旅先風信42「シリア」


先風信 vol.42

 


 

**旅再開、再びのアラブ**

 

ごぶさたしております。お元気でいらっしゃいますでしょうか?
更新が遅くなりまして申し訳ないです。旅を再開した途端死んだのかと思われた方もいらっしゃることでしょう(んなアホな)。

あっという間に日本での休息は終わり、再びトルコへカムバックし、旅を再開しています。
当初の予定通り、イランへ抜けてアジア横断を敢行するか、それともにわかに興味のわいてきたアフリカへ行くかをずっと悩んでおり、復路の飛行機の中でも決心がつかずにいたわりには、いざイスタンブールに着いたその日、アフリカ行きの手始めとしてシリアに行くことを決意(早っ)。即行でレターをもらって、ビザを申請して(と云ってもレターが金曜日だったので土日はムダにしたけど)、ビザが下りたその日にイスタンブールを発ちました。

イスタンブールから国境の町アンタクヤまで、バスに揺られること16時間。
アンタクヤは特別見どころもないのですが、国境らしい猥雑な雰囲気に惹かれ、1泊することに。でもバスに揺られ疲れて、ほとんどホテルで寝ていましたが(どないやねん)。
その昔は、キリスト教五大総本山の1つ・アンティオキアとして権威のあったこの町も、今は小さな地方都市。おそらく最大の見どころであるモザイク博物館が、過去の栄華を伝えるのみです。

そしていよいよシリアです。
チュニジア以来のアラブ世界。少しばかり緊張しましたが、モロッコでアラブの洗礼(ぼったくり&セクハラ、「ジャパーン」を連発する人々)をしっかり受けているので、それほど困難も驚きもありませんでした。ありがとうモロッコ(?)。
モロッコ人に較べたら、シリア人は本当にいい人たち。いや、モロッコの困った人率が高いだけかも知れませんが…。
皆目が合えばニコニコして「ウェルカム!」と声をかけてくれるし、道を尋ねても親切に教えてくれるし、店のおっちゃんは食べ物をくれるし(笑)。一説には、シリアのイメージをよくするための政策だとか云われていますが、まあそれでも見た目に親切なことには変わりないしね。そんな、こっちも過度なヒューマニズムを求めてないですってば。
だから、1人で歩いていても全然退屈しない。誰か相手にしてくれるもの(笑)。もちろん、困ったやつらも中にはいます。アレッポのスーク(市場)で道を尋ねた兄ちゃんの店でチャイをごちそうになっていると、どうも目線がやらしい。何で離れて座るんだ?などと云うので明らかにあやしかったのですが、そうこうしている内に「セックスは好きか?」と尋ねてきたので、すぐさま店を立ち去りました。

ダマスカスまでの足取りを簡単に説明しますと、まずはシリア第2の都市アレッポへやって来ました。
アレッポと云えば?…そう、もちろんアレッポ石鹸ですよね。妙齢のいち女子として、このお肌にいいオリーブ&月桂樹石鹸を買い逃すわけにはまいりません。
…とか云いながら、実はケチったのと荷物が増えるのがイヤなのとで、3つしか買っていないのです。これを書いているのは首都ダマスカスですが、ここの安宿「アル・ハラメイン」で会ったお姉さまパッカー方は5キロ、6キロと大人買い。ダマスカスでも一応売ってはいるものの、アレッポで購入したものと較べると、中身の緑色(オリーブ)が全然違う!アレッポのものは美しいエメラルドグリーン。対してダマスカスに置いてあるのは緑茶みたいな色。値段は同じくらいなのに…。後悔のあまり、夜も眠れません(←これホント)。
ちなみにこの石鹸、日本で買うと、中級くらいの品質のもので5〜600円くらい。エクストラバージンオリーブとかだと1000円以上していたような気がします。郵送費用を考慮しても、こっちでキロ単位で買っておいて損はないようです(1キロで4〜5個)。

ALLEPO18.JPG 山のように積まれているアレッポ石鹸(と店のオヤジ)。最高級のものでも1キロ3〜4ドルくらい。

さて、シリアはそれほど大きな国ではありません。端から端まで移動してもおそらく1日くらいでしょう。
しかし、意外に見どころはありまして、地味ながらもあなどれないな、という印象です。

