旅先風信175「ベトナム」


先風信 vol.175

 


 

**最後の国境線**


気がつけばベトナムにも1カ月近くいる計算になります。
どうもベトナムの観光地は小ぶりで見ごたえがビミョー……とか失礼な感想を抱いているわりには、ずるずると別れられない恋人のように居ついていますね(笑)。
残りあと少しだと思うと、もはや金も使い果たしてしまうのみですが、いよいよ底をつきかけているので、ゴールに向かって急がねばなりません。

北のハノイまで来るともう、中国は目前です。
ベトナム最後の観光として、ハノイからサパという北部辺境の村に出かけました。
この辺りは、モン族、ザオ族など少数民族花盛りの地域ということで、わたしの民族衣装追っかけ魂が久々に騒いだのです。
サパは、美しい棚田の広がる山岳地帯の小さな村で、トレッキングエリアとしても人気があります。そのまばゆいばかりの緑は、これぞアジアの色!この旅はもうすぐ終わるけれど、こうして、サパ(カットカット)の美しい山の風景に出会えて、残り少ない日々の中で、旅はまた素晴らしいものを贈ってくれたのだと思うと、今は足ることを知って、旅をここまで続けられたことに平身低頭、感謝したいような想いです。

美しきカットカット村の田畑風景。

さて、サパは 観光地としての年季がかなり入った感じで、それは色々とラクでいいのですが、村そのものが観光地、すなわち、外国人(同国人もだけど)の見世物になっている様子を見ると、何となく後ろめたい気持ちもいくばくかあったりして……。観光大好きなオマエが云うなよ、って感じだけど。
普段は毎日、野良仕事をしているであろうモン族のばあさんが、片言の英語でおみやげを売りに来る。わたしはベトナム語が分からないので、とりあえず英語でやり取りするのだけど、田舎のばあさんに英語を話させている自分が、ひどい横暴者のように思えてくる。もちろん、ばあさんにとってこれは商売なので、生きるために必要だから英語を覚えているに過ぎないのであり、心を痛めることではない、のかも知れませんが、観光客としてはいちおう、常に一定の後ろめたさは感じておいたほうがいいんだろうかと思ったりして。旅も終盤になって今さらですか、こんな感想。

とか云いつつ、さらなる素晴らしい衣装を求めて、サパからさらに3時間もかかるパクハという村まで出かけるわたし。つくづく罪深い観光客なのです(苦笑)。
パクハには、花モン族という民族が暮らしています。「モン」に「花」が付いているだけあって、彼らの衣装はまさに、花のようにカラフル、強烈にラブリー。全身これ極楽鳥。あーこういう衣装を見ると、めちゃくちゃテンション上がるっ!!!
そんな花盛りの衣装に身を包んで、ぼろい食堂でフォーをすすっているその姿は、神々しさすら感じます。食べるよりも、住まうよりも、装うことへの気合いの高さ。衣食住のうち、どれかを真っ先に切り捨てるとしたら、衣だという人は多いだろうし、生きていくために最も必要性の薄いものだと思います。
なのに、このような辺境に住む人たちが、何故こんなにも装いにこだわるのか? それも、個人ではなく集団として。

どーだ!と云わんばかりの、花モン族のド迫力の装い。

しかし、このところ実は、今さらですがベトナム人にイラつくことが多くなっており……自分に対してもベトナムに対しても残念でなりません。
愛想がないのはまあしょうがないっすよ。わたしだって愛想については何ら誇れるところのない人間です。しかし、ベトナム人の愛想のなさはもはや犯罪級、世界で最も愛想がないと思われる中国人もビックリの愛想レベルの低さ。限りなく人民に近いベトナム人。これらは社会主義の影響なのでしょうか……。
例えばこんな感じです。
郵便局で、1キロの小包の値段を聞いたあと、「じゃ、5キロではおいくら?」と尋ねると、見るも明らかに顔をしかめ「何でアタシがそんなこと答えなきゃいけないのよ?」とでも云いかねない勢いでしぶしぶ料金表を見る局員。
果物屋で、桃の値段を聞いたらどうも高いので、桃はあきらめ、ドラゴンフルーツの値段を聞いてみますと、最初っからニコリともしなかったけれどもさらに険しい表情になり
「チッ」と舌打ちまでオマケしてくれやがったおばさん。あのー、商店で品物の値段をあれこれ聞くことが何か問題でも???
またあるときは、パクハ行きのツーリストバスで1時間近く待たされ(ツーリストバスなのに?しかもこっちは10ドルも払ってるんですが)たあげく、やっと来たバスに乗り込もうと思ったら、だいぶエラソーな口調で「お前は後から来るバスに乗れ」……って、何でやねーーーーーん!!!
……これって、わたしが短気なだけではないのよ。一緒に待っていた欧米人夫婦の方が先にキレてたもんね。
ハノイの食堂で値段を聞いて、ちょっと考え込んでいたら、しっしっと手で追い払われたこともあったっけね!

