旅先風信35「モンテネグロ・ギリシャ」


先風信 vol.35

 


 

**遠い希臘**

 

知力、体力、財力、精神力…その他もろもろ、ほぼ自分の持てるものすべてを賭けたゲーム。
あくまでも遊びには違いないが、なかなか大掛かりな遊びではある。
誰かと競うわけではない。でもゲームだと思えば困難もまたイベントになる。
すぐに謎の解けるRPGはつまらない。裏技も探せばどこかにあるのかも知れない。

人生をゲームに例えるには少々重い。しかし旅なら余裕でゲームにできる。それも自分自身を殆ど賭けたゲームだ。そう考えれば旅は何とエキサイティングなものだろうか!
わたしは近頃、そのことを忘れていたかも知れない。うまく行かない乗り継ぎ、砂のように流れていく金。目的地はいつも遠い。そしてまだ見ぬ土地に憧れる。同じゲームを敢行する旅行者たちとの出会い。全てはゲームを面白くするイベントだ。
大丈夫。ドラクエもFFもちゃんとクリアしたじゃないか(笑)。

……ドブロブニクからギリシャへの道を模索していたわたしが選んだのは、イタリアへ渡るでもなく、サラエボに戻るでもなく、ユーゴスラビアはモンテネグロ共和国でした。
え、一体どこやねんそれって?わたしも聞きたいです(笑)。普通に説明すると、ユーゴスラビアの西南部を占める(一応)国です。でも地図を見る限り、ここからマケドニア、あわよくばギリシャに抜けるルートが一番近いと思ったのさ。しかし、果たしてマケドニアへのバスが出ているのかどうかは、ロンプラにも書いていませんし、あくまでもわたしの希望、のみ。ここまで不確実な行動を取るのは、小心者のわたしには珍しいことです。逆に云えばそうしてでも移動したかった。

ナゾのモンテネグロ共和国をバスでひた走ること4時間。乏しいガイドブック情報から推測して、多分ここはわりと大きな街であろう・・・と思って降りたはずのバール。ところが…何だこのさびれたバスターミナルは(こういう展開多いな…)。時刻表もすべてキリル文字で、英語のAの字も見当たりません。
何とか英語のできる人を捕まえて、とにかくギリシャに行きたい、そのためにまずマケドニアへのバスに乗りたいんだ、との旨を訴えると、この隣町からバスが出ているが、コソボを通るので危険だ、と云われてしまいました。それでもいいっす!とその人には啖呵を切ったものの、後でやっぱり怖くなり(さすが小心者)、仕方なくベオグラードまで戻ることに。

冒頭の文は、バールのバスターミナルでベオ行きの夜行バスを待っているときに書いたものです。こんなことを書いて自分を励ますほど(笑)本当に、不安だったんだよモンテネグロ…。どんな場所だか全然予想もつかなかったし、先があるのかも分からなかったし。しかし面白かったのは、モンテネグロではしっかりユーロが流通していることでした。おいおい、君らEUちゃうやん(笑)。まあ、以前はドイツマルクが流通していたということだったので、さもありなんという感じでしたが。

MONTE2.JPG - 35,750BYTES モンテネグロで撮った2枚の写真のうちの1枚。この店で飯を食った(ユーロ払い)。

夜行バスでベオグラードに戻ったのが朝6時過ぎ。わたしは息つく間もなく7時発のアテネ行きの列車に飛び乗りました。
もう立ち止まるヒマなどないのです。おそらくアテネに着くのは次の日ですが、2日間くらい風呂に入れなくてもベッドで寝られなくても死にやしません。とにかく移動、移動。気力のあるときに動かないと、移動がおっくうになってしまいます。

とは云え…。

…現在昼の2時を回ったところだが、未だここはユーゴ国内。午前中は泥のように寝倒していたものの、さすがにもう眠くなく、恐ろしく腹が減り喉が渇き、そして恐ろしくヒマだ。持っている本は読んでしまったし、こうして物を書く意外はすることがない。
車窓の風景は、おそらくこの7時間、見事なほど変化していない様子。顔はギトギトに脂ぎっていて、歯も磨いていないので口の中が大変気持ち悪い。とにかく水が飲みたい。できれば冷えたスプライトを一気飲みしたい。
テレサを出てまる1週間、半分以上が夜行だった。見る人が見ればこんなの普通だろうが、わたしにはちょっとばかし酷だったかも知れない。…それにしても喉が渇いてしょうがない。

