旅先風信173「ベトナム」


先風信 vol.173

 


 

**愛人(仮)**

 

こんにちは。ニューヨークのBOOK-OFFの1ドルコーナーで購入し、ここまでまったく用をなさなかった『ベトナムで見つけた―かわいい・おいしい・安い!』という本が、ようやく日の目を見るときが来ました。祝。

てことで、カンボジアから国境を越え、ベトナムに入っております。
あーついにあと2カ国。って、書いても正直なところあんまり実感はなく、相も変わらず町を歩き、観光する日々には違いなく、なんか、もしかしたらこの旅は終わらないんじゃないか?と、ふと妄想を抱いたりして(笑)。
プノンペンからホーチミンシティまでは直行バスで、国境もラオスボーダーと違って近代的でしっかりした施設でした。国境を越えるたびに何かが起こる(起こす?)わたしですが、今回はあっけない国境越え。なんか寂しい……(笑。ウソだぴょん)。
ただ、「ベトナム健康保険料」なるものを払わされたのが、少々引っかかりますけどね……何だそれ!? そんな名目の金、旅行中、初めて徴収されたぞ? ベトナムで倒れたらこの保険で面倒見てくれるのかい?(保険切れてるから、それなら助かるわ〜)まあ、水1本分くらいの値段だし、直行バスに置いて行かれたらとても困るので大人しく払いましたが……なんかしっくりこない(苦笑)。

ホーチミンシティに入ると、建物がどれもこれもペンシルビルのように細く、何故かパステルカラーで、全体的にラブホ街のようです。
映画『愛人(ラマン)』や『青いパパイヤの香り』のせいでしょうか、はたまた民族衣装アオザイのセクシーさゆえでしょうか、ベトナムには、タイやミャンマーなどとも違う、独特の優美さ―喩えるならば柳のような―を備えているイメージがありました。旧名のサイゴンという響きがまた、そのような美しいイメージを掻き立てるのですが……意外とそうでもないみたい(笑)。
優雅かどうかを判断する前に、とにかくバイクの数が尋常じゃない!!!バンコクもプノンペンも交通量は多かったけれど、ちょっとこれは、普通の多さじゃないです。場所によっては、バイクの洪水で道路が氾濫していると云っても過言ではなく、信号が青に変わってバイクが一斉に走り出す瞬間など、長篠の戦いが始まるかのような勢い。渡る方も、いちおう信号があるとは云え、けっこう命の危険を感じます。これ、空から見たらどんな光景なんだろう……。とにかく、これだけバイクが幅を利かせている国も珍しい。

ま、イメージはともかく、ホーチミンシティには(というかベトナムには)「ごはんがうまい」「雑貨が可愛い」というお楽しみがあるのさ。
冒頭に書いた本をはじめ、日本ではどうやら、ベトナムは女性人気の高い国らしく、「フィガロ」みたいなちょっと高飛車な女性誌でまるまる1冊ベトナム特集が組まれていたりするくらいなのです(大概ヨーロッパしか取り上げないのに)。
結局、女子が旅でやりたいことって、「うまいものを食べる」「ショッピングをする」「癒される」に尽きるような気がする。そういう意味では、ベトナムは条件が揃っているのかも。しかも物価が安いとくればなおのこと。

まず、前者の「ごはん」については、期待以上の素晴らしさです。
極私的「世界の美味しい料理ランキング」では、中華料理がダントツの1位だったのですが、ベトナム料理は、中華を超えないまでも限りなく近いレベルの美味しさではないかと。中華ほどクドクドしくなく、和食よりはエスニックで、タイ料理などよりはマイルドで……何て云うかもう、絶妙なバランスの美味しさなのです。
「フォー」や「生春巻き」といった、日本のベトナム料理店で出てきそうな有名ベトナム料理もさることながら、その他、名前もよく分からんようなフツーの定食が、屋台のつまみ的なものが、いちいち美味しいのです。日本で大好物だった生春巻きが、今いち霞んでしまうくらい(ちなみに、本場の生春巻きは、知っている味とはビミョーに違うような)。
アジアのお楽しみ、屋台もばっちり、あちこちにあります。何せ暑いので、屋外での食事は開放感たっぷりで格別です。粗末なプラスチック椅子に座って、「333(バーバーバー)」というベトナムビールを片手に、美味いつまみに舌鼓を打つ……ほんとはビール党じゃないけど、このシチュエーションだけでもう、至福のひととき。
ちなみに、つまみの中で特筆すべきは、孵化する直前のアヒルの卵を茹でたビットロン。中国同様、食への貪欲さがひしひしと伝わってくる食べ物で、見た目も残酷(殻を割ると黄色っぽい頭らしきものが見える)、食感も残酷(妙にパリパリしている。多分足だ)ながら、かなり美味しい。塩こしょうしてライムを垂らすんですよ(鬼畜)。
日本ではあまり馴染みがなかったのですが、ベトナム甘味、これがまた美味しい。代表的スイーツ「チェー」は、フルーツやタピオカ、白玉、小豆などをグラスに盛り込んだ、おしることあんみつを足して2で割ったようなもの。これが、店によって味もバリエーションも違うので、毎回楽しめるのです。
いったい、この文章にどれだけ「美味しい」と盛り込むのか!?と、表現力のなさに呆れますが、料理レポーターじゃないので気の利いた形容詞なんかなくても許してください。美味いもんは美味い!ってことで。

