旅先風信50「エジプト」


先風信 vol.50

 


 

**サファリに来た!**

 

ついに、サファリにやって来ました。
「旅先風信」の記念すべき50回目をサファリレポにて迎える。妙な運命を感じるな…。

サファリと云っても珍しい動物がたくさん見られるあのサファリではなく(ある意味珍しい動物=人々が見られるが…)世界で一番有名な日本人宿「サファリホテル」のことです。
実はエジプト2回目、ピラミッドも王家の谷もアブ・シンベルも見てしまったわたしにとって、今回最も重要な目的地はサファリホテル。ハンガリーのテレサハウスで、番頭のタケシさんからサファリホテルのおもしろ話を聞いてみんなで爆笑して以来、ここは何としても行かねばならぬ観光地のひとつだったのです。

民泊のお家を出て、ようやくカイロに着いたその夜、例の如く道に迷い、サファリホテルの入っている雑居ビルの140段の階段をひーひー云いながら上って、やっと到着したと思ったら、
「あー今日はフルなんですよー。また明日来て下さい」
うっそー…満杯だって。
どうやら年末年始のせいか、連日満員御礼とのこと。
しかしまあ、ここのいいところ(?)は、満杯でもすぐ隣とすぐ下に、スルタンホテル、ベニスホテルという安宿が待機していること。翌日のベッド争奪戦に備えて、その日はスルタンに泊ることにしました。

次の日、眠い目をこすりつつ、朝7時50分に訪ねていくと、何と、この時点で2人待ち!君らは一体何時からそこに!?しかも、応対に出た泊り客の話だと「他にも、朝から状況見に来てる人が何人かいて…」何だそりゃ。行列のできる店ならぬ宿。こんなことはヨーロッパのいくつかのユース以来です。
一体どうしたらいいのでせうか?と問うても、こればっかりは運とタイミングなんで…などとテキトーな答えが返ってくるばかり。仕方がないので、云われたとおり、1時間置きに様子を見に来ていたのですが、一向に何事も変化する気配がない。ついにしびれを切らしてロビーに居座り、目を皿のようにして泊り客の状況を把握しつつ、時計とにらめっこしつつ情報ノートを読んで、その日は半日終了してしまいました(勿体無い…)。まあ結局は、12時のチェックアウトぎりぎりになって、ひとつベッドが空くことが判明し、何とか寝床は確保できたのですけどね。いやはや、ドミトリーのベッドひとつにここまで苦労したのは初めてです。。。

しかし、サファリというところは、その苦労を補ってあまりあるほど(って、そんな大した苦労じゃないけどさー)、面白いと云うか、興味の尽きない場所でした。
テレサでタケシさんから聞いていたいくつかのこと。例えば、サファリを運営している(経営ではない。全くのボランティア)生活向上委員会、委員長のアモーレ丸山さんと彼の手によるシェア飯およびディナーショー、64ページにわたる「サファリのいろは」(要するにサファリの説明書ですね)、夜ごとマージャンの繰り広げられる”麻雀部屋”、そして、エジプトに来ておきながらピラミッドを見たことのない長期滞在者…しかとこの目で見てまいりました(笑)。

が、何が一番ヒットしたかって、それはやっぱり丸山さん。
うわさに高い”落武者ヘアスタイル”もさることながら、これまたうわさに高いディナーショー(アラビア語講座付)を初めて見たときは、本気でハニワになりましたね。このテンション、この迫力は一体何事?! 自作の歌(全部で5曲あるそう)を、アカペラで熱唱、いや絶叫する丸山さん…しかもマイクは着火マン(笑)。これを笑わずしてどうせいと云うのでしょう?!
しかし、観客(泊り客)の反応は、ほとんど我関せず状態…みんな黙々とメシを食っている。これがさらにわたしの笑いに拍車をかけたんですけどね。あまりにも日常化してしまったためか、こんなことで爆笑しているようでは、まだまだ初心者だと云わんばかりの落ち着きぶりで、しかし、もっとすごいのは、そんな冷たいとも云える観客に向かって、毎回テンションを落とすことなくショーを繰り広げる丸山さん。。。強し。これは一度、テレビで取り上げておくべきでしょう。何にせよ、強烈な人です。

