旅先風信32「スロベニア・オーストリア」


先風信 vol.32

 


 

**彷徨・6ユーロの宿の話など**

 

人は充実しているときほど日記を書かないと云います。
そんなわけで、ここ数日はほとんど日記帳を開くことすらありませんでした。

ヴェネツィアからスロヴェニア、クロアチアを抜けてオーストリア・ウイーンにやってきたのは、成り行きというより、ウイーンがわたしを呼んでいたからでした…と、実に白々しいことを書きますが、ほんと、そうなんです。ウイーンに行くならヴェネツィアから夜行列車で行くべきだったのですが、それがまあ結構なお値段だったためもうウイーンはあきらめて、とりあえずスロヴェニアに入ったのです。スロヴェニアからなら、万一気が変わってウイーンに行きたくなっても距離的に可能だし…。

スロヴェニアははっきり云って何にもないところでした。
でも、とにかくツーリスティックなイタリアから来るとホッとします。小さな駅、小さな首都、小さな旧市街・・・YHも安くはなかったけれど、しっかりした量の朝食に、タオルや石鹸までついたトリプルの部屋…と、「これがイタリアと逆だったら最高なんだけど…」とひしひし思いました。ちなみにイタリアYHの朝食は固いパン1個(お代わりなし)、少量の飲み物(お代わりなし)、それにジャムかバター。ザッツオールです。ドイツを出て以来国を変えるごとに朝食が貧しくなっていったのは仕方ないとしても(ドイツはYH発祥の地だからねえ)、イタリアYHはおそらくヨーロッパ一朝食が貧しかった。朝食のパンを余分に取って昼ごはんを作るというのがヨーロッパ貧乏旅行者の鉄則(何じゃそら)なのに、それができないというのはねえ、やっぱつらいですよね。

SLOVENIA12.JPG - 35,420BYTES スロヴェニア・ブレッド湖。スロヴェニアは緑深く森の多い美しい国です(地味だけどね)。

そんな何にもない(しつこい?)スロヴェニアから、さて次はどこに行くか??国境を接している国はクロアチア、オーストリア、ハンガリーです。
こう行き先がいろいろ選べるのも、かえってつらいときもありますね。優柔不断で有名なてんびん座女子なもので。
一度あきらめたオーストリア・ウイーンにまた食指が動いてきました。しかし……高い。何でこんなに高いんだというくらい高い。そして発着の時間帯も悪い。でも、ここでウイーンをあきらめたらもう行くこともないだろう(ルート的にね)…。
とにかくわたしは、この頃(今もだけど)考えることといったら金のことばかり。財布と喋っているようなもんです。早くヨーロッパを抜けなければ、金がいくらあっても足りない。何せ欲深い性格なので、金はないくせに、あちこちあちこち行きたいのす。どうしょうもないですね。
しかし、そんなことで悩んでいる余裕がないほど、金がヤバい気がしてきたので、やはり最も安く、短時間で行ける隣国クロアチアに心を決めました。

ところが、クロアチアの首都ザグレブまで来て、ユースにチェックインをしようとレセプションに並んでいたその束の間、急に「もしかして、ここからどこかに夜行バス(or列車)が出ているのでは?」と思い立ったわたしは、急に180度方向転換してバスステーションへ向かいました。
調べたところ、わたしの予定内で、ザグレブから出ている夜行便は次の3つでした。@ドブロブニク(クロアチア)Aサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)そして、Bがウイーンなのでした。え、ここからウイーンって夜行出てんの?しかし、この期に及んでウイーン?

これは、もしかしてウイーンがわたしを呼んでいるのではないか???神がウイーンに行けと云っているのではないのか???
…と、あまり深く考えたくないので神のせいにして、急遽、まだ来て数時間も経っていないザグレブを去ってウイーンに行くことに決定しました。バスが出るのは夜の11時過ぎ。荷物を預けるのももったいなくて(両替もしていなかった)、20キロ以上あるバックパックを背負ってよちよち歩きでザグレブ観光…ところが、いきなり大雨が降り出して、それがハンパじゃない量と時間(2時間くらい)だったため、他人の家の軒先で寒さに耐えながらひたすら雨のやむのを待っていました。捨て猫になったような気分でした。いつまでたっても止まないのにイライラして、ずぶ濡れになって教会まで歩いたりしていたのですが、今思えばそこまでせんでも…ですよね。聖マルコ教会に入った瞬間、この世の果ての最後の一軒の家にでも着いたような錯覚にとらわれ、思わず涙が出そうになったものです。一瞬、キリスト教に帰依しようかと思ったくらい(笑)。

ZAGREB7.JPG - 38,535BYTES タイル屋根がきれいな、ザグレブ・聖マルコ教会。

てなことを経て、ウイーンまで、来てしまったわけです。
ところが、ウイーンが意外と気に入ってしまって、結局まる5日も居座っておりました。もちろん宿でごろごろしているわけではなくて、毎日せっせと観光していました。もはやここまで来ると、たまに観光が修行か仕事なんじゃないのか、と思うくらいですが…

ウイーンって音楽の都のイメージでしょう?でも、ふたを開ければそれだけじゃなかった!
ここは美術の都でもあり建築の都でもあったのです。特に現代美術はかなりハイレベルというか盛んな様子で、すっかり現代美術好きとしてのアイデンティティを築きつつある(ウソ)わたしにはかなりうれしかった。個人的にはパリ、ロンドンに次いで美術のおもしろい街でした。おかげでまた、素敵なアーティストを発見してしまって、本もしっかり買っちまったよ…。写真集だよ。重いよ。高いよ。嗚呼、パリで「もう二度と本は買わない」と決心したはずだったのに…。
ちなみに、ウイーンで有名なアーティストと云えば、ギュスタフ・クリムト、エゴン・シーレ。クリムトが好き、とか云うと、何かすごいイキってるっつーか、芸術分かってますみたいな顔してんじゃねーよ、っつーか(よく分からんが)、そんな印象を持たれるような気がしてちょっと恥ずかしいのですが、でも、いいものはいいですよね。クリムトの描く女性の顔ってエロいよね。

