旅先風信38「ブルガリア」


先風信 vol.38

 


 

**欲**

 

自分がどうしようもないバカであることを認識するのは耐えがたい苦痛である。
今回はそういう話。

何故わたしはこんなに愚かでしかも卑しい性質なのだろうか。
うすうす分かっていても、普段はそういう面は見ないようにして(まさに臭いものにフタをするというやつだ)やり過ごしている。
でも、あるとき、まるでパンドラの箱を開けるように、己の嫌な部分が大放出してしまう。

今回という今回は、本気で自分を殺したかった。
ギリシャのテッサロニキからイスタンブールへ入るつもりが、時刻表に書いてあるはずの夜行列車が運行していないと云われ、どうしたものかと悩んでいると、大学生パッカーの2人連れに出会った。彼らはブルガリアのソフィアからここに入ってきたところで、色々話を聞いているうちに、「そうか、ブルガリアに行くのもいいな。ちょうどここから夜行も出ているようだし」と思い立ち、急遽そのように決定したのである。
彼らはブルガリアをかなり絶賛していて、曰く、とにかく物価が安くて食べ物も美味い、ということだった。「そうなの?ブルガリアって天国だね」とそのとき云った自分のセリフは今もはっきり覚えている。

そうして浮かれてやって来た結果、何が起こったかというと、わたしはサギに遭ったのである。

つまらないサギだった。小学生でも引っかからないようなサギである。
ロシア教会に入ろうとしていたわたしに、1人の老人が英語で話し掛けてきた。話の内容は闇両替であった。話が本当であれば、なかなかいいレートだった。情報ノートなどでちらっと闇両替の話などを読んでいたせいか、あまり深く考えずに30ユーロを100Lv(レバ)に替えた(本来なら55〜60Lv)。20Lv×5枚でもらったので一応枚数もきっちり確認した。
オッサンはなおも、50ユーロなら160Lvにするぞ、などと云ってきて、一瞬替えようかと思ったが、そんなに長くブルガリアにいるかどうかも分からないのでやめた。「何で50替えないんだ?トクなのに」と云っていたが、その言葉を思い出すと悔しさのあまり内臓をすべて吐き出したくなるほどである。

教会を見たあと、ふと、本当に5枚もらったのかと気になって財布の中を確かめた。
ちゃんと5枚あった。しかし…わたしはここで、紙幣が小さいことに気づいたのである。
たまたま持っていた5Lv札と較べてみても、明らかに小さい。5より20の方が小さいということがありえるだろうか?
もしかして、Lvより小さな単位の小額紙幣なのではないか?と、昨日大学生にもらった『地球の歩き方』をめくって、「通貨と両替」のページを読んだ。……いや、もう詳細を書くのはやめよう。
つまり、その金は確かに「20Lv」ではあったが、もう流通していない、古い通貨だったのだ!

何故、何故そんなことが分からなかったのだろう???
昨夜の列車で『イン・ザ・ミソ・スープ』(村上龍)なんか読まずに、『地球の歩き方』をしっかり読んでいれば100パーセント防げたサギである。
何故だ?何故なんだわたし?!
気がついたときには、当然オッサンの姿などはカゲも形もない。しかし、このままでは気持ちがおさまらず、通りすがりの兄ちゃんに声をかけて事情を話し、警察まで連れて行ってもらった。
ちなみにこの兄ちゃんは本当にいい人で、こんなアホ旅行者のために時間をさいてくれ、コーヒーまでおごってくれたのである(彼女と待ち合わせしてたのに…彼女、ごめんね)。警察での調書も、わたしが英語で云うことを訳して書いてくれた。あんなフリースタイルのザラ紙の調書など、業務連絡メモ以下の価値しかないだろうが…。

その後、センターから離れた日本大使館まではるばる出向いていったが、そもそもブラックマーケットに手を出した君が悪い、ということであっさり片付けられた(そりゃ当然だ)。駐在員のおっちゃんと何故か日本の紅葉の話などして、そこを後にした。
まだそうやって事が運んでいるうちはよかった。まあ、またネタが増えたと思えばいいんだ、などと自分を笑う余裕さえあったのである。

SOFIA2.JPG - 67,137BYTES 事件現場のロシア教会前。教会の前でサギるとは…地獄に落ちてくれ。

だが、それから、気晴らしに、これもまた大学生に教えてもらったインターネットカフェに行こうとしたところ(ちなみに1時間50円くらいと格安なのだ)、どうやってもその「黒地に黄色い文字でインターネットと書いてある」看板が見つからない。地図を見ると、確かにこの辺に違いないのに…そうやって1時間くらい歩き回った。もうほとんど意地になっていた。
何でこうなるんだろう…そうだ。そもそも到着時からしてあんまりよくなかったのだ。客引きが山ほどいるから、と聞いていたのに全くおらず、一軒だけ名刺を持っていたプライベートルームを探すもなかなか見つからず、ヘトヘトになってタクシーに乗ったらしっかりボラれ(多分)、プライベートルームも聞いていたほど安くもなく、しかもセンターから遠い…と、何となくイヤなムードはあったのだ。

やっとのことで別のインターネットカフェに入ったが、大したメールも来ていなかった。一気に疲れが増幅した。
と同時に、自分の中の最悪な感情や、ネガティブな考え、そういうものが噴き出して、どうにも止められなくなった。
次から次へと悪い想像が沸いてきて、自分を貶める言葉だけが頭をかけめぐった。
この先旅していたら、もっと痛い目に遭うに決まってる、だってわたしはこんなにもバカで不注意で卑しい人間なんだから、いつか必ずとんでもない過ちを犯すに違いない…レイプ、睡眠薬強盗、下手すりゃ殺されるかも知れない、でもわたしみたいなやつは殺された方がいいのかも知れない、こんなに愚かでは生きていけない…。

