どこを切っても、金太郎飴の如く、どこに行っても、何をしてもハードなこの国の旅。
この1ヶ月弱、わたしは一体何回キレ、何回痛い目に遭い、何回泣いたことでしょう…のわりに身体に全く支障をきたしていないのが、我ながら不思議でなりません(バカだからか?)
今回の風信は、巻物のように長いので、覚悟して下さい(涙)。
ハラルから戻って、いよいよ南下に入りました。自分の中では一区切りつけて、新たな気持ちで旅をするつもりでした。
でも、1日が終わるといつも、ああ、何にも変わっちゃいない…と、自分に対してもエチオピアに対しても失望するのです。
アジスからシャシャマネ、アワサ、アルバミンチまで、道路事情こそよくなったものの(まあこれだけでも大進歩ですが…)バスは相変わらずボロく、狭く、暑く、移動が終わるともうそれで1日の仕事を終えたように疲れてしまいます。
わたしと同じ歳でハラルに流れ着いた詩人ランボーの家。ランボーの詩は実はよく分からないが、生き様には惹かれる。
シャシャマネは、町自体には何もないのですが(そして何もないくせに人だけはやたらうざいと評判の悪い町)、近くにラスタファリズムの人々が暮らす村と教会があって、レゲエ好き、ボブ・マーリーリスペクト!な人々にとっては、ちょっと特別な場所なのです。
ちなみにわたしとレゲエの関係は、昔、「一番入りやすい雰囲気だった」というそれだけの理由でちょこちょこ通っていた大阪市内のクラブがレゲエ専門だった、ということくらいで、ほとんど関係はないと云っていいでしょう。ボブ・マーリーもちゃんと聞いたことないし…。
ラスタファリズムとは何か?
実はわたしも、前回の痴漢事件にて登場したE君に話を聞くまでは、ほとんど知らなかった単語でした。
何故か今持ち歩いている『世界の宗教101物語』という本には、このように説明してあります。
”1930年にエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝が即位したとき、そのニュースに呼応してジャマイカで起こった黒人運動に端を発している。(中略)アフリカ帰還、黒人優位主義、ハイレ・セラシエの信仰、ナイヤビンギ音楽(※これがレゲエの元になっているらしい)、聖なる草(大麻)の摂取、塩分抜きのアイタル料理(※ベジタリアン料理)、エチオピア国旗の黄・赤・緑を基調とするシンボリズム、I&I(われわれ)というような独自の言語表現など、ユニークな世界観と生活様式を持つ。”
さらに付け加えますと、ドレッドという髪型がありますね。あの、頑張って何年も洗わずに伸ばし続ける大変な髪型も、ラスタマン(ラスタの人)の特徴です。
また、ラスタはキリスト教を基調にした宗教(というか運動というか、かなり微妙なところ)ですが、キリスト教との明確な違いは、ハイレ・セラシエを神として崇めている点です。
毎土曜日の夕方から、ミサのようなものが行われるというので、ちょうどその日にシャシャマネに着いたわたしは、1人で教会に出かけて行きました。
聞いていた話からは、もっと盛大な祭りのようなものかと思っていたのですが、実際は人はまばらで、えんえんとナイヤビンギ音楽が奏でられ、そのリズムに合わせてのらくら踊る、という実にゆるい儀式でした。最初の方は興味深く見ていたわたしも、あまりに単調な儀式とメロディにすっかり退屈してしまい、かつ帰りの足がないという不安もあって、「一体わたし、何しにここに来たのかしら?別にレゲエ好きでもないのに、こんなところにのこのこ来て、どうしようっていうのかしら?」と1時間くらい自問自答していました。
で、これも話に聞いていたとおり、ハッパを薦められたのですが、「どうせこれ目的で来てんじゃねーのかこのツーリストめ」と思われるのがイヤなので、丁重にお断りしました。
にもかかわらず、翌日、ひと足先にシャシャマネに来ていたEくんと、アジスで会った吉田夫婦とともに、再びラスタ村に行くことになりました(つーか何となく付いて行っただけだが…)。
一緒に行った吉田夫婦もEくんも(彼らも1日前の昼にすでに行っていた)、元々レゲエ好きとあってか、すっかりラスタ村のゆるい雰囲気を気に入っており、また溶け込んでもいました。
しかし、3人がピースフルな気分になって帰って来ているというのに、昨夜の帰り際に、ラスタの青年にガイドの売り込みをかけられ、さらに教会への寄付を要求されたことが引っかかっているわたしは、今ひとつスッキリしませんでした。
そもそも、わたしは、自然回帰ということにさほど興味がないのです。何となく、違和感を覚えると云うのかなあ…。
何を今さら…とか思ってしまうんですよね。自然が素晴らしいのは分かってるってば。
自然崇拝はたいてい文明蔑視につながるわけで、文明を享受しておきながら、やっぱ自然が一番だよねー、なんて云う人を見ると「そんなに自然が好きならケータイを持つな!インターネットをするな!服じゃなくて葉っぱ着けて暮らせ!」と妙な悪態をつきたくなる(こともある)。
そう感じるたびに、自分がいかに文明にどっぷり浸かっているかを認識するのですけどね。ビルだらけの都会は決していいことばかりじゃないけれど、それはそれである種の美しさをもっているのではないか、とも思うのです。
(※ラスタ村については、一緒に行った吉田夫婦のHPに詳しいので、そちらを見ていただければと思います。やっぱ、その場所に愛のある人が書いたものを読んだ方がいいと思われるので)
