旅先風信29「チュニジア」


先風信 vol.29

 


 

**その後のチュニジア〜便乗だよ放浪は〜**

 

こんにちは。何だかんだでチュニジアも最終日です。

チュニジアの旅話に入る前に、少し訂正が。
前々回の「モナミー」って言葉ですが、あれ、どうやらスペイン語ではなくフランス語みたいですね…。チュニジアはフランス語圏なので、いくどとなくモナミーって聞く機会があって「おや?」と思ったのです。お恥ずかしい。
でもフラ君も一体何のつもりでフランス語?って話ですよねえ。フランス語ほとんど喋れないって云ってたのにさ…。

ご存知のように、チュニジアの旅のスタートは、体調のせいもあってボロボロでした。
しかも、次の目的地であるイタリアへの船が週1便というナメやがったスケジュールのため、チュニジアで11日間も過ごす計算になり、げーそんなにやることねえよー、ヒマだよー、とさらに憂鬱になっておりました。
ところがフタを開けてみれば、けっこう精力的に動き回っているんですよねわたし…さすがはつるピカはげ丸並みの貧乏性だわ。

簡単に足取りを説明しますと、チュニス→カルタゴ(日帰り)→チュニジア屈指のリゾート地スース→イスラム教の聖地カイルアン(日帰り)→『STAR WARS』のロケに使われた奇観の町マトマタ→チュニジアサハラの玄関口ドゥーズ→巨大なオアシスのあるトゥズール→スースと並ぶビーチリゾート・ハマメット→チュニスという、なかなかハイライトをしっかり押さえたコースになっております(笑)。
ガイドブックが『ロンリープラネット 地中海編』のみだったわりには頑張ったなあとしみじみ。だってこの本にはチュニジア情報が20ページ弱しかないですから。写真も皆無な上にもちろん英語なので、想像力と語学力を限界まで働かせねばなりませんでした。
でも歩き方じゃなくてロンプラ持っていると、名実ともにワールドトラベラーになっているような気がしてちょっとだけ鼻が高くなったりする(笑)。つまんないブランド志向だけど。

KAIROUAN6.JPG - 26,478BYTES カイルアンのグランモスク。

マトマタまでは日本人どころかバックパッカーのカゲすら踏みませんでした。
モロッコから引き続き、”勝手にガイド氏”が知らぬ間にくっついていたり(くっつき虫か君らは)、スキあらば触ろうとしてくる野郎ども、相変わらずの「ナカータ」「ジャポーン」…かなりつらかった。誰か、この苦しみ(?)を少しでも分かってくれる旅人に会いたい、と切に願いました。
マトマタに着いてからも(ここまで来るのもかなり大変でした、バスがボロくて)、旅行者らしき人物は皆無…そしてまた胡散臭いオッサンが勝手にガイドを始め、ブチキレそうになりました。

マトマタには『STAR WARS』に登場するスカイウォーカーの家として撮影されたホテルというのがありまして、そんな有名なところならきっと満員に違いない、と思っていたらガラガラだった…。この異様な建物の中にほとんど人がいないというのはやや不気味でした。
また、マトマタ自体がめちゃめちゃ田舎なんですよ。夕方ふらふらと近所を歩いていると、ああ、わたしは今カンペキに孤独だな、わたしは何者でもなくて、何にも持ってない、1本のミニマルな棒にでもなったようだ…なんてことを思いました。でもそれは嫌な感じではなくて、ひたすらに静かな気持ちでした。
夕食時にようやくオーストラリア人の男子パッカー2人連れに会った時は、まるで山奥をさまよっていて民家にたどりついた時のようにホッとしましたけどね。

MATOMATA1.JPG - 31,874BYTES マトマタの「ホテル・シリ・ドリス」。スターウォーズファンは泊りましょう。

わたしはその後、これまた『STAR WARS』のロケ地であるタタウィンという、マトマタよりもさらに宇宙的な建物のある街に行こうか行くまいかと迷っていました。お前『STAR WARS』観たことないやん、って話なんですけどね(笑)。
しかし、すっかり心細くなっていたせいか、オーストラリア人たちが明日ドゥーズに行くと聞いて、車のチャーターの関係などもあってくっついて行くことに。ま、もともとドゥーズには行く予定ではありましたが…。