ホテルに帰るまでの道すがら、とにかく気が狂いそうなほど自分を責めた。
こういった落とし穴に落ちる最大にして唯一の原因は「欲」である。常に。
マルチ商法に始まり、例えば旅関係のトラブルで云えばトランプゲームサギなどもそうかも知れない。
モロッコでの一件もそうであった。全ては己のスケベ心から出たことである。そして不注意。
今回のことは、どう考えても自分に部が悪い。同情の余地というものは全くもってない。そんなことは分かっているが、素直に反省すればするほど虫酸の走るようなおぞましい出来事だ。
あの薄汚れた老人。しかしそいつにだまされている自分はもっと薄汚れた人間だ。
第一、あんなものを呼び寄せてしまう自分は、相当に醜いオーラが出ているからなのだろう。
ちなみに、スケベ心って言葉、本当に最低の響きだけど、それ自体はまさにその最低の響きにふさわしいものだなあと思う。

旅先で、現地の人の家に招かれたり、どこかに連れていってもらったりした、という話を時々聞く。
しかし、わたしのところにはそんな話はまず来ない。トクした話なんかもわたしとは無関係である。
で、たまにそういうもの(らしきもの)がやって来たと思ったら、100パーセント地雷を踏むのがわたし。
すべては、わたしという人間の卑しさから出ていることなのだ。欲が深すぎるのだろう。きっと、この欲のためにわたしはいつか身を滅ぼすような気がしてならない。それも、大した欲ではなく、実にセコい欲のために。
サギというのは、常に人の欲目につけこんでくる犯罪である。それは以前、マルチ商法に誘われたときに充分考えたことのはずたったのに…。
ちなみに、そのマルチにしても、何故かわたしが一番金に困っていたとき(会社が給料をくれなくなった頃)に、複数人から声をかけられたのだ。。。

だが、欲なしで生きていくなんて、無理だ。それに、欲のない人生はラクかも知れないが、面白くない気がする。
世の人は、一体どうやって己の欲と折り合って生きているのだろう。
欲。欲。欲。わたしの頭の中は常に欲だらけた。例えば、人一倍ひどい物欲のせいで、今もこんなに荷物が重くなって、もはや身動き一つするのも苦しいほどになっているのだ。それとて、中村うさぎくらいまで徹底していれば、それもひとつの生き方として面白いが、いかんせん、わたしの場合はセコすぎる。つまり、卑しいのである。
そして、イスタンブールに行くと云っておきながら、ブルガリアもちょっと見たいなーなんて出来心を起こしてふらふらやってきた結果がこのザマ。これもまた欲。
何故こんなに卑しい人間なんだろう。そして、何でこんなにバカなのだろう。こんなにバカでは、この先の人生をやっていけないような気がする。実際、時々、自分の脳は何か欠陥があるのではないかと思うほど、血のめぐりが悪いときがある。『イン・ザ・ミソ・スープ』では、前頭葉を切り取られた大量殺人犯が登場するが、わたしもどっか切り取られてんじゃねーのか、と真剣に思うことがある。
こんなに働きの悪い脳では、不幸な人生しか送れないんじゃないのか。

旅に出てもう半年になる。その結果がこのザマである。
真剣、もうやめた方がいいんじゃないかと思う。
あのジジイは本当にぶっ殺してやりたいが、そいつに引っかけられた自分こそぶっ殺されるべきだと思う。
頼む。頼むからもっと賢くなってくれ、自分。本当に、お願いだから…。

…そんな煮えたぎるような感情を何とか静めたいというつもりもあって、リラの僧院に出かけた。
僧院は素晴らしかったが、わたしの心は静まるどころか、さらに怒りが増幅するばかりだ。
手持ちの金が途中でなくなり、同行していたイギリス人に金を借りたのだが、すぐにでも返さねばというプレッシャーで、めちゃめちゃ両替率の悪い両替商で換金してしまったときは、歯車がどんどん悪い方に(金のなくなる方に)回っていっている気がして、憤怒のあまり路上に飛び込んで車にはねられたくなった。
「あの金で何が買えたか」(これまた村上龍)じゃないが、そんなことを考えるともういてもたってもいられないほどイラついてしまう。少しでもその辺の思考から離れたくて、リラ行きと帰りのバスの中はほとんど眠っていた。自分でも驚くほどよく眠った。明らかに逃避だった。

もうブルガリアは去ろうと思う。この一件でブルガリアが嫌いになったわけでもないが、わたしの”気”のめぐりがここではよくないのかも知れない。
今日の夜行でイスタンブールか、もしくはルーマニアの首都ブカレストへ行きたいが、あの30ユーロのことを考えると、欲張ってルーマニアまで足を延ばすのは断念した方がいい気もする。30ユーロあれば余裕でブカレストには行けたことを思うと…

今回このページを読まれた方は、多分「何だ、あいつバカかもとは思っていたけど、本当のバカだったな」と思われることでしょう。
軽蔑していただいて大いに結構です。それではまた。

RILA6.JPG - 64,888BYTES リラの僧院の素晴らしいフレスコ画。

(2002年9月15日 ソフィア)

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