旅先風信170「ラオス」


先風信 vol.170

 


 

**旅と終わりを見つめて**

 

ジャール平原からは、バンビエン、首都ビエンチャン、世界遺産ワット・プー、そしてここデット島、とラオスをどんどん南下してきました。
この後は、国境を越えてカンボジアへ……と云いたいところですが、一度タイに戻ってカンボジアを目指した方がアクセスはいいかも?でも無駄足だよなー、と悩み中(単にバンコクに戻りたいだけかも)。
しかし、何だかんだでラオスにも1か月いたか。。。やるな、オレ(?)。

デット島からメコン河を臨む。

ここまでの道のりを、順を追って書いてみます。
まずは、ラオス語で“草の都”という意味のバンビエン(ウソ)。草ってのはあれね、気持ち良くなる方のやつ。ツーリスト向けのレストランの看板にはデカデカと「ハシシピザ」とか書いてあります(日本語もアリ)。半屋外になったレストランで、アメリカドラマを昼間っからタラタラと観る欧米人が、バンビエンという場所を顕著に表わしていると思います(わたしも、『チャーリーズ・エンジェル』とか観てたけど…)。
まあそういうのを差し引いても、風景は美しい田舎そのもので、のんびりした雰囲気には確かに癒される、と云うか脳みそがゆるくなりますね。
今さら草を吸うわけにもいかず、そうなるとバンビエンでは何もやることがないのでは?と案じていましたが、チューブボートでソン川を下るアクティビティなんかあって、これは楽しかったな。気候のいい場所でこういう原始的な遊びをすると、子どもの頃の夏休みにでも戻ったかのようです。
しかし、こういう外人向けの店が並ぶ“シャンティな”場所――例えばゴアなんかもそうだけど、外人の好きそうな内装にしたり、チルアウトなんかかけたりしてそれっぽい雰囲気になっているのですが、働いているのはたいそう素朴なランニング姿のおっさんとか、しわしわのばあさんだったりして、こういう人たちが支えてんだなーと思うと何だか微笑ましいというか、小気味いいというか。

 山、川、緑……完璧すぎる「ザ・田舎」のバンビエンの風景。

ビエンチャンは、「世界一しょぼい首都」と聞いていて、どんだけしょぼいのかと期待して(?)来たのですが、実際来てみるとまあ、ここよりしょぼい首都は他にもありますよね。スーダンのハルツームとか(笑)。だって、ハルツームにはショッピングセンターなんかないよ?そりゃビエンチャンのショッピングセンター(タラートサオ)っても、巨大市場+めっちゃ小規模なデパートなんだけど。
それに、泊まっている宿の周辺など、けっこう上品に小洒落ているのです。植民地時代の名残か、フランスの香りがそこはかとなくしますもの。フレンチレストランも点在しており、600円くらいで軽いコース(メインはステーキ)が食べられる店で、1回だけ夕食を食べてしまいました。ああ、お金にもうちょっと余裕があれば毎食レストランで食べたいぞ…。
そうは云っても、確かに、雰囲気は首都という響きに含まれるヒリヒリした感じはまるでなく、やはり何もないと評判の徳島と同等くらいの活気ではあり、中心地以外は道路が未舗装になるあたりもさすがはラオス(何のこっちゃ)という感じです。車とバイクはやたら多いけど。これからどのように発展していくのでしょうか。

 この辺はまあまあ栄えている感じ。

ビエンチャンの中心にある慰霊塔やタートル・アン、ワット・シーサケート(名前がカッコいい!)などを優等生的に抑えつつ、ビエンチャン観光の本命は、実は他にありました。
その名も「ブッダパーク」。タイの地獄寺ことワット・ファイロンウアに続き、今回も『東南アジア四次元日記』のお導きのもと、やって参りました。