見るに忍びない食べ物だが・・・・・・美味い(笑)。

こちらはベトナムの定番スイーツ・チェー。はまります。

後者の「雑貨が可愛い」に関しては、衝撃的とまでは行かないものの、他の東南アジアの国に比べて、フォークロアながら全体的に洗練されているように見えます。まー「フィガロ」的な洗練となると、あれはおとぎ話だけどな。
なんて云うんだろ、“フランスにおけるシノワズリ(中国趣味)”で――たぶんこれが中国本土になると、コテコテすぎる(笑)――ベースは中国テイストなんだけど、そこにフランスのエッセンスをトッピングしたような感じ。食べ物もそうだけど、なんかこう、上手い具合のミクスチャー感ってのが魅力なのかも。
バッチャン焼きなど食器関係もいいけれど、いちばん心惹かれたのは木の下駄ですね。日本のそれよりもカラフルで、美しいハンドペイントが施されており、鼻緒にビーズなんかあしらわれているのもラブリー。これでもう少しヒールが高ければ何足でも欲しいところです。

さて、ここホーチミンには、バンコクのカオサン、カトマンズのタメル、コルカタのサダルストリート……などの兄弟分とも云うべき旅人ストリートがあります。
「シンカフェ」「キムカフェ」という二大旅行代理店を中心に広がるフォングーラオ通り。安宿も食事もネットも……とりあえずここに行っておけば何とかなります。
しかもその「シンカフェ」「キムカフェ」が発行しているバスチケットを買うと、たったの18ドルでベトナムを縦断できてしまうのです。しかも、主要都市をストップオーバーしながら(しかも、町の中心地に停車してくれる!)。しかも、「え〜でもそういうチケットって高いから、ローカルバスを乗り継いで……」というのがこれまでのよくある流れでしたが、18ドルでストップオーバーできるなら、出すよ! だって、これさえあれば、ほとんどの交通費を払わなくていいんですから!
な、なんて快適でストレスレスな旅なんだ……。先の移動のことを一切心配しなくていいなんて。
こんなシステマチックな楽旅には、真面目でプライドの高いバックパッカー(意味不明)として多少なりとも抵抗を覚えるものの、「安くて便利」には勝てません。安さと便利さは神様です。

バスチケットに対して、割高に感じるのが宿です(ちなみに、ネットは激安)。
特に、フォングーラオ通りの宿はけっこう高く、さらに後々分かってくるのは、どうやら、シングルという概念がないみたいで、1部屋換算なんですよ。つまり、1人旅の人間は不利になるってこと。シングルの相場で泊まりたければ、宿のランクを下げるしかないわけです。
最初の宿は、フォングーラオ通りに面していて、1部屋6ドル。プノンペンからのバスで一緒になった女性とシェアしたので3ドルになったけれど、彼女が先にホーチミンを出てしまい、1人で6ドルは払い続けられないので、路地裏に3ドルの安宿を見つけて移りました。そこは、民家の2階の1部屋をまるまる旅行者(わたし)に貸し出し、下の階で家族が狭々と暮らしているという、何とも不思議な宿です。近藤紘一の『サイゴンのいちばん長い日』に出てくる女主人(後に彼の奥さんになる)の下宿はこんな感じでしょうか。
この辺りは中華系の人が多いのか、中国風の小さな祭壇が家の玄関に配されていたり、漢字の書かれた赤い札のようなものが壁に貼ってあったりして、それらがうっすらと隠微な雰囲気を醸し出しています。『愛人(ラマン)』みたいでちょっと気分が盛り上がります(ラマンの舞台は確かチョロン地区でしたか。華僑が多く住む町ですね)。ま、愛人は来ないんだけどさ〜(涙)。

