旅先風信51「スーダン」


先風信 vol.51

 


 

**ナセル湖のむこう**

 

いよいよ、この旅もアフリカへ突入です。まさか本当に来てしまうとはねー…(軽く武者震い)。

サファリでのプチ沈没生活に終止符を打ち、カイロから夜行列車で一気にアスワンへやって来ました。アスワンでは、久々の一人行動。一人は寂しいけれど、やっぱり自由でいいね。本当に身体が軽くなったような気がしたもの。軽くなったわが身をフル活用すべく、一日中、くたくたになるまで徘徊しておりました。

翌朝、アスワンハイダムへ向かい、ハイダム港から、いよいよスーダン行きの船に乗船です。
以前エジプトに来たとき、アブ・シンベル神殿とナセル湖を見て、「何だか世界の果てに来たみたいだなあ…」という感慨に耽ったものですが、6年の月日を経て、果てのその先に行くことになったのです。
この辺りはヌビア地方といって、独自の文化を持った地域であり、『世界ふしぎ発見』などを見て多少知っていたのもあって、前々から興味をそそられていました。アラブとも違う、生粋のアフリカ文化とも違うヌビア。…って、実はあんまりよく知らないんですけど(ペインティングした家とかが有名かな)、何だろう、イメージとしては太陽と砂漠の民、ってところでしょうかね?砂漠の民、と云ってもベドウィンとは違って、もっともっと土臭い感じ。

そんなこともあり、ナイル川を下っての国境越えに、かなりロマンを抱いていたわたしは、船を見た瞬間…「何じゃこりゃあ!!!」
優雅なナイル下りのつもりでいたのが、こ、これはただの貨物船…。そう大きくもない船に、タマゴやらジャムやら食糧が大量に積み込まれ、何やら異様な臭気さえ漂っているではないですか…。
貧乏パッカーゆえ、当然2等を取ったわけですが、2等と云ってこれまでの旅で乗った船を想像していたわたしはまたもショックでした。見るからに固そうな長椅子が並んでいるだけ。せめて、絨毯の上に雑魚寝とかにしてくれよ。。。しかも、現地人たちはダンボール単位の荷物を持ち込んで来るので、文字通り、足の踏み場もありません。トイレも洗面所も異臭が漂っており、歯を磨く気も起こらない。
そして、気がつくと、周りは全員黒人。オールオブ真っ黒。別に人種差別するわけじゃないけど、真っ黒な人たちに囲まれると何となくコワイもんです。大体、これまでの人生でそんな経験、皆無だし…。ああ、もうここはアラブじゃない、ブラックアフリカなんだなあ、とひしひし感じました。

船の中では、自分でも驚くほど寝て寝て寝腐っていました。
あんな固い椅子の上でよくそんなに寝られたものだ、と今は不思議なのですが、そのときは、本を読むのも、ものを書くのも億劫で、気がつくとウトウト…目が覚めてもまたウトウト…泥のような眠り、とはまさにこのこと。眠ることで、これからの旅の不安を、束の間でも忘れようとしていたのかも知れません。

船は夕方6時に出港し、翌日の昼の3時頃、スーダン側国境のワディ・ハルファに到着しました。
(な、長かった。。。)

さて、スーダンです。
スーダンと聞いて、即座に何かが思い浮かぶ人って、どれくらいいるんでしょう?
わたしとて、ヌビアの延長って感じの国なのかな?という程度のイメージしかありませんでした(それはそれで重要だったのですが)。
情報ノートやガイドブックを見ても、今ひとつぱっとしない、と云うか、はっきり云って何もない。何せ、「旅行人ノート アフリカ」のスーダンのページは、たった1ページ半、ロンプラでさえもそれほどページを割いていないし、情報ノートには「スーダンの『何もなさ』を楽しんでください」と書かれている始末(笑)。アフリカNO.1の広大な面積を持つ国、しかし大部分は何もない、乾いた砂漠の大地なのです。

