはたくさんいるのです。しかし、当のガイドブック側は、もはや金にならないバックパッカーなど眼中にないのやも…。

高級ホテルの取材というのは、物理的にはラクなんですが(どこもパンフレットや値段表を刷ってあるのでそれをもらえばいいのだ)、心理的には大変フクザツです。
レセプションの人によっては、部屋やレストランを見せてくれたりして、それはそれでおもしろい体験ですが、わたし自身はこんなところには泊れません。で、ふと横を見ると、トドみたいに太った白人のオッサンオバハンが、デッキチェアに寝転がって、気持ちよさそうに日光浴をしている。5歳くらいのやはり白人のもやしっ子が生意気にもホテルのデカいプールで泳いでいる。この差は何だ?!? こっちが汗水たらして(暑いので本当に汗水たらしてるんです)働いているというのに、このブルジョワどもめ!…と怒ってみたところで、どうしようもありません。取材を終え、ホテルを後にするたび、云いようのない脱力感がこみ上げてきます。

ま、あんまり愚痴ってても仕方ないので、以下、それこそガイドブックふうに(或いは取材メモふうに)、取材した町とそこで起こった出来事について、簡単に(長いのもあるけど)まとめてみました。

【モンバサ】
見どころ→フォート・ジーザス(アラブの砦)、オールドタウン、タスクス(象牙の形をしたモニュメント)、シェリービーチ、ディアニビーチ
暑い!暑すぎるぞこの街。冷涼なナイロビから来ると、あまりの暑さで頭がやられそうになる。日中取材で歩き回っていると、本当にふらふらする。かと云って、涼しくなった夕方から出かけるというのは、危ない(らしい)。
しかし、何がつらいと云って、見どころが散らばりすぎていること。って、実は大した見どころなんてないのだが…。モンバサっていう名前の響きが旅心をそそるなあ、なんてちょっと期待していたが、何のことはない、普通の地方都市である。アラブ風のオールドタウンはそれなりの雰囲気があるものの、アラブ諸国をさんざん回って来た後では…。
また、ホテルがロクなのがない。モンバサはナイロビに次いで治安が悪いということで、ガイドブックからは安宿が全部削除されている。が、お金は出してくれるだろうとは思いつつも、いつものクセでつい安宿を探して泊るわたし。つくづく貧乏が見に付いているらしい。しかしまあ、削除されているだけのことはあって、安宿もレベルが低い。と云うか、怖い。レセプションに堂々と「貴重品が盗まれても一切責任は負いません」と張り紙がしてあるくらいなのだ…。
しかし、町の中心にある「スプレンディド・ビュー・カフェ」のムシカキ(スパイシー焼肉)はたいそう美味い。

モンバサから1時間くらいのところにあるディアニのビーチは白くて美しいが、砂ダニ(砂浜に生息するダニ)も多い。
ここは、そろいもそろって高級リゾートホテルしかなく、ガイドブックにもそういうのしか載っていない。仕事とは云え、こんなところには泊らせてくれそうもないので、インフォメーションで安い宿を探すと、1軒だけあった。ビーチにこそ面していないが、コテージには冷蔵庫もあり、バックパッカーには充分だ。こういう安くてクオリティの高い宿をこそ発掘して載せるべきなのではないか、と真剣に考える。高級リゾートホテルは敷地が膨大なためか、1軒1軒が離れていて、いちいちマタツ(※ケニアのミニバス。詳しくは後述)を捕まえねばならないのが、面倒でならない。

