旅先風信176「中国」


先風信 vol.176

 


 

**深センの休日**

 

こんにちは。これを書いているのは、中国・深センのアパートの一室です。
ただいま午後2時。飲茶をたらふく食べて帰って来たところで、とても眠いです。そして、胃がはちきれそうに重いです。
昼寝しようか、パソコンをやろうかと10分ほど迷った結果、こうしてパソコンに電源を入れてこれを打っています。
隣の部屋は、日本語教室の授業の真っ最中です。先生が「Uターン」の意味について教えています。

……と、久々にリアルタイム口調で始めてみました(この始まりパターン、過去に何回かやったけど)。
たまにはいいですね。って、もうすぐ最終回なんですけども。

ついに、旅の最終地・香港まで来ました。
いや、正確にはまだ来ていませんが、ここ深センは、香港から電車で1時間のところにある街。香港はもう目と鼻の先というわけです。
何故わたしが香港を目の前にしながら、ここ深センに留まっているのかというと、これには深い深い(?)理由があります。

今をさること2ヶ月前、わたしはカンボジアで、ある人との衝撃的な再会を果たしました(※この話はすでにブログとHPに書いているので、そちらを読まれた方は飛ばして下さい。)。
それは、6年前の卒業旅行(場所は中国雲南省)で会った、Yさんという男性でした。その後、一度も連絡を取り合ったこともなく、記憶に残っているだけのその人と、何という運命のめぐり合わせか、偶然にも同じバスに乗り合わせたのです。
この卒業旅行は、今のわたしの旅につながる原点と云ってもよいものでした。このときわたしは初めて、長期旅行者という人びとを目の当たりにし、彼らが、本の中だけではなく実際に存在するのだということを知ったのです。
その中で、もっとも印象に残った旅人が、Mさんという40代後半の男性でした。
筋金入りの放浪者。ひとことで表すならそんな感じでしょうか。今のこの長い旅路ですら、彼以上に旅人、いや放浪者という名がふさわしい人に会ったことはありません。
五ヶ国語を自在に話す、恐ろしく頭の切れる人でした。何故こんな人が安宿のドミトリーにいるのだろう?と、まだ若くものを知らなかった(今も知らんが)わたしは、不思議で仕方ありませんでした。
そのMさんが今、中国の深センで日本語教室の先生をしているという話をYさんから聞いたとき、まるで探していたカギがピタリと合うような感覚に震えました。
折りしも、旅の最後の地を香港に定めようとしていたときでした。深センは、香港のすぐ隣。その最後の場所にもっとも近い街に、まさかあのMさんが居ようとは。これを単なる偶然と片付けてよいのであろうか……いや、よくない。これはもう、神様がわたしのために用意してくれたゴールなのだ。

わたしは、YさんにMさんのメールアドレスを訊き、すぐさまメールを送りました。
とは云っても、偶然の符合に浮かれているのはわたしだけで、Mさんはわたしのことなど忘れているかも知れない。突然訪ねて来られても困るだけかも知れない。
どぎまぎしつつ返事を待っていましたが、心配は杞憂に終わりました。「思い出は思い出として……(中略)それでもよかったら、いつでも訪ねて来てください。」メールにはそう書かれてありました。

深セン一の高層ビル・地王ビルのロビーで待ち合わせたMさんは、6年前とほとんど変わっていませんでした。
無造作に切った髪型、細い銀縁の眼鏡、地味な色のYシャツ……外見もそうですが、陽気で、ひょうひょうとしていて、でもどっぷりと放浪者の陰影を背負っているような、あの独特の雰囲気。まさか会えるなんて思いもしなかった。そのMさんが、わたしを迎えに来てくれている。
それは、久しぶりでありながら、何故か親戚の家にでも迎えられるような、絶対的な安堵の気持ちを起こさせました。

日本語教室は、深センの中心地にあるアパートの1階でひっそりと営まれており、Mさんいわく「闇学校」です。
授業があるのは、平日は午後と夜、土日は朝から夜まで。休みはありません。それをMさんが1人で切り盛りしているのです。何とまあ、昆明で会ったときとは別人のような働きぶり(笑)。
生徒さんは、全部で40人くらい。働きながら夜だけ来ている社会人や、ここ専門で来ている日本語検定の受験生などさまざまです。公式の(?)学校では成績が伸びなくてここに来る人も多いそうで、何だかブラックジャックの寺子屋のよう(笑)。