そんな、何もない国スーダンの最初の町、ワディ・ハルファは、しょっぱなから、いきなり、見事なほど何もないところでした(笑)。
砂漠の上に、簡素な建物がいくつか、ぽつぽつと並ぶだけ。
港から、乗合トラックタクシーで“町の中心”まで行ったのですが、船から一緒だったIさん夫婦(日本人)とともに「え?ここが中心?」と本気で目を疑ってしまったほどに何もない!オールモストナッシング。
ホテルも、いや、ホテルっていうかこれ、ほとんど掘っ立て小屋だよ(笑)。砂の上にベッドがあるだけの部屋(壁と天井があるだけマシなのか?)。
船旅の疲れを癒すべく、シャワーを浴びようと思ったら、ポリタンクを半分カットした容器に自分で水を貯め、これまたペットボトルを半分カットした桶(桶じゃねー!)で汲んで身体及び髪を洗うという、いわゆる”バケツシャワー”じゃないですか(涙)。これまでヨーロッパやら中東といった、比較的シャワー事情のよい場所を旅していたわたしには少々刺激が強すぎました。あのモロッコですら、バケツシャワーはなかったのになあ…。とりあえず、シャンプーがなかなか泡立ちません。

しかしまあ、このミニマルさ、何もなさは、かえって何かを感じさせると云いますか、あまりの何もないっぷりに、ほとんど感動すら覚えたのも事実です。
マイナス転じてプラスとなる、とでも云いましょうか。
こんなところでも人は生き、生活を営むんだね。

SUDAN2.JPG - 11,405BYTES 宿の窓から見えるワディ・ハルファの町(果たしてこれは町なのだろーか???)。

ワディ・ハルファに着いた翌日、今度はここから首都ハルツームまで、36時間の列車旅が待っていました。
何せ週1便しかないので、これを逃したら大変なことになってしまうわけです(こんな何もないところで1週間もいたら気が狂ってしまうよ実際)。
この列車がまた、見るからにボロく、いかにも不安をかき立てるようなシロモノ…。
あいにく1等、2等とも売り切れており、やむなく3等切符を買ったわけですが、いやはや、実にハードな、いやハードなんて言葉では済まされない、地獄の移動でした。すでにアジアの発展途上国を越えてきているIさん夫婦ですら、この列車はきつかった、とあとでこぼしていたくらいです。
何せ、乗った瞬間から全身砂まみれ。座席シートにはすでに砂がたまっており、空気中の砂濃度はハンパじゃありません。息をするだけで、体内に着々と砂が溜まっていくようです。
また座席が狭いんだこれが…。悪名高い中国の2等硬座とタメを張るのではないか、と思うほど。船同様、現地人は引っ越しかよ?!というような大量の荷物を持ち込んで来るし、まだ長椅子の上で横になれただけ、貨物船の方がはるかにマシでした。

列車は、広大な砂の大地を果敢に、しかしヒッジョーにのろのろと(苦笑)進んでいきます。
車窓から見るスーダンの風景は、ひたすら砂砂砂、たまに家。人。木。ロバ。実に実にシンプルな、シンプルすぎてかえってシュールな、そんな光景でした。砂漠の中に唐突に建っている、簡素な造りの土塀の家や、白いガラベイヤ(ワンピースみたいな男性用の民族衣装)に裸足の子供、全く娯楽のなさげな小さな村…などを見ると、わたしが今まで生きてきた世界とは何だったのだろう、そして、彼らの生きている世界とは一体どういう世界なのだろう、と不思議に思わざるをえません。
彼らの一日とはどのようなものなのだろう?彼らの人生の目的、彼らの信じるもの、彼らの幸福とは何だろう?あるいは、そんなことなど考えず、与えられた生をただシンプルに生きているだけなのかも知れない。いずれにせよ、このように生きる方法もあるのだ…。そんなことをぐるぐると思い巡らせていた道中でした(だってやることないんだもん)。