ラスタ村の長老。眠そう。。。
E君と吉田夫婦はアジスアベバに帰り、わたしはまた1人になって、次の町、アワサに行きました。
アワサの見どころはアワサ湖(そのまんまやね)。ま、何のことはないただの湖なんですけど、のんびりした雰囲気でなかなかよろしい。夕方になると、地元民たちも湖岸をそぞろ歩きしています。
また、この湖沿いにあるユニークパークホテルのアボガドジュースが異様に美味しく、湖からの風も気持ちよく、久々に心安らかな時間を過ごしていました。
しかし、そんな悠長なことを云っていられるのは、ほんの30分くらいのこと。
アワサ湖では、湖のボートトリップが出来るのですが、これも取材としてやっておかねばなるまい、という義務感にかられ、ボートの交渉に行ったところ…ま、当然ながら彼らはふっかけて来ますわな。
で、これも当然ながら、ぼったくりに対しては反射的に戦闘態勢に入ってしまうわたしは、「あのなー、そんな高いわけないでしょ!『ロンプラ』には15ブル、って書いてあったけど?!」とまくし立てました。
あー、もう戦いたくないよー、と心では泣いているのに、実際は鬼のような形相で「ディスカウント!ディスカウント!」と叫んでいる自分が、心から可哀想つーか、情けなくなりましたね。
とりあえず、言い値までは下がったものの、いざボートトリップをしてみると、すぐ近くの湖畔に渡るだけという実に大したことない内容で、「は?これで15ブル?ありえん!」と云ってまたキレそうになりました。。。
そう、前回の最後に、某ガイドブックの取材をすることになった、と書きました。
当時は、何という素晴らしい申し出なのだろう、交通費も宿代も、多分食事代まで出て(レストランを取材すれば出ると云っていた)、しかも中学生の小遣い程度にしろ(失礼なことを云いますねわたしも…)謝礼まで出るなんて、サイコーじゃん、と浮かれまくっていたわたし。おそらく読者のみなさんも、「野ぎくちゃん、ラッキーだねー。お金もらいながら旅行できるなんてさー」とさぞかし喜んでくれていることでしょう(?)。
しかし、世の中というのは、そんな甘いもんじゃありませんでした。
いざ取材を始めてみると…これがしんどいの何のって。
何しろ今までは、ただの気楽な放浪者だったのです。明日どこに行くかなんてのは、朝起きたときの気分で決める、行きたくなければ行かなければいいし、予定はいつだって未定でした。
ところが、取材を始めてからは生活(これを生活と云うならば)が一変しました。
バスターミナルで下りたらまず、他都市へのアクセスと値段を調べる。
新しい町に着いたらまず、ツーリストインフォメーションを探して地図その他の資料を手に入れる。
レストランに入ったらまず、メニューと値段と営業時間をチェックする。
どこに行っても、何をやっても頭にあるのが「取材しなければいけない」。
道を歩いているだけでも、常に頭は取材モード。これまでのように、景色を楽しみながら散歩、などと悠長なことはやってられません。ホテルの看板を見つけたら、とりあえず飛び込む(営業マンかっての)。そして、値段や電話番号や部屋数やシャワー状況やレストランの有無etcを聞くのですが、わたしは真面目な性格ゆえ、いちいち律儀に部屋を見せてもらうので、時間がかかってしょうがないのです。もっと適当にやる方法もあるのかも知れませんが、こればっかりは性分というか何というか…。
また、困ったことに、エチオピアは元になる記事がなく(次の改訂版でエチオピアを新たに入れるのだ)、とにかくしらみつぶしに目に付いた宿、レストランを回るといった状況で、これがしんどさに拍車をかけているというわけです。
アワサでは、ツーリストインフォが規定の時間に開かず、そこら中の現地人に当り散らして大変でした(いや、大変なのはわたしではなく巻き添えを食った人々なのですが)。
そこまでして地図を手に入れる必要があるんだろうか、という冷静な分析が頭を何度もかすめたのですが、もはや意地になってしまって、「何が何でも地図を入手せねばならない」と、融通のきかないコマンドを自らに課して、まさに自分の首を自分で締めていたわけです。本当にバカ者です。
しかも、やっとのことでインフォが開いた(約1時間後…怒)と思ったら、「アワサの地図?そんなものはない」と云われる始末…。
もうその頃には怒る体力も気力も失せており、「さっさとあきらめていればこんなことにはならなかったのに…」とうなだれてそこを後にしたのでした。結局インフォで手に入れたのは、印刷も紙の質も悪いシマウマのポストカードだけでした…。
アワサ湖上の風景。
さて、いよいよクライマックスにサイアクだった次の町、アルバミンチでのあれこれを。
いやー、マジで、精神がおかしくなるかと思いましたね…って云うか、多分もうなってる。間違いない。
着いた早々から、客引きだかガイド志望だか、分からないけどとにかくアグレッシブな(本人はフレンドリーな態度だと思っているに違いない。このボケナス!)青年に付きまとわれ、しかし疲れているのでそいつの云うままに近くの安宿にチェックインしました。
とりあえず荷物を下ろして部屋で一息ついていると、何だか気持ち悪いことに、そいつがちょこちょこと部屋の窓(カーテンが貼ってない上のほうの小窓)から顔をのぞかせてやがるのです。ストーカーまがい、つーかストーカーそのものじゃん!