ディナーショーのことをもう少し書きますと、折りしもわたしが泊っていた時期はクリスマスでして、この日の「リストランテ アモーレ」(丸山さんのご飯+ディナーショーの日のこと)は、しっかりクリスマスメニュー(チキンのトマト煮)が用意され、レセプションには、どこから持って来たのかイルミネーション(音楽付き)が飾られ、丸山さんはパーティー帽子をかぶってのご登場(でも服装は同じ)。
クリスマスというお祭り気分もあってか、観客も心なしか盛り上がっていましたね。
しかし、これだけでは終わらないのがサファリ(?)。夜10時からは、何とプレゼント交換会「ぐるぐるベル」なるものが開催されました。この歳になってプレゼント交換をすることになろうとは…。でもこういうのはけっこう楽しいものです。
具体的には、1人3ポンド(約100円)相当以上のものを持ち寄って、ジングルベルを歌いながらプレゼントを回すというイベントで、最初張り紙を見たときは、「うーん、みんな参加するのだろうか…」と訝しく思っていましたが、意外に参加者が多く、かなり盛り上がりました。丸山さんのテンションもいつにも増して高かったし。
ちなみに、わたしはインスタントコーヒーの袋詰が当たりました。逆に、わたしが出した佃煮のセット(そんなものを持ち歩いているから荷物が重いんだよ…)は、長期滞在の人に当たって、ずいぶん喜んでくれたようです。よかったよかった。

SAFARI6.JPG - 22,193BYTES 和やかに繰り広げられるグルグルベル。 

さて、そんなイベントごとがありつつも、普段のサファリは実にまったりというか、淡々とした日常です。
生粋の(?)長期滞在者は当たり前のようにご飯作って、まるっきり”生活”していますし、そう長い人でなくとも、昼間っからマンガ読んだりしているのはごくフツーのこと。うーん、ダメな感じだね(笑)。そう云えば、同じドミにいたTさんという旅人は、「年末までは読書にいそしむことに決めた」と云って、部屋からほとんど出ず、一心不乱に本を読んでいましたっけ…。
ここはほんと、沈没する気がなくても、ずぶずぶと身体が浸かっていく感じです。時間の経ち方が、何だか、他の場所とは違うのです(ホテルの外のこと、下界って云うくらいだしね…)。
わたしの場合、まず、朝起きるのが遅くなりました。これは沈没への第一歩。テレサのときもそうでした…。
そして、1日イチ仕事するともう満足してしまう。例えば、ビザを取りに行った、荷物を送りに行った、注射を打った、そういった何か”用事”をひとつ済ませると、その日はOK。
最初の何日かは、情報ノートを片手にアフリカ南下のお勉強をし、アフリカ南下のためのビザ取りに奔走しがてら階段ピラミッドやらオールドカイロを観光する、といった、かなり実の詰まった日々を送っていたわたしも、風船がしぼむように動く気が失せてしまいました。
年末までにはスーダン入りするという当初の決心も、砂の上の文字のようにかき消されつつありました。

また、ここでは図らずも、いくつかの再会が待っていたのです。

まずは、イラクツアーで一緒だったTさん、イスラエルの宿でわたしの郵便物を頼まれてくれた”せんせー”。
サファリに入れなかった最初の日、何となく疎外感を味わって打ちひしがれていた(ウソウソ)わたしは、彼らの顔を数週間ぶりに見て、ひどくホッとしたものでした。地獄で仏とまで云うとちょっと大げさですけどね。
イスタンブールの日本人宿で、プロ級の美味しいご飯を作っていたFさんにも再会、と云うか、追いつかれてしまった…。わたしは彼よりずいぶん早くトルコを出ていたので、まさかもう会うことも
あるまい、もういっぺんあのご飯が食べたかったけど…なーんて思っていたのですが(結局食べることができた^^。ホイコーロー丼)。やっぱり歩みが遅いなわたし。