MOMBASA12.JPG - 53,749BYTES モンバサの象徴、タスクス。


【ワタム】
見どころ→ワタムビーチ、バラクーダビーチ、ゲディ遺跡

小さい村。つーことは取材がラク!今日はがしがし泳ぐぞー!と勢い込んで、到着した途端、何もかも放り出してビーチへ直行。ビーチはあまり広くないが、砂は小麦粉のように白く細かく、歩くときゅっきゅっと音がする。ディアニと違って、砂ダニも少なそうだ。感激!ま、海草は片付けられてなかったけど…(10点減点)。炎天下の中、途中のゲディ遺跡を取材して全身汗だくのわたしは、狂ったように水に飛び込むうおーーー、気持ちいいぞおーーー!水温が、冷たくもなく、生ぬるくもなく、ちょうどいい!
黒人のちびっこたちが、身体に砂をまぶしては水に飛び込む、というヘンな遊びを繰り返している。超カワイイぞ!黒い肌に白い砂がよく映えて、何だか美味しそうだ(笑)。
夕方から取材を始める。前に載っていたレストランやホテルが、半分くらい無くなっている。ここだけの話、潰れていると取材しなくていいので嬉しかったりする。

ちなみに、ゲディ遺跡はクソ暑かったが、なかなかよかった。あの誰もいなさ加減は、思索にはうってつけだ(思索なんかしないけど)。遺跡は人気の少ないのに限る。

WATAMU1.JPG - 21,998BYTES 雪のように白いワタムのビーチ(でも曇天)。

【マリンディ】
見どころ→ビーチ(名前は特になし)、バスコ・ダ・ガマクロス(喜望峰を発見?したバスコ・ダ・ガマの記念碑)
マリンディ…モンバサに続いてこれまたいい響きだ。ガイドブックによると、「欧米人の考えるリゾートには3つの”S”がある。SUN、SEA、SEX。マリンディはこのイメージにまさにぴったりの地だ」とのこと。素晴らしいではないか。
で、やっぱり到着した途端ビーチに向かうのだが…んーーー、砂が白くないぞ!ゴミ・海草も多いぞ!しかも午後に到着したため、すっかり満潮になっており、水が濁っている。これでは日光浴も遊泳もできない。
しかしまあ、この町も暑い!500メートルも歩いたら、すぐにコーラが飲みたくなる。夜はシーフード盛り合わせでも食おうとはりきってみるが、さすがはリゾート地、どこもけっこうなお値段だ。
翌日の夕方、全然興味がないが、ガイドブックに載っているヘビ園に取材に行く。というのも、面倒なのでインフォメーションで全部聞いてしまうつもりが、「ヘビ園…確かCLOSEDしてるような気がするんだけど…ああ、でも分かんないわー。もしかしたらやってるかも?」とチョーいい加減な返事をするので、真偽のほどを確かめに行かなくてはならなくなったのだ。これが町から歩いて行ける場所ならまだしも、マタツに乗って20分、さらに徒歩20分とかそんな場所である。…で、行ってみた。
しっかり潰れてた。

今は亡きヘビ園(合掌)から帰って来る道中、急に悪寒が始まり、四肢に力が入らなくなった。宿に帰ってベッドで寝ていると、熱がぐんぐん上がり始める。計ってみると38度9分!「いよいよわたしも祝・マラリアデビューなのか…」とびびりながら夜を明かし、翌日朝イチで病院へ…と云ってもマリンディは小さな町。宿の兄ちゃんに連れて行かれたのは、ナイロビ病院のような立派なところではなく、一見フツーの商店と変わらないような外観の町医者である。注射針とか、大丈夫かよ?! もはやマラリアよりそっちの心配だったが、まあ針はちゃんと新しいのを使っていたし、マラリアでもなかった。そして、医者にもらった薬を飲んだら、1日で治った。

【ラム】
見どころ→ストーンタウン、シェラのビーチ

行った人は大体絶賛するのがここ、ラム島。わたしも、4つのビーチリゾートの中で、一番くつろげた。何故なら、取材が他よりラクだったから(笑)。この島は、車が通らない。荷物の運搬などは、ロバの仕事だ。ロバ…あのけなげな瞳と労働態度を見ると、もういてもたってもいられない。
取材がてら、ちょっとこじゃれたカフェなどに入って、カプチーノなんか飲んでみる。夕食もゴーカにシーフード盛り合わせだ!(アホのひとつ覚え)と思うのだが、病み上がりのせいか、食欲が今ひとつわかない。せっかく経費で落ちるのに(?)…残念にもほどがある。しかし、大好きな生ガキが久々に食べられたのは幸せだった。ベルギーの大きな生ガキには及ばなかったけれど…。