私「あのー、何してるわけ???」
ストーカー「これから何処に行くんだい?」
私「あんたにカンケーないでしょ!」
とこのよーなやり取りが、何度も何度も繰り返され、何て学習能力のないバカなんだ、わたしがここまであからさまに嫌がっているというのに、こいつは何本か神経がキレてるんじゃないのか?!と怒りを通り越して本気で不思議に思うほどでした。
そして次の日。朝っぱらからこのストーカーくんが、性懲りもなく部屋の前で待ち構えておりました。
その時点でもうこの日が最悪な日になる前兆があったのです。いや、その前に、朝起きていきなり水が出ないことが判明した時点で…。顔も洗わずに出かける、というのはやはりよくないね。
ストーカーくんをやっとのことで振り払ったのも束の間、町に出れば、親切を装った人々が、どこに行ってもわたしの半径1メートル以内に近づいてきます。わたしは磁石ですか???
一応今日の目的地はクロコダイルファーム(ワニ園)ということで、町から7キロも離れていると聞いてウンザリしながらも、取材もしなきゃいかんしな、ってんで、自転車を借りて行くことにしたのですが…。
暑さのせいかヤル気のないワニたち。
この自転車、何度も「背が届かないから小さいのにしてくれ」と云ったにもかかわらず、結局貸し出されたのはデカい自転車、しかもブレーキがむちゃくちゃ甘く、いざ漕ぎ出すと恐ろしいことこの上ありません。ギリギリでペダルは踏めるのですが、本当にギリギリなので、漕いでいると股関節が外れそうになります。
ま、股関節は無事だったのですが、ちょっと力を入れてこいだだけで、チェーンがすこーんと外れてしまう。ほんま、何回外れるねん!簡単に外れるだけあって、簡単に直せたけど…。しかし、何が悲しくて手を油まみれにしながら、金出して借りた自転車を直さねばならないのでしょうか。しかもこの炎天下。本当に何度も倒れそうになりました。
帰りは、返却時間が迫っていたこともあって、もはやマラソン状態、マラソンより体力を消耗しました。で、ハアハア云いながら最後のラストスパートをかけたところ、またしてもチェーンが外れ、しかも運悪くショルダーバッグが身体にからまって、思いっきり転倒してしまいました。何で、何でこうなるわけ?!悔しさとしんどさのあまり、わたしは突如5歳児に変身して、泣きじゃくりました。そうなるとまた、地元民が野次馬で寄ってきて、まさに”火に油を注ぐ”状態…。
よれよれになって元の場所に戻ったところ、またしても「時間がオーバーしてる」だの「ペダルが壊れた」だのとイチャモンをつけて余分な金を毟り取ろうとするので、疲れて声も枯れているにもかかわらずブチ切れ、「あんたらはわたしのことをカネとしか思ってないんだろ!バカにしてんだろ!」とわめき散らしてしまった…。
すると、どっかの野次馬野郎が「そうだ、ユーアーマネーだ」と云いやがり、さらに神経が7本くらい切れてしまいました。ほんと、ぶっ殺す。。。
そのようにして、午前中ですでにズタボロになったわたしですが、それでも午後はちゃんと取材を続けるというジャーナリスト魂(違うって)には、我ながら頭が下がるね。
アルバミンチは、シェチャというアッパータウンと、セカラというダウンタウンに分かれています。わたしが宿を取っていたのはセカラの方ですが、当然ながらシェチャのホテルも見に行かなければなりません。しかも、頼みのツーリストインフォがシェチャにあるというので、炎天下の中、またぞろ歩き回っていたわけです。歩いて20分以上かかる高級ホテルに、泊りもしないのに(いくら宿代が出ると云っても高級ホテルには泊らせてくれません)行かなければならないのは、本気で苦痛ですね。
全く看板もないツーリストインフォをやっとのことで探し当て、担当者が会議に出ているというのでそれも大人しく待ち、ようやく地図のコピーがゲットできるという段になって停電になり(つまりコピー機が動かない)、仕方ないのでセカラまで下りてコピーを取ったはいいけど、ナゼか担当者自身の分のコピー代までしっかり払わされ(別に経費で落ちるからいいけどよー)…。
ここまでで、とっくにわたしは疲弊しきっていました。地図を入手し終わると、もう辺りはとっぷりと暗く、普通の旅人ならとっくに夕食の時間。疲労困憊のわたしは、空腹もひとしおです。
しかし、ここで終わらないのがエチオピアだぜ。さすがだな。まだまだ受難は続きます。
夕食は、シェチャに美味しい魚レストランがあると聞いていたので、またミニバスに乗ってわざわざ戻りました。
レストランに向かって歩いていると、朝方セカラで声をかけてきた「ツーリストインフォで働いてます(多分自称)」男が、ナゼかわたしの前に立ちふさがりました。
「やあ。どこに行くんだい」と例によってなれなれしく話しかけてきたのはまあいいとして、そいつは急に「ところでこれからジンカに向かうんだろ?」と云い出しました。
ジンカ。アルバミンチからバスで7時間のところにあるこの小さな村に何があるのかというと、ムルシ族という、唇に皿をはめる独特の風習を持った少数民族が住んでおり、このあまりにも珍しい人々を見よう、写真を撮ろうと、観光客が連日押し寄せているのです。
わたしも、ここまで(苦労して)来たからには、ムルシを見なければ、サビ抜きの寿司どころではなく、実にマヌケで苦しいだけのエチオピア旅になってしまうので、当然ジンカに行くつもりでした。
そいつは神妙な顔つきで、このように語りました。
「ムルシの写真を撮りたいなら、カミソリか石鹸をたくさん買って持って行った方がいい。何故かって?写真を撮るのに金を渡すのはとても失礼なんだ。でもカミソリを酋長に渡せば、酋長はゴキゲン、写真もバッチリ撮らせてくれるのだ。オレは何回もジンカに行っているから間違いない」
…今こうして書いてみると、胡散臭さ極まりないことは小学生にも分かりそうなものですが、そのとき、何を血迷ったか、「なるほど、そういうもんなのだろうか」と、妙に納得してしまったのです。どこぞで聞いた「ムルシは石鹸を持っていくと喜ぶ」という話が頭をちらついたせいもありました。しかし、これも今にして思い起こせば、この話をしたヤツは、例のストーカー男だったんだよな…。こいつら、もしかしてグルかもな。
ともかく、そこで納得してしまったわたしは、そいつに促されるままに、カミソリ(の刃)を買いに行きました。
ところが、カミソリが何と20個で60ブル(約900円)!今泊っているホテルがシングル、シャワートイレ付きで30ブルだというのに、たかがカミソリの刃がその倍額するということが、ありえるだろーか?!
