旅先風信177「香港」


先風信 vol.177

 


 

**旅の終わり(上)**

 

深センは雨続きな上、宿代も食費もかからないとあって、ついダラダラと居ついてしまい、中国のビザ、延長しようかな……なんてまた、よからぬ考えが頭をちらついたりしていました。
しかし、まずは香港の地を踏まねば始まるまいと思い直し、やっと重い腰を上げることに。深センに着いて8日目の昼(昼から出かけるあたりがまたやる気のない感じ)、雨のそぼ降る中、アパートを出ました。
と云いつつ、荷物は深センに置いたままでの日帰り香港です。日本行きの安いチケットを探すという仕事もあり、まずは様子見といった気持ちでした。

地王大厦から市バスで深セン駅へ向かい、香港と深センを結ぶ電車・KCRに乗ります。
……と書くと何ということもないのですが、この「深セン駅」は、KCRの始発駅「羅湖駅」とつながっていて(大阪駅と梅田駅みたいな感じか)、さらに羅湖駅の中には香港⇔深センのイミグレがあります。そこで出国手続きをしてからようやく電車に乗るのです。
次に”出国”するのは帰国のときだと思っていたのが、こんなところでイミグレ手続きがあるなんて、ちょっと心が浮き立ちます(若干めんどくさいけど)。
羅湖から香港の九龍地区(尖沙東駅)へは大体40分くらい。中国で一、二を争う都市間をつなぐKCRは香港の文明を象徴するかのようなサイバーな車両で、日本の地下鉄が古臭く思えるほどです。
車窓からは、ちょっと近未来的とも云えるベッドタウンの風景が続き(新界というあたり)、正直、深センも香港も大して変わらないだろうと思っていたのが間違いであることに気づきました。

その思いは、九龍のメインストリート・ネイザンロードに降り立ったとき、よりはっきりと認識しました。
なんとギラギラして、ハイパーな、密度の濃い街だろう……。
全体的に茫洋とした雰囲気の深センとは全然違う。遠慮もへったくれもないほどデカいネオン看板。雨が降っていても暗さを感じさせない色彩の鮮やかさ。ひっきりなしに行き交う人と交通。空白を許さないかのような建物のジャングル。
中でも「これが香港なんだ!」と思ったのは、頭上をみっしりと覆いつくす看板群でした。まるで、看板自身が細胞分裂して無限に増えているような錯覚さえ起こさせます。ここまでサイケデリックな街の風景が、かつて他にあったでしょうか……。思い出せるのはインドくらいですが、また全然別種のものですよね。

気が狂ったような看板の嵐(笑)。

まずはネイザンロードにそびえるバックパッカーの聖地(?)、重慶大厦(チョンキン・マンション)を見物することにしました。
住居、安宿、両替商、電話屋、飲食店、雑貨店……などがひしめき合う巨大複合ビルは、『深夜特急』の最初の舞台にもなった場所。
かつての九龍城砦を彷彿とさせる、と云われる建物(外観)からしてすでにド迫力、ビルというより何かの巣のようなのですが、中も期待に違わず、いや期待以上の怪しさです。
何が怪しいってまず、香港なのに中国人がほとんどいません(笑)。いるのは9割、インド人およびアフリカ人。何ここ、ホントに香港なの?!
とある店頭に貼られた紙を見ると、「ガーナ セネガル ナイジェリア」といった西アフリカ諸国への国際電話価格がマジックで書かれていました。香港は西アフリカからの出稼ぎが多いのでしょうか。探検がてらエレベーターに乗って居合わせた黒人の兄ちゃんは、「fromガーナだ」と云っていました。
この異様な猥雑さは、多国籍な人々が集まっていることに因るものか。魔窟と云うほどの怖さは感じませんが(どっちかと云うと中野ブロードウェイ的?)、カオスであることは確かです。
各階に上がるエレベーターの造りも至極フクザツで、一見しただけでは、この建物の構造がさっぱり分かりません。建築法とか完全に無視していそうです。試しに乗ったエレベーターの行き着いた先は、ドアも何もない狭い通路のような空間でした。何号棟の何階、という表示も一切出ていません。万一ここで今、火災が起きたら確実に死ぬだろーなー……。
それにしても、たった1軒のこのビルだけでこの雰囲気ですから、往年の九龍城砦はどれほど凄まじかったことでしょうか。廃墟好き・いかがわしいもの好きとしては、つくづく惜しまれてなりません。