リトアニアで会って、今も時々HPに遊びに来てくれるサダおじさんとも、実に9ヶ月ぶりの再会を果たしました。
おじさんとはその後も、わりとマメにメールのやり取りをしていて、冬は寒いからカイロで冬眠だなー、なんて云っていたおじさんも、予定より少し早くサファリに着いて、宣言どおり冬眠しております(笑)。郵便局でヘンなクリスマスカードを買ってくれたり、何故かカイロでテニスを見に行ったりと、相変わらずよく分からないおじさん。。。その後サファリでどのような位置を確立しているのか、気になるところです。

そして、もう1人。愛するテレサハウスの仲間、アクセル。
彼も1月頃エジプト入りするとメールをくれていて、でもちょうどすれ違いで会えないかなあ、と思っていたところでした。ちょうどここでだらだらしそうになっていた時期に、幸か不幸か(笑)アクセルからメールが来たのです。「年末にエジプトに飛ぶよ。サファリで会えるかな?」と。いやー、インターネットの力ってすごいよね。旅を変革したと云っても過言ではないよきっと。

旅のさなかの再会というのは、どうしてこんなにもしみじみと嬉しいのでしょうか。それが、思い出深い場所で会った人なら、余計です。
アクセルがサファリにやって来た日の朝、サファリに通じる階段の踊り場でアクセルに出くわしたときのことを、わたしはこの先もずっと忘れないでしょう。
わたしはちょうど、その日の早朝にサファリに着いたアクセルがわたし宛に残していたメモ(例によってサファリはフルで、アクセルは別の宿を取っていた)を手がかりに、下のホテルに探しに行こうとしていて、アクセルもまた、そろそろわたしが起きた頃かと思って再びサファリにやって来たところだったのでした。
4ヶ月ぶりに見るアクセルは、髪が伸びていて、坊主頭の印象しかないわたしは思わず笑ってしまいました。もちろんわたしの方も髪が長くなっているので、お互いの第一声が「髪伸びたなあ〜」。何だか照れくさく、でもそれ以上にとてもとても懐かしく…。

その後われわれは、近くのコシャリ(※エジプトのファーストフード)屋にて、コシャリとシャイ(お茶)で、改めて再会を祝しました。

アクセルが来てからの日々は、大げさな云い方をすれば、長い間の曇り空が一気に快晴になったような、そんな感じでした。もともと迷っていた年末の国境越え計画は、おかげで見事に吹っ飛びました(笑)。
テレサとは違うけれど、テレサの日々がよみがえってくるようで、嬉しくて。そのおかげで、中東からこっち引きずっていたさまざまなコンプレックスのことも、すっかり忘れることができました。
ハーン・ハリーリで道に迷ったことも、アクセルがやはり丸山さんのディナーショーを見てわたし以上にハニワになっていたことも。
一緒にピラミッドを見に行ったことも、ホテルからひたすらまっすぐまっすぐ道を歩いたことも。
中華料理を食べに行ったことも(しかし中華料理ってのは偉大だね。たまに食べると癒される)。
ケーキとビールでみんなでカウントダウンしたことも、そのあと朝まで話し込んで新年を迎えたことも、
福ちゃんに託されたギターでアクセルが『魔女の宅急便』のテーマを弾いてくれたことも(※スペインでアクセルと再会した福ちゃんは、金が尽きて11月にマドリッドから帰国。ぜひサファリに来てほしかったのだけど)。
歩き疲れるといつもマンゴジュースを飲んでいたことも、T/Cを換金しにヒルトンのカジノに行って(ここで換えるとコミッションがダダなのだ)、1ドルも遊ばずにタダのビール飲んで帰ってきたことも、最後に白砂漠に行ったことも。
…どれもこれもどうということはない出来事ばかりです。でも、不思議なもので、どうということはない出来事、ってやつの方が、しばしば印象的だったりするもので。

