旅先風信23「ポルトガル」


先風信 vol.23

 


 

**エデンの園でプチ遭難(涙)**

 

前回トップページにもちらりと書いたように、マドリッドでは何も危ない目に遭わずラッキー、と思いきや、最後の最後で宿代をぼったくられてしまいました。いや、正確にはぼったくりではないのですが…。
初めに宿の女性は「1泊フォーティーンユーロ」と云ったはずなのに、請求されたのは24
ユーロ。どうもわたしの聞き間違いではなく女性の方が云い間違えたっぽい。しかも2泊してしまったため何と48ユーロ(約5500円)!
相場を考えても高すぎるので、ガイドブックを見せたりしつつどういうことやねんと問うたところ、どうもシングルの部屋が満室で、勝手にツインの部屋に入れたらしいのですねえ。道理でベッドが2つあると思った(笑)…って、笑ってる場合じゃねえです。それやったら最初にシングルはないと云わんかい!そしたらユースにでも移ったのに。
ま、紙に書くなりしてキッチリ確認しなかったわたしのミスなんですが、教訓料としても高すぎるわー…今思い出しても悔しい。強盗と違ってネタにもならんしね(とか云いつつも書くあたりがセコい)。

そんな後味の悪いマドリッドから、夜行バスでポルトガルの首都リスボンへやって来ました。
リスボンってお菓子の名前みたいで好きな響きですね。街はけっこうボロくて坂も多いけれど、それゆえに何とも云えない風情があります。
アルファマという旧市街地区に行くと、如何にも下町らしく、生活の匂いや音がすぐそこに感じられます。下町ならではの庶民的な美しさがあって、ただの洗濯物やその辺のひなびたオヤジがばっちり絵になっている(少なくともわたしにはそう見える)。
ポルトガルの家は貧乏金持ち関係なく(多分ね)壁が装飾タイル貼りになっていて、異国情緒たっぷりです。わりとハゲかかったりもしているのですが、それがまたかえっていい感じ…って、つくづく貧乏臭いですねわたし。

LISBOA11.JPG - 45,783BYTES 道で肉を焼くオヤジ。

今わたしがこれを書いているのはシントラ。リスボンから電車で約1時間のところにあるポルトガル有数の景勝地です。
かのバイロンをしてエデンの園と云わしめたシントラは、緑にあふれ、花があちこちに咲き、さながら植物園のよう。山の傾斜に沿って建つ家々もピンクや黄色や水色のパステルカラーで実に可愛らしくロマンチックです。

最大の見どころは山の頂に建つペーナ宮殿(ペーナ城)。
かのルーさま(ルートヴィヒ2世)のいとこに当たるポルトガル王フェルナンド2世が、ルーさまのノイシュバーンシュタイン城に影響されて造ったという曰くつきの城です。それだけにこの城もたいがいメルヘンチック。壁の色がピンク、黄色、青と全く統一感がなく、造型もかなりむちゃくちゃです。おもちゃの城みたいで楽しいですけどね。でもね、フェルナンドはホモじゃないんだよー。独身でもないし。その辺がちょっと残念だな(何を云ってるんだわたしは)。
内装は非常に美しいです。どの部屋も大きくはないけれど、よくできたドールハウスのように緻密で、1部屋1部屋が完結した世界観を持っています。装飾タイルがあちこちに使われているのもポルトガルならではで、にわかにタイル美にはまりそう…。

SINTRA16.JPG - 42,019BYTES メルヘンのお城。

さて、唐突ですが、わたしもそんな毎日素晴らしいものを見て楽しく旅行しているワケではありません。
昨日わたしは、このエデンの園にて危うく遭難しかかるという憂き目に遭いました。いやこれはマジです。

そもそも、リスボンから日帰りで充分行けるものをわざわざこっちに宿を移したのがいけませんでした。
このYH、『歩き方』には「環境抜群で人気のユース。満室になることが多い」などと書いてありますが、実際は山奥の、普通の人間ではたどり着けないような(?)場所にあるのです。

だってねえ、YHに至るまでの道というのが…これが明らかに道じゃねーんだよ。ケモノ道だよ。いや、ケモノすら通ってなかったわ。
ペーナ宮殿から車道を下って右折すること徒歩10分、と駅前のインフォメーションに教えてもらった通りに歩くのですが、右折する道がありません。あるのは草の生い茂った幅30センチくらいの通路らしき“間隙”のみ。…でもねえ、まさかこれがその道だとは普通思わないよ。YHはこちら、とか云う看板も何もないしね。
なので、わたしは車道をどんどん下って行きました。途中会う人ごとに尋ねてみるのですが、誰も知りません。
仕方なく10分くらい歩いた頃、ようやく分かれ道が出てきました。
何となく地図とは違うなと思いつつも、そこを上がっていくと…いつの間にか誰もいなくなっていました。
建物らしきものが見えたと思ったらどこぞのお屋敷らしく、番犬に吠えまくられてしまいました…きょわい(涙)。
惨めでした。本当に。10キロはあろうかというバックパックを背負って山道をさまようなど、あってはならない出来事です。心身ともに疲労のピークに達しつつあり、頭もおかしくなりそうでした。
誰もいないのをいいことに(?)、ファックとかシャイセとか殺すぞボケとか、あらん限りの呪いの言葉をわめき散らしていました。それで余計に疲れました(アホやろ)。日本語で「YHはどこですかー!?」などと叫んだりして…完全に狂ってますね。ええ、狂ってました。

