旅先風信44「ヨルダン」


先風信 vol.44

 


 

**失語症**

 

すみません。今回はちょっと弱音を吐かせて下さい(って、いつも吐いてるか…)。

わたしが悪いってことくらい、分かっているのです(なんてのっけから言い訳するわたしは、本当に卑しい性格だと思います)。
他人や何か外部のものが悪いのなら、それのせいにも出来るけれど、自分が悪いってのはどうしようもなくて、ますます自分がイヤになるだけ。ネガティブな気持ちは、さらにマイナス思考を増長し、どんどんドツボにはまっていくというわけです。

レバノン編にて書いたとおり(何?工事中?すぐに作るわよ!)、現在わたしはとある女性パッカーと行動をともにしています。
アフリカを縦断するというルートが一致しており、それならば一緒に、とレバノン、シリア、ヨルダンと南下しているところです。

皮肉でも何でもなく、彼女は常に明るく、元気で、はつらつとしていて、頭も気も回れば英語も達者で、現地のおっさんたちや旅行者ともすぐ仲良くなれる人です。きっと友達も多いでしょうし、皆から愛されてもいるであろうことが、容易に想像できます。
それに引きかえ、わたしは???
常に陰気で、覇気がなく、半病人のような面で、頭も気も回らなければ英語もロクに喋れない。他人の輪に自ら溶け込んでいこうという勇気もない。はっきし云ってヘタレ、或いはチンカス、あるいは…うう、もう云いたくない。

要するに、完全に違うキャラクターなのです。それも、その違いは、明らかに優性と劣性の違い。
彼女が光なら、わたしは影です。光あるところに影はできるというものの…。
彼女のように放つ光の強い人の側にいると、わたしの中にあるわずかな光など、かすんでしまうに決まっているのです。
わたしはまるで幽霊みたい。彼女といると、自分が本当に存在しているのかどうか、ときどき疑わしくなることがあります。

例えば、一番顕著に苦痛なのが、ヒッチハイクした車の中。

一度、ベイルートで拾ってもらった車に、いつもなら彼女が助手席に座るのですが、偶然わたしが座ってしまったことがありました。
わたしは何も考えず座っていたのですが、そのとき「○×ちゃん、乗せてもらってるんだからおじさん(ドライバー)と喋ってあげて下さい」と指摘されました。
そりゃ当然です。それがヒッチの礼儀ってものです。それに気づかなかった自分があまりにもマヌケで情けなくて、突如パニックに陥ってしまいました。手に脂汗がにじんできて、とにかくこの場から逃げたい、まさに”穴があったら入りたい”状況。
そのときわたしが口走ったことといったら!「ごめんなさい!わたし、何喋っていいか分からないんです、ごめんなさい、お願いします…」

これが26にもなった大人の云うことでしょうか?

高校生の頃、クラブの合宿で、最終日のミーティングに1人づつ感想を述べる機会がありました。
いよいよわたしの順番が回ってきたとき、わたしは急に声が出なくなり、それこそ顔中に脂汗をかいて、まるでよくない霊にでも取りつかれたように(取りつかれていたのかもなあ)おかしなことになったのです。
先輩や同級生が辛抱強く見守る中、いや、見守られたがためによけいにパニックはひどくなり、そのミーティングでただ一人、わたしは全く言葉を口にしませんでした。
今でも、何故あんなことになったのかよく分かりません。確かに緊張はしやすい性質ですが、こんなつまらないクラブのミーティングごときで口がきけなくなるなんて…そのときの記憶がふつふつとよみがえってきました。

またある日、死海からの帰り道で車を拾ったときのこと(※ヨルダンの見どころは往々にして交通の便が悪く、ヒッチをしなければならないことが多いのです)。
そのときは、彼女が助手席でわたしはバックシートでした。おっさんは陽気な人で、英語もぺらぺらで、彼女と意気投合して喋っていました。わたしも一応、話を聞いているという姿勢と愛想笑いは絶やさないように心がけてはいたのですが、そのうちおっさんが「君は何で喋らないんだ?」と実に素朴な、しかし一番云って欲しくない疑問をストレートにぶつけてきました。
とにかく何か答えなければいけない。でも一体何と?
ほとんど考えるヒマもなく、「人と話すのが苦手なんです」とまたまたバカなことを口走ってしまいました。もちろん車内は白け、次の瞬間、彼女が「彼女(わたし)はシャイだから」とフォローを入れているのを、情けない思いで耳にしました。シャイという言葉は、日本と違って、ネイティブの感覚ではネガティブな言葉であるということを思い出して、さらに醜悪な自己嫌悪に陥りました。
ああ、もうこのまま気を失って倒れたい、或いは今すぐ車から飛び降りたい…そんなことを思っているうちに、本当に気分が悪くなってきて、おっさんに「大丈夫か?病院に行くか?」などと云われる始末。とんでもない。大丈夫です。気にしないで下さい…。
ホテルに帰るとすぐ、わたしはベッドに倒れ込みました。