CAIRO23.JPG - 33,931BYTES ハーン・ハリーリーで焼き芋を買うアクセル。

例えば、これはテレサでの話になりますが、とある日、夜中というかもう明け方になって、急に福ちゃんがくさり橋を見に行こう、と云い出して、アクセルとわたしと3人でのそのそと出かけて行ったことがありました。そのとき、近くの電光掲示板が4時44分を表示していたのですが、わたしはその「4時44分」という赤い文字を、今でも強く強く覚えています。テレサでの馬鹿馬鹿しくて楽しかった毎日は、そこに集約されているような気がするのです。
「何でもないようなことが〜、幸せだったと思〜う」という歌のフレーズがあった(虎武竜だっけ?)けど、多分そういうことなんだろうな、と。

…例えば、大晦日の1日を思い出してみると、それは本当に、全く以って何でもない1日です。
わたしもアクセルも、特に当てもなく、とりあえずホテルを出て、さーどうしようか、別にこれって行きたいところないしねー、あ、じゃあテレサのみんなに連名でハガキ書こっか、うんそうしよう。で、その辺のカフェに入って、タケシさんや福ちゃんや純ちゃんやペンギンさんたちに、くだらない内容の手紙を書いて。そのあと、お腹がすいたので、サファリの近くの定食屋でチキンご飯のセットを食べて、いよいよやることがなくなってホテルに帰って昼寝して、『金田一少年の事件簿』読んで。わたしは少しパソコンを叩いて。
そうこうしている内に、「リストランテアモーレ」が始まって、丸山さんの手打ち年越しうどんを食べて、ひと息ついて。そのあと、先日中華料理屋で会った日本人旅行者が今日のフライトで帰国するというのであいさつに来て、見送りがてらその辺で茶を飲んでいると、もう12時45分。2003年まであと15分。
サファリ御用達の美味いケーキ屋「エル・アブド」でケーキも買った。ステラビールも冷やしておいた。きっとサファリでカウントダウンイベント(?)があるはず、と急いで帰ったら…何事も起こっていなかった(笑)。
仕方ないので、「ダンナが仕事で帰国して1人で寂しい」と嘆くヒトヅマのYおねーさんと、寂しく3人でカウントダウンしようとしていたら、いつの間にかわらわらと人が集まってきて、めでたくにぎやかなカウントダウンになった。
その後も、Yおねーさんたちとだらだらと喋って、ピラミッド盗頂組は夜中2時頃から出かけて行って、初日の出観賞組も明け方に出て行った。誰もいなくなったロビーで、わたしとアクセルはしつこくテレサネタで引っ張っていた。
その内、丸山さんが起きてきて、味噌汁を作ってくれた。アクセルが、ヤンマガの『エリートヤンキー三郎』がめちゃめちゃ面白いというので読んでみると本当にめちゃめちゃ面白かった(つーかバカバカしかった)。2003年初笑いは『エリートヤンキー三郎』。今年はいい年になりそうにないなあ…。

そのようにして、スーダン行きの船に乗るためにアスワンに向かうまでの10日間、わたしたちは大部分の時間をともに過ごしました。
…なーんて書くと、まるで何かあったみたいですけど、そこは恋愛の神様に見放されているわたし、そんなふしだらなことは全くもってなく(笑)、あくまで健全なお友達として、です。最も丸山さんには、サファリを出る日「…で、彼とは肉体関係があるの?」と実にストレートな質問を浴びせられてしまいましたが(とほほ)。ない!ない!手すらつないでないっつーの。白砂漠ツアーの前日、図らずもツインの部屋に2人で泊ることになったのですが、そんな状況下ですら、われわれは怪談話でぎゃーぎゃー騒いでいただけ。4つも年下の男子を頂ける機会を、惜しくも逃してしまったわけですね(笑)。