わたしはさんざんそいつに向かって「高すぎじゃねーのか?クレージーだ!あたしがガイジンだからか!」と怒り倒しました。が、あまりにテンパりすぎて、ついにワケが分からなくなり、思わず60ブルを叩きつけてしまったのです。
その後わたしは、何事もなかったようにレストランで大人しく食事していたのですが、ふと「やっぱりおかしい気がする(何がやっぱりだ)…」と思い立ち、急に食べる手を止めて、近くにいた女性客に「すみません、これっていくらなんでしょうか?」とカミソリを見せて尋ねました。
「そうねえ、ひとつ1ブルちょっとだから、25ブルくらいかしら」
…何?25ブルだと??
「25、ですか?」
「そうよ。え、あなたそれいくらで買ったの?」
「…(震えながら)60ブルです。」
それだけでも充分キレるに値する出来事だった(?)のですが、さらにこの後、隣り合わせたツアーガイドの兄ちゃん(彼はきれいな英語を話していてホンモノっぽかった)に、カミソリを買ったいきさつを話したところ、
「ムルシの写真を撮るのに必要なのは、お金だよ」といともあっさりいい放たれてしまいました。
でも、そのヒトが云うには、お金を直接渡すのは失礼なので、カミソリや石鹸が必要だということなんですけど…と弱弱しく云い返すと、「それはRIDICULOUS(バカげているの意)だ」という、実に身もフタもない答えが返ってきました。半分呆れ、半分同情しているような口調で…。
つまりこういうことでした。カミソリや石鹸は、確かに喜ばれる。しかし、それはあくまでオプションであって、写真を撮るにはやはり現金を払わなければならないのだ、と…。
わたしの怒りはもはやマックスに振り切りました。ほんとにそいつを殺してやろーかと思いました(うーん、殺してばっかだなわたし)。
実際、あの男殺してやる!と英語でわめき散らして、周囲の人々を困惑させていました。「帽子かぶった黄色いTシャツの男探してんの!!アイツはあたしの金騙し取ったんだよー!!あいつ絶対殺す!殺してやるーーー!!」
本当に悔しくて、本当に泣いてしまいました。一体1日何回泣けば気が済むのでしょうか。そこらのガキより始末が悪いです。
しかし、いったん金をゲットした以上、そいつはもうわたしの前に現れるわけがない。そう思うとまた悔しさが5倍くらいに増幅し、泣くわわめくわ地団駄踏むわ…。
ところが、不思議なことに、そいつはあっさりと見つかりました。
しかも、まったく悪びれる風もなく、「おいおい、一体どうしたんだいセニョリータ?」てな感じでのこのこと現れたのです。
わたしは、怒りのあまり自分の英語がメチャクチャになっているのも構わず、「てめー、よくも人の金騙し取りやがったな。人に聞いたら25ブルだって云ってんじゃねーかコラ!金返せよ!ボケ!」とまくし立てました。
しかし、そいつは全く涼しい顔をして、「おれは騙してなんかいない。あの金はまるまる店のもんだ。おれはお前の金なんか持ってない」とさらりと云いやがります。
…ホンマ、殺したろか。火に油を注ぐとは、まさにこのことです。
「何云ってんの?絶対騙してるじゃん!あそこに座ってるねーちゃんに値段聞いてみろよ!とにかく金返せ!返せボケーーー!!(←この辺英語日本語宇宙語チャンポン)」
ほんと、傍から見たら明らかにわたしの方がヤバい人なのですが、何しろ頭が沸騰しているので、そこまで思い至りません。わたしの至上命題は、こいつから金を取り戻すこと。それが正義なのです(?)。
そいつは終始「騙してない」の一点張りでしたが、わたしの剣幕に押されたのか、ついに、たまたま持っていたらしい23ブルをわたしに叩きつけ、そのまま去って行きました。…おい、全然足りてないぞ。
周りの人たちも、最初はあいつは悪い奴だ、とか云ってたわりに、その内この騒ぎにうんざりしてきたのか(まーうんざりもするだろうが)、「でもまあ、あんたはガイジンだから、その値段で平気でしょ」みたいなことを云い出す始末です。
ガイジン料金。この国に限ったことではないのでしょうが、エチオピアに来てから、幾度となくこれにぶち当たりました。そのたびに不愉快な思いをしました。
わたしも以前は、経済格差がある以上、仕方のないことだと思っていましたが、実際に「おら、ガイジン。お前らは3倍払えや」とか堂々とやられると、やっぱり納得がいきません。
少しくらいなら目を瞑れるけど、カミソリの刃や石鹸すら、外人料金が適用される、外人からならどれだけカネを取ってもいいと思っている、その根性がどうにもイヤなのです。「君たちはリッチじゃないか」と彼らは云います。でもわたしたちだって、自国に帰れば大した贅沢もできず、ウサギ小屋と云われるような小さなスペースで暮らし、いくらお金を稼いでも物価が高いから結局それと同じだけのお金が出て行くわけで…。なんて云ってももちろん彼らには通用しません。
「ガイジン料金取ってくる国の人間に対しては、逆に日本でもガイジン料金取っていいんじゃねーの?」と、ある日本人旅行者が云っていました。ガイジン料金は単なる差別ではないのでしょうか?
