旅先風信55「ケニア」


先風信 vol.55

 


 

**病室で見る夢、そしてサファリへ**

 

やっとのことでエチオピアを抜けてきたと思ったら、ナイロビに到着した途端、原因不明の腹痛に倒れ、あえなく病院送りになってしまいました。26年生きてきて、入院などしたことのない健康優良児であるわたしが(見た目は超不健康そうなのですが)、こともあろうに、アフリカで人生初入院とは…エチオピアの呪いだな(何でもエチオピアのせい)。

国境のモヤレからナイロビまでは、スーダン→エチオピアに引き続き、ローリーでの移動です。
ここも、旅行者の間では難関と云われている区間で、ローリーの荷台なんかに乗った日には、ホンモノの地獄を味わうことになるという、鬼門のようなところなのです。
普段なら、何も考えずすぐ安い方を選んでしまうわたしも、今回ばかりは、某ガイドブックがカネを出してくれるだろうという目論見もあって、大人しく助手席に乗ることにしました。
後に、荷台に乗った旅行者たちに話を聞いたところ、「いやー、座る場所はジャングルジムの鉄棒だし、枝やら何やら色んな障害物が次々と目の前に現れて、そのたびにアタマを伏せなきゃいけなくて、まるで
スーパーマリオだったね。下は牛がひしめいてるし」…やめてよかったわ。。。

ナイロビまではまる2昼夜かかると聞いていたのですが、1日目、本当に朝から晩まで(9時から24時まで)走り、翌日も早朝6時から走り始めたせいか、2日目の夕刻には、ナイロビに着いてしまいました。
世界でも有数の犯罪都市として悪名をとどろかせているナイロビに、夕刻に到着してしまうとは…カモネギとはまさにこれ。恐怖におののきながら何とかタクシーに乗り、市内に向かいました。もちろんボられてはいたでしょうが、そんなこと構ってられません。

この日の宿は、エチオピアで会った旅行者に薦められた、サファリ会社「プライムタイムサファリ」のドミトリーです。
サファリツアーに申し込めば、宿代が何泊かタダになるというのと、犯罪の巣窟であるダウンタウンエリアではない(ギリギリね)ので、最初からここに決めていました。
ドミトリーで荷物を下ろしていると、やはりエチオピアのバハルダールで出会ったTさん&Kちゃんカップルがすでに宿泊しており、「おー、やっと来たね。ずいぶん遅かったね〜」と云われてしまいました。二人もエチオピアは随分のんびりしていたので、まさか追いつかれることはあるまい、と思っていたら…追いつかれるどころか、抜かされとるがな。
晩ご飯はキムチ鍋(!)をお相伴させてもらって、エチオピアの苦労話をお互いに披露しあっておりました。

翌朝、目が覚めると、腰が妙に痛くて、しばらく起き上がれませんでした。
ボロい2段ベッドの上で寝たからか?と訝しみつつ、何とか起きて、朝食を取るために外出しました。
しかし、いつまで経っても痛みは引かず、鈍痛だったのが刺しこむような痛みに変わり、歩くのもままなりません。
それでも何とか食堂に入ったとき、サモサ(インド風揚げ物)のにおいが鼻をつきました。その瞬間、吐き気を催してその場にうずくまってしまいました。「やばい、とにかくホテルに帰ろう…」

足を引きずりながら何とかホテルの方へ歩いていくものの、思ったより遠くまで歩いてしまったようで、いつまでたってもホテルにたどり着けません。
わたしはそこが危険なダウンタウンであることも忘れ、路上に倒れこみました。もはやどうにでもなれ、という気持ちでした。ただ、痛みさえ去ってくれれば…。
運良く、親切な現地人が通りかかり、明らかに尋常でないわたしを見て、どうしたんだ?と抱き起こしてくれました。
「ホスピタル…ホスピタルに行って下さい…」。保険に入っていて本当によかった。もし入っていなかったら、反射的にお金をケチってしまい、病院へ行こうという発想はまず浮かんでこなかったでしょう。