…どうやらついに国境。パスポートに判は押されなかった。スコピエ(マケドニアの首都)でユーロが使えたら、飲み物も買えるのだけど…。
それにしても嫌な暑さだ。春の陽気をぐっと煮詰めたような感じ。とにかく水が飲みたい。いや、スプライト。あれこれ楽しい想像でヒマをつぶしていたけれど、もうネタも尽きた。思考力がかなり落ちている。やはり人間、”腹が減っては戦は出来ぬ”のだ…。
ああ、寿司が食べたい。寿司という単語はもはや、わたしの中の日本への想いを凝縮した呪文のようになっている。実際は帰ったところで何があるわけでもないんだろうけど…。ダメだ。イライラする。今日中に何かが口に入ることはあるのだろうか。
急にハエが増えた。相変わらず暑い。

…スコピエの駅で、何とか食糧を調達できた。ポテチとスプライト。スプライト超美味い〜!(涙)
ここからは、車掌のどういうはからいなのか、英国人バックパッカーのマット君と同じコンパートメントに入れられ、何となく一緒にいる感じ。年は何と18歳!若え!しかし久しぶりの英語ゆえ、…いや相変わらず話せない。云っていることの3割くらいしか分からない。

…やっとギリシャ、テッサロニキに来た。夜11時。中欧とは1時間の時差がある。
ここで1時間、アテネ行きの列車を待たなければならないので、マット君とともにぼんやり待っていた…まではよかった。
ところが、いざ乗る段になって、急に駅員のオヤジに止められ「アテネ行きは寝台オンリーだ。お前らのチケットは寝台じゃない。追加料金がかかる。しかしもうチケット売り場は閉まっているのでこの列車にはどっちみち乗れないのだガハハハ!」
…キレた。ガハハハとは笑っていなかったが、「じゃあどうすればいいんだ」と困惑するわれわれに知らん顔で「次の列車は(翌朝)8時20分だ」と云いやがったのだ!今からホテル探せってか!何時やと思ってんねん!こんな見知らぬ土地で夜中に放っぽり出される身にもなれっちゅーねん!そんなワケ分からん理由で列車に乗られへんとはどういう話やねん。チケット買ったときは一言もそんなん聞いてないっちゅーねん
!!!
マット君は若くて大人しい性格なので、それでもテッサロニキのユースに行こうと地図をパラパラやっている。しかしわたしはこんなところで1泊してムダ金を払う気はないので、「わたしは駅で寝て明日の朝の列車を待つよ」と云った。彼は別段イヤな顔もせず、とりあえず他のパッカーにも状況を聞いてみよう、と云って腕にでっかいタトゥーのある兄ちゃんに声をかけた。トムという名の彼は、ブダペスト行きの列車に10分乗り遅れて今日は野宿らしい。われわれはそんな彼にくっついて、一緒に公園で野宿することになった。

…あああ、ついに野宿しちまった。これまで空港や駅で寝たことはあったけど、こんな芝生の上で布引いて寝ることになる日が来るとは夢にも考えなかった。やっぱり寝袋は必要かも知れない。一応フリースなどを着込んで寝たが、やはり夏のギリシャと云えど、夜風は身に沁みた。ともあれ、これで晴れて野宿デビューを果たしたというわけだ。これからは野ぎくちゃんではなく、野じゅくちゃんと名乗ろうかな…。

そんなこんなで何とか今はアテネ行きの列車に乗っているわけだけど、これがまた長い…8時20分発、到着予定15時30分。うんざりだ。もう移動は飽きた。15時30分なんて、宿探してシャワー浴びたらもう1日終わりじゃねーか。それというのも昨日の夜行に乗れなかったせいだ。だんだんギリシャに腹が立ってきた。こんな苦労してまで行くところなのか?!列車の中は浮かれきった観光客どもがバカ騒ぎしていて本気でうっとうしい。テロでも起こしたろか。そしたら一気に静かになるだろう。欧米の男って、何でこんなキンキン声ではしゃぐんだろう。まるっきしアホやんけ。

……

やることないので、こんな愚痴を書きまくりでした。あと、一時帰国したらやりたいことリスト、なんてのも書いてたな(空しい行為)。
とりあえず、無事にアテネに着き、ユースホステルカード紛失という災難に見舞われながらも(毎度ながら自分を呪いたい)何とか宿も確保し、シャワーも浴びて、ギュロス(ギリシャ名物のピタサンド)とコーラで腹も満たして、夕涼みがてらアクロポリスの丘に上りました。アテネの夜景を眼下にして、久々に安堵の気持ちを全身で感じました。やっぱ人間、人間らしい生活しないとすさむわー。
ちなみにマット君ですが、1軒目のユースでカードを紛失しパニックに陥ったわたしは、「ちょっと旅行会社に行って来るけど、すぐここに戻るから」と云って出て行った彼を待たずに、もう1軒当てにしていたホテルへと姿をくらましたのでした…ごめんよー。

ATHENS8.JPG - 41,256BYTES ライトアップされるパルテノン神殿。

(2002年8月29日 アテネ)

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