結局わたしは、何もかもがうやむやになったまま、ホテルに戻るしかありませんでした。
無意味なほど大量のカミソリの刃を抱えて…。これの使い道と云ったら、自分の手首を切って、イヤなことだらけのこの旅および人生を終わらせることしか考えられません(?)。
問題のカミソリ(※少し減っているのは、手首を切ったわけではなくムルシにあげた)。
ところで、猫も杓子も金を要求してくるこの国ですが、たまに金を取らない親切なやつがいると思ったら、その8割は、”色”目的だったりするので、本と、いつ何どきたりとも気が許せません。つくづく、モロッコと酷似しているなあ。
先述のホンモノらしきガイドの兄ちゃんも、大半は親切だったのですが、暗闇に入るとやたらベタベタ触ってきて、その上、「もうセカラに帰るバスはないから、オレのホテルに来た方がいい…」とささやくように云ってきたので、やっぱ信用できん!と警戒を新たにしたのでした。
また、ホテルに帰る直前、話しかけてきた男はこれまた、ただのフレンドリーな人かと思いきや、別れ際「ところで、もう家に帰るバスが終わってしまったので、君の部屋に泊めてほしい。いや、神に誓って何もしないから、僕を助けてくれ」と、何が嬉しいのかニヤニヤしながら云い出すので、わたしは思わず土下座して「本当に申し訳ないんですが、あなたを助けることはできません!」と逆に頼み込んでお帰りいただきました…って、オレが悪いんかい!もういいかげんにしろっ!
わたしはフェミニストじゃないけれど、こういうことがあるたび、本当に悲しくなる。結局男は女をナメてるんだなー、と思う。男にとって偉大な女、尊敬すべき女は母親になった女だけで、それ以外の女はただのセックスの道具としか思ってないんだろーなー、下等生物と見ているんだろうーなー…なんて。
女性蔑視の強いイスラムの国を抜けても、結局は同じということに気づいて、何だかうんざりしてしまいます。まして、1人で旅している女なんて、何やってもいいと思っているような気がして…。
日本人の男性諸君も、あからさまじゃないだけで、根っこでは同じように思ってるんじゃないのかな…。
例えば今、1人でアフリカを旅しているわたしを見て、「女のクセにようやるわ」と思う男はいっぱいいると思う。これが男なら、あいつ、すごいなーって話にもなるのだろうけど、女だと、頭おかしいんじゃないのか、おそわれても文句云われへんぞ、って、どこまでいってもネガティブな捉え方をされるんだろうな。よしんば、無事に事が終わったところで、アフリカを1人で縦断するなんて、マッチョな女だーと敬遠されるんだろう…。
それでも、男に守ってもらいたい、と思う気持ちが自分の中にあることは否めません。こんな場所を旅していると、何かあるたびに、誰かにすがりたい、って思う。ほんと、情けないんだけど…。夫婦やカップルで来ている旅行者を見ると、本気で、涙が出るほどうらやましい。
エチオピアの宿というのは、安宿であるかに関わらず、シングルの部屋というのはありません。いや、正確には、シングルの部屋のベッドがダブル仕様になっていて、2人だとシングルを折半して泊れるというわけなのです。
わたしは、そのムダに広いベッドに1人で寝るたびに、思います。「ああ、これがカップルだったら、お金も浮いて、しかも寂しくないのに…」って。
その一方で、天邪鬼な性格のわたしは、みんなカップルだっていうんなら、わたしは1人で旅してやる、1人で生き抜いてやる…なんて、意地っ張りなことを思ったりもするけれど、でも寂しさはどうあがいてもぬぐえません。
アフリカを縦断する際に、サファリホテルあたりで適当な相手を見繕って(まああくまでも旅のパートナーとしてだけど)一緒に旅をする、という形はわりとポピュラーで、実際、わたしより随分先にアフリカに下ったYちゃん(アリランで会ったYちゃん)もそのようにしてケニアまでは、男性と2人で南下して来たと云っていました。
しかしわたしは、もうしばらくは男だろうが女だろうが関係なく、パートナーを作る気はありませんでした。そろそろ1人に戻って、自分の旅がしたいと思っていたからです。
…その選択は、間違っていたのでしょうか??
