旅先風信53「エチオピア」


先風信 vol.53

 


 

**キレまくり道中記2(北エチオピア編)**

 

こんばんは。今回の旅先風信は、ゴキブリが枕もとをうようよしているハラルの宿の部屋からお届けします。
わたしはゴキブリが大嫌い。て云うか、虫全般がダメ。あの異様に多い足でうじゃうじゃ動き回られると発狂しそうになる、”虫”という漢字を見ただけで背筋が寒くなる…それくらいイヤなんです。ああ、今もまた寒気が…。

エチオピアに入ってから、ずいぶん日にちが経ってしまいました。
決して沈没しているわけではなく、むしろ毎日精力的に動いているのですが、努力に反して移動距離が少なすぎる…。2週間以上も経過しているのに、たったの5都市しか回れていないのです。
それというのもエチオピア、特に北部は移動が恐ろしく大変なことで有名でして、何がひどいって、バス・運転・道がすべてダメ、三重苦とはまさにこのことです。地獄とは云わないまでも、ほとんど苦行。荒行。

エチオピアのバスはFIATの子会社IVECO製なんですが、さる情報によれば、今どきIVECOの車が走っているのはイタリアのど田舎とエチオピアくらい、とのこと。つまり、ダメな車なのですよ(笑)。背もたれは何故か肩までしかないし(これはつらいぞ〜)、前後のスペースがきゅうきゅうで短足のわたしですら足がキツいというありさま…。
そんな、軽い拷問のような座席システムもさることながら、元々の性能が悪いのか、老朽化してしまったためなのか、とにかくボロい。ボロすぎます。走行中タイヤが外れるのなんて朝飯前ですもの(ホントに朝飯の前に外れたことがあった)。また燃費が悪いのか、もうもうと黒い煙を立てまくるので、公害きわまりなし。
そんなバスなので、当然スピードは超・超〜遅い。何せ60キロの距離を3時間くらいかけて走るんですからねー。時々、脇を走るロバ車の方が早かったりする…とほほだね全く。普通なら1日もかからない距離を、1泊2日とかで移動するのもこの遅さゆえ。
でも実は、この1泊ってのもムダな話で、朝6時に出て何故か昼の2時頃ストップし、そこで1泊とかなのです。おい、もっと走れよ!とツッコミたくもなりますて
。。。

バスそのもののヒドさに加え、出発時間が一律早朝6時というのもまた、オプション的嫌がらせという感じでいただけない。
朝、と云ってもまだ満天の星がまたたいているような暗闇の中、明かりのない部屋で弱弱しい懐中電灯の光を頼りにパッキングし、バックパック背負ってバスターミナルに出向かなければならないのは、本っ当に苦痛です。夜から朝にかけては気温もぐっと下がって、昼間は半袖1枚でも暑いくらいなのに、この時間帯はフリース着用必至。暗いよ〜(泣)寒いよ〜(泣)とぼやきながらバスの出発を待つハメになるのです。

その他のオプションとして、こんな嫌がらせも…。
1泊2日の道程の場合、1日目は名もなき村のブンナベットでひと晩泊まることになるのですが、このときのシャワーがめちゃくちゃつらい!
昼のクソ暑い&ハードな移動で体は汗と汚れまみれ。当然シャワーを浴びてスッキリしたいところだけど、夕方になると急に気温が下がり水シャワー(ブンナベットでお湯が出ることはまずない…)を浴びると心臓麻痺を起こしそうになるのです。シャワーのタイミングを間違えると「汗と汚れを体にベッタリ貼り付けたまま眠るか(眠れるかい!)、死を覚悟してシャワーを浴びるか」という選択を迫られることになります。。。
一度なんて、ただでさえ拷問のようなシャワーを意を決して浴びに行ったら、共同シャワーの灯りが点かねー!真っ暗で何も見えん!しかし、すでに裸になってしまったので浴びないわけにもいかず、真っ暗闇の中、氷のように冷たいシャワーを全身に浴びるツラさと云ったら…筆舌に尽くしがたいものがあります。

さらにさらに、このバスが走る道というのが、またまたすごいんですよ。。。
未舗装なのはいたし方ないとしても、トヨタのランドクルーザーでちょうどいいのでは?と思うようなガタガタ・ボコボコ道。パリ・ダカールじゃないっちゅーの!
おかげさまで、まあ揺れること揺れること…揺れない時間はない、というくらい常に揺れています。それも、微妙な揺れではなく立派な振動、10分に1回の割合でびっくり箱の中身のように飛び上がることになります。長丁場の移動なのに、おちおち眠れもしません。