重慶大厦のほんの一部。全貌が入らん。。。

雨が止まないので、歩くのはしぜん屋根のあるショッピングモール系になるのですが、いやー香港、モノのレベルが高い!値段も高いけど!
どこかスカスカとした印象の深センのショッピングエリアに比べ、香港の店の充実度といったらもう、大人と子どもの違い。日本に勝るとも劣らない、むしろ勝ってんじゃねーかと思う部分もあるくらいです。ハイブランドが軒並み揃っているのは分かるとしても、NICE CLAUPやAS KNOW ASなんていう日本のカジュアルブランドまでがお店を出しているのには驚きました。
ウインドウに惜しげもなくディスプレーされているかわいいTシャツやアクセサリーを見ると、深センでは奇跡的に抑えられていた物欲が、古傷のようにじくじくと疼きます(笑)。
日本のOLたちが2泊3日のグルメ&ショッピングツアーに来る理由が分かるわ。だって、服とかコスメとか、女子の大好きなものがあふれているもんね。モノは日本並みのレベルで、値段はおそらく日本よりちょっと安そうだから、そりゃ買いまくるよね。で、買い物&グルメ三昧してペニンシュラとか泊まっちゃうんだよね(涙)。
モノの可愛さに比例して、道行く若者たちのお洒落度も高いよーな気がします。本屋には日本のファッション誌がずらりと並んでいることもあり、基本的には日本に近いお洒落なのですけど、例えばブレスレットの重ねづけなんかに、あ、うまい!さすが香港!と思わせるような心憎さがあるのです。
深センでは、これまで通りのラフな恰好で歩いても特に違和感は覚えませんでしたが(失礼?)、ここにいると“着飾りたい”という願望なのか義務感なのかが、むくむくと湧いてきますね。所詮は、資本主義の申し子です……。

それにしても、電車でたった1時間弱離れているだけで、深センとのこの差は一体……。
一見まるで双子のような大都市なのに、深センは、香港という出来のいいお兄ちゃんを目標に頑張ったんだけどあと一歩及ばない弟……そんな印象を受けます。まあ、都市としての年輪を重ねていない分、深センにはまだ成熟した個性がなくて当然なのでしょうが。
長年にわたるイギリス統治の影響は大きいですよね。欧米の影響を洗練と捉えるのは偏った視点だとしても、このミクスチャー感こそが、漢族の力で計画的に発展した深センには出せない街の”色気”を醸し出していると思います。例えば、旺角と書いてモンコック、佐敦と書いてジョーダンと英語風なのに、九龍と書けばカオルンという広東の響きになる、そういう奇妙さもまた、独特の味を出しているような。

しかし、何も買えないのではショッピングセンター歩きの楽しさも半減です。
やや飽き始めたのと、やっと雨が上がったので星光大道(アベニュー・オブ・スターズ)へと歩き出した頃には、すでに夕闇が下りていました。
星光大道は、ジャッキー・チェンやトニー・レオンなど香港映画界のスターの名前と手形が刻まれた歩道で、観光客やカップル、若いグループが思い思いに散歩し、写真を撮っています。
この道から対岸の香港島を臨むと、無数のイルミネーションをまとった摩天楼が燦然とそびえています。摩天楼は、圧倒的にパノラミックでありながらも、雨に濡れているせいか妙に艶かしく、どこか刹那的でもありました。
その光景を目にした瞬間、わたしは静かな気持ちで「ああ、ここで終わろう」と思いました。
それは、何とも不思議な感情でした。

九龍から臨む香港島の摩天楼。

トルコからずっと、西へ西へとアジアを横断してきたから、いずれ中国のどこかから日本へ帰ることになるだろうと予想はしていました。
それが上海なのか、北京なのか、或いは台湾なのか……そのどれでもよかったと云えばよかった。
「香港の100万ドルの夜景で旅のラストを飾ろう」と考え始めたのは、どの辺りでだったか……。もう思い出せないけれど、その考えは、胸の片隅に静かに根を下ろして、いつからか小さな決意に変わっていました。