話が随分逸れてしまいました。すみません。
で、やっとのことで帰ってきたら、相変わらず水は止まったままでした。こんなんで外人料金とか取るなよ!アメリカだったら訴えられるぞ!
…夜中、パソコンを叩いている間に、洗面台の水が出始めたので、よし、じゃあ朝浴びるかと思っていざ起きると…また断水です。シャワーつきの部屋にいながら、2日もシャワーを浴びれないという理不尽。大体アルバミンチは、アバヤ湖とチャモ湖というデカい湖が2つもある町なのに、何故、何故こんなにしょっちゅう断水するのでしょうか?ほんと、気が狂いそうです。
北はまだしも、ほとんど冷水シャワーだったし、シャワーは共同だったけど、一応浴びることができたのです。夜浴びると、心臓麻痺で死ぬんじゃないかと思ったけど、それでも浴びることはできた。
それが、水事情の悪いとされる北でさえそうなのに、南に来てからまともにシャワーが浴びられない…。もう、ほんと、どこまで行ってもロクなことがないエチオピア旅。
自分が一体何をしているのか、何を求めているのかが、分からなくなってしまいました。
そして、下手に義務(取材)を背負ったばかりに、いつまでたってもこの国から抜け出せない…。
実はわたし、ひそかにとある旅行者を、半ば追うようなつもりで南下していたのですが―と云うのは、彼もわたしより一足先に、1人で南下していたので、勝手に”仲間”というか”同志”のように思っているというだけのことなんだけど―彼は、驚異的な速さでアフリカを縦断しており、多分わたしがナイロビに着く頃にはもう喜望峰にいるんじゃないだろうか…という勢い、彼に追いつくことはもはや絶望的になってしまいました。
彼からメールをもらうたびに、自分の移動の遅さに呆れ、焦り、いつまでたってもループの如くエチオピアから出られないわたしは呪われてでもいるのだろうか、と落ち込み、ああ、わたしも軽やかに移動したい、何故彼のように前に進めないんだろう…その気持ちは、意味もなくその人への思慕を募らせ、ますますわたしは孤独に陥ってしまっているのでした。
そんな状態にも関わらず、ちゃんとジンカにはやって来ました。
ここでムルシを見れば、わたしも心残りなくエチオピアを立ち去ることができるのです。
またしても、バスを下りた瞬間から、アグレッシブなガイド志望青年がまとわりついてきて、しかもそいつは、わたしがテキトーにお茶を濁していると今にも逆ギレしそうな勢いで、ほんと怖かった…。何でわたしが恐縮せにゃならんのだ?!
ムルシが見られるのは、土曜日のマーケットです。
しかし、可能性は100パーセントではありません。何しろここから徒歩で2日かかるマゴ国立公園の奥地に住んでいる(この辺がいかにも少数民族っぽい)彼らは、食糧が尽きたときしか、ジンカの町まで出向いてくることはないのです。
ですから、頻度としては、1ヶ月に2〜3回といったところでしょうか。
わたしは自他ともに認めるツキのない人間なので、当然ながらわたしの前にムルシは現れてくれませんでした。
となると、ムルシを見る方法はただひとつ。こちらから、彼らの村に出向いていくことです。
ところがこれが、アクセスが困難な上、費用もかかる(トラックかランクルをチャーターせねばならず、これが1台100ドル以上する+国立公園の入場料やらガイド、警備員代やら色々加算されるのだ)というので、どうしたものかと悩みました。
某ガイドブックは、国立公園は取材しなくていい代わりに、当然お金は出してくれません。これが経費で落ちれば苦労も報われるのになあ、と思いつつも、一応今のところ稼いだ(でいるはずの)お金があるし、ここまで来てやはりムルシを見ずに帰るなど旅人として許されません。
そこで、現地人ガイドの協力のもと(そいつもわたしのような貧乏人ではなくちゃんとした客が欲しかったので)、ムルシを見に行く旅行者をホテルで探したところ、運良く3人の欧米人ツーリストが見つかったのです。しかも1人は、自分の車を持っていたので、どうやらく安く上げることが出来そうでした。
ムルシ村への道は、北エチオピアの移動がノーマルに思えるほどひどい悪路です。
何せ優秀なトヨタのランクルに乗ってすら、ものすごい振動が、絶え間なく続くのですから…。途中でエンジンがオーバーヒートしてましたしね。たった30キロの道のりに、5時間かかったと云えば、いかに凄まじい移動だったかを推し量っていただけると思います。
半分死にそうになりながら、やっとのことでたどり着いたムルシ村。
まあこれが、話には聞いていたものの、めちゃくちゃツーリスティックで、何しろわれわれが車を下りた途端、「マネー!」と来たもんだ…うん、実にショージキでよろしい(?)。
あまりにも観光地化されているので、すでにツーリスト向けの「写真撮影価格」が取り決められており、大人1人につき2ブル(約30円)、子供1人につき1ブル、赤ちゃんを背負った女性は3ブルという、実にしっかりしたシステムが出来上がっているのです。そりゃカミソリなんてクソの役にも立たないわなー、と思いました(笑)。
いざ撮影になっても、ちゃんと段取りがある。
まず、ガイドの号令で、全員が輪になってわれわれの前に並びます。何かっていうと、それでわれわれが「あの人写真撮りたい」と云って指名するんだよね(笑)。完全にキャバクラじゃねーか。実際、わたしに色気たっぷりにウインクを投げてきたおねーさんもいたわ…わたし女なんですけどー…。
ド迫力のムルシ娘(ホントに娘なのか?)。
精神的にはともかく、見た目はとっても未開民族なムルシの人たちは、確かに、金払ってでも写真を撮りたいと思わせるものがあります。