中でもひどかったのは、ゴンダール→ラリベラ間、ラリベラ→バハルダール間。
ゴンダール→ラリベラは、最初の山場だったかも…というのも、ただでさえハードな道のりなのに、あろうことか生理になってしまい、さらにあろうことかいつにも増してものすごい生理痛に襲われのです…とほほ。マジで死ぬかと思いました。
バス休憩の際、とりあえず近くの宿のトイレにかけこんだはいいのですが、痛みのあまり、歩くこともままならず、しまいにゲロまで吐く始末。宿のベッドに倒れ込んで、断末魔のうめき声をあげておりました…。このとき、スーダンで一緒だったIさん夫婦が同じバスに乗っていなかったら、間違いなくバスに置いていかれ、見知らぬ村で痛みと格闘しながら途方に暮れていたことでしょう(ホント感謝してます)。
ラリベラ→バハルダールは、バスが揺れまくる、なんてもんじゃなく、もはや地震でした…。だって、手すりにつかまっていないとまともに着席できないのですよ奥さん!ありゃ、震度7はヨユーで記録したね。荷物転がり落ちてたもんな。よくこれでMYパソコンが無事だったものです。

他にも、「悪魔が入ってくる」とかいうナゾの理由でエチオピア人たちが窓を開けないので車内が蒸し風呂状態であるとか、車内BGMがこれまたナゾのメロディーを奏でるエチオピア演歌オンリーであるとか、話は尽きないのですが、移動の話はこれくらいにして、次は虫の話。

エチオピアは虫天国(つーかそれは地獄では?)だ、気をつけないと大変なことになる、と人からも情報ノートからも聞き知っていたにもかかわらず、わたしははっきり云ってナメていました。
最初の村、シャハディでも、ゴンダールでも大丈夫だったせいでしょう、「思ったよりエチオピアのブンナベット(安宿)も清潔じゃないの」なんて…ああ、浅はかなわたし…。
ラリベラという村で、決定的にやられてしまいました。見るからにヤバそうな部屋ではあったのですが、バス停に近いのとほかより安そうなのとでそこに泊ったところ…。
朝起きたら悪夢でした。身体じゅう、本当に大げさではなく身体じゅうに赤い刺し跡がぽこぽこぽこぽこ出来ているのです。それだけならいいのですが(いやよかーないけど)、これがもう猛烈にかゆい!かゆい!かゆい!かーゆーいーーー!!!(絶叫)
本と、狂おしいほどにかゆい!ご飯を食べていても、ただ歩いているだけでもかゆい!立ち止まってゆっくりかかなければ耐えられないほどにかゆい!
長袖を着て寝ようが、虫除けスプレーを身体に降ろうが、もはや焼け石に水。寝るたびに、必ず新しい刺し跡が作成されているのですから…1時間昼寝しただけで20箇所、とかそんなスピードなのです。

ダニなのか、ノミなのか、南京虫なのか、はっきりとは分かりませんが、やはりラリベラで同じ宿に泊っていたI旦那さんによると、このかゆみは南京虫とのこと。
南京虫…ああ、書くだけで気持ち悪い字面です。実は、これほどやられていながら、一度もその正体を見たことがないのですが、体長5ミリくらいで身体は茶色く、2つに分かれているらしい…うえー気持ち悪いよーーーう。こんな奴に乙女の身体を100箇所以上も噛まれたかと思うと…レイプされた気分だ(ウソ)。
ちなみに、南京野郎に噛まれると、猛烈なかゆみとともに、跡が残るというサイアクのデメリットがついてきます。すでにわたしの手足および腹周りは、何かヤバい病気にでもかかっているかのようなありさまです…。

NANKIN1.JPG - 16,679BYTES 見たくないでしょうが、一応証拠写真をば…。

最後は人の話。もちろん現地・エチオピア人のことです。移動、虫ときて、やはりうっとおしいものは”人”。
何度も云うように、わたしはウルルン滞在記な人間ではないので、現地人との温かいふれあい(ああ、このふれあいっつー言葉からしてぞっとするぜ)なんてものとはほとんど縁がないのですが、ここに来て、逆ベクトルでのふれあいが繰り広げられているような気がします。つまり、現地人との厄介ごとですな。

