旅先風信168「タイ」


先風信 vol.168

 


 

**その後〜バンコクから国境までのゆるい旅**

 

父ちゃんのタイツアーが終わったあとは、早々にバンコクを出て、南のタオ島へ行きました。
タオ島では安くダイビングができ、しかもこの時期はジンベイザメがばんばん見られるというので勇んで出かけて行きましたが、こういうとき、フツーに人が見られるものが見られないのがわたくしという人間。ジンベイザメ?それって、架空の生き物ですよね?(涙)
でも、水中世界の美しさは、相変わらず感動的。銀色に光る魚の大群(魚のシャワーと名づけたい)、サンゴ礁とその上に咲くように生息する、青や黄色のクリスマスツリーワーム、色といい、動きといい、全てが文句のつけようのないほど完璧に美しくて。
ついでに云うと、わたしが今回お世話になった「ブッダビュー」は、男前のイントラが多いのは気のせいか?(笑)ホストクラブでも開けそうな勢いだわ。

タオ島からはまたバンコクに戻り、ミャンマーで会ったイギリス人パッカー・イーデンとの偶然の再会(夜行移動明けで、宿代をケチって公園のベンチで寝ていたら、たまたまそこを通りかかったのだ。イーデン曰く「ベンチの側にボロボロの靴が置いてあったから、これは野ぎくに違いないと思った」だってよ。恥ずかし〜〜〜;)がありつつ、翌日にはいよいよバンコクを出ることに。次の国ラオスに向けて、タイ北部へとコマを進めました。
実は何気に、タイのビザがギリギリだったりして……何だかんだで、結局はバンコクでダラダラしすぎたってことなんですけど(苦笑)。だって、文明の申し子だからさー、物価の安い都会は居心地がいいのだよ。

ここからは、急ぎ足で移動したので、それぞれの町について簡単に(と云って簡単になった試しがないのですが…)お話ししていきます。

●チェンマイ
タイ第2の都市です。と云っても、バンコクに比べると一気に田舎化した感じ。街の中心に城壁とお堀があるのも、地方都市っぽいのんびりした雰囲気に一役買っていそうです。
チェンマイと云えば、トレッキングが有名みたいですが、何と云うか、泊まった宿が、いや、町全体が一丸となってトレッキングを推奨しているように見えるのは気のせいでしょうか…。
トレッキングの内容は、ラフティングに象乗りに少数民族の村見学…とけっこう盛りだくさん。まあいつものわたしなら、とりあえず行ってそうなところですが、旅も終わりというときに、すべてがお膳立てされた楽ちんツアーに参加するのも、何だかなあ…と軽く抵抗感を覚えてしまい、どうもノリ気になれません。しかも、タイ北部観光ではいちばんの目的とも云える首長族の村には行けないのです。
ビザ期限も迫っているので、ここはスルーして、最大の目的のみを果たす方向に切り替えました。

 水のある風景はどこも穏やかに見える。

●メーホンソンとカレン・カヤン村
そう、やっぱここまで来たら首長族が見たいわけですよ。
チェンマイを早々に去り、1日かけて、観光の拠点となる町・メーホンソンまで移動して来ましたわよ。これが意外と遠かった…そりゃチェンマイからのトレッキングに含まれないわけだ。
観音様ことSさんなんかは、こういう観光にはまったく興味がないらしく、曰く「3日くらいのツアーで山岳民族を訪れても、ただ見て、写真撮って終わりでしょう」。
確かにまあ、それは空しいとも思うのだけど、わたしは観光メインの旅人だからしょうがない。わたしは所詮、下世話な好奇心を最優先で動く俗物ツーリスト。だから、首の長い人たちが見たい。ああ見たいさ。
彼らが見世物じゃないってことくらい頭ではわかるけど、結局「見たい」という欲望には逆らえないのです。

でも、そんなこちら側の微妙な後ろめたさを笑い飛ばすかのように、彼らの村は入場料一律250B
懐かしのムルシさんたちと違って、この金額さえ払えばあとは写真を撮ろうが、デートに誘おうが(ウソ)OKというわけです。
つまり、彼らは自分たちがツーリストの見世物であることを(やむなくにしろ)認めているというわけで、いっそ清清しいとさえ思えますね。
ちなみに、村の正式名称はカレン・カヤン村と云うそうな。
そもそも、首長族というのは見てのとおりの俗称で、カレン・カヤン族が正しい呼び名。「歩き方」にも、「首長族と呼ぶのは失礼」と書いてあり、そりゃごもっとも……と思っていたら、メーホンソンから村へ向かう道には、すでに「Long Neck Karen」(首長のカレン族)と、ご丁寧にイラストまで付いた案内板が立っているからね。
あと、カヨー族・カヤー族というカレン族の一種も住んでおり、こちらは耳にでっかい耳飾をしているのが特徴。端から端まで歩いても20分もかからないような小さな村ですが、ちゃんと住み分けされており、「Welcome to Longear Area」と、手書きのボードが掲げられていました。ちょっとしたテーマパーク風です。
しかし、本人たちも慣れきっているので、自ら「ロングネック」「ビッグイヤー」と云っています。まあもちろん、外国人ツーリストに対してなんですけど…。

