| |||
**暗黒** | |||
引き続きリトアニアからお届けします。 だって、ここで働いているサダおじさんはいろいろ面倒みてくれるし、話し相手になってくれるし、ご飯も作ってくれるし…(何をやってるんだわたしは)。彼はボランティアでここのレセプションなどをやっていて、実は4代目。過去にもリトアニアを気に入ったバックパッカーズがしばらくの間勤めていたようです。ちなみにサダさんは、妻子を日本に残して(と云っても失踪とかではなくて)、モノ書き修行のため長い長い旅に出たらしい。 旧市街の入り口にある夜明けの門。ここのマリア様は何でも願いを叶えてくれるそう。 さて、わたしは別にホテルでだらだら過ごしているわけではなくて、けっこう精力的に活動はしていました。 まずはKGB博物館。KGBというのは、旧ソ連の秘密警察のことですが、実はわたしもよく知りません。ナチスのゲシュタポみたいなものと勝手に認識しています。博物館はKGBが実際に使っていた監獄を現在一般公開しているというもので、外から見るとよくある石造りの建物です。博物館(監獄)はその地下にあります。 監獄は全部で20くらいのCELL(小部屋)に分かれています。新しい囚人の写真撮影室、尋問室、シャワー室、家具が動かせないように固定された独房、1日5分間・1度に40人が詰め寄せるトイレ…。 さらには処刑室。大きなかまどのようなこの部屋で、約1000人くらいのリトアニア人が殺されたようです。床がガラス張りの展示になっていて、眼鏡や靴や歯や人骨やらがポツポツと散乱しています。『歩き方』によると、ここを案内しているおじさんは、実際に抑留されていた人だとか…わたしが見た人はとても上品な雰囲気の老紳士で、何だか切なくなってしまいました。 しかし…相変わらず英語アレルギー気味のわたしは、パネルを読むのも一苦労。 拷問室。後ろに見える不吉な黒いものは囚人の拘束服。 そして今日行ってきたのが、リトアニア第2の都市・カウナスにある、第9要塞博物館。 何が怖いって、観光客がわたし一人! 地理的にもうら寂しいところで、車しか走らない道に囲まれただだっ広い草地に、コンクリートの無機質な博物館と、元収容所と、モニュメントがぽつぽつと建っているのです。そして、モニュメントの側には、銃殺刑の行われた壁が…。 第9要塞博物館の元収容所。マジで怖いです。 リトアニアって本当に気の毒な国ですね。まあほかのバルトの国もそうだと思うけれど、ドイツと旧ソ連の間という地理条件ゆえに、両国からさんざんな目に遭わされてきたわけですから。 例えば東ティモールにしろ、台湾にしろ、独立ってそんなに重要なことなのか?何で今までの国に属してちゃいけないんだ?などと思っていましたが、ちょっと考えが変わりました。どんなに小さな国でも、一つの国であるという事実は、想像以上に大きなことなのではないか、と。 ここのアダムクス大統領という人がまた、とても熱い人のようで、何しろリトアニアを世界に知らしめて「ロンドン、パリ、ローマ、ヴィリニュスと云われるようにする」とおっしゃっているとか。何をバカな、と笑う人は笑うでしょう。でもこの小さな新興国が、熱く理想に燃えている姿って何だか感動的だと思いませんか?彼の支持率は圧倒的で、K首相どころの騒ぎではないそうです。 この辺の話をサダさんからいろいろ教えてもらって、今まではその首都名すらも知らなかったリトアニアという国に愛着が湧いてきました。カウナスのバスの運転手はとってもいい人だったし…。こういうことがあるから、やっぱり旅はいいなあなんて思うのです。 脈絡なくてすみません。いずれ収容所やら拷問関係の写真のみを収録した写真館でもアップしたいものです(こらこら)。それではまた。 (2002年4月6日 ヴィリニュス) | |||
画面TOP/INDEX/HOME | |||