その人は、タクシーをつかまえてくれて、いったんプライムタイムまで走らせ、従業員のおねーさんを連れて来て、あっという間にわたしは病院まで運ばれて行きました。アフリカ人は仕事が遅いと思っていたけれど、やれば出来るじゃん(笑)。それとも、さすがに大都会ナイロビの住人と云うべきか。

NAIROBI3.JPG - 19,416BYTES 堂々たる大都会。ハルツームとか、何だったんだろう(笑)。

それからずっと、救急用のベッドで寝かされっぱなしでした。点滴を打ち続けているものの、痛みはいつまでも去りませんでした。
その内、プライムのおねーさんが、Tさん&Kちゃんカップルを引っ張って来てくれました。同じ宿に泊まっているというつながりだけで、こんなところまで来させてしまって…と申し訳なく思いましたが、英語のできるTさんは事務手続きのほとんど全てを済ませてくれ(何と、デポジットで現金2000ドル払えと云われていたらしく、かなりもめたらしい)、Kちゃんはずっと側に付き添ってくれ、身寄りのない外国(しかもアフリカ!)で倒れたわりには、それほど心細い思いをせずに済んだのでした。

その後も痛みはもやもやと続いていたのですが、夜になって、CTを撮りに行く段になったときが、最高潮にヒドかった。。。
もはや自力では歩けないので、車椅子に運ばれ、すっかり半死人状態です。しかも痛みはオーケストラのクライマックスのように盛り上がっており、もはや何をしてもやわらぐことは不可能に思えました。
車椅子からベッドに移るように云われたときも、看護婦の手を借りても立てず、ひたすら「インポッシブル!インポッシブル!」と訴え続けるものの、看護婦が痛みを取り除いてくれるわけでもなく、とにかく起き上がらないと話にならない、ただただ立てと云われるばかりです。

「助けてー、痛いよー、お願いだから助けてよー」と、うわごとのように繰り返しながら、思い出すのは死んだ母親のことでした。
”お母さんも、こんな呪いのような痛みに、死にゆくその日まで、1人で苦しんでたんやろか…

母親の病気は、急性すい臓炎でした。いつかの日、退屈しのぎにと『家庭画報』を持って見舞いに行ったわたしに、雑誌をめくりながら「またいつか、こんなキレイな服着て、街を歩けるようになるんかなあ」とぽつりと云った母親。
しかし当時のわたしは、父親が伏せていたせいもあったでしょうが、そんなに大変な病気だとは思いもよらず、「まあ、すぐに治るやろ」とタカをくくって、ついに死ぬまで優しい言葉のひとつもかけてやりませんでした。もちろん、冷たくしていたわけではありませんが…。

母親が死んでいくその瞬間まで、わたしは本当に死んでしまうとは思わなかった。
こんなことはしばらくすれば終わる、また元気になって、元のとおり憎たらしい母親に戻るはずだ、と信じて疑いもしませんでした。死ぬ間際、看護婦がバタバタと心電図を運んできて、周りにいた親戚一同は涙に暮れていました。
わたしには何故この人たちが泣いているのか、さっぱり呑み込めず、冷たくなっていく母親の手を必死でこすりながら「何で泣いてんの?何、みんなお母さんが死んでしまうと思ってんの?そんなワケないやん。ほら、手だって温かくなってきてるやんか(※それは単なる摩擦熱でした)。縁起でもないっちゅーねん」…しかし、”縁起でもないこと”は、間もなく現実として、わたしの目の前で起こったのでした。

そんな調子だったので、わたしは母親の痛みも苦しみも孤独も、ほとんど実感として理解することも、また理解を示そうともしなかったのです。
しかし、今現実に自分の身に起こってみて初めて、すべてではないにしろ、思い至らずにはいれません。肉体的な痛みは、実際に体験してみなければ、想像が及ばないということを、改めて実感しました。
こんな異国の地で、何という目に遭ったものでしょうか。
どんなに周りが優しくしてくれて、孤独ではないとしても、痛みだけは、代わってもらうことはできない。痛みだけは、自分1人で耐え、受け止めなければいけない。だとしたら、母親には、優しくしてもし足りないくらいだったのに、わたしは…。