まーこんな感じのことが、北部に来てから頻出しているのです。人が悪いという評判のサイゴンでは全くイヤな目に遭わなかったし、ベトナム人に対してそんなに悪い印象は持っていなかったのですが……。
あ、またひとつ思い出した。サパからハノイに戻る夜行列車で隣り合わせた、若いベトナム人女子2人組。
彼女たちは、行きしなのラオカイ→サパ行きのミニバスで、超〜横柄に乗り込んで来て、「何やのこいつら」と思ったのでしたが、その後も、小さなサパの町で何度かすれ違い、こんな田舎で何かっこつけとんねんというくらいの傲岸不遜な様子で練り歩いており、まったくいけすかねえ女だぜと勝手に鼻白んでいたのです。まさかここでも鉢合わせるとは……。
出来ればあまり関わりたくないのですが、もともとわたしのチケットである「01」の席に、先に座っておられます。わたしがあからさまに不審を表しつつチケットを確認していると、「あなたの席はどこなの?」とたいそう上から口調で尋ねてきたので、わたしは黙ってチケットを見せました。するとこの女は、
「わたしたち友達なのよ。友達同士で座りたいのよ」としゃあしゃあとのたまうではありませんか。
「・・・・・・じゃあ、あなたの本当の席はどこなんですか?」と、こめかみを震わせながら問うと、通路を挟んで反対側の「03」だと云います。そりゃ、「01」と「03」に大した差はなかろうが、勝手に人の席に座っておいて、何で貴様が権利を主張しとんねん!しかも人(わたし)に席を移らせるんかい!
怒り心頭に発しましたが、ここで怒鳴ってもその後に得られるメリットが何もないことを察し、のみならずどうせこの女のことだから、周りのベトナム人を味方に巻き込んで
「何あの不細工な日本人女?わめき散らしてバッカじゃないの。キャハハ!」とか血も涙もなく云い放ちそうなので、国辱を受けないためにも踏みとどまりました……。しかし、怒鳴らなかった本当の理由は、彼女たちがかなり美人の部類に入る女子なので、怖かったからです。ブスの立場は世界中どこでも弱い……。

でも、ハノイの飯は美味い。それだけは間違いない。

サパから再びハノイに戻り、地元に帰ってきたノリで、某宿にいるはずの作者さんにご飯でもたかろうと思って訪ねると……、あれ、倒れてるじゃないですか。
サパに行く前にハノイでご飯を食べたときは元気そうだったのに、少女に何が起こったのでしょうか(古いわっ)。
聞けば、ここ数日、咳と熱と全身のだるさという症状に襲われ寝込んでいるのだそう。ハノイは大気汚染が甚だしいので、本人はただの風邪と見くびっていたようですが、様子を見て症状を聞くに、どうもこれは肺炎なのではないかとわたしは思い当たりました。何しろわたしは、この春にミャンマーで肺炎デビューを果たしている肺炎先生。あのときと症状がそっくりなのです。

見るに見かねて、「保険があるなら病院に行った方がいいですよ」と、作者さんを病院に連れて行きました。
そう、海外旅行保険の保護下に置かれている彼は、SOSインターナショナルクリニックという、わたしがミャンマーで門前払いを喰らった高級外人用病院で正々堂々、診てもらうことができるのです。
サパに行く前、何度か一緒にご飯を食べていたので、SOSのドクターに「あなたも感染しているかも知れないから、薬を飲んで予防に努めた方がいいわよ」と云われ、あ、じゃあせっかくですからと薬を処方していただこうと思ったら、何と150ドルだそうで!
もちろん、即お断りしました。そんな大金、あるわけねー(涙)。ああ、保険のない暮らしってつらい。
受付の人も当然のように、保険証書を出してくださいと云うのですが、だーかーらー、
世の中みんながみんな、医療を受けられるってわけじゃないのですよ。あ、でも、ベトナムに入国するとき健康保険料払わされたけど、あれって使えるのかな♪(※使えません)。
う、うつってたらどうしよう……。でも、肺炎に続けて2回もなることなんかないよね?ね?