シャハディでパパイヤジュースをめぐる実にくだらない争いを繰り広げたことは前回の風信で書きましたが、その後も似たようなことがぞくぞくと起こってくれるので、われながらよくこういうしょーもない事件(?)ばっかり呼び寄せるもんだなー、と諦めにも似た感心をしてしまいます。シャハディから来た最初の大きな町(ってもそんなに大きくはない)ゴンダールでも、勝手にガイド少年&青年に捕まりまくり、最後にはもちろん金やらペンを請求され、「うーん、この分だとエチオピア、モロッコレベルの旅になるかも…」と思っていたら、案の定…。

一番大変だったのはラリベラ(虫もひどかったが)。
ラリベラは、大きな一枚岩を刳り貫いて造った12の教会があり、ここがエチオピア最大の見所と云っても過言ではないでしょう。
中でも、聖ジョージ教会は、一枚岩が正十字の形をしているという驚きの建造物で、世界遺産の本などでは必ず大きく取り上げられています。
わたしは、このエチオピア正教の聖地で行われる”ティムカット”のお祭りを見たくて、その日にあわせてここにやって来ました。

ティムカットとは?をお話しする前に、まずはエチオピア正教というものについて記述しなければなりません。
エチオピア正教はキリスト教の一派ですが、カソリックその他とは違う独自の発展を遂げてきました。ユダヤ教をかなり色濃く反映しているのが特徴で、ご神体は十字架でもキリスト像でもなく、”契約のアーク”。
アークとは
、旧約聖書の中に出てくる、モーゼの十戒が記されているという石板です。しかし、聖書によると、アークはその後行方知れずとなり、今日までその消息はわかっていないそう。
ところが、北エチオピアのアクスムという町に、ホンモノのアークがあるという言い伝えがあるのです。何やら雑誌『ムー』の世界っぽいですが、真偽はともかく、その”ホンモノ”のアークは、アクスムの聖シオン教会に眠っていると、少なくともエチオピアでは信じられています。

LALIBERA2.JPG - 22,632BYTES ×印の聖ジョージ教会。

そういうわけで、エチオピアの各教会にはアークのレプリカが納められており、1月18日19日の”ティムカット”の際に、外部に持ち出され、至聖所(ティムカット・プレイスと云ってました)で一晩を明かしたのち、元の教会に戻されるのです。
その至聖所まで、アークとともに民衆が行列をつくって練り歩くわけです。
「第2のエルサレム、ラリベラ…」などと云っているのを聞くと、ちょっと笑ってしまいますが、宗教的祭典というのは、何とも云えない昂揚感がありますね。宗教の魔力、のようなものを感じました。1人1人の信仰の力が集まると、こうも巨大な何かになるのか…と。
日本の祭りだと、あまり周りとの一体感はないような気がします。わたしは大阪出身なので、祭りというと天神祭りを思い出すのですが、あれは各々で行って、屋台でとうもろこし食って花火見て帰るだけの祭りだからね(笑)。ま、それはそれで楽しいけど。

信仰のエネルギーを目の当たりにすると、自分が宗教を持たない人間であることに、ある種の欠落感を覚えたりもします。それは、1人旅は自由であるが孤独であるというような、そういう感じに似ています。

さて、ここは聖地とは云っても観光地であるので、ウザい人度レベルはかなり高い。
I旦那さんが「あいつら、日本でやったら完全にストーカーでしょう」と云っていましたが、ほんと、その通りです。1人で歩いていたら、まあ来るわ来るわ、ガイド志望の少年&青年、みやげもの売り、自称「日本大好き。日本にいっぱいトモダチいます」なフレンドリー男…。追い払っても追い払っても、またやって来るさまは、ウンコにたかるハエのようです(って、わたしゃウンコかい)。
そうでなくとも、近くから遠くから「チャイナ!」だの「ジャッキーチェン!」だの次々と声がかかり、忙しいったらありゃしません。本とモロッコと一緒…あのときもつらかったなそう云えば…。
しかもこの「チャイナ!」の云い方が、どうもこちらをバカにしているように聞こえてしょうがない。そういう文化だと云われてしまえばそれまでですが、例えば日本で、道を歩いている外人に向かっていきなり「アメリカ!」とかいうのは考えられないじゃないですか。
あと、この人たちは何故か、話し掛けてくるのに「ハロー」とは云わず「ユー!」と云ってくる。前回も書いたけど…。これもわたしの中の訳では「お前!」で、普段は気にならないけど、たまにムカッと来てしまう。