砂漠の町ドゥーズでは、性懲りもなくラクダトレッキングに参加していました。
だって、ここで他にやることって…ないんだもんなー。ドゥーズに来る旅行者の目的はほぼ100パーセント砂漠ツアーwithラクダなのです。
今回はモロッコの時と違って総勢35名という大キャラバンでした。それでも日本人はわたしだけだったけど…。例のオーストラリア人2人も一緒で、一人のわたしを何かと気にかけてくれました。外人って親切ね。でも、フラ君じゃないけど、男2人で来ちゃダメだよー。わたしのようなか弱い女子(こらっ)がこうして1人で旅してんのにさー。
それはさておき、チュニジアのサハラは小さな砂丘が波打つようにえんえんと広がっていて、砂も雪のように白く(それは云いすぎか)、モロッコのそれとはかなり違った印象です。モロッコの方が、山のような砂丘を越えていくので迫力はありましたけどね。

DOUZ10.JPG - 17,915BYTES 白い砂漠。

さて、この砂漠ツアーで出会ったフロリアンとクスカというスイス人のカップルにこの先便乗しようとは、このときは全く予想もしていませんでした。
ツアーのときはそれほど親しかったわけでもないのですが、砂漠での朝、顔を洗いたくてうろうろしていると井戸の場所を教えてくれたのがクスカでした。さらに、次の日泊ったホテルが偶然一緒で、1人で寂しそうな(?)わたしに「これからドライブするけどよかったら来る?」と声をかけてくれたのです。カップルで来てるのにいいのかなー、とは思いつつも、誘ってくれたことが嬉しくて、ホテルのレセプションの兄ちゃん(色目を使ってくるので気持ち悪かったけど)と4人で再び砂漠に行ったり、地元の結婚式にもぐりこんだりしていました。
わたしは次の日の早朝にトゥズールに発つ前に、彼らにお礼のメモを残して行きました。彼らはまだ寝ていたし、この後はスースに行くと云っていたのでもう会うこともないと思っていたからです。

トゥズールでは小さなオアシスの泉で水浴びしたり、その日の宿であるキャンプ場のコテージで昼寝をむさぼったり…と、だらしなく時間を過ごしていました。夕方、さすがにヒマなのでシティセンター(と云ってもたいしたことはない)の周辺をぶらぶらしていると、一瞬ですがわたしの名前が聞こえてきました。
その直前、インターネットカフェで幾人かの友人からのメールを読み、ガラにもなく涙しそうになっていたわたしは、そのせいで空耳が聞こえたのだろうか、と思いました。しかしそれは空耳ではなく、声の主は何とクスカでした。笑顔で駆けよって来るクスカに、わたしはただただ驚くばかりでした。
その日は偶然会った日本人の女の子のグループ(チュニスでアラビア語学校に通っている生徒さんでした)とフロリアン、クスカ、そしてわたしという何やらよく分からない団体で夕食を取りました。ちなみにこの中で最も英語ができないのはわたしでした…もういい加減何とかならないものか。フロリアンがわたしに何か云っているのが分からなくて首をひねっていたら「…(困惑している)他にもっと英語ができるやつはいないか?彼女に訳してやってくれ」と呆れられる始末です。

その後、2人は車で(レンタカーを借りて回っていたのです)キャンプ場まで送ってくれました。
それが彼ら、何故かこの何にもないキャンプ場が気に入ったらしく、ホテルをキャンセルしてこっちに移ると云い出し、本当に引っ越してきました。夜の11時というのによくキャンセルがきいたなー、さすが外人は自己主張が強い、などとどうでもいいことに感心しつつ、その日はコテージで3人川の字になって寝ました。誰かと一緒に寝るのは本当に久しぶりで、気持ちのよい夜風に吹かれながら、安らかな気分で眠りにつきました。

