旅先風信48「イスラエル」


先風信 vol.48

 


 

**ホーリー&バトル編(バトル編)**

 

何だかんだでイスラエルに10日も居てしまいました。
別に沈没してるわけでもなんでもないのに…年内にアフリカ行けるのかえ?!

前回、「次回は戦闘編です」などと挑発的な(?)セリフを残して終了しましたが、実のところ、そんな大した話はありません。
パレスチナ地区、いわゆるウエストバンクの町々を回って色々衝撃的なものを見たという旅行者もいますが、わたしは小心者なので、頑張ってまでそういうところに行こうとは思えない。それに、「ナブルスに3日間いて2人も死んだんだよ」なんて話を聞くと、そういうものを見ることが、果たして自分のため或いは誰かのためになるのかどうか、甚だしく疑問に思うのです。

結局、パレスチナ地区で行ったのは、ベツレヘムとナブルスのみです。よくテレビをにぎわせているガザとか、アラファトハウスのあるラマラとか、難民キャンプで有名なジェニンとか、いろいろあるんですけどね。全部を回るような根性も、モチベーションも、わたしはあいにく持ち合わせていませんでした。
なので、パレスチナの側面を見た、なんてエラソーなことは書けないんですけど…。あくまで通行人としての感想ですが、…このすさみ具合というのは、かなり身にこたえました。
すさんでるなー、と思う町は色々ありましたが(東欧の一部とかね)、ここは何だか…出口のない重さとでもいうのでしょうか…とにかく胃の底にたまっていくような重い雰囲気でした。人は皆、他のアラブの国同様明るく人なつこいし、特別に貧しいという感じでもない。でも、町全体が、どうしようもない閉塞感に覆われているように思えたのです。

ベツレヘムは、本来ならばキリストの生まれた地と伝えられる「生誕教会」の観光がメインの場所なのですが、訪れたときは、近々に起きたどこかのテロの犯人がベツレヘム出身とかで、イスラエル軍が報復。急遽町が閉鎖されたということでした。
商店は一部のパン屋などを除いて全て閉まっており、教会も、頼み込んでやっと入れてもらったような状況でした。住人は普通にその辺でたむろして喋っていたりするのですが、場所によってはまるでゴーストタウンのようなところもありました。
しかし、ここって、キリスト教の聖地であるはずなのに、現在はパレスチナ地区、つまり完全にムスリムの町なんですよね…。違和感ありまくりです。

ウエストバンク最大の難民キャンプがあるナブルスは、現在最も戦闘の激しい場所といわれている町です。
何故そんなところにわざわざ、と思われた方。ごもっともです。はっきり云って、興味本位で出かけました。すみません。宿にたまたま「これからナブルスに行く」という人たちが何人かいたので、便乗させてもらったわけですが、チェックポイントにいるケーサツにも「お前ら、何しに来たんだ?」と尋問されました。そりゃそうだよね。
ちなみに、こういう場合は、あまり真剣に答えずに「友達に会いに来た」とかなんとか云っておくのが無難なようです。今後行かれる方はご参考に。
正直、死ぬかも知れないとも思いました。ただ、こういう状況も刻一刻と変わっているため、昨日危なかったところが今日はそうでもなく、逆もしかりということで、わたしたちは特に危ない目にも遭わず、危ない場面も見ませんでした。
ただ、夕飯が終わってホテルを探しに行きがてら、アーミーが民家に押しかけ、殴る蹴るの暴行を働いていた現場に、遠くからですが遭遇することになり(家の中から悲鳴が聞こえてきた)、さらにそこで催涙弾を浴びてしまいました。何か目が痛いなー、喉も痛いなー、埃かなーと思っていたら、そこにいた全員がケホケホ咳き込み始め、どうやら催涙弾らしいということが判明したのです。

町は、ベツレヘムほど緊迫してはいませんでしたが、夜中にパラパラパラ…という乾いた銃声が遠くの方から聞こえてきたり、人伝えに「子供が撃たれた」という話も聞きました。ベツレヘムもそうだったのですが、町の至るところにパレスチナ人の顔写真のポスターが貼ってあります。聞けば、インティファーダ(※パレスチナ人がイスラエルに対して起こす民衆蜂起)で活躍して死んでいった人や、イスラエル軍に殺された人たちの弔いポスターのようでした。その中には、銃を持った幼い少年や、うら若い女性の写真もありました。
4月の事件(よく知らないのですが、大規模な殺戮があったらしい)以来閉鎖された商店街、建物のあちこちに残る銃痕(サラエボどころの騒ぎではない)、無残なほどに破壊された警察署、散乱するゴミとそこから立ち込める何とも云えない臭い…見るものすべてが、どうしようもなく荒廃しているように思えてなりませんでした。そんな中でも、先にも書いたように、人はあくまでも明るく、他の国のアラブ人たちと変わらない人なつこさで、それが余計に悲しかった。
あと気になったのは、ほとんどの子供がオモチャの銃を持って遊んでいて、本当に人に向けて撃ってくること。子供はタマをわたしたちに当てて喜んでいる。彼らはあくまでも笑顔で、無邪気にやっているのかも知れないけれど、ここではシャレになりません。むしろ、笑顔なのが不気味に感じたほどです。
これが、彼らにとっての”普通の遊び”なのでしょうか…。