ガキは人の顔見りゃ「ギブミー1ブル」、8〜9割くらいの確率で云ってきます。君たち、それは間違ったあいさつだ!人に話し掛けるときはまず「ハロー」でしょ!と実際何度も云ってみましたが、ま、誰も聞いてないね(苦笑)。
あと、今までになかったのが「おいら貧しいんだよ〜腹へってんだよ〜何かくれよ〜」と貧しさに訴えてくるやり方。ムスリム諸国ではお目にかからなかった戦法です(彼らはフツーに「バクシーシ、金くれ」とストレートに云ってくるだけ)。
最初はけっこう応えましたね
。反射的に良心がうずいてしまって。お腹をすかせた子供に何もあげられない自分、日本円にすればたった10円20円のことなのに…。
こういうとき、お金をさらっとあげられる人がわたしにはまぶしいです。
お金をあげた方がいいのか、どうなのか、と、いつも悶々と悩んで、でも結局はあげないケチな自分。いちいちあげてたらキリがないほど寄ってくるから、という建前はあっても、実際はただケチなだけ。。。

でもねー、たとえ10円でも20円でもお金はお金である、ということを、たまに分かってないガキがいたりするんだよ。ポケットにたまったコインを気が向いたときはあげたりするのですが、「少ない!」と不満をもらすやつがいたりして、何だかなーと思ったりもする。
手を出すだけでお金がもらえる、それってどうなの?道を尋ねただけで「金くれ」、頼みもしないのについて来て「ガイドしたから金くれ」、それってどうなの?それが君たちの文化なの?

彼らは確かに貧しいのだと思います。エチオピアはアフリカ最貧国と云われていますし、少なくとも、先進国と呼ばれる国の生活水準からすれば、相当に貧しい生活でしょう。
金持ちの旅行者(つーか旅行者はみんな金持ちと思っている。そりゃ旅行できるのは金があるからだが…)からは、施しを受けるべきだ、と思うのも分からなくはありません。
わたしもその立場になれば、やっぱり手を出して「金をくれ」と云っているのでしょう。まだ読んでいないけれど『家畜人ヤプー』という本がありますね、あんな風にもし、日本人が今のような金持ち国家(?)の住人ではなく、世界最貧国の国民だったら(『ヤプー』はそういう話ではないみたいだが)…と考えて、でもそんなことは想像もつかなくて。
一体彼らに対して、どんな態度を取ればいいのか、いや、金をあげればその場はまるく収まるのは分かっているのだけど、でもそれは何か違うような気がする…。

子供が無邪気に駆け寄ってくるたび、大人が親切にしてくれるたび、「また金を要求されるのではないか」という疑心暗鬼にとらわれます。まるで、モロッコの旅で、フレンド詐欺に遭ったあとのように…。

GONDAR24.JPG - 44,204BYTES ゴンダールで居酒屋に(勝手に)案内してくれた少年。もちろん金を請求されたよ。ふははのは…。

やっとのことで首都アジスアベバに来ても、相変わらず道行く人がバカにしたように「チャイナ!」と声をかけてくる。もうええっちゅーに!!!
あまりのウザさに、これじゃ完全にさらし者ではないか、外を歩くのはもうやめた方がいいのではないかと悩んだくらいです。一時は、「自分がキムタクになったと思えば理解できるかも…」と思い、そのように暗示をかけてみたのですが、5分くらいで覚めました。いくらキムタクでも、こんなイヤな声のかけられ方はしていないはずなのです。
ちょっと冷たくすると「ファックユー」と云われるのも本気で腹立ちますね(何がファックユーだ、犯せるもんなら犯してみろ!)。
こないだなんて、宿の近くを歩いていたら、「フィリピーン!」と明らかにおちょくってくる奴がいたので、「何か用?」と云ったらいきなり逆ギレし、「I HATE WHITE!」と抜かしやがった…何なんだ!?!

アジスアベバは宿が良かったのと(アジス最古の由緒あるホテルなのだが何故か安い)、食べ物のバリエーションが増えたのと、そこにいた日本人旅行者たちと中華料理を食べに行ったり、温泉に行ったりして、北部エチオピアの旅の疲れは多少癒されましたけどね。

あと、これはちょっと個人的な話だけど、日本人の男の子E君と一緒に青ナイル滝を見に行ったときのこと。
滝壺の写真を撮りに行こうと歩いていると、いつものように「チャイナ」と話し掛けてくる現地人旅行者らしき男、そいつがすれ違いざまに胸を触ってきたのです。そんな、わしづかみとかではなかったけど(笑)、やっぱ気持ち悪いので「何すんだよコラッ!」と怒鳴り捨ててその場を足早に立ち去りました。
ところが、帰り道でまたしてもそいつと一緒になってしまい、こいつは性懲りもなく胸を触ってくるんだ。
もちろん怒りましたよ。「何でそんなことすんだよ!」でもそいつはヘラヘラ笑ってるだけ。ますます頭に来てギャーギャーわめいていると、前を歩いていたE君がわたしの異変(?)に気づき、どうしたの、何かされた?と云って戻ってきてくれました。
で、「こいつさー、胸さわってくんだよー」と訴えると、E君は即行ブチ切れ、果敢にも、このいかにもマッチョな黒人に「てめー何してんだコラア!」と立ち向かっていきました。