わたしは今、その日本語教室の一室で寝泊りさせてもらっているのです。
ここに来てから宿代はおろか、食費さえもかかっておらず、毎日つけている小遣い帳にほとんど記入することがないというありさまです。ああ何と、申し訳ないにも程がある生活を送っているのでしょうか。本当にすみません。生きててスミマセン。
しかも、Mさんや日本語学校の生徒さんたちに「野ぎくさんは痩せすぎ!せっかく中国に来たんだから、美味しいものをいっぱい食べて太らないと」と云われ、毎食たらふく食べさせてもらっているのです(涙)。
ただでさえ中国の食事の量は多いため、すっかり縮んでしまった胃袋を励ましながら、時に吐きそうになりながら(苦笑)炒飯やらワンタンやら餃子やらを詰め込んでいます。旅ももう終わりというのに、おかげさまで家畜の豚なみによく育っています。
今日も今日とて、ルームメイトの張さん(※アパートは3室あり、教室、張さんの部屋、わたしの部屋+キッチンという間取り)が、わざわざ元カレを呼び出し広東料理のお店に連れて行ってくれました。当然のようにオゴリで……。
こんなに歓待されていいのだろうか。どんだけわたしは賓客なのでしょうか。何だか罪悪感すら覚えてしまいます。
だって、どっからどう見てもただのプータローでしかない、みんなが働いたり学んだりしている昼間っから、海やらショッピングセンターにぷらぷら出かけているナゾの日本人ですよ。中国語もロクに話せないし、何か特技があるわけでもないし。
そりゃ生徒さんたちは、自主的に日本語を学んでいるくらいだから、日本人に対して好意的なのだろうとは思うけれど、それにしても優しすぎです。ドバイで華僑のフラットにいたときもそうでしたが、中国人のもてなしぶりは、時に過剰とすら思えるほどの、濃い親切の洪水なのです。
つい先だって、重慶のサッカーの試合を機に反日運動が燃え広がったばかりで、深センでも反日デモが行われていたことを鑑みると、余計にこの歓迎ぶりが身に沁みます。
だから、「日本の政府は悪いですね」なんて片言の日本語で云われると、絶句してしまう。わたしのような一般庶民のレベルではこんなに仲良くできるのに、国同士の仲が悪いのは何だかやりきれない。国の思惑なんかカンケーなく、人同士で仲良くできたらいいのにな……。

わたしに与えられた部屋。快適なシングル。

深センに来て4日目の夜、Mさんが、わたしのためにささやかなパーティを開いてくれました。
深センに来る前、メールでやり取りしていた時から、Mさんはそう云ってくれていたのです。そして、「その時は、生徒たちの前でこれまでの旅の話をして下さい」と云われていました。
人前で話すのが苦手なことに加え、日本語が分かるとは云え外国人生徒たちの前で、いったい何を話したものだろうかと、頭を悩ませました。

そもそもわたしは……わたしの旅とは何だったのか。
例えば「旅に出てよかったこと」とか「旅に出て何が変わったか」といった問いに対して、わたしは即答できません。というか、もしかすると何の答えもないのかも知れません。
旅の終わりをいよいよ迎えて、わたしの心は不気味なほど静かで抑揚がありません。
わたしはこの旅で、何かを得られたのだろうか?ただひたすら金と感動を消費していただけか?
……いや、そもそも、何かを得るための旅じゃないだろう。むしろ旅は、得るか得ないかという二極的世界とは一線を画しているものではないのか。どうしようもなく空っぽな自分を埋めたかったことは確かだけど、形に見えるものとしての何かを残すために旅に出たわけではあるまいに。

