旅先風信43「レバノン・シリア」


先風信 vol.43

 


 

**コンプレックス/コミュニケーション**

 

最近更新遅いですね。どうもすみません。
てことで、こんばんは。ここはレバノンの首都ベイルートです。眠れないのでホテルのテラスに出てこれを書いています。

元々あまり来る気のなかったレバノン(ベイルート)に6泊もした理由は、まず第一に宿「talal's(タラルス)HOTEL」の居心地がよかったこと。日本人も多かったけれど、日本人宿というわけではないし、旅人同士の距離感が適当(つかず離れず)だったのもわたしには合っていたように思います。沈没者も若干名いましたが(何故か1人はドイツ人)、その気持ちも何となく分かる気がする。

ダマスカスからベイルートに入ると、その文明の違いに愕然とします。
長い内戦を経て、おそらくすごい勢いで復興しつつあるベイルートの街は、全部ではありませんが、とにかくもうピッカピカ。かつては中東のスイス(またはパリ)と謳われていただけのことはあります。もし内戦がなかったら、一体どんな街になっていただろうと、惜しい気持ちにさせられました。
ビックリしたのは、ヴァージンメガストアとスターバックスが存在していること。
他のアラブ諸国では考えられません。スタバはイスタンブールにすら無かったのですから、いかにベイルートがアラブ的でないかを物語る好例でしょう。巨大スーパーマーケットもあるわ、ガラス張りのお洒落なブティックもあるわ…うーん、久々に物欲が(苦笑)。
ここはまた、USドルが自国通貨のごとく使用できるという不思議な国でして、ヴァージンの本屋にある本・CDその他は、すべてドル表記(笑)。しかし、ニセ札も多いということで、レバノンUSドルにはヘンなサインやスタンプが押してあります。他の国で使えるのかやや不安…。

BEIRUIT10.JPG - 23,357BYTES ライトアップされる新市街の時計台。

また、レバノンの国土は宮城県くらいの広さしかないにもかかわらず、何と世界遺産が4つもあるのです。かのペトラ遺跡のあるヨルダンには2つしかないことを考えると、すごい密度です。
確かにレバノン、”山椒は小粒でもピリリと辛い”のことわざの如く、あなどれない国です。レバノンって何か見るとこあったっけ?なんて見くびってやって来たわたしですが、いやはや。せっかくシリアまで来たのなら、ダマスカスからたった3時間半のこの国に足を踏み入れたって損はないでしょう(と、後塵の旅行者へメッセージを送っておきます)。今なら3ヶ月ビザタダでもらえますしね。

世界遺産のバールベック遺跡、レバノン杉ももちろん素晴らしいですが(後述します)、ベイルート近郊にあるジェイタ洞窟という鍾乳洞がすごい。ここは何と入場料が12.5ドル(学割なし)という信じがたい値段設定になっており、かなり迷いが生じましたが、いざ行ってみると、払って損はなしでした(でもやっぱ高いけどね)。
鍾乳洞はミルクのようにつやつや光る美しいものから、人の骨盤を積み上げたような不気味なものまでさまざまでした。幻想的、という言葉で片付けてしまうにはあまりにもったいないのですが、今他の言葉が思いつかないので、そういうことにしておきましょう。
しかし、この日の思い出は、洞窟そのものよりむしろ、そこに行くまでのタクシーでしたねー。何故かタクの運ちゃん、おもむろに食糧を買い込み出したかと思うと、車は何と洞窟ではなく運ちゃんの自宅に行ってしまいました。おいこら、何する気やねん!
運ちゃんはサンドイッチを作ってくれ、わたしも腹が減っていたのでありがたくいただいたものの、運ちゃんが「疲れてるんならここで寝なさい」と云ってベッドを指し、自分も寝転び出すに当たってさすがに”これはマズイ…”と焦りました。運ちゃん、全く英語が通じませんでしたが、とにかく今すぐ洞窟に行ってくれろ!と身振り手振りで必死で伝え、事なきを得ましたが…はーーー怖かったよーーー(涙目)。