じゃーん。めくるめく狂気の世界。

ビエンチャンからローカルバスで1時間、タイとの国境がすぐそこに迫る場所に、ブッダパークはあります。
おっと、パークなのに入場無料?うれしいですね。
敷地内に入ると、全体的に黒ずんだコンクリートの巨像が雨後の筍のごとく立ち並んでいます。涅槃仏や顔のいっぱいある仏さんはまあいいとしても、その他大勢の神、仏、人間、動物、怪物、巨大かぼちゃ……などの、それもことごとく奇っ怪なコンクリート像が、何の脈絡も説明もなく混在するさまは、ある意味マンダラ的世界。地獄寺も、たいがいにせえよ!というようなヒドい(ある意味ファンキーな)造形物であふれていましたが、ここはここで独自の狂気を孕んでおります。
ブッダパークの正体は、ルアン・プーというタイの新興宗教の教祖が建造した宗教施設。ワット・シェンクアンと云う別名から分かるように、元はいちおう寺で、今は公園となっているそうな。今は、寺らしき仏堂などもなく、ただひたすらコンクリートの珍奇な像がうようよいるのみ。
…いったいルアン・プーは、何を伝えたかったのでしょうか…。そもそもこの宗教の教義っていったい何!?
だいたい、名前からして、何かフザケてる感が否めないだろと思ったら、ルアン・プーとはタイ語で、僧侶のいちばんエライ人の尊称らしいじゃないですか(汗)。勝手に名乗ってるってワケですね。ま、新興宗教系の教祖って、自分に尊称付けたがる傾向がある気はするけど…。
まーでも、この脳内世界の異様さは、ある意味尊敬に値するかも。「天才に匹敵するものは変態だけ」と云ったのは、イスタンブールのサッカー青年Dさんでしたが(ううむ、名言)、確かに、それを体現しているような、意味不明だけどやたらパワーだけは感じる造形物ですね。どれもこれも、ただのコンクリート像にしておくにはもったいない造形ばかりなので、もしリニューアルする機会があるなら、金を入れると動くアトラクションにして、名実ともに(テーマ)パークとしてレベルアップしてほしいです。
しかし、最もシュールだったのは、このパークの一角で、黙々と夏休みの宿題をしている女学生2名だったかも知れません…。

ちなみに国境の向こう、タイのノンカイにはワット・ケークという、やはりルアン・プーが造った寺があります。
何でも、ブッダパークを造った後、社会主義国となったラオスから撤退し、タイにてさらなる脳内魔界テーマパークを建設したとか。ものの本によれば、あちらの方が規模・気持ち悪さともにパワーアップしているそうなので、行けなくて至極残念(ラオスビザがWエントリービザならよかったのになぁ)。

さ、今回もミニ写真集でお楽しみください。

ブッダパークのメインキャラクター(ウソ)。ダイナミックに誰かを食らうナゾのモンスター(多分神様)。

とにかく神仏がてんこ盛り♪

目の前で争う人たちに、まーまーまー、と呑気になだめる仏さん。

神々の端っこで異彩を放つおまわりさんの像。

巨大コオロギを征伐する神様。

かぼちゃの城。シンデレラとは一切関係ありません。

話は変わって再びビエンチャン、ムダにネットが安いせいで(カフェでコーヒー頼むより安い)、休憩がてらつい入ってしまい、我ながらちょっと度を越しているのじゃないかと…。まあ、欧米人の旅行者もいっぱいいるけど(と、自分を正当化)。
宿がドミトリーで、ちょっと薄暗いのもあってくつろげず、何となく孤独感が募るせいかな…それでついネットに逃げてるのか。でも、目的のないネットサーフィンは危ないですね。余計なものまで見て、さらに孤独が募るし、精神がじわじわ蝕まれるような感じがする。旅先にいるのに、何でそんなもん見てんだよ?と自己嫌悪にも陥るし。
そしたらある日、えらいメールが来てました。父ちゃんから。
ミャンマーの日本大使館から家に電話があったというんですよ。用件は、ヤンゴン総合病院の入院費の請求だそうで。
……って、ちょっと待て。その話はすでにヤンゴンでカタがついたんじゃなかったっけ???大使館には請求しないと云ってくれて、わたしはその親切にむせび泣きながら涙を流して病院を去り、ミャンマーを去る日も挨拶に行ってボロ泣きしたのではなかったっけ???
いや、泣いたことはいいんだよ。涙は無料だし(こらこら)。そのときは本気で感謝していたんだもの。
…あれから2ヶ月経って、こんなオチが来るとは思わないもんねー…。
いったいいくら請求が来るんだろう?保険きかないからそれなりの額だろうな…どっちみち、今のわたしに払える額じゃないから、父ちゃんに立て替えてもらうしかない。そもそも、入院の件は父ちゃんには話してなかったのに…あーあ、どこまでわたしは父ちゃんに心配をかけるんだろう。たらたら旅行してる場合かよ…情けない。

