旅先風信178「深セン・香港」


先風信 vol.178

 


 

**旅の終わり(下)**

 

再び香港に上陸したのは、今度こそ進退を決めるためであり、カトマンズでわたしの誕生日をお祝いしてくれた香港人の2人組に会えたら会おうという目的やら、100万ドルの夜景などを含め本格的に観光したいという気持ちやら何やら、いろいろごたまぜではあるけれど、とにかく。
二度目の香港に来ました。深センには戻らぬ覚悟で……と云いたいところですが、荷物はまたもアパートに残してきました。すみません。。。
しかし今回は、チケット探しも観光も本腰を入れるため、香港で1〜2泊することに。
宿は、ラッキーゲストハウスという、日本人経営の宿に泊まりました。香港では数少ないドミトリーのある安宿です。どうせドミなら重慶大厦の「トラベラーズ・ホステル」にでも記念宿泊すべきところですが、『るるぶ香港』とか読みたかったのさ(笑)。

前回行けなかった香港島をメインに、『恋する惑星』にも出て来た世界一長いエスカレーター(ロケ地めぐりをするほどの情熱はないけど『恋する惑星』は可愛い映画で好き。もう1回観てもいいと思える数少ない映画のひとつ)や、廟街のナイトマーケットや、ヒスイ市、天后廟、旺角の金魚街、女人街……などなど、いちおう観光名所っぽいところをめぐり、スターフェリーや2階建てバスといった、香港ならではの乗り物もひと通り押さえつつ、ひたすら歩き回りました。
はっきり云って、「どうしてもこれが見たい!」というものは少ないけれど、なんというか、ここはもう街を歩くことがすなわち観光という感じで、狭い敷地内に満ち溢れる文明と物質の嵐にまみれる、深い森のような高層ビル群の間や葉脈のように広がる街の細部を、どこまでもどこまでも分け入って歩く、それが香港の楽しみ方なのであろうと、勝手に思います。
ここは紛れもなく“都市”だなあと思うわけです。例えば東京や大阪は、高層ビルの裾野に住宅地というものがあるけれど、香港は多分、住宅すらも高層ビル群の範疇にあって、ある意味では東京や大阪よりも典型的に“都市”らしいのではないかと。でも、ドバイのようにすべてが新しいわけではなく、そこには確実に根付いている何かがあり、それが醸し出す深みもある。こんな都会の森で、小さなフラットを借りて1年くらい住むのも悪くなさそうだ……なんて夢想すると、ちょっと甘酸っぱい気持ちになりますね。
ただ、食に関しては値段の割りに……個人的には、深センの方が安くて美味しいという印象です。まあ、安食堂のいちばん安い飯しか、しかも1日一食しか食べていないので(昼間は「鶏蛋仔」という10H$の卵の焼き菓子などでガマン……何だかんだでやっぱり物価が高い!)、判断は難しいところですが……。あ、あと名物らしい牛乳プリンは美味しかったです。

世界一長いエスカレーターからの眺め。こういうビルの谷間の風景、他ではなかなか、ありそうでないような気がします。

ちなみに、香港人2人組とは予定が合わず(入れ違いで中国旅行に行ってた)、会えませんでした。残念。
そして……航空券を買いました。
2845H$。エアインディア。8月27日。香港発大阪着便。片道航空券。
金を払い込んだら、手元には本当にはした金しか残りませんでした。もうどこにも行けない金額です(笑)。つまり、どうあがいてもこれで確実に終わりってこと。
重い荷物を下ろしたような安堵感と、何か大きなものが失われたような虚脱感が交錯して、旅行会社を出た後は、しばし呆然と立ちつくしてしまいました。

その日の晩、ゲストハウスにいた旅行者たちに便乗して、ヴィクトリア・ピークに上りました。
九龍から見たきらびやかでエレクトリックな夜景も充分に素晴らしかったとは云え、やっぱりここからの夜景は格別です。というか、厳密には“香港の100万ドルの夜景”とはこの景色のことなので、これで正式に旅の終わりを迎えたことになりそうです。
欲を云えばもう少し晴れているとよかったんですけどね。うっすらガスが出ていたので、夜景がぼんやりと霞んでいて、写真もうまく撮れませんでした。出来れば最後、お金を払ってプロの記念写真を頼みたいくらいですが、それは金銭的に許されません(涙)。
でも、わたしは、今ここにいる誰よりも、この夜景を深く味わっていると思う。いや、実際は、誰にとっても美しく特別な景色に違いないんだけど、いいじゃん。最後だし。そんな傲慢な感傷に浸ってもさ。
誰も知らないし、知らなくていい。でも、この夜景、今だけはわたしのもんだよ。ホントは違うけど、そういうことにしといてください。