JEIDA2.JPG - 38,960BYTES すみません、撮影禁止なんですがこっそり撮っちゃいました…。美しいんだけど、不気味でもあり。

この洞窟を皮切りに、朝から出かけて精力的に観光するという毎日が始まりました。
バールベックもレバノン杉も、どっちでもいいかーと思っていたのに、結局しっかり見に行ってるし(笑)。
バールベック、所詮はレバノンのマイナー遺跡だぜ、なんてまた見くびっていましたが、とんでもなかったですね。謝ります。申し訳ございません(何のこっちゃ)。ここはとにかくもう、何もかもデカい!ひとつひとつの石がわたしの身長よりデカい!ゴツい!何と云いますか、非常に男性的な、マッチョな遺跡です。さすがにかのシーザーが、ローマを越える街を作ろうと意気込んで建設していただけのことはあります(シーザーってとこがまたマッチョよね)。ゼウス神殿跡に建つ6本の柱は高さ20メートル。バッカス神殿の大きさは、これまで見てきた遺跡の中でも圧倒的。口をあんぐり空けて見入ってしまうほど、デカいです。デカすぎです。状態もかなりよろしい。これは確かに、文句なしに世界遺産でしょう。

レバノン杉も、下馬評(?)では賛否両論で、しょぼい説の方がやや有利かという印象でしたが、これも行ってよかった。
杉自体はもう数が少なくなっていて、世界遺産になっている森も小規模です。しかし、杉の森を歩いているうちに、何だかもうとっても愛おしくなって、「よく生きてたねえ〜」なんて云って思わず抱きしめてしまいましたよ。自然のものには、有無を云わせない強さと美しさがあるということを、改めて感じました。杉の深い緑色と、羽根のように広がった枝枝は、ほとんど神々しいと云ってもいいくらい。
ここには、杉の木の中に彫りこまれた3体のキリスト像があるほか、小さくて素朴な教会もあります。教会の内装はもちろんレバノン杉を使用していて、地味ながらも可愛らしく清らかな空間でした。

BALBECK1.JPG - 16,490BYTES バールベック。

SUGI1.JPG - 26,472BYTES レバノン杉。

もう1箇所、印象的だったのは、キアム。
ここはイスラエルとの国境に近い村で…となると当然見どころは戦争モノ。何が見られるのかというと、シリア兵の強制収容所です。
アウシュビッツのような陰惨な展示も、クネイトラのような破壊の凄まじさもここにはありません。収容所が半ば廃墟と化してそのまま残っているのみです。とは云え、やはり陰惨な場所には違いなく、例えば独房などは、安ホテルのトイレくらいのスペースしかなく、もちろんドアを閉めれば真っ暗というありさま。わたしだったら1日で発狂ですね…。屋上に上がれば鉄条網の向うにゴラン高原が見えます。
このような場所で地元の子供たちは無邪気にサッカーに興じ、捨てられた戦車に乗り、牢屋中を駆け回っていました。実に不思議な光景でした。
しかし、いつも思うのは、収容所の大部屋と安宿のドミトリーって似てるよなー、ってこと。このキアムもそうでした。狭い2段ベッドがいくつか並んでいて、粗末な毛布が1枚あるだけ、みたいな感じ。ん?これどっかで見たことが?…○×のYHやんけ!そんな感じ。そう云えば、アウシュビッツに行った日、YHのシャワーがちょっと怖かった。お湯じゃなくてガス出てくるんじゃないのか、って(んなワケないのですが)。

KHIAM1.JPG - 18,472BYTES 処刑台(?)にぶら下がる子供たち。

そんな感じで、レバノンではかなり充実した観光ライフを送っていたのでした。
ブダペストで見て、非常に素晴らしかった航空写真の巡回展がここベイルートにも来ているという、嬉しいオマケもありましたしね(この写真集がヴァージンメガストアで売っていて、宿の宿泊者の7割は購入していた。もちろんわたしも)。何だか立ち去りがたいです。

さて、ここからは私的な話題(ちなみに日付も場所も変わっています。現在シリアのボスラ)。

ベイルートからこっち、わたしはある日本人の女性パッカーと行動をともにすることになり、現在も一緒にいます。
ダマスカスの宿で顔は見知っていたのですが、そのときは彼女は他の女性旅行者と一緒で、ベイルートへも、わたしよりひと足先に入っていました。
ベイルートの宿で、ともに学生証の作成に取り組んでいたのがきっかけで、旅の話などあれこれするようになり、聞けばどうやら彼女もアフリカに南下することを視野に入れている模様でした。

