旅先風信33「ハンガリー」


先風信 vol.33

 


 

**テレサハウス沈没記**

 

人は充実しているときほど日記を書かないと云います。
…と前回書きましたが、人は、沈没しているときも日記を書かないようです。

旅に出たことのない人には、”沈没”なんて云っても何のこっちゃさっぱり分からないと思うのですが、沈没というのはですね、旅人特有の病です(笑)。ま、つまり、1箇所で、特に観光するでもないのに、だらだらとそこに居座ってしまう現象とでも云いましょうか。
さらに具体的に云いますと、今ブダペストの有名な日本人宿「テレサハウス」に泊っていまして、気がついたらもう1週間もここにいるんですよね。当初の予定ではウイーン、ブダペストで1週間、のはずが、フタを開けてみればこのザマです(ウイーン5日、ブダペスト7日)。己の意志の弱さがモロに出ているような。。。

BUDAPEST68.JPG - 41,560BYTES ブダペスト・オレンジに輝く夜の王宮。

だってさー、ここ宿って云うより家なんだもん(笑)。
ここのオーナーさんだったテレサさん(多分パッカーの間では有名人でしょう)という女性は2年前に亡くなったとかで、今は息子のナジムが引き継いでやっている模様なのですが、彼はほとんどわれわれに干渉することもなく(家にいないことが多い)、おかげで旅行者たちはかなり自由に暮らしているわけです。
そう、泊っているというより、暮らしている、と云った方がしっくりくる。キッチンも使えるし、冷蔵庫もあるし、日本語の本、情報ノート、将棋まであるこの状況で、そりゃ沈没もするだろ、って感じです(言い訳くさい?)。
また、エジプトのカイロにある超有名な日本人宿「サファリホテル」の話で盛り上がって以来、「テレサ→サファリ化計画」なるものがごく内輪で進行中(例:超内輪向けのギャグを云いまくる、旅人同士にしか分からん源氏名をつけるなど)。ますます沈没に拍車をかけているというわけです。
ここにいる間、日本でも話題になっていたらしいヨーロッパ大洪水の影響も、ドナウ河に面しまくっているブダペストにいながら、何の被害を受けることもありませんでした(つまり実質的には沈没してないってことで)。日に日に増水はしてましたけどね。キャパ気取りで、毎日ドナウの写真撮ってました。

移動が使命(?)である旅人としては、マズい気もするのですが…そう思いつつも日に日に腰が重くなるのが沈没のコワイところ。
もちろん、毎日何もせずに宿にこもっているとかそういうことはなくて、結構何だかんだで出かけてはいるのです。王宮も、美術館も、温泉も、行ったし、世界一美しいマクドナルドにも、うさぎやにも行ったし(これはちょっと違うか。うさぎやとは、日本語のマンガやビデオを売っているお店。ここでわたしは『サンクチュアリ』全10巻を読破してしまった…)。
ただ、これもいつもならば2日で終わっているスケジュール。最近朝起きるのが遅いし、というのは夜中いや明け方まで喋っているせいですが、すっかり生活のサイクルがおかしくなっている。外出も常に昼過ぎてからです。これまで目覚ましがなくとも7時には目が覚め、遅くとも9時には出かけていた優良旅行者のわたしは一体何処へ?!

…とやや愚痴りつつも、やっぱり居心地がいいから沈没してしまうわけです。
それに、すっかり顔のなじんだ面々と別れるというのは、単純に云って寂しく、もう少し複雑に云うと、例えば夜中に”朝まで生テレビ”を繰り広げる時間や、みんなでワインを空け、その勢いのままくさり橋のライトアップを見に行ったりする夜、そういうものが、今は当たり前のように存在しているわけですが、次の目的地の切符を買った瞬間、それはもうわたしと無縁のものになるんですよね。そう思うと、出て行くのが少し怖くもなる。この束の間の平和な日々は、まるでライナスの毛布のようです。
もちろん宿泊者の顔ぶれは日々少しずつ変わっているし、わたしもここを通過するただの旅行者にすぎません。でも、わたしがいる間のこのメンバーというのは、わたしに
とっては特別な人々なのです。

BUDAPEST66.JPG - 41,860BYTES 世界三大貴腐ワインのひとつ「トカイ・アスー」(高い)をみんなで開ける。甘くて濃厚でわたしは好き。

昔、やはり、これとは少し違うけれど似た状況を体験したことがありました。ま、つまり沈没体験なんですけど(笑)。
それは中国の昆明という街でした。このときは一人旅ではなく、女の友人と一緒で、日本人宿ではなく、中国人も泊っている安宿でした。昆湖飯店というその宿の、306号室。今でもはっきりと覚えています。いつも開け放たれたドア、昼間でも薄暗いドミトリーには4つのベッドがあって、天井から白い蚊帳が吊り下げられていました。そして、奥には灯り代わりに1日中点けっぱなされたテレビ。