わたしにとってもまさに100万ドルの景色。

そしてまた、深センへと帰ってきました(どんだけ行ったり来たりするねん)。
たった3日ぶりの深センなのに、それまでにも増して我が家のように感じられるアパート、香港と比べるとどうしても見劣りするけれど懐かしい深センの街が、やけに甘く胸を締めつけます。
また、昼間からあてもなく、東門のあたりをうろついたり、CDショップを冷やかしたりしていると、本当に帰るんだろうか?まだまだ自分はこの街に居座り続けるんじゃなかろうか?という気がしてきます。
中国元が少し余っていたので、髪を切りました。香港で切ったら高くつきそうですが、深センでは30元。技術もなかなかハイレベルで、これなら、日本に帰ってもしばらくは美容室に行かずに済みそうです。

それでも、少しずつ荷造りしながら部屋の掃除をしていると、いよいよ終わりなんだという実感がわき上がってきます。
この部屋には長く慣れ親しんでしまったから、散らかった物どもを片付けてしまうと、すっかり他人の部屋のようになりました。
真ん中が凹んだベッドで眠るのもあと2日。6年ぶりに会えたMさんとも、張さんとも、生徒さんたちともさよならか……。
別れが寂しいのはいつだってそうだけど、今回は旅そのものとも決別するわけです。

旅が終わる。それって、どういうことなんだろう。
昨日も、1ヶ月前も、1年前も、その前も……ずっと旅人だった。何者でもなかったけれど、唯一“旅人”ではあった。
旅人としての自分は、もうすぐ死を迎える。では、旅人でなくなった自分とは、いよいよ何者なんだろう?
……って、別に、何も変わらないか。相変わらず何者でもないのか(苦笑)。少なくとも傍目には。旅が終わっても、ホントに死なない限り、人生は続くのだし。
3年5ヶ月の旅。単純に見れば、これはもう長いに決まってる。でも、実感としては決して長かったとも云えないのが不思議だ。日本を発った日が昨日のこと……のようにはさすがに思わないけれど、旅の時間は、何と云うのか……直線的な長さでは測れないような気がする。
全部夢だったのかも? なんて乱暴に片付けたくなるほど、月日の長さ・重みが分からない。あと少しで終わりなのかと思うと、すべてが幻のような気もしてくる。夢の終わりの方で、「ああ、これ夢やなあ…もうすぐ目が覚めそうやなあ…」と自覚する、でも今はまだ夢の世界にいるのだと自分を必死でつなぎとめるあの苦しさに、似ている。

こうして終わってみれば、何だかんだで、楽しかった。自由で気楽で贅沢な日々だった。
何も生産することなく、誰にも縛られることなく、何の意味も理屈も求められない。もっとも無駄で、だからこそもっとも純粋とも云えそうな、そんな行為を、よく3年半近くも続けてこられたもんだ。
そして今はまだそこにいる。旅の中に。何てありがたいことだろう。
でも、終わりの時間は、具体的な数字として、すぐそこに近付いている……ああ、変な気分。闇雲に膨れ上がる感傷に押し潰されそう。
きっと、帰ったら、色んな雑音によって、この切なさもかき消されてしまうのだろうけど……。