でも、ここに来るまでわたしは、金がないという厳然たる現実はさておいて、ひょっとしたら、まだ旅は続いていくんじゃないか……という妙な過信を抱いていました。
具体的に云うと、この瞬間まで、未練がましくも上海まで行って、そこから鑑真号で帰ろうかと悩んでいたのです。上海には当てがないこともないので、そこで2〜3日お世話になる手もある……(どこまでも図々しい)。香港から大阪までの飛行機代を考えたら、同じくらいで行けそうな気もするし。
或いは、台湾→沖縄航路なんていう存在するのかどうかも分からない冒険的ルートも魅力的だな、そんで沖縄にいる昔の友人(旅に出る前日に会った友人)を訪ねるのも悪くない……なんて。
またMさんが、上海まで行くのに資金が足りないなら貸しましょうかと云ってくれたことも、そんな選択に拍車をかけたのです。もう、とことん甘えようか……という気持ちも捨て切れませんでした。
しかし、上海までは長距離列車でまる1日、さらにそこから日本へは鑑真号で2泊3日の船旅……というルートは、旅のラストにしてはあまりに歯切れが悪くはないか。台湾にしてもそうだ。しかも未練がましく、“日本の海外”みたいな沖縄に立ち寄ろうかなんて(笑)、ずるずると旅の残り汁を吸い続けるのはいかがなものか。Mさんに頼ってまで、わたしが旅を続ける価値があるのか?
父ちゃんにも再三、「お盆までに帰ってこい」とせっつかれ、「でもお盆はチケットが高くて、空席もないから」と苦しい言い訳をして今も中国にいるけれど、いつまでも引き延ばせるわけではないのだ……。

「ここで終わろう」
誰に云うともなく、わたしは繰り返し一人ごちました。
この風景は、旅の終わりにふさわしいではないか。これ以上の光景を追い求めるのはもうやめよう。それに、『深夜特急』のスタートであるこの場所で旅を終わるというのは、悪くない選択だ。
そう思えただけでも、今日、ここに来た意味があったと、星光大道の街灯を数えるようにして歩きながら、静かに噛みしめました。

星光大道。

……そのように、きっぱりと区切りをつけて(つけたつもりで)帰国を決めたまではよかったのですが、現実問題として、日本行のチケットが予想外に高いことが判明し、その決意は早くも心もとなくなるのでした。
香港→大阪なんて大した距離でもなし、300ドルもあれば釣りがくるだろうと踏んでいたのが、何と、最低でも3000元かかるのです。た、高い……。7〜8店の旅行会社を周りましたが、それが最安値でしかも翌週の土曜日便しかありません。
せっかくここで旅を終える決意を固めたのもつかの間、
やっぱり上海→鑑真号の方が安いのでは……と、捨てたはずのプランがゾンビのように蘇ってきて、ついでに鑑真号と蘇州号の日程も調べてしまった……。ちなみに鑑真号は8/27、9/3、蘇州号は8/23、8/30に上海を出る便があります。お値段18000円。上海まで行くだけなら、こっちの方が安く済みそうな気がします。
流れ的にはこのまま日本行きのチケットを買うのが美しい終わり方のはずです。しかし、どうにも決心がつかず、結局手ぶらで深センに帰ることになってしまいました。もしかしたら、深センからの飛行機が安いということもあるかも知れないから、明日、航空会社を周ってみよう……。

しつこくもやつく帰国への思いを抱えながら、終電に近い電車で深センに戻りました。
さっきまで居た香港は夢のようだったけれど、深夜の深センは死んだように静かでした。しかしその静けさは、わたしに不思議な安堵をもたらすのでした。
アパートに戻ると真っ暗で、同居人の張さんはすでに眠っているようでした。
人の気配、「帰宅する」という行為に何か温かいものを覚えつつも、そう遠くないうちにここから去ることを想像すると、云いようのない哀しみが急に襲ってきて、その夜はしばらく眠れませんでした。

(2005年8月19日 深セン)
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