ラム島の心臓とも云うべきストーンタウンは、実に小さなエリアだ。メインストリートは路地のように狭く、端から端まで歩いても10分くらいの距離しかない。ラムの穏やかな雰囲気は、このミニマルさから来るのだろうか。ここは敬虔なイスラム教徒の島だ。モスクから流れてくるコーランを聞きながら、スワヒリ風の家並みを縫うように歩いていると、時間が止まっているような錯覚を覚える。
…とちょっと、ガイドブックふうにやや気取って書いてみたが、もちろんウソではない。ただ、町中のいたるところで生ゴミの臭いがするのが、何とも残念だ。

3月からはオフシーズンになるので、宿が安くなるのも嬉しい。
港の目の前にある「カスアリーナ」という宿に泊ったのだが、連泊すると云ったら、広くてバルコニー付きの部屋に1泊400Sh(650円くらい)で泊れた。夜風がたいそう気持ちよく、広い広いベッドで寝転がっていると、至福の時を感じずにはおれない。いやはや、ここで1週間ぐらいのんびりしたいものだが、そこは必殺仕事人(?)、そうは云っておれないのがつらい。ちなみに、カスアリーナはなかなかいい宿だが、ちょっとボロいので、これから行かれる方は他も当たってみて下さい。

LAMU1.JPG - 39,784BYTES ラム島のロバちゃん。ううう可愛い…。

ここでいったんナイロビに戻り、次はウガンダに向かいがてら、ケニア西部の取材です。

【ナイバシャ】
見どころ→ナイバシャ湖
まず、出だしからダメだった。。。ナイロビからのマタツ…というのはケニア名物のミニバスで、インドのリキシャの如く(?)ひとつの文化とすら云える乗り物であるが、こいつが2時間も待たせやがった。
このマタツには前々から悩まされていたのだ。満員になるまで出発しない、というのは果たして本当に合理的なのだろーか??? しかも、この”満員”の定義のレベルが高すぎる。本当に、本っっっ当に満員になるまで出ない。もう少し具体的に説明すると、トヨタのハイエースに横3列の座席が取り付けられているのだが、1列に大の大人が4人、いや下手したら5人座るのである。ここは4次元か?無限大に人が入ると思ってないか?君らは軟体動物か?それとも隙間恐怖か?…何だかよく分からないけれど、この惨状を見ていると、そんなことを本気で尋ねたくもなる。
このマタツのせいで、この後、毎日のように取材が押してしまい、夜暗くなるまでホテルをかけずり回ることになるのだ…。

ナイバシャの町は小さいので、取材はラクだ。が、思わぬ落とし穴があった。ナイバシャ湖周辺のホテル回りである。地図は4×5センチ程度の簡単なものだが、縮尺を見ると…1.5センチ=5キロ。ということは、この地図上にあるAホテルとBホテルは7キロは離れているわけか!さらにCホテルはそこから10キロか!
…当然歩いては行けないので、マタツを何回も拾うハメになる。ある高級ホテルなどは、道路からゲートまでが500メートルくらいあり、わたしはほとんど泣きそうになりながら歩いた。そうしてようやく町に戻ると、とっぷりと日は暮れており、そこから町なかの取材である。帰宅22時。シャワーも浴びずにそのままベッドに倒れこむ。