有名な、”唇に皿”を目の前で見たときは、それなりに衝撃を受けましたね。ほとんど裸みたいな格好だし、特に女性は、顔回りの装飾が(唇に皿も含めて)すごい。装飾で本当の顔がさっぱり分かりません。
しかし、あまりにも写真撮れ撮れとウルサイので、じっくり観察するヒマもなかった…。ちょっとでも写真の手を休めると、服を引っ張って来ますからね。おいおい、もうちょっと落ち着けよ…いくら金欲しいからってさー…。
と、最初はウンザリしていたものの、あまりにもストレートに金金金と云うので、何だかおかしくなってきて、「ま、これはこれでひとつの見ものなのかも知れないなー」なんて思うようになりました。
ムルシもう一丁。
さて、このムルシツアーで一緒になった、ノルウェー人の女性、ハナについて、少しお話しましょう。
ツアーのときは、ただでさえ疲労困憊だったのと、わたし以外の2人がネイティブでハナもめちゃくちゃ英語がうまかったため、ほとんど会話も出来ず、ただ彼女が何となく旅なれた感じの人だなー、という印象を持っただけでした。
しかし、ツアーが終わって、ホテルの食堂で1人、ビールを片手に書きものをしているハナが、何だかとてもカッコよく見えて、普段なら、英語が苦手なせいもあり自分から外人に声をかけることなど皆無なのですが、このときばかりは、思わず彼女のテーブルに行って、「もし時間があるなら、ケニアのことで、聞きたいことがあるんですけど…」とか何とか云いながら話すきっかけを作ったのです。
ハナは現在39歳、何と世界166カ国を旅しており、夢は全国制覇(翼くんかっての)という、筋金入りのバックパッカーです。
行った国より、行っていない国を聞いた方が早いってわけですね(笑)。ちなみにイラクにはまだ行っていなかったので、ヨルダンからツアーが出ていることを教えてあげると、とても喜んでいました。
ノートをちらっと見ると、ホテルの情報などを詳しく書いていたので、わたしと同じように何かの取材をしているのかと思いきや、「仕事?ローリーの運転手よ」。
…何だか分かりませんが、わたしはここでぞわっと興奮がこみ上げてきました。
何てカッコいいんだ!トラックの運転手だなんて!話をさらに聞くと、「半年働いてお金を貯めて、あとの半年でこうやって旅行しているの」とのことでした。
彼女を見て、また話を聞いていると、”気持ちのいい1人”という言葉が浮かんできました。
ダブルベッドが広すぎるだの、男にすがりたいだの、そんなケチくさい根性とは、全く無縁のように思えました。
同じ女の一人旅でも、わたしとは天と地ほども違う…。
1人であるということは、こんなにも美しいものだったのだろうか。彼女は何と自由で、何と誇り高くあることか…。わたしもこうありたい。誇り高い1人でありたい。
これまで、そう多くはありませんが、1人旅、しかも長旅をしている何人かの女性に会いました。
彼女たちに共通していたのは、「何かが突き抜けている」「ムダなものが殺ぎ落とされている」という印象でした。何と云えばいいのか、まるで仙人のように気持ちよさそうに旅をしているように、そしてとても純真な気持ちで旅を楽しんでいるように見えました。
例えば…と、例を挙げるに、ウイーンで会ったYさんなんかはまさにそういう人でした(少なくともわたしの中では)。尽きることのない好奇心とバイタリティで世界中を駆け巡りつつも、無理をしているような印象は全くないのです。
ハナは、「旅を止めることは、多分一生できないわ」とも云っていました。
全国制覇に一体何の意味があるのか、と人は云うかも知れません。わたしだって、そう思っているフシはあります。行った国の数を自慢する人を見ると、何がエライねん、そんなん、自己満足に過ぎないやん、と思います。
しかし、誰かに頼まれたわけでもなく、報酬があるわけでもない。全ては自己満足に過ぎない、そんな行為に身を、人生の全てをかけられる情熱には、ほとんど感動すら覚えます。社会的名声や世間体とは全く関係のない(少しはあるかも知れないけどさ)、”自分のための行為”。まさに、沢木耕太郎云うところの”酔狂”に、人生ごとゆだねているわけです。これほど純粋な行為があるでしょうか…。
そう、わたしもこれからは、”純粋な自己満足としての旅”をモットーに掲げよう。
当たり前の幸福が欲しくて、旅をしているんじゃない。好きな男と楽しく旅行なんて、わたしにはカンケーのないことだ。こうなったら、どこまでも1人で行こう。自分のために。自分だけのために。
…とこのように(?)、ハナに出会ったことで、少しだけ旅に対しての気持ちのベクトルが前に向いたわたしでしたが、何度も云うように、エチオピアというところは情け容赦なくトラブルが襲い掛かってくる国です。あとは国境を越えるだけ、という段になってもまだ、受難は続きます(あー、もう書くのめんどくさくなってきたよ…)。
ジンカ→コンソ間のバスは、北エチオピア並みの悪路でしたが、それでも車窓から見える少数民族のポップな衣装や、遠くからでも無邪気に手を振ってくる愛くるしい子供たち(黒人のチビは本当に可愛い。たとえ金を要求してきたとしても…)に心を癒されつつ時間は過ぎて行きました。
コンソから国境の町モヤレまでは交通手段がないので(こんなのばっか)、途中のヤベロという町までいったん出なくてはなりません。
ところが、ヤベロまでの足が、トラックしかないのです。それも、トラックの荷台です。
これまで、エチオピア全土で何度も”大変な移動”を経験してきたわたしです。
しかし、そのわたしをして、最悪と云わせるほど、このトラックの荷台はすごかった…。最後の最後まで手を緩めない、それがエチオピアなのね(?)。
人、乗りすぎ!荷物も載せすぎ!