…永遠に終わらないかに思えた痛みも、トイレで出すもの全て出してしまったあとは(失礼)、波が引くようにすうーっと薄れていきました。それは、にわかに信じられないような不思議な感覚でした
すっかり脱力して病室に帰って行くと、Tさん&Kちゃんカップルが待っていてくれました。
このときのひどく安心した気持ちは、どう云ったらいいか分かりません。2人は結局、この日1日を、わたしのために費やしたようなものでした。たまたま同じ宿に泊まっていたというだけなのに、本と、いいメーワクですが、嫌な顔ひとつせず、「何かほしいものあったら買って来るよー」なんて、さらに気を遣ってくれて…感謝しても、感謝し切れません。

そんな怒涛の1日が過ぎ、入院生活に入りました。
…んが、もはや痛みもすっかりなくなった今(この辺の回復力は、われながら驚いてしまう)、退屈以外の何物でもありません。Tさんたちが持って来てくれた山本文緒の『落花流水』は、おもしろくてあっと云う間に読了してしまい、手元にあるものと云ったら、メモ帳と、『聖書(英語版)』のみ。テレビは1日中付いていますが、英語放送なので、さっぱり分かりません。夕方、15分くらい放映される『トムとジェリー』だけが、心の慰めでした(さみしー(涙))。
1日目はTさんたちがお見舞いに来てくれて、話し相手になってくれたものの、翌日2人はケニア山へと旅立ったので、いよいよやることがなくなり、メモ帳に「日本に帰ったら買うものリスト」を作成したり(こればっかり)、辞書を引きながら聖書を読もうとするものの5分で退屈し、といったありさまです。それならこの「旅先風信」でも書けよ、と云われそうですが、何故かこういうヒマをもてあましているときに限って、やる気がないんだよなー…。その内うまい具合に眠気が襲ってきて、ウトウトと眠りにつくわけです。毎日半日以上は寝てたね。

唯一の楽しみである食事も、わたしは重病人なのか何なのか、1日中点滴だけで、水とジュースくらいしか口にさせてもらえません。
ここ、ナイロビ病院は、おそらくケニア一、下手したら東アフリカ一の立派な病院で、三度の食事は前菜、メイン、デザート、飲み物のコース形式になっており、しかも中身がチョイスできてしまうのです。
給仕係が間違えて毎回メニューリストを持って来て、そのたびに「おお、やっと解禁か。さて、何食べよっかなー」とうきうきしながら食べたいものにチェックをつけるのですが、ほどなくして看護婦が「あら、何やってるの。あなたはまだ食事しちゃいけないわよ」と、にべもなくリストを取り上げて行ってしまうのです(泣)。
また、この点滴を取り替えるときが、痛いの何のって…。肉体的苦痛にすこぶる弱いもので、注射の類は一切お断りしたいわたしなのですが、そうも行きません。ガマンのきかないガキのように毎回「痛いよー。早く終われよー」と訴えるので、看護婦も困っていたことでしょう。

結局3日間、考えることはほとんど考えてしまい、次は何を考えようか、くらいしか考えることがない、そんな状態でした。
たまたま放映していたハリウッド系ラブコメ映画『オンリーユー』を、声なしで見て(病室は大部屋で、夜だったのでミュートにされていた。でも何となく筋が分かるのが、ベタ甘ラブコメのすごいところ)、ロバート・ダウニーJrが大変セクシーなことを発見した以外は、何の実りもなき病院生活でしたね。
考えごとにしたって、「宇宙はどこからきたのか」とか「死んだらどこにいくのか」とか「21世紀の世界はどうなるのか」とか、そういう壮大なことは考えませんし、何か突拍子もない発想が浮かんでくるわけでもありませんしねー。

で、一体何の病気だったのかと云うと…診断書には「盲腸?」と書かれていました。
”?”ってところが恐ろしく気になりますが、実は盲腸というのは、軽症のわりに判断が難しいのですね(医者のタマゴ談)。
何が哀しくて、こんなアフリカくんだりまで来て盲腸が痛まなければいけないのか、さっぱり分かりませんけど、まあ手術には至らずに済んだし、何より深刻な病気、それこそ母親と同じすい臓炎だったりしなくて、本当によかったです。