ここに集ったのはわれわれを含む日本人数名と、アメリカ人男子、タイ人女子各1名。日本人旅行者というのも、卒業旅行で来ているお気楽者はわたしと友人だけで、あとは全員長期旅行者でした。思えばわたしは、ここで初めて長期旅行者という存在を目の当たりにした気がする。宮崎さんという50歳前後のおじさんがいたのですが、彼なんかはまさに放浪者という名がふさわしい人でした。本当の放浪者というのは帰るところもなく、背中にべったりと寂しさが張り付いているような、そんな存在なのだと思います。してみると、わたしなんかは完全にエセ放浪者なわけですが(笑)。
ここでは毎日毎日、何にもせずに喋っているだけでした(笑)。お腹がすいたら近くの安い食堂に行って、気が向いたら散歩に出かけて。その日何をするか、何を食べるか、そんなことだけ考えていればいい、シンプルで幸福な時間でした。旅先の一瞬の出会いに過ぎないと人は云うかも知れません。それでも「家族じゃないけれど、家族のようだ」とアメリカ人のスコットが云っていたのもうなずけるほどに、居心地のいい共同体だったのです。

…さて、ここまで書いていったんPCを閉じていました。
ここからは、3日後のわたし(違う人なのか?)。

ようやくここを出ることになりました。結局まる10日。長かったような短かったような、判断のつきかねる、中途半端な時間のようにも思います。ま、他の人が長いせいでしょうが…。
番頭さんのタケシさん曰く「みんなこんなに長くいるのは最近になってからだよ。前は大体3,4日で出て行ってたから」。やっぱ長いのか。。。

BUDAPEST98.JPG - 51,275BYTES 住人御用達のキナイブッフェ(中華料理屋)のぶっかけご飯。やっぱ白飯は美味い。

一昨日、昨日は、ホルトバージという、ハンガリー大平原(世界遺産らしい)のある田舎町へ小旅行をしていました。メンバーは、タケシさん、福ちゃん、アクセル、ペンギンさん…って、何のこっちゃ分からないですね(笑)。要するにテレサの住人たちです。
最初にブダペストに来た日、テレサの玄関で会ったアクセルと福ちゃんが「来週ホルトバージで橋祭りがあるんですけど…云々」と云っていたのをテキトーに聞き流していたのに、まさか自分が行くことになるとはねえ…。
本当は一昨日に宿を出るつもりだったのを、福ちゃんたちに「え、もちろん行くでしょ?」と云われて思わず「うん」と云ってしまったのでした。ははは…。でも、これまでヨーロッパを1人でうろついていたわたしは、こうやってかまってもらえるのが結構うれしかったりもして。

ホルトバージは、もう超〜田舎で、ブダペストの喧騒を考えると信じられないような小さな町でした。
また写真館にてアップするつもりですが、わたしにとってはハンガリー最後のイベントともなったわけで、とりわけ印象深い場所です。1人者の旅行者たちが集まって一緒に小さな旅行をするというのも、何だかおつじゃないですか。こういう偶然を、単なる偶然と片付けてしまうには、わたしの精神はまだまだ子供です。でもそれに関しては子供でもいいと思っている。
帰りの電車で座席がなくて、入り口に腰掛けてドアを開け放して見ていた景色。ぼんやりとブダペストでの日々の終わり、そして旅の終わりを考えながら見ていたあの景色は、きっと他の記憶に上書きされることなく、旅の大事な1頁として残っていくと思います。

PUSTA29.JPG - 16,832BYTES ホルトバージの橋祭り「プスタ」で馬を駆るお兄さん。

ホルトバージから帰って来ると、建国記念日の関連イベントでエルトン・ジョンが来るらしいというウワサがどこかから入って来て、また夜は夜とてみんなでお出かけ。すっかり定番になった、キナイ(中華)ブッフェ→立ち食いケーキ(超安くて美味い。1個70〜90円くらい)のコースを踏襲しつつ、イベント会場に行ってみると、そんなものはカゲも形もありませんでした(笑)。その代わりに、空撮の写真展があって、それがかなり素敵だった。世界中のいろいろな地域を空撮していて、また行きたい場所が増えてしまいました。

その帰り、わたしはタケシさんと少し話をしました。如何にも旅人らしい、飄々としてさわやかなキャラクターのタケシさん。1つ年下で、1年以上旅をしている彼に、わたしは聞きたいことがあった。「旅に出て変わったことがありますか?」。
そのときの彼の答えが私的に秀逸だったので書いておきます。
「旅に出て、よけいに色々なことが分からなくなったかも。でもそれは、旅に出る前の”分からなさ”とは違って、色んなことを知ってそこからさらに疑問が出てくるという意味で。」
「うちらくらいの年になると、考え方ってかなり固定されていくでしょ。日本で普通に生活していたら、そのままの考え方で生きていくことになると思うけど、俺はそれはイヤだったのね。変化する余地は常に残しておきたいんだ」…あれ、ちょっと違うかな。違ってたらごめんなさい。わたしの個人的な解釈ってことで…。