というわけで、ちょっと先を急ぐことに。実はヴィエンチャンに入ったくらいから、腹に爆弾を抱えており(あまり見に覚えがない…)、食物を胃に入れると即行でトイレに行かねばならぬ状態で、けっこうツラい旅路になってます。
次なる目的地はワット・プー。ルアンパバンと並ぶ、ラオスのもうひとつの世界遺産です。
しかし、あまりに辺鄙な地にあるためなのか、観光客らしき姿が、ほとんど見られませんでした。ルアンパバンに比べて、この差はいったい!?あーでもこういう捨てられた感じ、大好きだよー(はぁと)。
世界に名だたるアンコール・ワットとほぼ同時期に建設されたというクメール人の大寺院。うっそうと茂る木々の中に、埋もれるように立つ、かつて壮麗であったろう寺の廃墟。色んなものがしみ込んだ石の群。
人の居ない遺跡の片隅に座っていると、時間の降り積もる音が聞こえてきそうです。わたしはそこにいて、ぼんやりと、形にならない何かを思い、巡らせる。風が体を撫でる。このままひっそりと、時間からも世界からも置いていかれてもいいような気になってくる。朽ち果てるのだ、この遺跡のように。摩滅した、神々の彫刻のように……。

 遺跡と廃墟の狭間にあるようなワット・プーの崩れ具合。

なあんて、いつまでも浸っていたかったけど、そんなわたしの甘っちろい感傷をあざ笑うかのように、現実はすぐに立ちはだかってくるのさ♪
……そ。帰りの足、確保しなきゃ。時間に置いていかれないように(爆)。
なんしか辺鄙なもんだから、人も動物も歩いてないし。車も通ってないしで、かなり不安。
博物館の男とチケット売り場の女に「パクセに行きたいんですけど」と尋ねたら、うれしそうに「バスはもうないよ♪トゥモロ〜〜〜」だとよっ!何か、他の手段を教えてはくれぬものかとチケットブースに10分くらいかじりついていましたが、完全に、完っっっ全に無視ですかあんたら。。。しかも、ラオス人観光客が2000kpしか入場料を払っていないのを見てしまい、金に汚いわたしの怒りがフツフツとこみ上げてきます。
感情の爆発を寸でのところで堪え、わたしは諦めて(珍しい)歩き出しました。午後2時。めちゃんこ暑い時間帯です。長い、長い、長い1本道。歩けど、歩けど終わりが見えません。周囲の美しい田舎風景に和む余裕などゼロ。ってかマイナス。わたしはあとどれくらい歩くことが可能なのか?頭の中はその計算でいっぱいです。
そうだ、グゲ遺跡では、一切日陰のない荒野を18キロ、5時間かけて歩いたわけだから、あれが3800メートルの高地だったことを加味して考えると、ここならあと10時間は歩けるよね♪……なわけねーだろーが!!!
「死のロングウォーク」(byキング)じゃねーんだよ!
……どれくらい歩いたでしょうか。体感時間的にはすでに40分は経過しています(多分してないけど)。すると、道が二股に分かれました。うわっ、これどっちなん!? ちょうどそこに1軒の商店が開いていたので、「パクセはどっちですか?」と聞いてみます。
そのとき!ソンテウ(乗合小型トラック)がその道をまさに行こうとしているのを、店のおっちゃんが教えてくれました。さっきまで、こーなったら倒れるまで歩いてやるぜとか拳を固めていたのはどこへやら、わたしはわき目もふらずソンテウに駆け寄りました。言い値10000kpはどー考えても高いと思い5000kpに値切って(どんなときも値段交渉は忘れない)、やっと死のロングウォークから解放されました。
ソンテウが出る瞬間、店に目を向けると、おっちゃんがこっちを見ていました。ずっと見守ってくれていたんでしょうか……手を振ると、おっちゃんも振り返してくれて、さっきまでの死にそうな気持ちがふっと癒されました。こういうかすかな、交流とも呼べない接触が、やけに心の琴線に触れるのは何故だろう。
さらに、チャンパーサックの対岸に渡るための船に乗っていると、55歳のオカマに「バイクでパクセまで乗っけてくよ♪」と声をかけられました。他にオカマ仲間が4人ほどいて、ちょっと警戒しつつも、オカマに悪い人はいないでしょ(←んなコトはない)と思い、乗っけてもらうことに。これまたほっこりするエピソードかと思いきや、途中でガソリン代はしっかり払わされたけどね(苦笑)。