香港でも本格ロリータのお店を発見!映画『下妻物語』のポスターが貼ってありました。

深センを発つ日も、やはり雨でした。
雨に煙る深セン駅まで、Mさんが見送りに来てくれて、駅のそばのお店で広東料理をご馳走になりました。
昼も夜も教室で教えているMさんとは、なかなかゆっくりと話す時間がありませんでした。それに彼は、自分自身のことを多くは語りません。大半は、深センや今の中国、学校の話―たまに昔の旅の思い出話を語ってくれることもありましたが―、本当はもっと、Mさんの人生のことを、突っ込んで聞いてみたかった。
でもあるとき、Mさんがふと「あちこち行って、いろんなことをやってきたけれど、人生でやってないことが2つある。それは結婚と成功です」と洩らしたことがありました。
わたしはそれを聞いて、放浪とはそういうことなのだと、痛切に納得せざるをえませんでした。
これまでそれなりに多くの旅人に会ってきたつもりでしたが、やっぱり彼ほど、放浪という言葉が似合う旅人はいないように思います。わたしも、思い返せば「放浪」に憧れを抱き、「放浪乙女」などというHPをやっているけれど、所詮はただの気楽なツーリストです。

それにしても、何とまあ、お世話になりすぎたことでしょうか(苦笑)。
行方の分からなかったMさんに、6年ぶりに会えるというだけで充分だったのに、こんなに長く居座らせてもらって……旅の最後を、心安らかに過ごせたのは、ひとえにMさんのおかげでした。
「ありがとうございました」
この旅で、もう何度云ったか知れないお礼の言葉。きっとそれ以上のことが云えないだろうと分かっていたので、昨夜からしたためておいた手紙を渡しました。
もともと小柄な人だけれど、グレーのシャツを無造作に着たMさんが小さく小さく遠ざかっていくのを見ると、もう深センには戻らないのだという思いが、胸をぎゅうっと締め付けました。
さよなら深セン。さよならMさん。さよなら……。
ついさっきまで自分の体に馴染んでいた土地が、自分から切り離されるこの感覚すらも、味えるのは最後かも知れない。今度こそ、このイミグレを越えたら、向かう先はもう、日本しかないのです。

さよなら、深セン。これは深セン=羅湖駅。

すっかり乗りなれたKCRに乗って佐敦駅で降ります。
上海街のラッキーゲストハウスに再びチェックインすると、前回いたゲイの男の子Mくんがいました(この旅で、初めてゲイの子に会ったので、ちょっとテンションが上がってしまいました(笑))。
お世辞にもキレイとは云えない宿だけど、最後の宿がドミトリーというのも、旅人らしくていいのかも知れません。というか、もう金がないのでここしか泊まれん(苦笑)。

Mくんたちと時間が合えば夕食に行こうと話していたのですが、ひと足違いになってしまい、1人、宿のそばの安食堂で食べました。チャーシューの乗ったご飯。これが最後の晩餐です。
結局、旅の最後の日も、1人で当てもなくぶらぶらしていました。何となくトラムに揺られ、スターフェリーから摩天楼のライトアップを眺め、ネイザンロードを何往復もして、時々は商店をひやかして、HMVで香港歌手のCDを視聴しまくって……。そんなふうに過ごしていると、旅の最初の頃に戻ったような気が、少しだけしてきます。
なまじ金が残っていなかったので、あくせく買い物に励むこともなく、夜の11時半くらいまでひたすら繁華街をうろついていました(ヤンキーかお前は)。
今はまだ。聞こえてくるのは中国語。終わっていく旅を、最後の一滴まですすり尽くすような気持ちで、ただ歩く。

つつましい最後の晩餐。味は普通(笑)。

宿に戻ると、Mくんとライダーのおじさんと、あと2人、今日来たばかりの旅行者が共同スペースでおしゃべりしていました。
Mくんが、わたしが3年半旅していて、それが今日で終わることをあらかじめ話していたらしく、ピーナッツやらひまわりの種、チーズなどをそれぞれが持ち寄ってくれて、にわかにつつましい宴となりました。
とは云え、最後だからと特にしんみりすることもなく、旅先で何度となくあった旅人同士のとりとめない語らいが、明け方近くまで続きました。このような安宿で、旅人たちに囲まれていると、明日の今頃にはもう日本にいるなんて、何かの冗談のように思えてきます。でも、夜とともに旅は刻々と終わりゆき、朝になれば、すべてが夢だったことに気づくのでしょうか……。
彼らはそのまま徹夜して見送ってくれそうな勢いでしたが、管理人のおじさんが騒音に過敏らしいのでそれはなくなり、結局、皆が寝静まっている中を、夜逃げのようにこっそりと出ることになりました。
薄明かりの中、まだ寝静まった上海街から、エアポートバスに乗り込みます。空が白んでくるとともに、車窓の光景はいつしか看板の洪水とと古いビル群から近未来的な高層ビル群へと変わり、バスは高速道路を静かに、しかしハイスピードで空港へと進んで行きました。