退院して、プライムタイムに帰ると、やはりエチオピアで会っている吉田夫婦が、サファリツアーから帰って来ていて、その日の夕食をまたご相伴させてもらいました。何故か天ぷら(笑)。
その後も毎日「ご飯食べに行かない?」とか「キコンバマーケットに行かない?」とか「今日の夕飯何作ろっかー?」とか、いろいろ声をかけてくれたので、全く退屈することもなく、病み上がりの心細さもずいぶん和らぎました。
アフリカ旅、周りがカップルばっかで肩身が狭いぜ、なんて思っていたけれど、カップルというのはそろいもそろってみんな親切で、大げさな云い方ですが、カップルと一緒にいると、わたしは彼らの子供になったような(でかすぎるけど)錯覚に陥ることも、無きにしも非ずなのです。
カップルが親切なのは、愛する人が常に側にいるという事実が、心に余裕を持たせているからかも知れないなあ…なんて思うと、やっぱりちょっと羨ましかったりするのでした。

その後は、療養も兼ねて、数日のんびりしていました。
ナイロビは東アフリカ一の大都市にもかかわらず、観光資源はゼロに近く、おかげで必死こいて観光するという例のビョーキに取りつかれることもなく、またナイロビに限っては取材もしなくていいことになっているので、毎日ショッピングセンターやらスーパーマーケットやら土産物屋やら本屋やら、とにかく買い物系に走って物欲を満たしていましたね。
巨大スーパーにヨワイのは、これまたビョーキでして、入院のウサでも晴らすかのように、つまらないものをごちゃごちゃ買いまくっていました。中国しょうゆとか、ココナッツミルクローションとか、アフリカビーズ細工のテキストブック(作成キット付き)とか…どこで使うんだそれ???

入院後の診察でも特に異常はなかったので、いよいよケニア観光の目玉であるサファリツアーに申し込みました。
偶然にも翌日のツアーには、スーダンから幾度となく再会しているIさん夫婦が名を連ねており(ちょうどナイロビに着いたところでした)、またこの日は、吉田夫婦、Iさん夫婦、わたしに加え、Tさん&Kちゃんカップルが登山から帰って来て、プライムタイムはすっかり日本人宿化しておりました。
ここで注目してほしいのは、わたし以外はすべてカップルだということですが(しつこい?)、ま、仕方ありません。晩ご飯は、みんなでまたまた天ぷらを作って、「日本人ナイトですねー」なんて云いつつ盛り上がっておりました。

NAIROBI3.JPG - 19,416BYTES ケニアで天ぷら。天つゆまである(笑)。

翌日は、いよいよマサイマラ国立公園へ、3日間のサファリツアー。ようやくケニアらしい(つーかアフリカらしい)旅の始まりです。
アフリカのサファリといえば、タンザニアのセレンゲティ国立公園が有名なのですが、ケニアのマサイマラとセレンゲティは実は地続き。しかも、ケニアでやった方が断然安上がり(1日50ドル。タンザニアは8〜90ドル)なのです。

カイロのサファリ(ホテル)もいいけれど(笑)、やっぱホンモノのサファリは見ごたえ充分!
たとえ、白浜アドベンチャーワールドの方が動物がたくさん、効率よく見られるとしても、本場にはかないません。動物を発見すると、子供のように興奮してしまいます。うーん、わたしにもこのよーな無邪気なココロがあったのか(笑)。
サファリというのは、昔は銃を片手に本当に狩をしたようですが、今は動物保護のもとでのサファリなので、銃の代わりにカメラを持ってのいわゆる”ゲームサファリ”です。

しまうまって可愛いですねえ。あの、愚鈍そうな図体。小柄なのにずんぐりした体型に、ぷりぷりしたお尻。あー、何てマヌケなんだ(笑)。あんな様子では、ライオンに食われても仕方ありません。
字面も響きもいいですよね。しまうま、ってひらがなで書くと可愛いし、縞馬、って漢字で書くと優雅な印象だし。

