旅先風信39「トルコ」


先風信 vol.39

 


 

**ヨーロッパの終わり**

 

やっと、やっとたどり着いた。トルコ。イスタンブール。
ヨーロッパの終わり。そして、新しい旅への分岐点へと。

イスタンブール、或いは以前の名であるコンスタンチノープル。
どちらにせよ、旅心を大いにそそる名前であることには違いありません。ヨーロッパとアジアのかけ橋と呼ばれる特殊なロケーションのせいでしょうか。
長い長いヨーロッパでの放浪も、ひとまずここで終わりです。ここからまた、アジアへ、場合によってはアフリカへ行くかも知れませんが、とにかく、新しい旅が始まるわけです(予定では)。

新しい街にやって来るとき、いつもいつも、イメージ通りの素晴らしい場所が待っているというわけではなく、ほとんどの場合、いくぶんかの幻滅を強いられることになります。イスタンブールとて例外ではありません。
しかし、金角湾を目前にしたときは、ちょっとした感慨がありました。沢木耕太郎のような有名な旅人から無数の無名の旅人まで、一体何万人、いや何億人の旅する人間がここにやって来たことでしょう。沢木耕太郎もここを歩いたのだろうな、そして、わたしがヨーロッパで出会った旅人たち―例えばテレサハウスの住人たち―がやはりアジアからここを目指してやって来たことを思い、「わたしもやっと来たよ」と、知り合いであるか否かに関わらず全ての旅人に伝えたい気持ちになりました。
2週間前までギリシャのビーチに転がっていたとは思えないほど気温は下がり、9月半ばにして早くもウインドブレーカーを着用しなければならない状況ですが、金角湾を渡る冷たい風に吹きさらされながら歩いていると、「わたしは確かに今、旅をしているんだな」と、自分が1人の旅人であることを全身で感じます。

ISTANBUL1.JPG - 36,731BYTES イスタンブールで最初に撮った写真。旧市街から金角湾とガラタ橋を臨む。

イスタンブールは不思議なところです。
ここに来るまでのイメージは“洗練されたエキゾチックな大都会”でしたが(昔のネスカフェCMの影響)、ヨーロッパとアジア・アラブが奇妙に入り混じり、何ともとらえどころのない街です。新市街の方に行くとほとんどヨーロッパなのですけど、ガラタ橋近くのエジプシャンバザールなどは、ドライフルーツやスパイスが所狭しと並び、モロッコやチュニジアのメディナのよう。アテネも、アジアやアラブ的な混沌のある街でしたが、ここはそれをもっとごちゃごちゃにかきまぜて目くらましをかけたような、とでも云いましょうか。

アヤソフィアという、有名な観光スポットがあります。ブルーモスクと兄弟のように並んで建つこの建物を見ると、イスタンブールの混沌の原点を垣間見ることができるかも知れません。
もともとビサンチン帝国の教会だったのを、コンスタンチノープルの陥落によってオスマントルコの支配下に置かれたのち、モスクに改変させられたというアヤソフィア。天井近くに聖母子のモザイクがあるかと思えば、その隣にアラビア文字でアッラーやモハメッドの名が書かれた円板が掲げられている光景を見て、何だかちょっと気味悪く感じました。
例えばブルーモスクのような完全なモスクとは全く趣が違います。ブルーモスクは安心してその美を堪能することができますが、アヤソフィアに美があるとすれば奇形の美?とでも云うべきもののような気がします。ううむ、説明が難しい…。

ISTANBUL15.JPG - 28,885BYTES 何とも不気味なアヤソフィアの内部。真ん中に見えるのは聖母子像のモザイク画。

ちなみにトルコはアラビア文字表記ではなく、アルファベット表記で全てのものが書かれています。これも不思議な感じがします。トルコに入ったとたん、あのヘビのようなアラビア文字の洪水が押し寄せてくるものと思っていたわたしは、少々拍子抜けしました。これは、トルコ独立の父アタテュルクが、トルコ近代化の一環として行った改革によるものだそうです(『歩き方』による付け焼刃の知識)。

イスタンブールでは、これも有名な(?)「コンヤペンション」という日本人宿(正確にはそうではないけど、日本人率は高く、『ゴルゴ13』や『ガラスの仮面』がかなり揃っている)に2泊ほどしました。しかし、よほどのことがない限り、ブダペストのテレサハウスを越える場所には出会えないでしょうねえ…少なくともわたしにとってはね。期待値が高すぎるのでしょう。まあ、情報ノートを読むのが第一の目的で、テレサの再現を求めていたわけではないからいいのですけどね。そんなわけで、周りの人ともそこまで仲良くなることもなく(もちろん会話はしましたが)、おかげで沈没もせずに済みました(笑)。

ISTANBUL34.JPG - 28,578BYTES 地下宮殿の、メドゥーサの柱石。わたしは昔からメドゥーサ像がコワくてしょうがないのだが、これは顔が逆さまなのがさらに不気味さを倍増させている…。

そして、今いる場所は、イスタンブールからバスで6時間のところにある田舎町、サフランボルです。
昔ながらの民家が建ち並ぶ町は、ユネスコの世界遺産。コンヤのエリフ嬢(看板娘)に教えてもらった民家ペンションに泊っていますが、いかんせん、宿代が他地域に較べて高い!(朝食込みで1000円くらい)まあ、世界遺産の家に泊っていると思えば安いけど…。
ここも「歩き方」には載っていないけれど、口コミか何かで日本人(及び韓国人)にも大人気の宿らしく、ゲストブックは絶賛の声の嵐です。さらに、ここにも評判の看板娘ヤスミン嬢がいて、今日もわたしが町をぶらついていると、日本人男子パッカーに出会い「すみません、宮沢りえのいる宿って何処ですか?」と尋ねられる始末(ちなみに彼女はすでにヒトヅマ)。

しかし…日本人は『ウルルン滞在記』の世界が好きだね。現地の素朴な人々との出会いってやつ(笑)。ここでも、ゲストブックを読んでいるとしばしばそういう声が聞かれるのですが、確かにそういう面も大いにありますが、相手も一応商売だってことは頭のどっかに置いておいた方がいいような気がする。
特にわたしは、モロッコで1回だまされてるからな。タダで食事とか出されると、食べ終わるまでずっと警戒心がまとわりついて離れない。こっちだってどこの馬の骨とも知れない人間なのだから、そんな無償の親切なんてあると思うな、というのが、少なくとも自分に対する警告。
仕方ないよね。サフランボルに限らず「観光地化されてきて悲しい」なんて声がよくあるけれど、だって今は資本主義の世の中。金が神様なんだ。お金をたくさん落としていく観光客こそがいい人たちなんだよ(そういう意味では貧乏旅行者はツーリズムの世界における寄生虫のような存在とも云える)。もちろん、それを越える何かもまだあると思う。でもあんまり期待しすぎると悲しい目をみる…かも知れない。

ま、でも商業ベースの親切であっても、それはそれで(サービスとして)割り切って享受すればいいのだと思います。
『ウルルン』だって、お金払って演出してるんだろうし(笑)。
その中で、本当の無償の親切に出会えた人はその幸運と相手に感謝して下さい、ってだけの話ではないでしょうかね。
というわけで、今回も、イスタンブール到着の感動に始まり、『ウルルン滞在記』の話で終わるという、全く脈絡のない内容となりました。次回はとうとう40回目。西院の河原の子供が石を積み上げるが如しです。一時帰国までには何とかアップするつもりです。それではまた。

SAFURAN6.JPG - 50,927BYTES ひなびた温泉街のようなサフランボルの町。

(2002年9月20日 サフランボル)

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