最大の見どころと云われるパルミラ遺跡をはじめとして、十字軍の建築した城でかの『天空の城ラピュタ』のモデルになったという説のある(これも賛否両論あり)クラック・デ・シュバリエ、世界遺産の古代劇場があるボスラなど、遺跡が点在するシリア国内。
もちろん何処も見ごたえはありますが、ここはひとつ、かなりマニアックと思われるスポット「アシュシャマーミス」を挙げておきませう。
これは、日本を出る前から愛読していた「HIT THE ROAD」というモバイル旅行記にて紹介されていて、その写真が、とても印象的だったのです。”砂漠に忽然と現れる謎の廃城”。一言で云うとそんな感じ。
水車で有名なハマの町からセルヴィス(ミニバス)で走ること30分。景色は10分もすると一面の荒野に変化し、30分後、まさに上記のコピーのまんまな光景が目に飛び込んで来ます。丘の斜面に「WELCOME」という興ざめな文字が書かれているのですぐに分かる(苦笑)。そこでバスから下ろされたまではいいものの、城にたどり着くまで相当歩かなくてはなりませんでした。全く日陰のない荒野の道を30分くらいは歩いたでしょうか。その間、人という人、いや生き物という生き物が全く影を潜め、聞こえて来るのは遠くの方の鳥の鳴き声のみ。
道中、これまた人気のない共同墓地があるのも何やら不気味です。
城そのものは廃城で、中にも進入できない(やればできると思うけどケガしそうだったのでやめた)のですが、丘を上って行くと、360度の砂漠のパノラマとセットでこの遺跡を独占できます。前にもどこかで書いたけれど、遺跡観光の醍醐味、それは遺跡を独占することと思っているわたしには、ここはカンペキなシチュエーションでした。
ま、でもシリアの遺跡って、パルミラですら観光客はそんなに多くないので、時間帯や季節によってはほぼ独占状態になるかも知れません。

ASYUSYA13.JPG - 11,819BYTES 謎の城。

一応パルミラとクラック・デ・シュバリエについても簡単な紹介をしておきましょう。
パルミラは、”中東の3P”と呼ばれる遺跡の1つ(しかしこういうネーミングって誰がつけるんでしょ?いつもウマいなーと感心します)。あとの2Pは、ヨルダンのペトラ、イランのペルセポリスです。
旅人間の風説によると、3Pのうち、ペルセポリスとパルミラはしょぼい、とのことでしたが、個人的にはパルミラ、好きな遺跡です。
砂漠の上に連なる列柱群は圧巻。ほんのりとピンクがかった石も何やら色っぽく、パルミラの女王、ゼノビアの伝説を彷彿とさせてくれます。
ゼノビアとは、クレオパトラの末裔を自認する絶世の美女で、パルミラを狙っていたローマ帝国の皇帝は、ゼノビアに一目惚れ。しかし彼女が皇帝を受け入れないので、可愛さあまって憎さ100倍、ってことでパルミラを潰しちゃったらしい。ま、伝説でしょうが。
このゼノビア女王、アレッポのオリーブ石鹸で髪を洗っていて、驚くほどツヤツヤだったという話もあり、そんなことを聞いてしまったら、今からでも石鹸を買うだけのためにアレッポに戻ったろかい、と半ば本気で思ってしまいますね。こんな小汚いパッカーのわたしでもやっぱ女子なんだねー一応ね。
ちなみに、パルミラへ行くなら、日帰りではなく、1泊するべきです。これはそうしなかったわたしの後悔を元に云うのですが、パルミラの夕日と朝日はきっと素晴らしいと思うのです。わたしもほぼ夕日は見られましたが、それでも太陽がストンと落ちる瞬間を逃したのは、惜しいことをしました。

PALMIRA30.JPG - 19,470BYTES ほんのりピンク色のパルミラ遺跡。

クラック・デ・シュバリエは、かの十字軍が築いた城の中でも美しいと云われる城で、アラビアのロレンスことT.E.ロレンスが大学時代にここを訪れ、卒業論文を書いたという場所でもある(実はロレンス好き。ヨルダンのワディ・ラムにも行きますぜ)。
しかし、日本人旅行者にとっては、ここは「天空の城ラピュタ」のモデルの地、と云った方が食指をそそられるでしょう。
普段マイナー映画ばかり観ているもので、「ラピュタ」も当然未見のわたしには、どの辺りがラピュタであるのか、さっぱり分かりませんでしたが、”天空の城”という言葉から想起するイメージにはそこそこ合っていたように思います。
わたしにとっては、ラピュタというよりドラゴンクエストでしたね。階段の造り方とか、回廊とかが、ドラクエのダンジョンぽくて(笑)。1人でドラクエごっこしてました。ガキですみません。