NABLS14.JPG - 15,488BYTES ここの子供は8割がた銃を持って遊んでいる。オモチャだけどタマ入り。

NABLS1.JPG - 17,196BYTES 破壊された警察署。

結局この日はホテルが見つからず、ISMというボランティア団体の泊っている民家に宿泊しました。
ISMの活動内容は、外国人がいれば襲撃しない、というイスラエル軍の方針(?)を逆手に取り、パレスチナ人の家に滞在してその家を守ったり、アーミーに邪魔されて学校に行けない子供たちを行かせてあげたり…といったことだそうです。
わたしたちがいた日は、彼らの勇姿を見ることは、残念ながらできませんでした(とか云うと不謹慎ですけど…)。昼間、ホテルで談笑しながら食事をしている場面しか見られず、何だかなーと思ってしまいましたが、いざという時には活躍するのでしょう。
食事のあと、町のあちこちを現地ガイドに案内されたのですが、そのときISMのある人(アメリカ人)に「ここは何があったところなんですか?」と尋ねると、非常に面倒くさそうな口調で「知らないわよ。ガイドに聞けばあ?」という答えが返ってきて、これがボランティアしてる人間の応対?と、ちょっとがっかり。でもこんな一側面でISMがどうのこうのとはもちろん云えないので、たわごとと聞き流して下さい(じゃあ書くなって?)。
まあ、たった1日では彼らがどういう団体なのかはさっぱり分かりませんでした。一緒に行った男の子たちはもう1日延泊しましたが、わたしと彼女はひと足先にエルサレムに舞い戻りました。あまり長くいるべき場所ではないと、彼女も思っていたようです。

ウエストバンクに行く前、わたしは、エルサレムにある「ヤド・ヴァシェム」という、ホロコースト博物館に行って来ました。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、わたしはこの旅行記で、アウシュビッツ編だけをアップしていません。記憶や衝撃は薄れて来ているとはいえ、やはりあの場所については、簡単に何かを述べるということが出来ないまま、今に至っています。
イスラエル版アウシュビッツとも云うべきこの施設は、建物も新しく、アウシュビッツほどの陰惨な雰囲気はありません。しかし、えんえんと連なるモノクロのパネル写真は見るものを絶句させます。ほとんどは、アウシュビッツにて見覚えのあるものだったので、昔ほどの衝撃はありませんでしたが…。
人体実験や処刑前の裸の女性の写真などは、もはやありえない、想像の域をはるかに超えた人の埒外の光景としか云いようがありません。こんなことが実際にあったのだと実感するには、相当の想像力を要します。
エルサレム旧市街そばの、シオンの丘にも、オスカー・シンドラーの墓(映画『シンドラーのリスト』の主人公。原作は必読)のほど近くに小さなホロコースト博物館が建っています。小規模ながら、ホロコーストのあったヨーロッパの町々のシナゴーグから集めてきた石版が壁中を覆い尽くしているのが何とも凄まじく、これがもし日本人だったら…と思うと本気で寒気がしました。

そこで、普通に思うのが、「何故ユダヤ人は、あれほどの痛みを受けながら、それを生かすことができないのか」という疑問です。
もちろん、そんな簡単な問題ではないとは思います、ただ、戦線に送り込むイスラエル兵を奮い立たせるために、戦地に送り込む前にヤド・ヴァシェムを見に行かせる、という話を聞いたとき、あまりのムチャクチャさに唖然としてしまいました。何で?何でそうなるの?血は血で贖わなくてはならないのでしょうか?

わたしには何にも分からない。分からないです。
こういうものが日常的にあるということが、こういう環境が終わりも出口もないままえんえんと続いているということが、そしてそれを「この問題は複雑だから仕方ない」と思っている人間が大多数であることが。
わたしには何にも出来ない。いや、その気になればボランティアに参加するなどして、何かは出来るのかも知れない。でも、わたし自身にそこまでして、彼らを救おうという気概があるのかというと…否であったりする。
面白がって来るべきではない、というのはこういうことなのかと愕然としました。結局何も出来ないし分からない自分、というものだけが残るのみなら、これほど不毛な行為はあるだろうか、と。
実際は興味本位と知りつつも、人は「社会勉強」という名のもとに、世の中の負の側面を、ある種のゴシップ趣味の如く見て回るのでしょう。わたしも例外ではなく。見るという行為に、一体どれほどの意味があるというのか。見て、そういう現実を知るだけでも意味はあるのか。ありはしません。きっと。少なくともわたしは、それを何かに役に立てられそうにもない。
もしかしたら、そういうものを見て、ある程度は幸福な自分の立場を噛みしめているだけなのかも知れない、或いはただ残酷なものを見たいだけなのかも…そう思うと己に対して吐き気がしそうになります。
せめて、それを有効に伝える技術や方法があればと思うのですが、わたしに出来ることといったら、こんなくだらない感想文を書くことだけ…。
でも、そうと分かっていても、またわたしは、世界のあちこちで「負」を見ようとするのでしょう。暗い欲望に突き動かされるままに。

…イスラエルのことって、本当に書くのが難しいですね。あまりにも他の国とは違いすぎる。人も、暮らしも、何も違わないはずなのに、何かが違う…。
いい加減な内容でごめんなさい。

NABLS19.JPG - 30,961BYTES こうして見ると、他のアラブの国と何も変わらないのにね…。

(2002年12月9日 エルサレム)

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