SHIKAI3.JPG - 19,875BYTES 死海の泥で全身パックをするオッサン。

今日も今日とて、首都アンマンから世界遺産のアムラ城に行く過程でヒッチをしなければなりませんでした。もちろん黙って鎮座しているわけにいかないことは分かっているのですが、例の如く彼女が喋るのを担当してくれるので、またしても中途半端な愛想笑いを浮かべているだけでした。
今度は「何で喋らないんだ?」という質問こそ飛んできませんでしたが、明らかに”何だこいつは?”といぶかしんでいる雰囲気がびしびしと伝わってきて、何か云わなくては、と思いつつしかし余計にプレッシャーになって、また黙ってしまうという悪循環。
それに引きかえ、彼女はほとんど天才的とも云える話術で、車内を和ませていました。彼女がこの車に乗っただけで、光が差し込んだような、そんな気さえしました。
その隣でわたしは、幽霊のように縮こまって、ただただこの、針のむしろのような時間が終わることだけを祈っていました。もうこのままアンマンに帰れなくてもいい、この場ですぐに下ろしてほしい、誰もいない砂漠で1人で歩きたい…情けないことですが、そんな気持ちでいっぱいでした。

1人だと逆に、少しでも喋らなくてはという義務感もわいてきて、何とか会話をしようとするのかも知れないけれど(シリアで1人だったときは、それなりにやっていたと、今では思う)、彼女が喋ってくれるから、わたしは喋らなくてもいいような気がして、黙ってしまう。そして、いったん黙ると、もう本当に、クスリでも飲まされたみたいに声が出なくなる…パブロフの犬よろしく、条件反射をすりこまれたような、そんな感じ。
もともと英語がコンプレックスになっているせいもあって、英語で会話となるともうダメ。思考停止。失語状態。

人間には役割分担というものがあり、「船頭多くして船山に上る」ということわざにもある通り、それぞれの適性に合わせて、いや適性という言葉は曖昧なので、やりたい人がやればいいのです。つまり、鍋奉行は1人でいいということです(変な例えですみません)。
漫才コンビにボケは2人要りません(シャンプーハットは例外だけどね)。もちろんツッコミ1人で成り立つわけもない。
彼女が喋りや交渉や計画を担当してくれるのなら、わたしがしゃしゃり出たところで、バランスがおかしくなるだけでしょう。物事をスムースに行うには、役割分担は不可欠なのです。
では、わたしが何を担当しているかというと、何もやっていないところが自己嫌悪の種なわけで…。

万事が上手く進んでいる中で、ふと思うのは、「わたしは自分の旅をしているのだろうか」ということです。
人の物語の中にちょい役で出ている、どーでもいい登場人物(小学校の演劇における”木その1”のような)になっているのではないかと。
誰かに付いていくのはラクな作業です。それも、どうしてもガマンならないような人間にではなく、明らかに適切で、筋の通った意見に従っていて、何の間違いがあるでしょうか?
そんなことは百も承知で、やはり「自分の旅は自分で作るべきなのではないか」という、マジメな疑問が浮かんでくるのです。

コバンザメ式旅行(語源はみどくつ氏)に、完全に身も心もゆだねられるほど大人であれば、きっと、こんなに苦しむこともないと思うのです。
「え?ラクでいいじゃん」と思えるほど、素直であれば、また…。
彼女が完璧な段取りを組んでくれるたびに、もちろん異論を挟む余地などないので、納得して従っているわけですが、本当は、例え失敗したとしても、自分の足で動かなければいけないような気がしてなりません。
いや、少なくともこれまでは、もちろん他人の手を借りつつも大体は、何とか1人で旅をしている、旅を作っているという手ごたえを感じつつやってきました。今はどうでしょう。完全におんぶにだっこです。
情報ノートを的確に読み、レールを敷いてくれる彼女に、わたしはただ便乗しているだけ。最近はすっかり情報ノートも斜め読みで、ガイドブックすら読まなくなりました。現実から逃げるように、ひたすら日記を書き、ガイドブックではない他の本を読むだけ(こういうとき、ラブストーリーを読むとけっこうハッピーになるものです。経験談)。
こんなことで、個人で旅行をしているなどと、カッコつけたことが云えるでしょうか?もちろん、否です。

そんなに自己嫌悪にさいまれるくらいなら、離れればいいのにとも思います。そうした方が、たとえアフリカで1人路頭に迷おうとも、身の危険があろうとも、精神的には開放されるのではないか、と。
でも、もし離れたらその途端に、わたしに災いが降ってくるかも知れない。彼女のようなたくましさも賢さも語学力もないわたしなど、アフリカに1人で行ったら殺されるかも知れない。そうなったら本気で惨めです。弱い者は、大人しく、強い者に巻かれておればよいのだ、そうすれば何も間違いは起こらない…
ははは、何だか、完璧な親に育てられる子供の苦悩、みたいな感じですね(もらうばっかりで何も返していないところも親子関係っぽいわね)。
それに、彼女がイヤな性格ならともかく、そうではないから、よけいに辛い。一体何の不満があって離れたいなどと云うのか、自分で自分を納得させる術さえないのですから…。

いつかもし、彼女がこの原稿を読んだとき、一体どんなにイヤな気持ちになるか、分かっていながら、それでも書かずにはおれませんでした。
今のわたしから書くことを取ったら、本物の抜け殻です。自分の日記帳ひとつに納めておいた方が賢明なのでしょうが、浅はかなるかな、こんなしょうもない人間でも、自分の存在を少しでも世界に刻んでおきたい、と思うものなのですよ。つくづく業が深くてイヤになりますが。

この泥沼的な精神状態から、いつか抜け出せる日は来るのでしょうか。
それにしても、辛いことがあると原稿があっと云う間に書き上がるのは皮肉なもんです(たとえカスみたいな原稿でも)。

(2002年11月10日 アンマン)

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