ハルツームにやっとこ着いたと思ったら、今度は、外国人登録(レジストレーション)と旅行許可証の取得という、少々厄介な作業が待っていました。
見どころ少ないのに、何ゆえわざわざ旅行許可証など取らねばならないのか、また、高いビザ代(59ドル)を払っているのにさらにレジストレーションで20ドル近くの金を支払わなくてはいけないのか、色々納得いかないのですが、まあ仕方ありません。

ハルツームは、何もないスーダンの首都だけあって、これまた何もありません(笑)。
少なくともワディ・ハルファよりははるかに都会だし、一応国立博物館とか、遊園地とか、市場とかあるんですけどね。個人的にはラクダ市を見たかったけれど、残念ながら見逃してしまった…。だって、そんなのどこのガイドブックにも載ってないんだもんね!ツーリストインフォで、旅行許可証をもらいにいって初めて知ったのです。これから行かれる方、ラクダ市は土曜日の午前中だよ。
ハルツームでのわたしの娯楽は、スーダン女性の衣装を見ることでした。
衣装と云っても、ただ身体に布を巻いているだけなんですけど、この布が実に色鮮やかで、黒い肌によく似合うったらありゃしない。赤、ピンク、ブルー、緑、黄色…キレイな布の女の人を見ると、思わず後をつけておりました(危ねーな)。
あと、フレッシュジュースが安くて美味いのも、お楽しみのひとつでした。エジプトも安かったけど、ここはエジプトと同じくらいの値段で量が多いので、ガブガブ飲んでしまいます。何しろ、ピンクグレープフルーツ、マンゴ、グァバ…こんな高価な果物の100パーセントジュースが、20円から高くとも50円で飲めるんですからねー。コーラなんか飲んでる場合じゃないです(でも暑くて乾燥した国で飲むコーラは妙に美味かったりする)。
暑かったせいもありますが、小遣い帳を見てみると、半分以上がジュース代だった…。1日何杯飲むねん!お前は妖怪水飲み女か!と自分でツッコミ入れてしまったわ。

KHARTUM007.JPG - 40,825BYTES 必殺隠し撮り。

そんなスーダンで、唯一観光らしいことをしたと云えば、メロエのピラミッドでしょう。
アトバラ(列車旅で通ってきた町)方面まで戻らなくてはならないのがかなり面倒なのですが、まともに観光地として紹介されているのがここくらいなので、見ておこうと思いましてね。
ピラミッドがお家芸のエジプトからやって来ると、ピラミッドじたいは小さいし崩れかけているしで、どうしても見劣りしてしまいます(ま、エジプトのが立派すぎるんだけど)。でも、ロケーションはすごい!広大な砂漠を貫く1本の幹線道路、その途中に黒っぽいピラミッド群がいきなり現れるのです。こんな辺鄙な場所にあるせいだけでもないのでしょうが、観光客はほぼ皆無。修復作業中のスーダン人がぱらっといるくらいです。おかげで、砂漠とピラミッドと私(『部屋とYシャツと私』ふうに読んでね)という三位一体状態(?)を思う存分満喫することができました。
ものの本によると、メロエは、ヌビアの前身であるクシュ王国の首都が置かれた場所だとか。列車で渡ってきた広大な(広大すぎる)砂漠にも、かつては文明都市として栄えた過去もあったのでしょうか。ピラミッド群は、赤茶けた砂漠に埋もれるようにして、不気味なほど静かに在るばかりです。
ちなみにここ、アクセスがあまりよろしくないので、今後行かれる方はご注意を…。行きはアトバラ行きのローカルバスに乗ればよいのですが、帰りの足が確保できるかどうかがけっこう不安。ローカルバスは全っ然本数ないし、あんな砂漠の幹線道路で来ないバスをひたすら待つのは孤独すぎますからね…。わたしは偶然、車をチャーターして観光に来ていた欧米人が拾ってくれて、ハルツームまで送ってもらえたので命拾いしました(しかも道中のマニアックな遺跡にも行けてむしろラッキー)。