誇張でも何でもなく、トラックの本当に“隅から隅”まで人が座っています。床には、穀物やら葉っぱやらコーヒーやらのいっぱい詰まった袋が敷き詰められ、手すりには生きたニワトリが数羽逆さ吊りになっているのです。またこいつが、わたしの目の前でやたら羽ばたくんだよ…ひいいっ、コワイってば!!
「100人乗っても大丈夫〜♪」のイナバの物置って、ご存知ですか?つい、あのCMを思い出してしまいました。まさにあんな状態だったのですよ…このトラックの惨状を、ぜひ空から写してもらいたいものです。
わたしは、穀物袋の隙間に足がつっこんで抜けなくなったまま、まるで「シェー!」のようなポーズを約3時間取らされたまま、トラックに運ばれて行きました。こんなヒドい状態なのに、途中で荷物を下ろそうと頑張るオヤジに「こら!ジャマだ!立て!立て!」と激しく吠えられ、悔しさと疲労のあまり、まーた泣いてしまいました。最近は、水道の蛇口をひねるようにカンタンに涙が出てきますねー…クセが悪いというか何というか。
乗客の女性たちは、見るからに疲れているわたしに、日よけにとスカーフをかけてくれたりするのは嬉しかったのですが、そんな半死人状態のわたしの指から指輪を抜き取ろうとするのにはヘキエキしました。。。
ヤベロで一夜を明かしたのち、いよいよ、国境越えの日がやって参りました。
ああ、この日をどれほど待ち望んだことでしょうか。何と、何と長く苦しいエチオピア旅だったことでしょう…。
ヤベロ→モヤレ間は道路状態もよく、途中休憩のあった村の喫茶店の女性に、何も飲み食いしていないのにいきなり「10ブルくれ」と手を出された以外はすべて順調に事は運んでいました。
しかししかししかし!!!
もう、ホントに書くのもイヤなのですが(でも書いちゃう)、国境を越えるその瞬間まで、わたしの疲労は癒されることはありませんでした。
「国境越えの情報は重要ですので、しっかり取材して下さいね」と云われていたため、これまたクソ真面目に、今まで以上のエネルギーを注いで取材したのです。
ところが、いつもと違うのは、バックパックをかついだまま、取材をしなければならないということ。
長年の読者の方はご存知のように、わたしの荷物というのは、ビックリするほど重いのです。このパソコンや、レバノンで買ってしまった厚さ5センチ、重量2.5キロの写真集など、重いものがいろいろと入っているため、担ぐときは柱か何かにつかまらないと立てないくらいに重い。
カイロで見送りに来てくれたアクセルが、荷物持ちをしてくれたとき、「…野ぎくちゃん、こんなの持ち歩いてたらホント死ぬよ?」と呆れ返っていたくらいの重さなのです。若い男子をも驚愕させるわたしの荷物…いい加減何とかしたい。
で、このモヤレというのが、意外と広い町で、…てことは、そうです、取材が大変だということですね(苦笑)。
端から端まで歩いて、30分はかかろうかという距離、一本道なので道に迷うことはありませんが、メインストリート沿いにホテルが結構な数で存在しているため、そこをまたまたしらみつぶしに見て回らなければなりません。
その間、荷物を下ろすこともままならず(いったん下ろしてしまうと、また担ぐのがタイヘンなのだ)、歩くごとにこなきじじいのように重くなるバックパックを背にしたまま、例によって「ハウマッチシングルルーム?ウィズアウトシャワー?コールドシャワー?」と聞きまわる辛さと云ったら…。例によって、炎天下の中です、これ。
何がムカついたって、ボーダーから30分かかる町の端っこにホテルが存在すること!
これはやや高級なホテルだったのですが、もう少しでホテルのフロントに「何でこんなところに作ったんですか!?こんなに離れたところに誰が泊るんですか!?」と怒鳴ってしまうとこでした(ウソウソ)。ま、よく考えたら、このホテルに泊る人たちは、歩いて国境越えするようなビンボー人ではないということで、しかし某ガイドブックを読んで国境を越える人たちは多分殆どがビンボー人なわけで。。。
本来なら10分あれば越えられる国境ですが、わたしは3時間かかって、やっとのことで、エチオピアを出国したのでした。
イミグレーションで、滞在日数を書く際、指折り数えて何と30日もいたことに気づいて、予定外も予定外の長さに、わがことながら唖然としてしまいました…。1ヶ月ビザまるまる使い切ってるやんけ!
係官の兄ちゃんに、「こいつ、めちゃくちゃエチオピア好きだな」と思われていたらどうしよう…(どうもしないけど)。
そんな感じで、最後まで、マラソンのような、修行のようなエチオピアの旅でした。。。もう二度と来ねーよ。
(2003年2月11日 モヤレ)