愛人は来ませんが、作者さんがときどきご飯を誘いにやってきます。
そう、カンボジアで遭遇した謎の天才(ウソ)に、ここホーチミンであっさり追いついたのです(なんかありがたみがねーな……(笑))。
生意気にも彼は、“旅先で会ったスウェーデン人の友人”(輝かしい響き)の家にホームステイしているわけですが、日本語が話したくなるのか、フォングーラオ通りでいろいろやることがあるのか、ご飯を食べにこっちの方に来るので、まーそれなら、となんとなく誘い合わせて行くことになったり。
細かな趣味はまるで相容れませんが(ゲームくらいか)、
「根暗」「モテない」「友達が少ない」という、人格の根幹に関わる共通項を持つわれわれは、なんか妙にウマが合うのです。なんだろう、この不思議な感じ。鏡を見ているような感じ?(苦笑)こういうのを、ドッペルゲンガー現象とか云うんだろうか。なんて、それは大げさだけど。
しかし腹立たしいのは、こんな弱々しくて根暗でグラビアアイドルの画像が恋人のくせに、書く文章が面白すぎるんだよなぁ。許しがたいほどに。昔、ダウンタウンの松っちゃんが「暗いやつほど面白いことを考えられる」というようなことを書いていたけれど、彼はまさにそれだろうな。なんていうの、根暗をきちんと、何かを生み出すエネルギーに昇華できているんだよ。
翻って、自分のことを思うと、暗いけど大して面白くないという、しょーもない感じが浮き彫りにされて、凹む。タダの根暗。ムダに根暗。根暗は根暗。これは、女子という性別のハードルゆえである、なんて言い訳したくなるけど、そういうことでもないような。

閑話休題。
ベトナム旅行におけるシンカフェ、キムカフェの威力は絶大で、とにかく、自力で何かをしようという気持ちを全く殺いでくれるほど、あれこれ親切な観光ツアーが用意されています。見事なまでのお膳立て。うーん、こんなにラクでいいのか……とまた、バックパッカー的良心(って云うのかこれ?)が痛むのですが、でもねえ。バスもそうだけど、自力で行くのがバカバカしくなるような、絶妙の値段設定なんだよー。これだったらツアーでいいよ、って気持ちになるよ。特に帰国の近づく昨今、財政状況も逼迫しているし……。
そんなお膳立てツアーのうち、人気と云うか王道なのが「メコンデルタツアー」「カオダイ教&クチトンネルツアー」で、観光といふ病に冒されているわたしは、何だかんだ云いつつ、どちらもしっかり参加しましたとさ。
水上マーケットの雰囲気を味わえればと参加したメコンデルタツアーでは、巨大ヘビを首に巻いてわーわーと騒いだり、果樹園でフルーツを食べたり、素朴な線香工場を見学したり、素朴さをウリにした子供たちの合唱を生温かい目で見守ったり、何故か最後は小さな動物園がオプションで付いていたりと、まー何というか実にツアーらしいツアーでした。皮肉のように聞こえるかも知れませんが、決してそんなことはありませんわよ。
ちなみにこのツアーでは、3年3か月の旅路をともにした相棒の靴を失う(ゴミとして捨てられる)という悲しくもバカバカしい憂き目に遭いました。詳しくは「むだ話」をどうぞ……。

ヘビを巻くわたくし。ヘビは意外と従順。

クチトンネルは、極狭トンネルくぐりあり、射撃コーナーあり(ブツは本物)と、不謹慎を承知で云うと、ちょっとしたアミューズメント・パーク調。ベトナム軍の、アナログにしてはよくできた仕掛けの展示など、戦争の悲惨さよりも、ベトナム軍がいかに頑張ったかを伝える場所という感じです。
戦争の痕が観光地になる……なんともフクザツな感情を抱いてしまいますが、基本的に何かを生み出すことのない戦争が、少しでもプラス要素を持っているなら、それはいいことだと考えるべきでしょうか。
カンボジアも、ラオスもタイもそうだけど、東南アジアの国には、必ず戦争遺跡があって、なんかこの、東南アジアのゆるくて豊穣な空気に、それはまったく似つかわしくなくて戸惑います。だけど、わたしが歩いている道の下には、確実に多くの人が死んでいるんだよね……しかも、そう遠くない昔に。