TOZUER2.JPG - 59,916BYTES わらぶきのコテージ。

ちなみにフロリアンはスペイン人×スイス人のハーフ、クスカはペルー人×スイス人のハーフです。
そのせいでもないだろうけど、2人とも5ヶ国語喋れるんですよねえ…英語すらままならぬわたしはただただ感心するばかり。
そして二人は年の差カップルでもある。クスカが28歳、フロリアンは何と21歳…わたしの弟より若いではないか。ほんと、外人の年齢って分からないなー。言葉ができるせいもあって、すごくしっかりして見えるし…。
なにぶんわたしの英語力なのではっきりとは分からないのですが、クスカは多分舞台の仕事(ダンサーか女優)をしていて、フロリアンはコンピューター会社で働いていると云っていました。一体どこで知り合ったんだ???

それからも行動をともにすることになった最大の理由は、われながらセコいのですが、彼らが日曜日にチュニスに車を返しに行くという点でした。
わたしは月曜日(つまり今日)の船に乗るために、日曜日にはチュニスに戻りたかった。車で運んでくれるというのならかなりラクだし安上がり…と思ったのです。しかしこれ、この旅の最初の、Kさんとアルバートとの3人旅行を思い出してしまった…わたしがカップルにくっついて行動するという構図がそっくりじゃねーか(苦笑)。しかも今度は知り合ったばかりの人で、日本語も当然使えないという、前回よりも難易度の高い旅。ま、Kさん&アルバートのときと同じく、わたしは何にもせず後部座席に鎮座ましましているだけでしたけどね。

トゥズールからタメルザ峡谷というチュニジアのグランドキャニオン(?)に行き、そこでひとしきり泳いだりみやげ物屋をひやかしたり(いや、ひやかされたという方が正しいのかも)した後は、一挙にスースへ戻りました。渋滞も何にもありませんでしたが、ものすごい距離で、スースに着いた頃には夜の10時を回っていました。わたし一人だったらありえないのですが、彼らは根性があるというか、これからキャンプ場を探すと云い出し、人に聞きまわって結局スースにキャンプ場が無いことが分かると、急遽ハマメットに向かうことに…ちなみにハマメット着12時半。ここでもキャンプ場は見つからず、結局はペンションに泊ることになりました。
彼らのキャンプ場探しは翌日も続き、やっと見つかったと思ったら持参したテントが超小さいことに、組み立てて初めて気づいたらしく(おいおい;)、元のペンションに帰ることになったのでした…。どうやら彼らは、ビーチの近くでテントを立てて1週間くらいのんびりビーチライフを楽しもうとしていたらしいのですねえ。

TAMERZA1.JPG - 52,716BYTES タメルザ峡谷。滝に打たれました。

ハマメットでは、夜中の2時過ぎにようやくペンションに落ち着いたと思ったら、フロリアンが「ここには世界で一番美味いケバブ屋があるんだ。今からケバブを食べに行こう」と云い出し、本当に食べに行ってしまいました。この人1日中運転していたのに、体力あるよなー。やっぱ若さ?クスカはさすがに疲れていました。当たり前だって。
それでもケバブは大変美味しく、調子に乗って近くのレストランで飲み物まで飲んでいる始末…。
ジュースを飲みながら、お互いの国のあれこれ(収入や家のこと)や、家族の話をしました。
わたしは母親が2年前に亡くなったことを話しました。
この話にはもう慣れているので、今更しんみりすることもなかったのですが、クスカが「でもお母さんはあなたのことをいつも見てるはずよ」なんて云うもんだから、ちょっと照れくさくて「それは困るよ。だってわたしお父さんに嘘ついて旅に出てるから」と云い返すと、
「お父さんは現実に生きている人だから目の前のことしか分からないだろうけど、お母さんはちゃんとすべてを見越してあなたのことを守ってくれているのよ」と泣かせることを云うんだよー。死後の世界なんて信じていないわたしだけど、何だか彼女の言葉には説得力があって、ぐっときてしまいました。