NAIVASHA3.JPG - 78,443BYTES マタツにわざわざ乗って湖そばのキャンプ場へ…。

【ナクル】
見どころ→ナクル湖国立公園、メネンガイ・クレーター、エレメンテイタ湖
ピンクフラミンゴの大群が見られるナクル湖国立公園。昔、写真で見て、ぜひ行ってみたいと思っていた場所だ。取材費が出るというので、マサイマラに続いて再びサファリに参加することに。
ナイロビからのツアーよりも安いと聞いていたのに、全然安くない。むしろ、ナイロビから行った方が、食事も宿もついてオトクなような…しかし今さら云っても仕方ない。それに、経費で落ちる…はず。
見られる動物は、マサイマラとそんなに変わらないし、肝心のピンクフラミンゴは…遠くの方から見るとたくさんいそうなのだが、近寄ってみるとスカスカである。ガイドによれば、フラミンゴたちは今、タンザニアにいるとのこと…つまり時期ではないらしい。しかも水際には、フラミンゴの死体がゴロゴロしてて不気味でしょうがない。

NAKURU16.JPG - 60,621BYTES 散乱するフラミンゴの死体(右側の白いものが首)。

ナクルの取材は、町と国立公園にとどまらない。近郊の見どころとして載っているエレメンテイタ湖にも行かなくてはならない。もう湖はええっちゅーねん!誰がこんなところまで観光すんねん!と思いつつ、それでももう身体が仕事体質になりきっているため、取りつかれたようにマタツに乗って(もーいやだ;_;)、と云っても本当に乗っただけで、車内で待つこと1時間、揺られること30分。マタツは待たつ、とでも書けばいいのかおい???
で、下ろされたのは…
「何じゃここはーーー!」
マタツが走ってきた幹線道路以外、人工物がない。皆無。見渡す限り、原っぱだか何だか分からないけど、とにかくなーーーんもない荒野が広がるばかり。普通、観光地なら湖への案内板が出ているはずなのだが…と思いながら、とぼとぼと幹線道路を歩いているうちに、一体自分が何をしているのか、何のためにこんなところにいるのかが分からなくなり、突如パニックに陥ってしまった。そして、馬しかいない草原を前に、号泣した。馬も驚くくらい、オンオン泣いた。「もう死にたいわーーー!」と絶叫したりもしていた。本当にバカとしか云いようがない。

それでも何とかエレメンテイタ湖にたどり着いた。湖は干潮で水が引いており、遠くの方にはフラミンゴが点在して見える。何とかフラミンゴを近くで見たくなり、そっちの方へずんずん歩いていると、「あああーーーーっ」…と叫ぶ間もなく、地盤のゆるんだところに足を取られ、抜けなくなってしまった。見た目はパリパリに固まっているのに…ダマされた。しかも、たった一撃で膝まで浸かってしまい、身動きが取れない。
助けを呼ぼうにも、人っ子1人いない…。ただ、慎重に慎重に、何とか立とうと試みる。が、ヘンに力を入れると、さらに5センチくらいずぶっ、と沈む。…どうしたらいいんだ…。全身に冷たい汗が噴き出してくる。下半身はすっかり石灰まみれだ。というのは、エレメンテイタ湖は、ソーダ性の湖だから。ちなみに、ナクル湖もそうで、フラミンゴはソーダ性湖にしか生息しないのだ。
…などと説明している場合ではない。本当に、生命の危機を感じる。このまま身体が埋まってしまうのではないか…
人柱になってしまうのではないか…。
何故、何故このような目にばかり遭うのだろう。取材とはこんな過酷な仕事なのか?いや、わたしが勝手に過酷にしているだけか…にしても、だ。ひどい。ひどすぎる。普通の人間は、普通の旅行者は、こんなところで地面に埋まったりしないはずではないか?何の呪いなのだ?
…結局、そろーりそろーりと歩を進め、何とか地盤の固い場所まで戻ったが、あとでヒッチで乗せてくれた車の兄ちゃんに、どこに行ってきたんだ?と驚かれるほどボロボロになっていた…。それでもわたしは取材を続けるのだ。エレメンテイタからナクルまでの道中にあるホテルに立ち寄るのだ。もう、ワケわからん。