E君はわたし以上にキレてしまい、あと半歩くらいで殴り合いになりそうな気配むんむんで、さすがにわたしも冷静にならざるをえませんでした。
この黒人野郎は見るからにバカにしくさった表情で、来るなら来いやこのイエローモンキーと云って(これはウソ。でもそんな感じ)、E君を挑発し、E君は若い男の子なのでますます逆上し、ヤバいと思ったわたしは「もういいから。大丈夫だから。あんなの無視した方がいいよ」となだめ、一応その場は事なきを得ました。でも、わたしも男だったら黙っていられなかったでしょう。こちらをバカにしてるのが200パーセント見え見えだものね。

最後、ボートで去っていくときこいつは「You're so ugry!!HAHAHA!」と吐き捨てていきました。ほんと、E君じゃないけど殺してやろーかと思ったぜ。。。わたしも「そういうあんたはゴリラそっくりじゃん!ゴリラゴリラ!ゴリラピープル!!」と云い返してはみたものの、そんな小学生並みの悪口ではまったく腹の虫がおさまりませんでした。その辺にいた現地人に「あんたの国はどーゆー国なワケ?!」と八つ当たりしてしまったわ(そしたら、「あいつはエチオピア人じゃない、ケニア人だ」と隣国に罪をなすりつけていました。本当なのかも知れないけどさ)。

しかし、何がムカついたって、このとき同じ道を歩いていたスペイン人ツアー客の女が「本当に触られたの?”待って”とかって制したときにたまたま触っただけじゃないの?」と、まるでそいつの肩を持つかのような発言をしでかしたことでした(でもそう云われると急に自信がなくなる気弱なわたし…)。
カチンと来ましたが、冷静になって「いや、でも滝壷のところでも触ってきたんですよあいつは」と話すと、何とこの女は「でもわたしたちは彼に何もされてないわよ」と抜かしたのです!!何だこいつーーー!!!あんたはともかく、ほかの女はみんな白髪でデブのババアだろーがー!てか、あんたがさわられてないからわたしもさわられるワケがないってのはどーゆー理論なんじゃい!!!
さらにさらに、「ここは違う文化なのよ」とかなんとかワケわからんことも云っておったわ…痴漢は文化なんかい!!!ほんま、頭おかしーでこの女…。

BLUENILE1.JPG - 13,111BYTES 乾季ゆえしょぼかった青ナイル滝。

…てのはともかく、多分ね、黒人は白人に対しては未だに無意識的に恐れがあんのよ。だからさわらないんだよ。でも、われわれアジア人のことは下に見てて、こいつらには何しても、何云ってもいいと思ってんだよ。けっ。(偏見?)
チャイナチャイナ、って云うのも、中国人(あくまでアジア人の象徴としての)をバカにしてるからじゃないのか?とその辺のエチオピア人に聞いてみたところ、「そんなことはない。彼らはあくまでも歓迎のつもりなんだよ」となだめられてしまいました。
まあ、半分くらいは真実でしょうが、あとの半分は…。こっちがバカにされていると感じる以上、やはり向うにも何割かはバカにした気持ちがあると思うのですが、いかがなものでしょうか。そんな風にしか受け止められないわたしって、やっぱ心が狭いの?

さて、そんなイライラする日々の中にもちょっとした朗報がありまして。これはオマケのご報告。

ラリベラでわたしは、某ガイドブックの編集をしている男性に会いました。
詳しい事情は省きますが、わたしは何と、そのガイドブックの取材を、報酬つきで引き受けることになったのです。
つまり、エチオピア、ケニア、タンザニア、ウガンダ、マラウイまでは、交通費や博物館代などが出て、+少々の取材料もいただけるという、まさに天から降ってわいたようなラッキーな申し出でした。

そんなわけで、これからしばらくは取材旅行です。
でも、いざバハルダールやアジスアベバのホテルなどをしらみつぶしに回っていると、長らく働いていなかったせいか、かなり疲れてしまいました。。。情けなー。

(2003年1月29日 ハラル)

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