キリンも素敵でしたね。1日目の夕方、もう少しで落ちそうな夕陽を背に、2頭のキリンが家路につく(?)様子を、かなりの至近距離で見ることができました。われわれの車におびえることもなく、実に優雅に、悠然と歩いているのです。息を呑むほど美しく、威厳に満ちたそのさまに、我知らず涙を流しておりました。
キリンは英語でジラフ(GIRAFF)というのですが、この響きがまたカッコいい。麒麟、という漢字もいい。さらに、麒麟という漫才コンビが好きなので、愛着もひとしおってわけです。

K-SAFARI4.JPG - 13,757BYTES キリンとしまうまのツーショット。草食動物同士のせいか、こいつらは仲良しなのだ。

ひと昔前、「動物占い」なるものが日本中を席巻しましたね。かく云うわたしも動物占い関連の本はほとんど全て持っているクチですが(ううむ、バカだ)、サファリでいろいろな動物を見ていると、やはり個々のキャラクターというものが顕著にあって、実に興味深い。
例えば、ライオンって奴は、百獣の王なんて云われるだけあって、確かに堂々としています。何台ものサファリカーに囲まれでも(サファリは連日盛況なのだ)、全く我関せずで、車と車の間をのそのそと歩いていくさまは、さすがに威厳があるというか、図々しいというか(笑)。
が、一方で、昼間のライオンのオスときたら、いかにも「寝起きっす」みたいなヤル気のない様子で、やぶの中から出てきたと思ったら、10歩くらい歩いてまた別のやぶでパタリ、と寝転がってしまうのです。おーい、もっと動けー。
ライオンの生態は、メスが狩をして、オスは生殖行為のみということになっており、たてがみばっかり立派でもオスライオンはダメな奴なのですよ(笑)。さらに、ライオン全般に関して云うと、イメージのわりに実は狩が下手で、ハイエナの獲物を横取りしちゃったりするらしい。うーん、お前らは本当に強いのか?

結局、3日間のサファリで見た動物は、ライオン、チーター、バッファロー、キリン、シマウマ、ジャッカル、ダチョウ、アフリカゾウ、カバ、サル、インパラ(山盛り)、ガゼル(山盛り)でした。サファリBIG5のうち、ヒョウとサイを見逃したのは残念でしたが、まあこれだけ見られれば満足です(ちなみにBIG5の残り3つは、ライオン、ゾウ、バッファロー)。

実のところ、サファリは3日もやれば飽きてくるもので、最初は「おおー、キリンだー!」なんて盛り上がっていた車内も、3日目になると「ん?キリン?あっそ」ってなシケた反応しか起こらなくなってしまうのです(笑)。この頃になると、ヒョウクラスの大物を発見するか、ライオンの狩くらいのスペクタクルな光景を見なければ、好奇心が満たされません。実にゼータクな話です。慣れって怖いですね(苦笑)。
それに、朝から晩までサファリカーに乗りっぱなしなので、しまいには眠くなる始末。もっと長いツアーもあったのですが、Iさん夫婦ともども「3日で充分だねー」と云い合っておりました。

まあでも、サファリというのは、四六時中動物が発見できなくとも、どこまでも広がる草原を眺めているだけでも、なかなか気持ちのよいものです。
『金髪の草原』という言葉を思い出しました。大島弓子の傑作短編マンガなのですが、このキラキラと風になびく草の海は、まさに”金髪の草原”。実に美しく、雄大でありながらも優しく、暖かな光景です。これはさすがに”アフリカらしい”、アフリカでしか見られないもののような気がします。

SAFARI16.JPG - 31,033BYTES さらさらの金髪のような。

さて、サファリも終わったし、身体もとりあえず回復したので、また動き出さなくてはなりません。
ナイロビではのんびりできたけれど、まだまだ他地域の取材が残っているのです。いつもなら、明日の行き先も分からずに悶々としているところですが、何せお仕事なので、悩む余地もなく、2週間先くらいの予定までバッチリ決まっています。
てことで、明日はケニア第2の都市モンバサに行きます。
それではまた。最後になりましたが、入院に際して、色んな方に心配をかけてしまったことを、この場を借りてお詫びいたします。どうもすみませんでした。

(2003年2月24日 ナイロビ)

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