ああ、そうだ。深センに着いた翌日、近所の食堂でご飯を食べながらMさんが云ってたっけ……。
「旅をする理由をずっと考えていたんだけどね。面白い人に会えるからとか、いろいろな経験ができるからとか、俺もずっと、人に聞かれたらそんな風な理由を答えていたんだけども、5年くらい前にふっと思ったんだよね。『そこに山があるからだ』という言葉があるでしょう。あれを云った人はすごいなって。まさにあれなんだ。『そこに町があるから』行ってしまう。それだけなんだよ。だってそれが(自分の)人生なんだから。面白い経験ができるからとか、そんな理由を云っているうちは、きっと本物じゃないんだってね」
旅をする明確な理由や、旅をすることで得られる何か。いつもどこかで、そういうものへの負い目を拭うことができなかった。
かと云って、楽しいから、とか、旅はただの旅でしかない、といった、理由を放棄するような答えにも納得がいかなかった。
Mさんの言葉は、それが正解ではないとしても、わたしの今の心にはいちばんしっくり来るように思えました。

当日のお昼に近所の巨大スーパーへ、Mさん、張さん、周さんたちとワイワイ買い出しに行き(しかし中国の物量の多さには圧倒されるなあ)、大量のお菓子や飲料を教室に持ち込んで、手づくり感あふれるパーティが開かれました。
集まった生徒さんたちは20人近くいたでしょうか。皆、好奇心いっぱいの純な目でわたしを見ていたので、かなり緊張しました。授業もないのにわざわざ来てくれている生徒さんもいて、いや、わたしっては何者でもないんですよ、てへっ……と若干いたたまれない気分に(苦笑)。
世界地図を指しながら、これまでの道のりを簡単に説明していきます。
2002年3月14日に日本を出て、ドイツの友達の家からスタートして西欧を周り、北アフリカ、東欧、中近東、アフリカ……。旅先では1泊1〜5ドルの宿に泊まって、移動は基本的にローカルバスで、言葉は英語ベースだけど中南米ではスペイン語が必須で、どこでもあいさつだけは現地語を覚えて……そんな話を挟みつつ、淡々とルートを追っていきました。それだけでは大した広がりもない話になったでしょうが、、Mさんがちょいちょいアシストを入れてくれるので、何とかスピーチらしくはなったかな……?
最後にさしかかって、「カンボジア……ベトナム……そして今、この深センに来ました」と話すと、みんなが
「深センへようこそ!」と云ってくれたのが震えるほどうれしかったです。初めて来た土地で、まるで故郷にでも帰って来たかのように歓迎してもらって……わたしは幸せな旅人だな。こんな、プータローで正体不明の日本人には、もったいなすぎる言葉だよ。
旅の最後の地で、異国の人たちに母国の言葉で自分のたどってきた道のりを話す。何だか出来すぎた結末ですが、この日のことは、一生忘れないでしょう。旅のゴールを、こんなふうに迎えられたことに、Mさんと、生徒さんたちに本当に感謝!



……しかし、この日以降も、わたしはずるずると、香港行きを延ばしていました。
Mさんが「居たいだけいてくれればいいですよ」と云ってくれるので、つい厚意に甘えて居ついているのです。
加えて深センは毎日雨。わたしの旅を終りを悲しんで、空が泣いてくれているのであろうか……と詩人的に考えてみたけれど、単に雨女としての潜在能力が発揮されているだけだろーな(苦笑)。で、わざわざこの雨の中、旅の最後の地を踏みに行くこともあるまいと、自らブレーキをかけているのでした。
さらに言い訳をするなら、ちょっと悪質な風邪を引いたみたいなんですよ。寝込むほどじゃないけれど、咳がひどくて……。う、やっぱりベトナムで
作者菌(極悪)に感染したのでは!?
と疑ってみても、今さら誰を責めることもできません。まあさすがに肺炎じゃないとは思うけどね……。
それでも、部屋でずっと引きこもっているわけにもいかないので、ふらふらと街に出ては他愛もなく歩いたり、バスに乗って一人でビーチに遊びに行ったりしていました(この期に及んでもやはりビーチでは1人きりのわたし)。
Mさんや生徒さんが真面目に授業をしている中、昼過ぎになってどこへともなくのこのこ出かけていくのは、若干後ろめたいというかバツが悪いんですけどね……昼間っから遊んでいるヒモみたいで……。