そして、ラオスの最南端、デット島(ドン・デット)までやって来たわけです。あ、ここにもオカマ(笑。たまたま入った食堂で働いてる。東南アジアってオカマが多い?)。
メコン河に浮かぶ数千の島が集まるこの地域は、シーパンドン(4000の島)と呼ばれ、大河メコンが唯一、滝となる場所でもあります。ツーリストが宿泊できる島は3つあり、デット島はそのひとつ。
ツーリストはそこそこいるのですが、えらくのんびりした島です。泊まっている宿では、1人に1棟ずつバンガローが与えられるのも、ちょっと贅沢な気分(ま、簡素ではありますが)。クソ暑いのと、小さな虫に煩わされるのと、電源がないのを除けば、しばらく長居したくなるような雰囲気です。リラックス好きの欧米人がいかにも好みそうな感じ(笑)。わたしも、ここでやることの大半は散歩と読書と昼寝、合間にご飯、ってな具合。ま、そればっかりだとかえって落ち着かない人間なので、滝や鉄道跡、イルカウォッチングなど観光は必ず組み込むんだけどさ。
ついに電気はなくなり、夜は真っ暗なバンガローでろうそくの灯りを頼りに過ごします。ろうそくを消せば深すぎる闇が部屋いっぱいに満ち、外で動物だか何だかが徘徊しているような音が気持ち悪いほどはっきり聞こえます。パクセやワット・プーのあるチャンパーサックあたりも何にもなかったけれど、ここのミニマルさは、ある意味、“何もない”ラオスの集大成と云えるかも知れません。

同じ宿には、日本人のHさんという旅行者が泊まっていました。
日本人旅行者と云っても、ちょっと毛色が違うのは、彼はアメリカに住んでおり、のみならず永住権も持っているということ。
Hさん曰く「グリーンカードを取るための一番の近道は、寿司職人になること」だそう(その次は日系の旅行会社)。わたしには(少なくともこの旅路で)外国で働くという選択は頭になく、働くなら日本しか考えられなかったけれど、彼の話を聞いていると、英語に難があっても、海外で(アメリカで)働く道はあるみたいだし、それも面白そうだなあと思います。Hさんによると、アメリカ在住の日本人で、本当にちゃんと英語の話せる人は1割くらいではないか、とのこと。確かに、華僑なんかを見ていたら、言葉ができなくても働くことはできそうです。
Hさんはわたしに「3年も、70カ国近くも旅行しているなんてすごい」と云うけれど、それは金と時間と体力が続けば誰にでもできることではないでしょうか?海外で金を稼ぐことの方がはるかにハードルが高いのでは?と思いますが、Hさんは「やってみれば意外とできちゃうもんなんですよね」。…そうだね。多分そうなんだと思う。結局のところ、「やってみればできる」と云うか、「やってみないとできるかどうかは分からない」ということなのでしょう。

バンガローの深い深い闇の中で、ぼんやりと考えます。
こんなに長く異国の地に居て、わたしは何をしているのだろう。当たり前のように、日常的に続けてきた旅。何だか不思議な気持ちだ。もういい加減、何かが摩滅しているのではないか?好奇心…それならまだあると思う。情熱?感動する心?いや、そもそもは、明確な目的のもと始めた旅ではなかったのだけど
もうすぐ旅が終わるはずなのに、ゴールが見えない。いや、金がないからゴールはせざるを得ないので、正確に云うと、ゴールを迎える気構えがこれっぽちもない。もう6月も半ば。カンボジアに行って、ベトナムに行って、中国に入ったら……最低でもあと1ヶ月半はかかるだろう。1ヵ月半……いや、この数字は、3年以上旅してきた上では極めて短いではないか。もういよいよ終わりなのだ……終わりなのか?

…でも、次の場所へ行くときに、一式の荷物を背負って立ち上がる。すると、「さあ行くぞ!」という気持ちが湧いてくる。それだけは、ずっと変わらなかった気がします。
そうなんだ。この逸る気持ち、熱い気持ち、これこそがいつも旅を動かしていた。前へ進むこと。迷宮に入りそうな心を解放するのは、それしかない。打ちのめされそうな気持ちのときも、とにかく、しぶとく立ち上がって進んできた。その結果が、ここまでの長い道なのだ。
それが、「わたしは何をしているのか」という問いへの答えになるかどうかは分からないけれども、明日もあさっても、旅が終わるその日まで、また荷物を背負って、次の土地まで行くんだろう。行くしかない。
さあ、次はカンボジア(いや、タイかも…ああ、どないしよ)。

 猫を抱くドン・デットの少女たち。この島にはやたらと猫が多い。

(2005年6月15日 デット島)

ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system