ELEMENTITA3.JPG - 39,071BYTES はまってしまったエレメンテイタ湖(干潮時)。

【エルドレット】
見どころ→なし
こんな町、と云っては失礼だが、旅行者はハッキリ云って誰も行かないだろう。仕事だからわたしは行ったが、誰にもお薦めしない。大阪に来る旅行者にわが故郷N市を薦めるようなものである。いや、もしかしたら、郊外の方とかに自然の美しい山とか、あんのかも知れないけどさー…でもそれはガイドブックには載ってないし。一応、町の説明としては、「ケニア第3の都市で、モイ前大統領の出身地」。そんだけ。
大統領と云えば、昨年末の大統領選で選ばれたキバキ大統領は、おそらく今ケニア国民の間で最も”アツい”人物だと思う。ある北上組の旅行者に、「ケニアではキバキ、グッド!って云っとけばみんな喜ぶよ」と云われていたが、本当にその通りだった。新大統領がよりよい世の中にしてくれると、みんな本気で(?)信じている。わたしは自国の小泉フィーバーを思い出し、懐かしい気分になった。そして、この熱気をうらやましく感じた。

【キタレ】
見どころ→西ケニア博物館(しょぼい)、エルゴン山
ようやくケニア最後の町。本には地図が載っていないので「つーことは、地図なんかいらないくらい小さい町ってことだな。よしよし、楽勝や」と思いきや、歩いてみると、何故地図を載せていないのかが不思議なくらい、けっこうな規模の町であった…。ホンマ、最後まで嫌がらせかい?
まあ、前回載せていないのに今回載せるってこともなかろう、と思うのだが、それでも一応、カンタンな地図を手書きしてみる。が、上手く書けない。地図職人ではないのだから、ムリだ。でもやらねばならぬ(?)。
…とやっているうちにすっかり夜も更けてしまった。本と、最近朝から晩まで働いてるな。完全に旅行者ではなくなっている。

………

というわけで、わたしのこの勤勉ぶりを分かっていただけましたでしょうか(分からないよね…)。仕事三昧(?)の毎日、そしてしばらくはまだこんな毎日が続くのですが、ここらで少し話題を変えて、お仕事以外のこぼれ話でもしましょう。

モンバサでは、ちょっと面白い出会いがありました。
夕方、スーパー「ウチュミ」に水を買いに出たところ、後ろから車のクラクションを鳴らされ、何事かと振り向くと、黒人のおっちゃんと赤ちゃんを抱いたアジア人らしき女性、さらにもう1人、黒人のオバサンの乗った車がわたしに横付けされました。
この不思議なメンバー構成の車が、一体わたしに何の用でしょうか??????????と、頭の中でクエスチョンマークを点滅させていると、おっちゃんは流暢とは云えないまでもなかなか達者な日本語で、「日本人ノカタデスカ?コンバンハ」などと話しかけてきて、ますます”?”が増殖してしまいました。
はあ、とか曖昧なことを云っているわたしに、今度はアジア人女性が「こんな時間に1人で歩いてたら危ないよ」と日本語で話したので、そこで初めて女性が日本人であることに気づいたのです。
それが、N子さんでした。

「モンバサで日本人に会ったのは7人目だよー」
N子さんは、久々に日本人(わたし)を見つけたことを、かなり喜んでいました。
彼女は、日本語を操る不思議なおっちゃん、もとい、ウガンダ人の夫ウイリアムと2人の子供を連れて、5ヶ月前、日本からここに移住してきたのでした。ウイリアムは、日本で中古の車や家電を買い付けこちらで売る仕事をしており、今はモンバサでお店を出しています。わたしはそれから、取材の合い間に、ちょくちょくお店に遊びに行くようになりました。N子さんは、日本語で話せる相手がいるのが嬉しいらしく、ついにはお家にまで招待してもらうことに。

