旅先風信22「フランス・スペイン」


先風信 vol.22

 


 

**ガウディとアリランの夕べ**

 

こんにちは。やっとパリを出て、がしがし(でもないか)移動しています。
結局あれから南仏アヴィニヨンに行き、『プロヴァンスの12ヶ月』で有名なリュベロン地方にも足を延ばしました。

アヴィニヨンはいいところでした。アヴィニヨン橋やかつての教皇庁など見どころもちょこちょこありつつ、そんな大きな街ではないでのんびりした雰囲気。夜は夜で、オレンジの街灯がそこここに灯り、古い街並(世界遺産)をぼんやり照らすのが何ともロマンチック…こういう場所は、1人寂しい貧乏旅行より恋人と2人で来たいものです。しみじみと、ひしひしとそう思います…。
しっかし、しばらく体験したことのない暑さ!アヴィニヨンの駅に降り立つと、”もわっ”と効果音がするくらいにあっつい空気が身体を取り巻きました。太陽の国(地域)に来たんだなと実感した瞬間でした。

AVI22.JPG - 38,173BYTES 恋人と歩きたいもんだ。

リュベロン地方は、わが愛する写真家ベルナール・フォコンの出身地(町はアプト)でもあり、この辺りであの写真が撮られたのだろうか…と思うと大変感慨深いものがありました。あの不思議な静寂、退廃と明るさが絶妙に入り混じった、何とも色っぽい風景…デレク・ジャーマンのダンジェネスとともに、わたしの中では聖地なのです。ただ、ツアーで回ったのと(非常に交通の便が悪い。今後行かれる方はレンタカーを借りて回るべし)、場所が特定できないのとでダンジェネスほどの感動は味わえませんでしたが。
ゴルドという町の谷底にあるセナンク修道院は、ラベンダー畑で有名な場所で、プロヴァンスというとここの風景の写真が載っていたりします。わたしもプロヴァンスに行くからにはラベンダーでしょ、とはりきっていたのですが…残念ながら下の写真の通り、ほとんど刈り取られていました(涙)。よく見るとうっすら紫色なんですけどね…。
修道院自体は雰囲気のあるところで、禁欲的なシトー派の寺院らしく、何の装飾もないけれど、それがかえって宗教的かつ哲学的なムードを醸し出していました。読んだことないのに何故か平野啓一郎の『日蝕』を思い出してしまった。ここはわりとフォコンの世界っぽいかな(観光客も多いけど)。

RYUBERON1.JPG - 39,762BYTES セナンク修道院。残念ながらラベンダーはしょぼかった。。。

さて、そんなのんきな南仏での日々(と云っても2日)のあとは、いよいよ、強盗多発で悪名高いスペインです。
まずはフランスから最も近い主要都市バルセロナ。アヴィニヨンから夜行バスが出ているのですが、これが何と19時30分発の到着が朝の2時50分!朝って云うか、完全に夜中なんですが…。
旅行者、分けても日本人旅行者が首締め強盗の被害に遭いまくっているバルセロナに夜中の3時前到着とは…いよいよ死ぬかと思いました(んな大げさな)。大事をとって昼の便にしようかと思ったのですが、それだとまる1日移動で潰れる上、明後日まで便がないということだったので、思い切って夜行にしたのでした。
いやはや、かーなーりビビリました。。。バスターミナルの待合室には入れてくれないし(ドケチ!)、怪しげなアラブ系のおっさんはうろついているし…。か弱い女子に見えないよう(?)、ウインドブレーカーのフードをすっぽりかぶり、率先して自らが怪しい人となり、ものすごい形相で一心不乱に日記を書いていました。誰も寄って来ませんように…と祈りながら。唯一の救いは気温が暖かいことでした。タリンでの寒い寒い早朝に比べればまだしもマシな気がしました。
しかし、そんなにビビっていたわりには、その後列車の駅の椅子で、バックパックを抱えたまま朝の9時くらいまで眠りこけるというありさま…ええ度胸しとるのう
。何もなかったのでよかったですけどね。

でも受難はしばし続くのです。
パリのMさんも以前泊って「なかなかよかったよ」とオススメの日本人経営のペンションに行ったところ、何と「バケーションのため6月20日まで休業します」という張り紙が…ナメてんのか。こっちは30分も必死こいて歩いて来てんのに。宿屋にバケーションはねーんだよう!
事前に電話で確認しとけ、と云われそうですが、バックパッカーがそんな用意周到なことするワケないのです。ふらりと行って「今日空いてますか?」。これが基本なのですから。
仕方ないので、もうひとつあてにしていた…というより、日本人パッカーの間では結構有名らしく、わたしもあくまでネタとして1泊くらいしてみよーかなー、くらいに考えていた「アリラン」という韓国人宿に行くことにしました。

さる情報によるとここは、「今まで客を断ったことがない」というのです。
万一部屋がいっぱいになった時は、屋上にもベッドを作るとか…って、インドじゃあるまいしねえ。
まあしかし、どんな宿であれ、とりあえず今夜の寝床は確保できると思い、メモっておいた電話番号に電話しました。
すると、ウワサ通り、オーナーの李さんがメトロの駅まで出迎えに来てくれました。
「どうも。李さんデス」と自らをさん付けで紹介したあと、歩くこと5分弱で
アリランに到着…おおお、何じゃここは!