SINTRA10.JPG ケモノ道。

仕方ないので、元来た道を引き返して(これがまたツラかった)ペーナ宮殿横のインフォメーションに戻りました。
明らかにただごとでない様子のわたしを見て、インフォのお姉さんは困惑しつつも親切に道を教えてくれました。しかし、これがどうも、かの幅30センチのケモノ道を上がっていくという話なのです。え、やっぱあれだったんスか?と呆気に取られつつ、もう一度その場所に行きました。…いや、だからこれ、道じゃないってば。それでも
最初の何メートルかは一応石畳のようになっていました。が、その先はまるで西表島のジャングル…。石畳ではなくどー見ても岩山が立ちふさがっているのです。その上、道(らしきもの)が二手に分かれているではないですか。
一体どっちなんだ?!全く分かりません。左の方の道が若干広いように感じたのでそっちを選びました。どんどん歩いて行きますが、一向にYHのカゲもカタチも見えません。木々をわたる風の音が如何にも不気味に響き、これ以上行くとマズい、と思ったわたしは、またしても泣く泣くインフォメーションに引き返すことに…。

インフォのお姉さんはあからさまに困惑を深めておりました。それでもやはり例のケモノ道を7分くらい歩けば着くと云います。だから!道がないんですって!…と云ったところで分かってもらえない様子なので、休む間もなく3度目のトライに向かいました。はああ、つらい…つらすぎる…。
今度は慎重に、キレそうになる気持ちを押さえながら、右の道を選んで歩いて行きました。幅はその内20センチくらいまで狭まり、いよいよこれは道じゃない!やっぱ間違ってる!…と思った瞬間、うっそうと生い茂る木々の隙間から白い建物が見えてきました。あれや!あれが伝説の(じゃないけど)探し求めていたYH…。ここまで来るのに2時間強…。
しかし所詮はYH、達成感などあるはずもなく、ただただ呆然としただけでした。

YHのお兄さんは、ボロボロになったわたしを見て「ユーアストロングガール!」と半分呆れながら云いました。
ほんとにねー…。わたしもそう思うわ。
わたしのほかにも結構客がいて、こんなところにわざわざ泊まるなんてこいつらはアホか?と思っていたらどうやらみんな車で来ていて、徒歩でのこのこやって来た本当のアホはわたしだけでした…合掌。

おっと、遭難(?)話が長くなってしまいました。
でもまあ、楽しい観光のお話よりは面白いんじゃないかと思いますが、如何なものでしょうか?

しつこくYHの話をしますと、まるで巡礼者が長い旅の果てにたどり着くような山の中にあるだけに、夜になるともう追いはぎでも出そうな勢いです。何故かYHの隣にはナゾの廃墟があるし、山の上のせいか風の音がすごい。山の神様が怒っているのかと思うようなすさまじい音で、本当に太陽の国ポルトガルにいるのか?!とわが身を疑いたくなりました。
さらに哀しいことに、オフシーズンなのか何なのか、YH内のレストランが閉まっており、お兄さんに「何か食べたいんです。パンでも何でもいいので」云うと、宅配のピザしかないと云うのですよ(涙)。こんなところまで来て宅配ピザなんか食べたくないので、昼間残していた菓子パンとコーヒーで済ませました。
幸か不幸かドミトリーはわたし1人。風の音を聞きながらひしひしと孤独を噛みしめておりましたとさ。

そんな孤独な”長い夜”(by松山千春)を抜け、今日はユーラシア大陸最西端の地・ロカ岬に行って来ました。
『深夜特急』読者ならずとも、多くのバックパッカーはロカ岬という響きに特別なものを感じるのではないでしょうか。
特に東の方からユーラシア大陸を横断してきた旅人にとって、ここは旅のゴールです。眼下に広がる大西洋を、彼らはどんな思いで見るのでしょうね。わたしは残念ながらヨーロッパから入っているので、その格別なる思いは味わえませんが、それでも、ここまでたどり着いた旅人たちのことを考えると、何かしら大きなものがこみ上げてきます。

さすがに果ての地だけあって、ここには何にもありません(笑)。小さなインフォメーションと、みやげ物屋とレストランを兼ねたお店が1軒あるだけです。それでももの好きな観光客はけっこういるもので、団体も2.3見かけました。ツアーに組み込まれているのかここは…。

ささやかな最西端の石碑の向うには、大西洋が圧倒的なパノラマを作り出しています。
石碑に刻まれている「ここに地終わり、海始まる」というフレーズを口に出してみると、何とも云えない気持ちになりました。何かね、もう、とにかくすごいなあ、って。よく分からないけど、何に対してか分からないけどすごいなあ、と思ったのです。
ああ、ユーラシアを横断してこの景色を見たかったな。今となっては叶わぬ話だけど。

ROKA10.JPG - 35,312BYTES ユーラシアの西の果て。

しかしわたしの旅はまだ、人間で云うなら10歳くらい。これから思春期に突入し(?)、成人となり、老いてやがて死を迎える。
ま、お金が尽きて夭折するかも知れませんけどね(苦笑)。
わたしの旅の最後の風景は何処なんでしょう。予定ではアジアの何処かの国ですが、本当にこればっかりは人生と同じで分かりません。人生よりは予想がつきやすいですが、最近、特にパリからこっち、サイコロを振って明日の成り行きを決めているような状態なもので…。常に岐路。岐路。岐路。岐路。岐路。優柔不断のてんびん座女子としてはつらいところです。本気で放浪するのってなかなか大変だね。
ともあれ、次は再びスペイン、セヴィーリャです。ああ、早く物価の安い国に行きたい…。

(2002年6月23日 シントラ)

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