でもね、何でもかんでも恋愛関係に持ち込めばいいってもんでもないと思うのです。
アクセルはわたしの弟よりも年下ですが、わたしの精神年齢が低いのか、彼の方が高いのかはともかく、何とも波長が合う(ま、そう思っているのはわたしだけかも知れないけどさ)。兄弟みたい、というのでもないけど、とても安心して話せるのです。関西弁だから?
それに、アクセルってやつは、心の狭いことで有名なこのわたしが手放しで誉められるくらい、いいコでして。何と云えばいいのかなあ、真っ当なところと歪んだところが、実に上手いこと共存している感じ。よく気がついて、やさしくて、でもどっかヘタレっぽくて、ちょっと意地が悪くて…そして、素晴らしく頭のいいコだと思う。ほんと、わたしが下心なしに人を誉めるなんて、なかなかないことなのよ。アクセルがわたしを誉めてくれたワケでなし。ちなみにやつは、わたしのことを「ケチでボヤッキーの年増」としか思っていない様子(苦笑)。
ここまで云っておきながら、それでも恋愛ではないと云い張るのか、と云われると、やっぱりそれはギリギリのところで、恋愛ではないのですよ。むしろね、ギリギリのところが一番美味しいところのような気がして、簡単に恋愛に変えてしまうのがもったいなくって。曖昧なものは、曖昧なままでいいことも、曖昧な方が気持ちがいいことも、時にはあるはずで。

まあ、旅先の出会いや人間関係なんて、しょせん幻のようなものなのかも知れません。でも、それでも、確かに心が通じ合ったと思う瞬間はあって、少なくともそれは真実だと思うのです。たとえその場限りの思いだとしても、永続性なんかなくても、それはそれでいいんだよ。きっとね。

GIZA3.JPG - 20,615BYTES 6年ぶりのピラミッド。

正月明けに参加した白砂漠(バハレイヤオアシス)ツアーのことも少し書いておきましょう。
ツアーと云っても、サファリでメンバーを募って、ジープを頭割りして安く上げるというだけのことなんですけどね。
メンバーは、サファリ沈没1ヶ月に到達しようとしている静岡県人Sさん(ちなみにピラミッドは見ていない)、カジノで一緒にタダのバナナを食べたHさん、Kさん&Yさんカップル、アフリカ南下組のYさん、ここまで同行中の彼女、アクセル、わたし、それに現地で会った別の宿の日本人旅行者さん。
エジプト観光はサファリだけでいいや、と思っていたわたしですが、バハレイヤオアシスから行く白砂漠にはかねてから興味がありました。これまで、半ば成り行きで色んな砂漠ツアーに参加していたせいか、砂漠と聞くと、とりあえず見たくなってしまう、いや見ておかねばなるまい、という義務感さえわいてくる、おかしなわたし…前世はキャラバンか。
加えて白砂漠では、フラワーストーンという、とても不思議な形の石(化石?)がごろごろ落ちていると聞いて、ついつい食指をそそられてしまいました。ヘンな石にも何故か弱いんだよなー…って、そんなわたしがヘンですね。

白砂漠は、アクセル曰く「何ここ。ナメック星やんか」。
石灰の大地がクレーターのように広がり、マッシュルーム型の不思議な石灰岩がぽこぽこと生えているその光景は、確かに、ここは地球じゃないなと思わせるシュールでダイナミックな光景でした。。石灰を踏み潰しながら歩いていると、自分が今どこにいるのか分からないような錯覚に陥ります。
そして、砂漠の夜は満天の星空。アクセルはモロッコの方がすごかった、と云っていたけれど、ここだって相当なものです。天の川もしっかり見えて、まさに”星降る夜”でした。寒かったせいもあり、特に大きな盛り上がりはありませんでしたが、個人的には、Sさんが何故か焚き火の火をくべるのに夢中になっていて、口から飛び出すのは火に関することばかりだったのが面白かった。彼曰く、オリーブの木はよく燃えるのだそうです。