別れに対して過剰にセンチメンタルになるのは、放浪者を自称する者としてはあってはならないことです。
でも、仕方ないですよね。別れはいつだって寂しいものさ。これまでだって、何度も出会っては別れる、を繰り返しては来たけれど、まだ慣れるということがない。こればっかりはねえ。
1人、街を歩きながらいろんなことを思い出しました。最初にテレサに来た日、男の人ばかりでなじみにくいなと思ったこと、みんなで買ったトカイ・アスーを開けた日、みんなで夜の王宮に登った日、ビリヤードに行った日、メトロで罰金を取られてへこんだ日(タダ乗りしたわけではなく、間違えて切符を買っただけなのに!)、フォアグラのグリルを食べて美味しさのあまり涙が出そうになった日、タケシさんにエジプト「サファリホテル」の話を聞いてみんなで大爆笑した日、それぞれのマイベスト映画について熱く語り合った日、ホルトバージの宿で福ちゃんと就職活動のことを話した日…そして、数え切れないほどさまざまな一瞬の光景。
前にもどこかで書いたけれど、すべての記憶を洩らすことなく完全に記憶できればいいのに、と切に思います。例えば、写真をあまり撮らない人がよく云う「記憶に残らないものは、もともと大した出来事ではないんだ」という意見にはわたしは反対で、記憶が曖昧なものだからこそ、思い出は大切に残しておきたいと願うのです。

BUDAPEST77.JPG - 50,628BYTES 誰が云い出したかは不明だけど、「世界一美しいマクドナルド」の内部。

というわけで、みなさんへ。
まずは、最初から何かとわたしにかまってくれたアクセルと福ちゃん。アクセルは関西人、そして
福ちゃんはウチの弟に何となく似ていて(年も同じ)、親近感もひとしおでした。テレサでの楽しき日々は彼らを抜きにしては語れません。一番多くの時間を共有した2人なのですから…。
そして、わたしより年下とは思えない落ち着きと知識量を持つ秀さん。最初に話した時は威圧感ありまくりで実はちょっとビビっていたわたし(笑)。そんな彼はいつまで沈没していることやら?ウイーンで会ってここの場所を教えてくれたナースのちかさんと、その友達でビリヤードの上手い純ちゃん。テレサ初日に、一緒にハンガリー料理を食べに行ったウイーン留学帰りのキクリン。短期の旅行なのにすっかり沈没しているケーキ好きのペンギンさん。明るくて話の上手いテレサハウス番頭タケシさん。物腰がやわらかくいつも温厚なクワバラさん(宮崎さんにちょっと似ている)。実はひそかに沈没気味のマツオさん。わたしにとっては最後の新しい住人、朝生トークで頑張っていたかっともくん。
どうもありがとう。またいつか、旅の空の下で再会したいものです。

さよならだけは純粋だ!(アクセルがアドレス帳に書いた言葉) 

追記:最後の晩に議題(笑)になっていたいくつかの案件について。

「家族」→家族の形態は、決して血のつながった父母子という形に限定されるべきものではないと思う。完全な家族の形というものを決めてしまうと、それこそ片親であるとか、それ以外の形態への差別を生むことになると思うから。それに、完全な器があっても、中に愛情がなければ全く意味はないというケースはいくらでもあるわけで。家庭に居場所を見出せない人はいくらでもいる。そういう人たちに対して、完全な家族という幻想を押し付けるのは酷だし、家庭が不幸であってもほかの居場所を見出せる世の中でなくてはいけないと思う。幸福の形が千差万別であるならば、家族の形が千差万別であってもいいのでは。

「女の論理」→厳密には論理なんてものはなくて、勝ち負けではなく、もっと情緒的な、例えば可愛いものや美味しいものが好きだとか、そういうもの(例が乏しくてすまぬ)。それを甘いという意見は分かる。でも甘くて何が悪いのか?と。勝ち負けのためなら人を殺すことも辞さないという男の論理(極論だけど)よりははるかにマシな気がする。無論、それだけでは上手くいかないでしょうから、折衷でいくってことで。ときには、女的な”甘い考え”だって有効だと思うのだ。軍隊の件と少しかぶるけど、男の人は実は戦争をなくしたくないのでは、って疑いたくなるときがある。戦争は決して動物の本能から成されることではないと思うけれど、如何でしょう。

以上がわたしの意見です。誰も読んでいないかも知れないけどさ(笑)。

(2002年8月18日、21日、ブダペスト)

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