旅先風信40「トルコ」


先風信 vol.40

 


 

**エトランジェ**

 

一時帰国することになりました。
理由は…家庭の事情ってことで…なんて書くと大層な感じですが、単なる(でもないか)法事です。

トルコには、何だかんだで2週間近く滞在しました。
イスタンブールから日本に飛ぶつもりだったので、ヘタによその国に移動できない、という理由もありました。帰国まではトルコ国内を観光するか、ということで、サフランボル、カッパドキア、コンヤ、パムッカレ、エフェスと回って再びイスタンブール入り。結構あせって移動してしまったせいで、イスタンブールで帰国までの暇をもてあますことになり、どうせだらだらするなら、と今度は別の日本人宿『Tree of Life』に泊って、毎日『MASTERキートン』とか読んでました。

少しは観光日記らしいことを書いておくと、カッパドキアはやっぱり良かったですね。
何が楽しいって、ヘンな形の岩がいっぱい!キノコ岩という有名な岩が、本当にキノコ、というか完全に『きのこの山』の形をしているので笑ってしまいました。最も観光地化されているギョレメ屋外博物館は人があふれまくっていてやや興ざめでしたが、2番手(?)に当たるゼルヴェ屋外博物館はそれほどでもなく、1人で探検ごっこにいそしむことができました。とにかく、例えようもないほどヘンな岩ばかりなのです。ほんと、何じゃこりゃ?!ってな風景が次から次へと現れてくれて、飽きません。
しかし、驚くべきは、これらの岩岩が、かつては人の住居だったということ。教会になっている岩もあります(壁面に見事な装飾画が施されています)。ゼルヴェで写真を頼んだ観光客らしきトルコ人のおばさんが、「わたしは昔、ここに住んでいたんだよ」と云うので素直に驚いてしまいました。

KAPPA30.JPG - 21,260BYTES 圧巻の岩風景。

KAPPA30.JPG - 35,784BYTES ミョーな想像をかきたてる岩。

また、カッパドキア名物”洞窟ホテル”こいつが楽しい。さすがに世界に名だたる観光地だけあって、ホテルが雨後のたけのこのように乱立しているわけですが、どのホテルも大体、岩をくりぬいて作った、いわゆる”洞窟部屋”を持っており、それぞれに趣が違って面白いのです。インフォメーションに行くと、各ホテルが自分たちで作った宣伝ポスターが貼ってあり、これを見るだけでも食指をそそられる。時間に余裕があれば、1週間くらい、違う洞窟ホテルを泊まり歩いてみたかったですね。ちなみに、お値段はドミトリーで3ドル、朝食つきで5ドル、と意外に安いです。

KAPPA1.JPG - 25,894BYTES 洞窟ホテル内部。夜はめっちゃ冷える。。。

真っ白な石灰棚のあるパムッカレも、ギリシャ時代の遺跡がきれいに残るエフェスも、それほど期待せずに行ったせいもあって(他の旅行者たちから「大したことない」と聞かされていたので)、それぞれによいところでした。
パムッカレの石灰棚には、以前は温泉が湧いていて、そこに入るのが観光の目玉だったわけですが、今はほとんど枯れてしまっている模様。しかし、ぬるくて浅いとは云え、一応お湯の湧いている泉はいくつかあって、半ば無理矢理つかってきました(本当にぬるく、風邪を引きそうになった)。それはともかく、白くつるつるした石灰の上を裸足で歩くのは、なかなか気持ちのいいものです。

PAMU6.JPG - 37,214BYTES 雪よりも白いパムッカレの石灰棚。

エフェスの遺跡は、白くて清潔な印象です。しかし、例によって観光客が大挙しており、日中の暑さとあいまって実に気分が悪うございました。欧米人ツアー客のタンクトップ&短パン姿にこれほどうんざりしたことはありません。日本人の女は異様に白塗りだし(遺跡とおそろい?)。
陽が傾きかけた頃、ようやく人の少なくなった古代劇場に腰掛けてぼんやりすることができました。遺跡での楽しみ、それはこのような立派な古代の遺物をわがもののように占拠することです。ギリシャのスパルタでは思う存分その楽しみを味わえたのですけど。
このような場所に座っていると、にわかに、旅に出て来れたことへの感謝、のようなものがわいてきます。こんな、テレビや本でしか見たことのない古代劇場に腰を下ろして、何にわずらわされることもなく思索にふける(笑)ことの贅沢さ。ふと我に返って、実はものすごいことを体験しているのではないかと思わずにはおれません。

EFES11.JPG - 29,584BYTES エフェスの円形劇場。

さて、トルコにいる間にひとつ歳を取りました。異国の地なので当然誰も祝ってくれるわけはなく、たった1人、ガラタ塔に上ってオレンジジュース(酒じゃないとこがダサいけど)でひっそり祝杯をあげました。ま、こんな誕生日もまた一興でしょう。26歳。考えないようにはしているけれど、無意識に年齢の重みを感じてしまう自分が情けないですね。
去年の誕生日のことは、不思議なくらい、全く覚えていません。その前の誕生日の記憶は逆に鮮明です。何故なら、わたしの誕生日から1週間後に、母親が亡くなったからです。病院に見舞いに行った帰りに、父と叔父と3人で、ファミレスでご飯を食べながら、「とりあえず(母親の命がわたしの誕生日に)間に合ってよかったな」というような会話があったことをよく覚えています。