砂漠からカイロに戻るマイクロバスの中、全員が眠っている間に、わたしはアクセルと、そして彼女に手紙を書きました。
ここまでの旅で最も重要な役割を果たしてきた彼女とは、サファリに来てからは、ほとんど接触がありませんでした(※彼女はわたしと1日遅れでエジプト人家庭を出てサファリに来た)。部屋が別々だったこともあるし、何せ日本人宿、話し相手はお互いほかにいくらでもいたからでしょう。
さすがに2ヶ月も一緒だと、話すことも決まってくるし、違う風に触れたい、と思うのは自然なこと。しかし、アクセルですら「本当に今まで一緒にいたの?」といぶかしむほど、他人行儀な感じになっていました。何故でしょう?別に特別思うところがあったわけではないんですけど。。。

もともとは、アフリカに一緒に南下しようということで始まった彼女との旅も、目的を果たす直前で終わることになりました。どういうことかと云うと、わたしは彼女より1週早い船で、スーダンに下ることにしたのです。かねてからの悩みのせい、だけでもなく、結局は予定がかみ合わなくなった、ということでして。わたしは急ぎたかったし、彼女はゆっくりしたかった。それだけのことです。
しかし、そのことを彼女に告げないまま、出発の日が来てしまい―とは云え、彼女の方も何となく知っていたとは思うけど―、さすがにここまで一緒にいて、何も云わずに分かれるというのは、あまりにも情けないしケジメがつかないので、ペンを執ることにしたのです。今さら面と向かって何かを話すには、少々距離が開きすぎていました。
彼女がこの手紙を、どんな風に読むのかは、全く以って分かりませんでしたが…。

サファリに戻って、わたしはすぐに、その晩のアスワン行きの列車チケットを買いに行きました。
正直、少し滞在を延ばそうかとも思っていたのです。テレサのときのように、「もう少しいればよかった…」とことある毎に後悔してしまうのではないか、という恐れがあり、それで、こんなギリギリになるまでチケットを買わずにおいたのですが、やはり予定通り発つことにしました。予定通り、と云っても、当初の予定からはすでに遅れているわけですからねえ。
それでも、1人駅に向かいながら、何となく後ろ髪を引かれたものです。

サファリのビルの下までは、砂漠ツアーで一緒だったSさん、Hさん、Kさん&Yさんカップルが、そこから地下鉄の駅まではサダおじさんが、そしてラムセス駅のホームまで、「ブダペストでは見送れなかったから、今回はちゃんとリベンジする」と約束してくれた通り、アクセルが、荷物持ちがてら見送ってくれました。そう、ブダペストのときは、アクセルは寝てたんだよなー(笑)。だから今回も、何のかんの云って、結局は面倒くさくなって(砂漠帰りで疲れてたしね)、来てくれないんじゃないか、と思っていたのですが。
出発時刻ギリギリで到着したため、あまり別れを惜しむ間もなかったけれど、列車がゆっくりと動き出してからも、アクセルは追いかけてきてくれて、われわれは窓越しに何回も手を振り合っていました。何やら、ベタなドラマのワンシーンのようですな(笑)。
夜のカイロを静かに走ってゆく列車の中で、わたしは、アクセルが最後に云った、彼のキメゼリフ「さよならだけは純粋だ」をぼんやりと思い出していました。あれは、有名な「さよならだけが人生だ」をもじったものなの、アクセル?

……

長くなりました。まだまだ云いたいことはあるけれど、キリがないのでこの辺で終わります。
なお、まことに勝手ながら、今回の旅先風信は、アクセルに捧げることにします。たまにはこういうのもアリってことで、ご容赦を。最も、アクセル本人は、このHPを当分読むこともないのでしょうが(いつかは読んでね)。
2度目の再会は、もうありえないかも知れないと思いつつも、最後はやっぱりこう云いたいですね。「世界のどこかでまた会おう。」

BAHARIYA39.JPG - 14,282BYTES ナメック星(いや、地球です)。

(2003年1月6日 アスワン→ワディ・ハルファの船)

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