入院したとは云え、病人を捨て置いてハノイを去るのも何となくためらわれ、退院までの数日、ハノイに滞在することにしました。
別に、わたしに何かできるわけじゃないけれど、旅先で、旅人同士ってだけで、それは一種の共同体のようなものだと思うのです。わたしがヤンゴンで病院に担ぎ込まれたときも、名前も知らない同じ宿の男の人が付き添ってくれて、後日見舞いにも来てくれて、涙が出るほどうれしかったもの。異国の地で弱っているときに、誰か自分のことを気にかけてくれているというだけで、心が少し安定したもの。まして作者さんとは、昨日今日会ったわけでなく、カンボジアから幾度となく顔を合わせているのだし。
……でも、本当のところは、そんなのは大義名分であって、わたしは単に、最後の国境を越えることが寂しくて、ギリギリまでここで粘っていただけなのかも。ハノイを出たらもう、ゴールに向かうしかないから、それを先延ばしにしたかっただけなのかもな。
SOSでは、病人にそんなもん与えていいのかよ!?とツッコみたくなるような豪華な食事が出るので、どうせですから
その時間を狙いすまして見舞いに行ってやりました。後半は、見舞いというより食事のために行っていたようなフシもありますが、まあ深くは追求しないでください。何せ独房みたいな暗い病室なので、話し相手くらいいた方がうれしいでしょ?ねえ、作者さん?ねえ?(脅迫)

何となくここまで、出会ったり離れたりが続いていた作者さんとも、ハノイで完全にお別れです。
退院したら彼は中国へ。わたしも次の地は中国ですが、ルートも国境も別。しかし、何より違うのは、彼の目的はそもそも中国で、最後に血の滴るステーキが残っているようなものだということです。
いいなあ。これからまだ、大きな旅を残している人は、いいなあ……。
わたしにはもう、中国大陸を旅するような力(主に財力)はない。あとは終わりを決めるための旅路。や、もうほぼ決まっているんだけど、それでも、悪あがきして頑張れば上海まで行けなくもないか…?なんて思ったりする。もし、時間とお金が許すなら、北京からロシアに入るなんてこともできただろうか?それでシベリア鉄道なんか乗った日にゃ、また(スタートの)ヨーロッパに逆戻りだけどな(笑)。
……ああ、なんて往生際の悪い夢想だろう。そんなに旅を続けてどうするんだよ? 正直よく分からない。もう、さすがに息切れ(ってか金切れ)してるし、現実的に考えたら戻る以外の選択肢はないのであって。
なのに、まだ旅に憧れる。ほとんど病気だと思う。

それに、作者さんのことは、なんかちょっと、同士みたいに思ってたからさ。
エチオピア人たちにキレているわたしに「向こうにだって悪意はあると思う」と云ったのは彼だけだったから。たまたま発したひと言かも知れないけど、それが、(わたしにとっての)作者さんという旅人を象徴しているような気がするのです。
いつも明るく楽しいわけでもなく、フレンドリーに現地に溶け込むわけでもなく、沈没してぬるいコミュニティをつくるわけでもなく、ドラッグだのパーティーだのハメを外すわけでもなく、派手な武勇伝があるわけでもなく、精神世界への扉を開いたわけでもなく……決して誰かの役に立つわけでもなく。
それでも、彼はああやって旅をおもしろ文章に昇華できているし、わたしよりもバカバカしい出来事に遭遇している率は高いから、旅人としては上なのかな?や、旅人にそんな上下をつけるのもナンセンスだけど(笑)。それに、彼ほどわたしは神経質だったり、病弱だったり、潔癖症だったり、グラビアアイドル好きではないので、同士と考えるのはやっぱ違うか…。
わたしの旅はむしろ、ロクでもない迷惑のかけ通しで、胸を張れるどころか後ろめたい感じが常につきまとっていたような気がする。誰かに胸を張って語れるようなエピソードもない。涙を誘うイイ話もほとんどないし、すべらない話もない。まあでも、それも旅か。とにかく、ここまでやって来たことは事実で、別に、誰に誇る必要もないのか。