彼女はとても明るく、よく笑い、またその笑う声が非常に印象的な人です。誰とでも積極的に話をし、それは日本人外人まったく隔てがありません。英語が上手というのもありますが、基本的に話すこと自体得意なのだと思います。
彼女の方から、一緒に南に下ろうよ、と云われたとき、わたしは正直嬉しかった。歳も近いし(彼女が一つ上)、こんなに楽しそうに笑う人と一緒なら、きっと旅も楽しくなるに違いない、映画『テルマ&ルイーズ』じゃないけど、女子2人でアフリカ大陸を突っ走るなんて、何だかすごく絵になるじゃないか、なんて(ミーハーだなわたしも)。

しかしそれは、新たな苦難の始まりでもありました(また大げさな…)。

随分前にもこのHPで書いたのですが、わたしには決定的にコミュニケーション能力が欠けていると思います。ときどき、人と話すのが面倒なことに思えるし、一人でいてもそれほど寂しいとも苦しいとも感じない(時と場合によりますが)。他人の手をわずらわすのがイヤなので、例えば買い物に出かけるのにわざわざ友人を誘ったりもしません。要するに、人と関わるのが苦手と云うより億劫な性格なのです。
もちろんそれがいいとは思っていません。コミュニケーションなしに社会は成り立っていないのです。
常に明るく社交的な彼女の隣にいると、普段はそれほど気にもしていない、コミュニケーション能力の欠如が、あぶり出しのように浮かび上がってきて、そのたびにコンプレックスに悩まされます。
わたしは暗く、怠惰で、もしかすると人間が嫌いなのかも知れない。例えばこの旅では、山のように写真を撮っていますが、ある人に「人の写真が少ないね」と云われたことがありました。それはヨーロッパを旅していたときのことなので、建物や絵画の写真が必然的に多くなっても仕方ないのですけど、それでもちょっとドキッとしました。無意識的にわたしは人から逃げているのかも知れないな、と。

彼女のよく響く笑い声、流暢な会話(日英問わず)を聞くたびに、わたしは劣等感に苛まれます。
わたしときたら、1日に数回も笑わないし、喉にモチでも詰まってんのかと思うような不明瞭な声しか出せないし、つまらないことしか話せない。性格は捻じ曲がっているし、フレンドリーという言葉とは縁もゆかりもない人間です。こんなんで生きてる価値があるんだろうか、と本気で疑いたくもなります。
なんて自虐的になるわりには反省の色がなく、毎回こうして堂堂巡りの自己嫌悪に陥って傷つくばかり。改善しようという前向きさがまるでありません。心のどこかで、「別にこれでもいいもん」という腐った開き直りがあるのでしょう。
自分に染み付いているこのどうしようもない暗さは一体何なのでしょう?別にこれといったトラウマや暗い過去があるわけでもないのに、まるで洗っても落ちないシミや臭いのように、外見、雰囲気、話し方、性格…etc、全てにおいて、どこを切っても(金太郎飴の如く)暗いのはどういうことなのでしょう?…と、こんなことを考えるからますます暗くなるのですが。
それでも、ただひとつだけ、暗かろうが、バカだろうが、天から見放されるまでは生き抜く。それだけは決めているのですけどね。明るくなれないなら、せめて揺るぎない強さを身につけたいと、切に思います。
でも、彼女の明るい笑い声を聞くとまた、コンプレックスで胸が張り裂けそうになります…。

ベイルートからダマスカスにかけては、実はちょっとしたロマンスみたいなものもあったのですが、それを書くとあまりにも原稿が長くなるのでまたの機会に(もったいぶってるわけじゃないのよ)。コンプレックスを増長する原因は、この恋愛ざたも大いに関係しているかもなあ。

追記:ボスラ遺跡について
今いるシリアのボスラは、地味ながらも世界遺産に登録されている遺跡です。しかし何がすごいって、宿泊可能なこと。従って今日の宿は遺跡の中!いったん宿泊してしまえば、超立派な古代劇場も24時間使い放題(笑)。夜中に舞台で歌っても、多分誰にも迷惑かかりません。オフシーズンなのか、われわれのほかに宿泊者もなく、驚くほど静かです。すごいです。しかも安い。今は女2人ですが、ここは恋人同志で来るのがベストでしょう。このシチュエーションなら、何でも好きなことできますよ(ぐふふ)。

(2002年11月6日 ボスラ)

ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system