お家は、モンバサの高級住宅地とも云うべき場所にあり、お手伝いさんも常駐。
しかし、暮し向きはいいとしても、慣れない異国の地で(海外に出たのはこれが初めてだそう)、子供を育てながら、旦那さんの仕事も手伝って…という生活では、気苦労も耐えないことでしょう。家には何と前妻の子供たちなんてのも住んでおり、「まあ、いろいろあるんだけどねー…」とため息をついておりました。ウイリアムは見るからに子煩悩で愛妻家って感じで、幸せそうな夫婦に見えたのですが、まあ、一点の曇りもない幸福なんて、ありえないってことか。

2人の子供は、まだ2歳と0歳。このコらがまた、すんげー可愛いんだよう。目なんかくりくりしてて、頭の形もきれいでさあ…。
ちなみに、わたしは黒人の子供が、見ると誘拐したくなるほど好きで(危ねーよ)、あんなのが自分の子供だったらいいなー、そうなると黒人と結婚か、でも残念ながら成人の黒人男性は趣味じゃないのよねー、それに子供のうちは可愛いけど成長すると全く可愛くなくなるしなあ……というところまで考えてしまうほどに、可愛くてしょうがないのです。

聞けばN子さんは、わたしと同い年!別に失礼な意味ではなく、驚きました。
母親というのは、特有のオーラとか貫禄が備わっているものですね。わたしのように、子供はおろか、結婚のケの字にも縁が無く、こうしてプラプラとアフリカをほっつき歩いているような根無し人間とは、醸し出す雰囲気が違っても当然と云えば当然なのですが…。赤ちゃんをあやしている姿など見ていると、天と地ほどの差を感じずにはおれません。母性をふりかざす女性には大いに疑問を感じるけれども、”ただ静かに、母親である”ということは、とても麗しいものだなあと思ったりしました。

彼女とウイリアムは、その後も、家に泊めてくれたり、自力では面倒で行けそうもなかった取材先まで車で運んでくれたりして、ずいぶん親切にしてくれました。毎回思うことですが、旅先での親切というのは、夏の夕方に飲むビールの如く(?)、全身にしみわたるものです。別れるときなんか、また泣きそうになってしまった…。
しかしこれも、日本人だから甘えられたことであって、現地人相手だったら警戒心の方が先立って、こうはいかなかっただろうなあ…。ウールルン。

さて、ここからはさらなる余談、誰も知らなくてもいいことですが、昨日3月14日、わたしは旅に出てまる1年目を迎えました。
当初1年の予定で出て来たはずが、んー…まだ帰れそうにないなー(笑)。旅がずるずる長くなる旅人って多いんですけど、まさにその典型ですね。ちょっと反省。
1年。過ぎてしまえば紙切れのようにはかない時間にも思えます。
1年も旅すれば、何かしら納得のようなものを感じるかと思っていたけれど、実際は、まだまだ、雲をつかんでいるような感覚が抜けませんし、大して成長もしていないし(笑)。でも、1年、と口に出してみると、それはそれでやはり、何かしらの重みがあるような気もするのです。これまでずっと、親元を離れたことのなかったわたしが、1年間、1人で暮らして来たというそれだけでも、新鮮で大きな体験だったなあと…。

よくよく考えてみれば、何と云う不思議な1年だったことか!人生の中で、きっと、もう2度とこんな1年を過ごすことはないでしょう。25歳から26歳という微妙な年齢を、こんな風に過ごしたことが、果たしてその後の人生にどう影響するのかは、自分でも分かりません。後々悔やむことになるのかも知れません。
でも、こんなバカみたいな人生の使い方も、ひとつの道だと最近は思います。そして、こんなバカを1年もやって許されている(のか?)自分は、たとえ湖にはまって命の危険にさらされようとも(笑)、やはり幸福なのだと思うのです。でも仕事はつらいです。

いやー、今回は長くなったなあ…ここまで頑張って読んでくれた方、どうもありがとうございます。でも、何にも出ないです。すみません。

(2003年3月15日 キタレ)

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