CRAC12.JPG - 17,645BYTES ドラクエな城。

このようにしてひと通りハイライトを回った後、ここダマスカスにやって来ました。
シリアの国境を越えてからこっち、全く日本人には会わなかったのですが、ダマスカスの老舗バックパッカーホテル「アル・ハラメイン」にやって来るとさすがに居ましたねえ。イスタンブールで一度会った人にも再会し、その日はだらだらと日本語でおしゃべりに興じていました(アラブ名物ぐるぐるチキンもこのとき初めて食べた)。
そのとき聞いたのが、クネイトラという町のことでした。わたしは実は、シリアの情報と云えばアレッポとダマスカス、それにパルミラくらいしか知らなかったので、当然そんな町のことは聞いたこともありませんでした。
クネイトラは、政治的にデリケートないわくの地・ゴラン高原にあるデッドタウンです。何故死んだ町なのかというと、イスラエル軍によって破壊されたからです。
イスラエル軍の残虐行為を世に知らしめるため、アサド前大統領がそのまま残したというクネイトラの町。ここに入るのにはパーミッションが必要ですが、入場料などはありません。朝イチで申請所にパーミッションを取りに行き、その足でセルヴィスでクネイトラに向かうだけ(所要2時間、片道25シリポン=0.5ドル)。

クネイトラは、例えばサラエボのように復興と破壊が混在する町ではなく、ただえんえんと破壊された家、建物が続くばかりの、まさに死の町です。その光景にはただ息を呑むしかありません。
家という家はほとんどぺしゃんこに潰れていて、教会やモスクも原型こそとどめているものの、中は空洞で、瓦礫の山。
なかでも病院の破壊ぶりは凄まじく、恐ろしいほどの数の弾痕がぶち抜かれていました。陰惨というか、めちゃくちゃです。狂気の沙汰です。ここまでの破壊を促す感情だかイデオロギーだかってのは、一体どういう類のものなのでしょうか。わたしは他の日本人と3人で行きましたが、誰も何もコメントできませんでした。
これまで、アウシュビッツを皮切りに、こうした陰惨なものを色々と見て来ました。きっと、これからも見に行くでしょう。何故こんなものばかりを見ようとするのか、それは、社会勉強という名のもとに隠された、「陰惨なものを見たい」という悪魔的な誘惑なのだと思います。少なくともわたしは。いくらきれいごとを云っても、その気持ちがあることは否定できない。
ただ、もうこれ以上、こういうものを世の中に増やす必要はありません。こういうものを見ることで、平和の本当のありがたさを噛みしめることができるなら、きれいごとであっても、やはり見ておく価値はあるのだろうと思います。

QNEI6.JPG - 16,561BYTES すさまじい銃弾の痕。

ダマスカスは、アレッポやハマから来た目には都会に映りましたが、埃っぽさや土臭さはやはり懐かしきアラブ世界(笑)。路上に物売りが並び、野菜や果物の露店が並び、夜も遅くまで活気があります(夜が遅いのもアラブ世界の特徴ですね)。
世界遺産になっているオールド・ダマスカス(旧市街)は、スークの喧騒とはうって変わって、静かで風情のある街並みで、ややひなびた感じが個人的には気に入りました。散歩しているだけで何やらうきうきします。
世界最古のモスク、ウマイヤドモスクも美しく、その近くにあるイランモスク(ロカイヤモスク)も鏡部屋みたいなゴテゴテした装飾が面白いところでした(ウマイヤドモスクにはアラブの英雄サラディーンの墓もあるよ)。ただし、モスクに入るには女子はベールをかぶらなくてはいけません。もちろんそんなもの持っていないのですが、ベールを借りると50シリポン(1ドル)もかかるのがどーしてもイヤで、苦し紛れに豆絞りの手ぬぐいを巻いて行ったら何も云われませんでした。でもその姿はまるっきりドロボーでした。
ちなみにいま泊っている「アル・ハラメイン」は人気のある宿のようで、いきなり初日、屋根の上で寝かされることになってしまいましたが、1日寝るとこれはこれで快適な気もしてきて、結局3日間ルーフ寝です(笑)。ドミに泊るよりもちろん安いですしね。

例によってまた行き先を迷っているところですが、多分明日はレバノンに行くでしょう。
理由は、3ヶ月ビザが無料というのと、6ドルで学生証が作れるというその2点に尽きます。
ここダマスカスから首都のベイルートまで、バスで3〜4時間ですしね。レバノンだけ再訪するということもありえないでしょうし。でもレバノンって面白いの?何があるの?わたし、こればっかりですね。

(2002年10月29日 ダマスカス)

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