アリランは小さな雑居住宅の3階にありました。
決して広いとは云えない2.3部屋に、ベッドではなくマットが敷き詰められています。ホテルというより合宿所、いや難民キャンプ?てな具合です。トイレと風呂が一緒になっているのは仕方ありませんが、一つしかないのでかなり不便。おちおち手も洗いに行けません。もちろんキレイとは云いがたく…(まあ悲嘆に暮れるほど汚くもないけど)。
泊り客は最初に、李さんによる、バルセロナについての簡単な講義を受けます(笑)。まず韓国語バージョン、その後わたし1人のために日本語バージョン。壁に貼り散らかした地図やらポスターやらを棒で指しながら「フラミンゴショーは○×時から」(フラメンコのことらしい)「盗難注意報ありマス。アラブの花売る女気をつけテ」(注意報って…)などと矢継ぎ早に説明する李さん。かなり笑えます。隣にいた韓国人の子も笑っていました。
そして屋上には…ありましたよ、件の青空ベッドが。まさか本当だったとは…面白すぎる。

BARUSERONA89.JPG アリラン名物(?)青空ベッド。

最初は、ネタとは云えうむむむ…と思っていたわたしですが、李さんの何とも可笑しいキャラと、宿のそこここにあふれる、例えば青空ベッドのようなムチャクチャさに不思議に心惹かれ、まる3日間居座ることになりました。

ここは韓国人宿なので当然韓国人比率がむちゃくちゃ高いわけですが、それにしても、韓国人のパッカーって増えましたね。
エッフェル塔に上ったときも、たまたまカメラを頼んだ男の子が韓国人で、パリの韓国人宿で知り合った韓国人パッカー3名とともに遊びに来ていました。聞けばやはり1ヶ月とか2ヶ月の予定でヨーロッパを回っているのだとか。
韓国人同士でつるんでいるあたり、日本人同士でつるんでしまうわれわれ日本人パッカーとそっくり(笑)。
お互い色々な因縁はありつつも、似たようなことをしている日本人と韓国人…何だか可笑しいですねえ(ワールドカップも共催だしね)。

日本人パッカーにも会いました。
1日目は日本人も結構いるなーと思いつつも話し掛けるのも面倒で交流がなかったのですが、次の日の晩、青空ベッドで『歩き方』を読んでいた女の子に声をかけてみました。
Yちゃんという2歳年下の彼女は、日本を出てもう5ヶ月。わたしにとっては初めての女子の長期旅行者なので、興味津々で話を聞きました

イギリスから入ってフランス、スペイン、ポルトガル、モロッコと回って再びスペインへ。この日の夜行でアヴィニヨンに入り(わたしと逆ですね)その後はイタリアへ。曰く「5ヶ月なのに全然回れてないでしょー」。でも、初めての海外でこれだけ回ってきたなんてたくましいなと思う。特にモロッコを1ヵ月半旅行したというのには驚きました。そして荷物がめちゃくちゃ小さい!これもビックリ(他の人もビックリしていた)。わたしも見習わないと…。
彼女もどうやらわたしと同じ、逆ユーラシア横断ルートを取るらしく、トルコあたりでひょっこり再会できたりすることをひそかに楽しみにしています。

もう一人、Sくんというこれまた2歳年下の男の子は現在10ヶ月目。こんな長い旅人たちに会えるなんて、さすがはアリランだ(笑)。今までYHで会った日本人は1ヶ月、長くても3ヶ月くらいだったので、話が微妙に合わなかったりしたのです。特に、お金の使い方とかルートとかに関しては。
Sくんは何と、このバルセロナにて首締め強盗に遭ったというネタ(?)の持ち主。ゴシック地区というちょっと治安のよくない地域を、インターネットカフェの帰りで夜中の2時頃歩いていたらしく(そりゃマズいっす)、見事にやられてしまったそうです。
被害はカメラと約200ユーロr。それでも首から下げていたパスポートと全財産が取られていなかったのは不幸中の幸いと云えるでしょう。
ちなみに首を締めるにも上手下手があるらしく、上手いやつに当たるとあっという間に気を失うそうですが、下手なやつに当たるとしばらくもがき苦しむハメになり、むしろ「もういいから早く落として(気絶させて)くれー」と思うとか。うーむ、奥が深い(?)。

BARUSERONA65.JPG - 22,090BYTES 電球ではなく「電気タマ」ということで(笑)。

つい面白くてアリランのことばかり書いてしまいました。
バルセロナの見どころはアリランではありません(笑)。ガウディです。ガウディ。
ここにはアントニ・ガウディの設計した建物や公園が至るところにあるのです。
超有名なサグラダ・ファミリアはもちろんのこと、モザイクのベンチが美しいグエル公園、直線を徹底的に廃したという住宅カサ・ミラ、壁面に埋め込まれたガラスモザイクが幻想的なカサ・バトリョ、世界遺産にもなっているグエル邸、郊外にあるコロニア・グエル教会…などなど。
わたしはまたしても、特にファンでもないのに軒並み回り尽くしました。カサ・バトリョは入場料が高いので入りませんでしたが、他は全て(でも写真で見る限りではカサ・バトリョが一番私的に好みだった…何てこった)。
でも…うん、やっぱりよかったですよ。何かね。何だか分からないけれど好きだなー、美しいなーと思いました。あの白昼夢みたいな感じ。