さて、深センは恐ろしく大都市で、全体的にひなびた感じのベトナムから来た身には、軽く動悸とめまいがするほどです。
高層ビルがこれでもかというくらい建ち並んでおり、セブンイレブンやマクドナルドやスターバックスといった大型チェーン店はひととおり揃っており、あっちを向いても文明、こっちを向いても文明の嵐。いったいどこが社会主義やねん!とツッコミたくなるほど発展しまくっているのです。
それもそのはずで、深センは、ケ小平が市場経済推進のモデル地区として開発を進め、現在、上海に次いで発展の目覚しい都市なのだそう。
いやーなんというか、中国の力ワザをひしひしと感じるいかつい都市ですね。無機質で無骨なコンクリートジャングル、何となく現実感のない繁華街の風景、やけに新しいショッピングモール。東門という深セン一のショッピングエリアなどは、若者が多くごちゃごちゃと店が立ち並んでいて活気がありますが、そこを離れるとまた、茫漠としたビル群が広がっていて、どうも人や生活が根を張っている臭いがしません。

高層ビルがばんばん立ち並ぶ。

最初こそ、浮かれて文明のシャワーを浴びまくり、意味もなく近所の立派すぎるショッピングモール「万象城」に入り浸っていましたが、数日で飽きてしまいました。
楽しみは買い物くらいか……と云っても、金はないし、特に欲しいものも見つかりません。パッと見は、日本で売られているものとそう変わらないのですが、よくよく目をこらして見ると、そこはかとなくセンスが古い感じが……。ゆえに、ケープタウンやバンコクで感じたようなエクスタシーはないのです(笑)。唯一、東門で「淑女屋」というロリータ&カントリーなお店を発見したときはテンションが上がりましたが(でも高くて何も買えないっ)。
ジャスコやドラッグストアがあるこの街にいると、旅の途上にいる感じがしません。こういう物質にあふれた社会には、もうすぐ帰るわけで。日本に帰ればきっと、物質に閉じ込められた生活、箱庭のような世界で毎日をコピペするような生活に戻るのだろうなあと思うと、気が滅入りさえしてきます。
それでもやはり、ここは日本ではないわけで。浮いた生活費でつい買ってしまったジェイ・チョウのアルバムを聞いていると、かろうじて、蜘蛛の糸のようにわたしと異国、わたしと旅はまだつながっているのだという気持になります。旅路でもない、日本でもない、不思議な場所―それはまるでシェルターのような―にぷかぷかと浮かんでいるような、或いは、もうすぐ落下するジェットコースターの頂上にいるような……。
ちなみにジェイくんですが、カシュガルに居た頃、お菓子のイメージキャラクターになっている彼を初めて見たときは「こんな地味な子が芸能人なの?」と思ったものでしたが、ちょうど今、日本の暴走族マンガ『頭文字D』がジェイ君主演の映画になって絶賛公開中なので、ポスターがやたら目につくなーと思っているうちに、気になる存在になってた(笑)。
もっとアイドルアイドルした歌謡曲かと思っていたら、これが予想外にカッコよくて、部屋にいるときいつも流しているのです。ちょっと哀愁のあるメロディと意味が分からない中国語の歌詞が、今の気分にとてもよく合うみたいです。

まーそれにしても、ダラダラしております。帰国後に予想される
引きこもり生活の予行演習でもしているかのようです。
旅の最後の日がこんなに呆けていていいのか?いいのだらうか?とも思うけれど、じゃあそもそも、"旅の正しい最後”とはいかなるものなのか。
先日のパーティは旅の総決算のイベントとしてはこの上なく適切だったけれど、それ以後のこの日々は?改めて旅の日々を走馬灯のように思い出すわけでもなく、さりとて帰国後の生活の準備、計画といったものは完全に頭から抜け落ちている。
「盆までに帰って来い」などと親が急かさなければ、何日でもここに居座らせてもらうか、或いは残りの金を振り絞って上海まで行ってしまおうか、と見苦しいあがきすら考えてしまいます……。
とりあえずは、香港の地を踏んでから、ですね。考えてみれば、それすらまだ果たしてねー(苦笑)。飛行機のチケット代いかんでは、まだ100%心を決められないし……。

なんつーか、そのままズバリな名前のロリータショップ。でも純粋にロリってわけでもなく、カントリーが3割くらい入った感じ。

(2005年8月17日 深セン)
ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system