ハノイの街角。扉がかわいい♪ おばちゃんも風景になじみ過ぎ♪

作者さんの退院を見届けてすぐ、わたしはついにハノイを出発しました。
一路目指すはドンダン国境。いよいよ、ベトナムを出て、最後の地・香港を目指す旅路のスタートです。
『銀河鉄道の夜』みたいな、古びて人のまばらな列車に揺られること6時間、ドンダン駅を降りると辺りはすでに闇に包まれていました。駅前通りにすら街灯はなく、バイタクや駅員に「ここはドンダンじゃないぞ」と云われ、
私「でもこの駅はドンダン駅ですよね?」
駅「ドンダンはここから4キロ先だ」
私「またまたー。ウソばっかり☆」
などという応酬を30分も繰り拡げ、一時は「駅で寝る!」と豪語して、たかってくるバイタクを追い払っていたが、結局なすすべもなく(アホだ)、バイタクに「ザマミロ」という顔をされながらも頼ってドンダン(の町)へ。
やっとのことで宿にありついたら、宿の兄ちゃんが「ここで一緒に寝ていいか?(ニヤニヤ)」
……いいわけねーだろ!!!
夕飯を食べなければと思いながら、身体が動かず、ベッドに突っ伏していたら朝になっていました。そして軽く下痢。。。襲ってくるいかんともし難い喪失感。

朝食にフォーを食べおさめて、ドンダン国境へ。これが陸路で越える最後のボーダーです。
そう思うと感慨深くちょっと切ない気持ちになりますが、それに浸っていたのもほんの数分のこと、やがていつものように巨岩のような荷物に押しつぶされはじめ、感傷などという甘っちろい感情が一気に霧散するくらいの滝汗をかき、こよりのようによれよれと歩くことに……(いつものパターン)。て云うかなあ、荷物が尋常じゃなく重いんだよ!!!いくつかあったサブバッグを、巨大なビニールバッグ(よく中国で売ってるチェックのあれ)にひとまとめにしたのは果たして意味があったんだろうか……なんか、よけい悪化している気がする。指がマジでちぎれそう。連続で10歩を歩くのが限界。
ああ、何て果てしない道のりなんだろう……しかし、「旅行人」には徒歩5分と書いてあります(爆)。つまり、普通の旅行者にとっては何でもない道のりなのに、わたしは一人勝手に汗だく、つゆだくとなって、歩いているのです。あまりに汗が噴き出すので、自分はもしかして、汗というひとつの生物なのではないか?と、どーでもいいことを考えながら、ひたすら足を、機械的に前に出し続けます。
やっとのことで国境をまたぎ、中国に入国。そこから憑祥までのタクシーのおっさんが、やたらと膝の上に手を置いてくるという軽いセクハラをかましてきて、げんなり。途中、銀行に寄ってもらったら、10元を上乗せされ、さらにげんなり。
しかしまあ、ついに中国まで来た。チベットぶり、約1年ぶりに。

2週間の無料ビザしか持っていない中国で、行き先はもう決まっています。
憑祥からバスで5時間、まずは南寧へ。そこから夜行バスに乗って、香港の隣町、深センへと向かうのです。
南寧は、いかにも中国の地方都市といった風情の街です。中途半端な発展具合が妙に懐かしく、バスが出るまでの間、その辺の食堂に入って排骨面を食べました。おおよそ海外の旅行者が立ち寄る用事もなさそうなこの場所にいると、旅のエアポケットにでも入ったような、時間が止まるような感覚を覚えます。
このまま、名もなき旅人として、いつまでも途上にいたい。こうやって、途中下車した町の食堂でご飯を食べたり、バスの出発までの時間をとりとめなく過ごしたりするのも、これが最後か……。

これまた懐かしの極狭寝台バスに乗り込めば、この便は車両が新しいのか思いのほか快適で、わたしは昼夜を忘れてひたすら寝まくりました。
そして、車窓風景はいつしか、バンコク以来、ついぞ見たこともないような大都会に突入していました。

懐かしい寝台バス。

(2005年8月11日 深セン) 
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