BARUSERONA6.JPG - 36,985BYTES 不思議すぎるカサ・ミラの屋上。

そんな多くのガウディ作品の中でも、観光客としては何はさておいてもサグラダ・ファミリア、なのですが…道すがら見えてきた建物を見て一言「え?結構ちっちゃいなー」。
イメージ的にはもっとどっかーん!とでっかい建物かと思っていたため、最初の印象はこんなもんかーという感じでした。
でも間近で見るとやはり迫力があります。塔にも上ることが出来るんですが、てっぺんまで行くと真剣に足がすくみます。
よくこんな高いところにこんなもん作ったなー、と感嘆しました(単純な感想ですまぬ)。
しかし、何よりも感嘆すべきことは、この教会に人生の43年間も捧げたガウディ自身でしょう。
寝食を忘れるほどに没頭し、着る物にも全くかまわなかったため、乞食と見間違われることすらあったそうです。その人生の最後も、サグラダ・ファミリアのことを考えながら歩いていたところを路面電車に跳ねられて死亡したのでした。
完成までにあと200年かかるというこの教会を見ていると、燃え滾るようなガウディの情熱を感じずにはおれません。

BARUSERONA32.JPG - 42,340BYTES まだまだ工事中のサグラダ・ファミリア。"聖家族教会"って名前、何だかいいですね。

さて、そんなバルセロナを後にして、いよいよ恐怖のマドリッドにやって来ました。
マドリッドは何しろ、バルセロナの5割増くらいで恐ろしい場所らしく、Yちゃんに聞いたところでは、マドリッドで1週間滞在していた間に、強盗に遭った日本人に3人会ったという話。ものすごい確率です。そうでなくとも、現在世界で最も危険な地域はケニアのナイロビ、南アフリカのヨハネスブルグ、そしてここマドリッドだというウワサなのです。
とにかくマドリッドでは手ぶらで歩かなければならない、パスポートは絶対に持ち歩かない(例え腹巻式の貴重品入れでも)、というのが鉄則で、どうしても荷物を持ちたければ地元のスーパーの袋に入れるべし、と聞いていたので、わたしもスーパーの袋にカメラとガイドブックを入れて、常に後ろを警戒しながら歩いていました。これは、強盗はすぐには襲ってこない、ある程度尾行してからという原則に基づく行動です。

マドリッドは首都のくせにYHがかなり安い(10ユーロ弱)のですが、これも情報によるとYHの周りで被害が多発しているということで、大事をとってソル駅(街の中心)のすぐ側のオスタルに泊ることにしました。
幸い今のところ、そこまで危ないという雰囲気は感じていません。なるべく人通りの多いところを歩いているのと、あとは暗くなる前にオスタルに帰っているから。あからさまにヤバそうな人というのもまだ見ていません。わたしは公園のベンチで荷物を抱いたまま昼寝をするという大胆不敵な行動を取ってしまいましたが、特に何事もありませんでした。
しかしこれも、単に運がいいのでしょう。遭うときは何をしていても遭うそうですから…。

そんな危険な場所にわざわざやって来たというのに、マドリッド自体はあんまり面白くない。
面白いのはそれこそ強盗くらいでしょうか(おいおい)。
ルーブル、エルミタージュと並ぶ世界的な美術館であるプラドと、ピカソの「ゲルニカ」があるソフィア王妃芸術センター以外は…あとは王宮くらい?
プラドは確かにすごいけれど、先にルーブルを見てしまってはどうしても一段落ちるように思えてしまいます。ルーベンスのコレクションとかすごいですけどね。あと、ゴヤ、ベラスケス、エル・グレコといったスペインの画家の作品などは豊富。悪く云えばコレクションが偏っているので、わたしのような素人にはルーブルの方が楽しめるかな、と。

マドリッドよりは近郊の町の方が面白いかも知れません。
バスで1時間のところにあるトレドは、町自体が世界遺産になっているほどの美観地域。わたしは昔、銀色夏生の『外国風景』という本でこの町のことを知り、ずっと行ってみたいと思っていた場所のひとつでした。画家エル・グレコの愛した町としても有名です。
道が迷路のように入り組んでいて歩くのが大変でしたが、半ば迷子になりながら歩くのもまた楽し、という町です。一歩細い道に入れば、観光客の作り出す喧騒もウソのように聞こえなくなり、ああ、今わたしは見知らぬ町を歩いているんだなあ、という旅情にどっぷり浸ることができました。
ただ、めちゃくちゃ暑かったですけどね。坂も多いし。疲れました。もう寝ます。

TOLEDO14.JPG - 31,862BYTES トレドの町並。

(2002年6月20日 マドリッド)

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