……しかし。
こんな朝も早よから空港に到着したというのに、なんとフライトが11:30ですって!
チケットにはdeparture 8:00と書いてありますが!?何ですか、つまりそれは「遅延」ということですかね??それをあなた様は平然と、4時間も遅れることに対して何の説明もなしに云い放たれるのですか??
11:30だったら、何もあんな夜逃げみたいに宿を後にする必要もなかったのに……くうう(歯軋り)。

ま、幸いにして、香港国際空港は真新しく(ちょっと関空に似てるかも)、いたるところに座り心地のよさそうな椅子があり、免税店も充実しているので、何とかヒマは潰せそうです。
昨晩からの懸案事項だった「中途半端に余った40H$をどうするか」も、実家に飛行機遅延の電話をかけ、バーガーキングでポテトのみの朝食を食べ、雑誌と飲み物を買ったらキレイさっぱりなくなりました。
しかし、朝食を食べ終わってもまだ8:00……。本来なら飛び立っている時間なのに……。これは、旅を終えたくないわたしへ、神様がくれたしばしの猶予なんだろうか。
……うん、きっとそうだな。どうせ終わりは来るのだし、今はこの快適な空港ライフを楽しみつつ、旅の余韻に浸ることにしよう。

香港国際空港には、無料でネットが使えるという素晴らしい特典があるので(しかも日本語も読める!SAMSONG万歳!)、暇つぶしにログインしてみました。
お帰りなさいという温かなメッセージ、わたしも帰りますという旅人からの報告、その中に、ミャンマーとバンコクで会ったイーデンからのメールもありました。
何とイーデンも、同じ8/27に英国に帰国するらしい。ということは今、彼も同じような気持ちで、旅の最後を迎えている時だろうか。
英語は、やっぱりこの期に及んでも苦手なままだけれど、不思議なことに彼のメッセージは、日本語よりもシンプルに、するりと心に入ってきました。
The freedom, the open road, I love it so much, but now it is time to go home.
Today, as I looked at the great wall of China for the first time,
and I realised why I travel... Can not explain in words but it was a nice feeling.

そして、メールの最後には、
PS.Naitemo iiyo.
と書いてありました。普段なら、かなり恥ずかしいようなむず痒いセリフ(笑)ですが、わたしはこの言葉で本当に、ちょっとだけ泣かせてもらったのでした。嗚呼、情けないほどセンチメンタル。

日本に、自分の家に帰って、わたしは何を思うんだろう。
失望?脱力?寂寥?……ああ、ネガティブな言葉しか出てこない(苦笑)。ちっとは、家族や祖国への恋しさとか懐かしさを覚えろよ!って感じですが、狭い狭い箱の中に帰っていくような、どうにも後ろ向きな気分の方が先行してしまいます。
大体、こんなにも長く離れていたはずなのに、ありありと思い出せる地元N市の風景、自分の部屋のディテール。それは、今まで訪れたどの街、どの場所よりも強烈に、一瞬で思い出せてしまうほどの凄まじい力です。この分だと、死ぬときに脳裏を過ぎるのも、サハラ砂漠やエベレストやサナアじゃなくて、
N市の駅前なんじゃなかろうか……(苦笑)。
もう少し前は、働くことや、日本で生活を築いていくことに対してもっと前向きだったのに、今は微塵もそんな気持ちになれない。それは単に、終わりの感傷のせいなんでしょうか。よく分かりませんが……。

でも、長い歩道をゲートに向かって歩きながら、ふと思いました。
「そうだ、わたしはこれからまた、旅に出るんだ」
移動距離は激しく減少するけれども(涙)、この道はきっと、新しい旅へと続く道なのでしょう。
わたしは今も、永遠の途上にいるのです。

(終わり)

 
本文とカンケーないけど、香港の寺にあった、死者とともに埋葬する紙製の家や車。あの世までもモノを持っていくところに、香港人の清々しいまでの文明礼賛(?)がうかがえる。しかも結構なお屋敷だし、飛行機とか持って行くんかい!(笑)

(2005年8月27日 香港)
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