そして今は飛行機の中です。あれよあれよという間に、もう機上の人となってしまいました。
直行便だと高いので(そうじゃなくても高いけどさ)、イスタンブール→アムステルダム→大阪という乗り継ぎ便です。時差の関係もあって、まる一日移動です。
大阪行ゆえ、当然乗客のほとんどは日本人で、スチュワーデスも日本人。「いらっしゃいませ」という言葉を久しぶりに耳にし、軽い驚きを覚えました。
アムステルダムで乗り継ぎの少しの時間、街に出てみました。もう来ることもないと思っていたアムステルダムの地を再び踏むことになるとは、人生分からないものです。前に来たのは5月。またこの街を歩いている自分が、とても不思議でした。
アムステルダムは、相変わらずいかがわしくて(笑)楽しく、飾り窓からちらりとのぞく手錠やムチにドキドキしつつ、またぞろ写真を取りまくっておりました。

AMS43.JPG - 17,100BYTES 飾り窓地区のとあるショーウインドウ。女王様と奴隷フィギュア。

あと10時間もすれば日本に着くというのが信じられません。この後また、旅を再開するせいか、次の国へ移動するような軽い感覚しかないのです。

本当の旅の終わりも、こんな感じなのでしょうか。意外にあっさりと帰っていくのでしょうか。他の、ツアー旅行者や楽しいカップル旅行の日本人たちとともに。今こうやって日本人に囲まれていると、自分が何やら異質な生物のように思えます。
「エトランジェ」と、昨日、宿にいたFさんという人が云っていたのを思い出します。それは、『アジアンジャパニーズ』について皆で話していたときのことだったのですが、あの本の2が何故面白くないか、という話題になった際、Fさんがこう云ったのです。
「1は旅人といういわば”エトランジェ”、幾分か現実ではない存在を扱っていたから面白かった。でも2では定住者を取り上げた。定住者というのはもはや、現実の存在なんだ。現実を描いたって面白くないのは当たり前だ」
確かに!ちょっと目からウロコの落ちる意見でした。
それはさておき、”エトランジェ”とはまた、何と美しく物悲しい響きでしょうか。いわゆる日本人宿というやつも、エトランジェたちの集まりなのだと思うと、何やら愛おしさがこみ上げてくるではないですか。
そして、わたしもその中の一人なのです。自分はエトランジェなんだ。そう思えば、この先どこでだって生きていけそうな気がします。今感じている、またこの先日本で体験するであろう違和感も、自らをエトランジェであると自覚することでやり過ごしていけるでしょう。実のところ、エトランジェという言葉からは即座に江藤蘭世(『ときめきトゥナイト』)を思い出すイケてないわたしですが…。

飛行機に乗っている時間というのは、不思議な時間です。退屈だし眠れないから早く着いてほしいと思う反面、地上(目的地)にいざ降り立つことを考えると、不安と憂鬱が入り混じったネガティブな気持ちになる。
これは飛行機に限ったことではなく、移動の時はいつもそうです。でも今回は目的地が日本。今までとは事情が違います。
何年も慣れ親しんだ京阪電車に乗ることを思うと、説明しようのない不安に襲われます。何故か分からないけれど、大丈夫なのか?と思う。
旅のさなか、幾度となく頭に描いた、日本でのささやかな楽しみ(寿司とか)も、この不安の前ではすっかり色あせてしまいます。

日本を出てまる半年。今の時点で「旅に出てよかったか?」と自問自答してみるに、ほとんど迷わず「よかった」と答えられます。
それだけでも、旅に出たことは正しかったのでしょう。少なくとも自分にとっては。
もちろん、後々悔やむこともあるでしょう。歳の近い友人たちがあくせく働いて(でもないか?)いるのに、わたしは『アリときりぎりす』のきりぎりすよろしく、ふらふらと遊んでいるのですから。いずれツケが回ってきても文句は云えません。
でも、ともかく、今だけは「YES」なのです。
具体的な成果なんて分かりません。でも、以前よりも、少しだけ、生きていくことに対しての自信みたいなものはついたような気がします。それは、「まあなんとかなるやろ」という、思考停止の楽観主義でしかありませんけどね。
しかし、まだまだこれからです。ここで辞めてしまっては、中途半端すぎます。出会うべき人、景色は星の数ほどあるでしょうし、わたし自身はもっと強く、賢い人間になりたいのですから。

機内放送のミュージックチャンネルは、ヨーロッパのあちこちで聞いたヒットチャートをえんえんと流しています。
音楽というのは無意識に記憶と結びついているものですね。走馬灯のように、さまざまな場所が浮かんでは消えていきます。

(2002年10月3日 空の上)

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