「♪戦争を知らずに僕らは生まれた〜」という歌は、誰の歌だったっけか。
ホーチミンシティにあるベトナム戦争証跡博物館を見た帰り、記憶を掘り起こしながら、それ以外の歌詞が出てこないので、そのフレーズをやたらにリフレインしていました。
ベトナム戦争、という名は嫌でも知っていますが、その内容となると、わたしはよく知りません。ポルポトの大虐殺にしてもそうですが、どちらも、わたしが生まれる年の前後に起こったという事実に、今さら驚いているような無知っぷりです。学校でも、特に習った記憶がありません。多分習わなかったはず。歴史の授業は、必須科目ではないし、旧石器時代から始まった授業は、1年で現代史に追いつくことができないからです。なんかこれも、大人になってみると、わざとそういうカリキュラムにしてるんじゃねーか?という疑いも芽生えてきますが……。
しかし、授業で聞いたところで、何の関心も生まれなかったかも知れません。旅をしていると、色んな場所で歴史の傷跡を見ることになりますが、そうして初めて、歴史は重みを持って、わたしに迫ってくるのです。平和な環境で生まれ育った凡人が持てるリアリティなんて、所詮そんなものです。

カンボジアでもそうでしたが、陰惨な写真や展示の数々を見たあとで、外に出ると、ごく普通の日常の風景がそこにあります。
屋台で食事をする人々、バイクで突っ走る人々、籠を担いで歩く物売り、昼寝するシクロの運転手……ああ、何て平和なのでしょう。さっきのあれは、いったい何だったのでしょう?
枯葉剤で巨頭症になった赤ん坊(ホルマリン漬け)や、ベトナム人の生首を前にして記念撮影をするアメリカ兵や、焼け野原になった都市や、手足のない人々……。
ベトナムでも、戦争を知らない世代が増えてきているといいます。時間軸が直線的に進むならば、それは当然のことでしょう。たった30年前、と思うけれど、やはり過去になっていくのでしょうし、過去にしなければとてもやり切れない。

こういうものを見ると、やっぱり、“まず自分があって世界がある”なんてふうにはとても思えないな……。
巨大な激流の前には為す術もないのが普通の人間だよ。そして、戦争でいちばん辛い思いをするのも、そういうフツーの一般市民なわけで。個人の幸せや感情なんて、チリ紙ほどの重さもないわけで。
フツーの市民が、わざわざ戦場に出かけて、人を殺して、自らも血まみれになりたいと思うだろうか?そして、戦争の張本人たちは、決して手を汚さないってわけか。
大きな力の前には、市民はあまりに無力です。そんな市民に出来ることはただ、“知る”ということだけではないでしょうか。
こういうものを見ると、なんかもう、あれこれ考えるのが辛くなって、思考力が停止していまう。けれど、そこで止まってはいけない。
“知ろう”という気持ちと試み、それ自体は小さなものですが、ゾロアスター教の聖火のように、決して絶やしてはならないものだと思います。

展示の中には、沢田教一がピューリツア賞を獲った「安全への逃避」や、一之瀬泰造、ロバート・キャパの写真もありました。
彼らの写真を見ると、戦争の悲惨さに対する痛みとはまた別の気持ちで、心臓が熱くなります。命を燃やす、なんて書くと月並みすぎるけれど、そのような生き方への憧れとでも云いましょうか。これって、戦争を忌み嫌う気持ちとは相反するもののようでもあって、我ながら矛盾を感じるのですが……。
キャパは40歳、沢田教一は34歳、一之瀬泰造は26歳で戦場に散りました。それを思うと、何やら、焼けるような焦燥感を覚えます。彼らは何に駆り立てられて、戦場に赴いて行ったのでしょうか……。

ともあれ、わたしも帰国したら、ベトナム戦争について、その他の戦争の歴史についても、もっと勉強いたす所存であります。
と云いながら、多分、帰国後1ヶ月くらいは、マンガ喫茶でマンガを読み漁るような気がしますが……嗚呼、平和ボケ。


入り口のサイズが衝撃的に小さいクチトンネル。

※今回はタイトルがどうしても思い浮かばず、無理やりつけました;特に意味はありません……。

(2005年7月8日 ホーチミンシティ)

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