彼らのキャンプ場探しや渋滞やらで、チュニスに戻ったのは日曜日の夜10時過ぎでした。常に宵っぱりだね(笑)。彼らは再びハマメットに戻ることになっており、わたしはチュニスのメディナにあるYHを予約していました。
空港で車を返却して、センターへ向かうタクシーの中でクスカが「わたしたちと一緒で楽しかった?」と尋ねてきました。
もちろん。楽しかった。人と一緒にいる楽しさを謳歌できて、もうこれからはしばらく1人でも大丈夫、って思えるようになったよ。…なんて複雑なことはとっさに云えないから、ただ「とても楽しかった。2人にはとても感謝してるよ」とだけ、なるべく感情を込めて云いました。
わたしの方こそ「わたしなんか拾って楽しかったの?何にも喋れないつまんない子だったのに」と聞きたかった。ほんと、こんな面白くないヤツ
を拾って彼らは楽しかったのだろうか…とちょっと申し訳ない気分です。
別れ際、クスカにキスしたとき、フラ君の時ですら泣かなかったわたしなのに思わず涙が出てきて、言葉につまってしまいました。彼女は本当に明るくて、でも落ち着いていて、やさしくて、何だかお母さんみたいな人だったんだもの。
タクシーに乗り込む直前、フロリアンは、何と云ったのかは分からなかったけど、ガッツポーズを作って「頑張れ」みたいなことを云ってくれました。そして、「イタリアが終わったらスイスにおいで。メール送ってきて」とも。
わたしは彼らの乗ったタクシーをしばらく見送ったあと、夜のメディナに向かって歩き出しました。

…いい話だね。うん、いい話だ。
でもいい話ばっかりでもないんですよ、本当は。いや、結果的にはいい話になったけど、わたしは実は、彼らと別れるまでずっとお金の心配をしていたのです。盗られるとかそんなんじゃなくて、車で運んでもらってる分をいくら請求されるんだろう、って。一応ガソリン代は10DR払ってあったので、タダで乗っていたわけではないのですが、もっと取られるんじゃないか、取られないとしてもやっぱりいくばくかは払わないといけないんじゃないか…ずっとそのことが頭を離れなかった。食べ物をすすめられてもお金を請求されるのがイヤでほとんど断っていました。われながら何て疑い深いんだろうと情けなかったけど、ティトワン以来、あまりよく知らない人を信用することは、例え旅行者同士であっても出来なくなっているのです。まあ、日本人だと完全に言葉が分かるし意志の疎通もラクなんですが、外人となると…。
イヤですね、こんなの。もっと広い心、素直な気持ちで旅ができたらいいのにね…。

FLO-CSU2.JPG - 25,176BYTES ハマメットの深夜3時。手をつなぐクスカとフロリアン。

さて、便乗旅行は終わりましたが、チュニスでは嬉しい再会が待っていました。
もちろん偶然ではなくて、メールでやりとりしていたから叶った話なんですけど、バルセロナの「アリラン」で会ったYちゃんとチュニスのYHで会うことができたのです。約1ヶ月ぶり。こんなに早く再会できるとは思っていなかったですねえ。
次の日(つまり今日)彼女は飛行機でエジプトへ、わたしは船でイタリアに渡るので束の間の逢瀬ではありましたが、長く旅している同士ゆえに可能な旅先での再会は、何だかとってもスペシャルなもののような気がしました。
モロッコの愚痴やチュニジア旅行のあれこれを話し込んでいると、あっという間に夜は更けていきました。それでも今朝はまた朝食を食べながらしつこく話していたんですけどね(笑)。
Yちゃんの飛行機がお昼なので、それまでチュニスをぶらぶらしつつ、店をひやかしつつ、カフェでレモンジュースを飲みつつ時間を過ごしていました。わたしの所持金があと6DR(500円くらい)しかないのを知って、「1人になるまではお金使わない方がいいですよ」と云ってジュース代から水代から全部払ってくれて…本当にありがとう。あかすりまで買ってもらっちゃって(笑)。
明日の今ごろはもうイタリアか。何だか信じられないですね
。それではまた。

(2002年7月22日 チュニス)

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