WIEN13.JPG - 57,393BYTES 天才少年イラストレーターjunichiくんも好きな(らしい)フンデルト・ヴァッサーハウス。

WIEN35.JPG - 38,405BYTES 現代美術館で一番気に入った、「THE WHITE ROOM」というインスタレーション。

しかし、何でこんなに長く居ついてしまったかというと、宿があまりに安かったせいでした。
「ドン・ボスコ」という教会ユースなんですが、そこが1泊たったの6ユーロ!西ヨーロッパにカテゴライズされるオーストリア、物価の高いオーストリアで6ユーロ!ホットシャワーも24時間ちゃんと出て6ユーロ!…すみません、しつこすぎですね。でも本当に驚きました。

また困ったことに、その宿では久しぶりに日本人の1人旅行者たちが集ってしまい、みんなでシェア飯したりして、毎晩夜更けまで喋り倒していたんですよねえ。こんなとこまで来て日本人同士で固まるなよ!という非難はじゅうじゅう承知しておりますが、何かね、やっぱりお互いに長旅の中で束の間こうやって肩を寄せ合い、同じ釜のメシを食うというのもまた、1人旅の醍醐味だと思うのですよ。まあもちろん、いつもこれでは困り者ですけど。。。
それに、日本人と喋っていても、やはり得るものはたくさんあるわけで、わたしはここで出会ったMくんという超ビンボー大学生パッカー(日々の食事は食パンとマヨネーズらしい…)に寺山修司の『家出のすすめ』を借りて読んだところ、これがかなりヒットしまして。寺山修司の本って、何となく今まで読まずに来たんですけど、ああ、いい機会に出会えたもんだなあ、と思いました。

しかし、みんな色々ですよね(何だいきなり)。仕事を辞めて、学校を休学して、1ヶ月、2ヶ月、1年、2年…旅は大げさでなく、人生の縮図、或いは、旅は人生の中にもう一つの人生を創作する、そんな作業のような気がします。
アリランとチュニスYHで会ったYちゃんのほかに、長期の女子パッカーに出会ったことがなかったのですが、ここで出会ったYさん(イニシャルトークってややこしいね)は何と2年半かけて、ほぼ世界1周、いや、1周半くらいしているというツワモノでした!
それも、これまでの総計を尋ねると、それほどケチケチ旅行でもなくて約150万円!…唖然です。ヨーロッパで金を使いすぎてもはや火ダルマになりそうなわたしですが、その話を聞いてむくむくと希望がわいてきましたよ(笑)。イケるよ。これなら、世界一周できるよ。もう金なさすぎて強制送還かと思ってたけどさ。Yさん曰く「ヨーロッパは別格ですよ。わたしだってどんどんお金飛んで行きます。これから行く国でヨーロッパより高いところはないから大丈夫ですよ」。そうなの?本当に?

それにしても2年半というのは衝撃的でした。「え?すみません、もっかいルートおさらいしていいですか?」と何度も何度も聞いてしまいました。講習会かっつーの(笑)。ちなみに、今回の旅で行った国は54ヶ国だそうです。西アフリカ(マリとかブルキナファソとか)まで行っているのよ!モロッコからサハラ越えてんのよ!だからいろんな国のいろんな情報を持っていて、わたしは、まだ見ぬ国々の話を聞きながら、まるで御伽ばなしを聞く小さな子供のように胸を躍らせました。
ありがちな、長期旅行者特有のえらぶったところやヘンに冷めたところが全然なくて、あくまでもいち旅行者であるという本分からはみ出していなくて…何かね、こういう普通さってすごく好きなんです。こういう感じをわたしは勝手に”ニュートラル”と呼んでいるのですが、わたしもあくまでニュートラルな旅人でいたいなあ、といつも思うのです。
 

WIEN47.JPG - 48,217BYTES 同じ釜のメシを食う面々。たった2ユーロでお腹いっぱい。自炊はいいねえ。

それでは最後に、寺山修司『家出のすすめ』よりの引用を。
「何もかも思い通りにしてみようと思う。そしてそれがたとえ『自由』という名のもとになされる地獄めぐりにすぎないとしても、それはそれでもいいではありませんか。」
色々ヒットした言葉はあるんですが、この言葉は今の自分の旅のことを云っているみたいで、とても印象に残っているのです。
旅に出ている今とて、帰る家はちゃんと残しているわけで、家出、なんていうほど思い切ったことはしていないのですけど、しばしばつらいことの多い旅になってしまったり、「旅に出て何が得られるのか」という堂堂巡りの疑問にさいなまれた時に、この言葉はきっとわたしを助けてくれるような、そんな気がしました。「それでもいいではありませんか。」自由であるならば、自分で選んだ道を歩いているならば…。

この旅がわたしに何をも与えてくれなくても、単なる時間とお金の浪費に過ぎなくても、それでもいいではないか。わたしは基本的に暗い人間ですが、いつもどこかに希望の余地を残しつつ、つまらない夢を見つつ、何だかんだで前向きに生きようとしているように思います。
前回の最後に書いたことと少しかぶりますが、「それでも生きていく」ということは、決して間違ってはいないと思うのです…なーんて、またつまんないことを書いてしまいましたね。ま、いつものお約束ってことで。それではまた。

(2002年8月12日 ウイーン→ブダペスト)

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