MEROWE001.JPG - 33,464BYTES スーダン最大?唯一?の見どころ、砂漠の中に突如現れるメロエのピラミッド群。

”スーダン人は神様のように優しい”という前評判をあちこちで耳にしていましたが、その辺は今ひとつよく分かりませんでした。
まあ、神様というのは大げさだとしても、スーダンと云えば人の良さで有名、と、ロンプラにすら書いてあるほどなので、一体どんな嬉しい目に遭わされるのだろう、と例の如くスケベ心を抱いていたのですが…ま、そういう卑しい期待というのはたいてい裏切られるもんです。
ハルツームの町を歩いていると、しきりに「チャイナ、チャイナ!」と半分バカにしたように声がかかる。アラブ世界でもそうですが、こいつらはどうしてこういうことをするのでしょうか。歓迎のつもりか?全然嬉しくないって!
ハルツームは首都だから、人がすれているのかも知れないけれど(すれている、という云い方はあまり好きではないですが…)、一体こいつらのどこが神様やねん!と内心毒づいておりました。レセプションのお兄もスリープトゥギャザーとか云ってくるしよ。やっぱここはまだアラブか!(※スーダンはムスリムの国です)
また、ハルツーム駅からセンターに向かおうとしていたときのこと、Iさん夫婦とともに3人でタクシーをシェアしたのですが、途中で、最初に云った言い値の10倍を要求してきやがった…。それだったらもう乗らないよ、と云って下りたら、トランクにわたしの荷物を入れたまま走り去ろうとしやがり、思わずトランクにつかまったわたしは、あやうく車に引きずられるところでした…ほんと怖かった。
I旦那さんがキレて、ドライバーにつかみかかっていると、いつの間にやらポリスが現れ、朝っぱらからちょっとした騒ぎになってしまいました。タクシーはどこの国でも要注意ってことですか。たとえ神様の国でもね。

……さて、以下は、旅とは関係のない余談です。

わたしはハルツームのネット屋で、1通の訃報を受け取りました。
差出人は、前に勤めていた出版社の後輩で、亡くなったのは、その出版社の社長でした。
すでに高齢だったし、風の噂で、入院していること、あまり容態がよくないことは聞いていました。しかし、こんなにあっさりと死んでしまうとは…。
わたしの知っている限り、社長は、本当に惨めなじじいでした。
社長と聞いて思い出すのは、トイレに行くたびに汚れている社会の窓と、毎月決算日に方々からかかってくる督促の電話に、情けない声で「も、もうちょっと待ってくれへんか」といい訳する姿、会議のたびに1億パーセント無理な目標をかかげて悦に入っている様子…本と、ロクでもないことしか浮かんで来ません(笑)。
生涯の最後の何年も、おそらくそんな風だったであろう社長。自業自得とは云え、人生の非情さを感じずにはおれません。死に行く時間、彼は一体何を思い出していたのでしょう。まだ比較的羽振りのよかった頃の栄光でしょうか…。

人の死に対して、わたしは云うべき言葉を知りません。そして、身近な人の死は、何度体験しても、慣れるということはありません。
死は、死以外の何物でもなく、ただ、厳然とそこに存在し、その前ではどうすることもできず、ただ立ち尽くすしかないのです。
死ほどリアルな現実が、ほかにあるでしょうか?
そこには、どんな言い訳も、説明も、入る余地などないのですから。

ただ、わたしは、遠くスーダンの地から、彼の冥福を祈る。
最後の何年も、波乱と汚点まみれだった彼のために祈り、そして、少しばかりの涙を流す。
誰かに彼の死を伝えることもないまま、ただ1人で、安宿の窓越しに月を眺めつつ、彼の死に思いをめぐらせる。そんな日が来ようとは、人生とは実に、放浪とは実に、妙なものですね。

(2003年1月12日 ハルツーム)

ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system