 弥生時代にトリップしたかのよーな村。

今のように、ここに毎日毎日ツーリストが訪れるようになったのは、いったいいつからなのでしょう?
みやげを売る若い娘たちは、幼女にいたるまで、ある程度の英語を話してして、のみならず、片言の第2、第3外国語まで話すのですからオドロキです。
まだ7、8歳くらいの女の子が、スペイン人ツーリストが来たとたん英語からスペイン語に切り替えてペラペラ喋りだしたのには度肝を抜かれました。正直、ちょっと引いた(笑)。
自称“安室奈美恵”の14歳の娘っこは、7ヶ国語話せると云うのでまたびっくり。そりゃ、どれも完璧に話せるわけではないでしょうが(日本語もカタコト)、こんな辺境の村の少女―おそらく、村からもほとんど出たことがないであろうーが、異国の言葉を巧みに使い分けるというのは、別に悪い意味ではなく少し異様な光景です。
しかし、そのようないかにも観光的な側面とは裏腹に、村は、1000年以上前から変わっていなさそうな農村で、人々は静かに機を織ったり、子供の世話をしたり、何もしていなかったり(笑)と、“生活”しているのですよね。まさか、ツーリストのために、朝8時から夕方5時まで村に居て、終わったら自宅に帰るわけではないでしょうからね…。
男性たちは、特殊な装飾をしているわけでもないので、本当に、ただのおっちゃんや少年がそこにいるだけ、といった感じです。
”ツーリズム”と”日常”という、相反するものが奇妙に共存している様子は、多分これまでにも何度も見てきたけれど、ここはそれが顕著な気がします。

 左の娘がアムロちゃん。

ガイドブックによれば、彼らはミャンマーからの難民であり、もともとこの土地に暮らしていたのではないそうです。と云われてみると、ミャンマーのインレー湖にも小さなカレンの村があり、彼らはタイから連れて来られたと書いてあったような記憶が…。
そして今は、毎日ツーリストが自分たちを見にやって来る生活。つまるところ、彼らには安住の地がないと云うか、周囲の状況に相当に翻弄されて生きているってことなのでしょうか。
でもまあ、若い娘たちは、ひっきりなしにやって来る外国人とのつかの間のコミュニケーションを、フツーに楽しんでいるようにも見えますけどね。

ところで、カレン族の女性たちは、概して美人揃いです。幼子は可愛いし、年配の女性も味があって美しい。
彼らの象徴とも云える、コイルに巻かれた長い首も、ファッションの一種だと思えば、正直そこまで違和感もなかったりします。ちょっと長めのタートルネックを着てるようなもんだと思えば。
ある女の子は「大きな街に出たい。チェンマイでも、バンコクでも、メーホンソンですらもいい」と云っていました。若い娘の考えることは、異国でも、少数民族であっても同じだということでしょうか。
でも、自分の存在じたいが貴重な収入源になるようなこの村を、そう簡単に出ることができるのだろうか…と余計なお世話ですが考えてしまいました。そして、都会に出ても、首のコイルはそのままなんでしょうか。

そんなカレン村から戻った夜、これはブログに書いたので長々と説明するのはやめておきますが、わたくし、首長族らしき幽霊を見たのでした。。。
もともとその部屋は、妙な物音が聞こえたり、壁がみしみしと動いたりして、何だかとっても不気味ではあったのです。
そして夜中、わたしは金縛りに遭いました。普段、全くと云っていいほど霊的なものの見えないわたしですが、金縛りだけはたまにあるのです。まあ金縛りについては、身体が疲れていて脳が冴えているときの生理現象”という説を信じているのですけど…。
金縛りが解け、ふっと窓の方を見ると、人らしきものが近づいて来ているではありませんか!
その際、下着一枚という無用心すぎる格好で寝ていたわたしは、とっさに「やばい!レイプされる!」と身をすくめ、咄嗟に足でその”人”を蹴ってみたものの……足はただ空を切っただけでした。
しかし、その”人”は、何ともう一体、またもう一体と増えていったのです!
恐怖のあまりパニック寸前のところを、必死で明かりを探して点けたところ……誰もいません。
…てことは……あれは霊???それともただの錯覚???(それとも妄想???)…にしては恐怖がリアルすぎたんですが…。
その後は特に何事もなかったのでしたが、ひとつ気になったのは、その”人”が、カレン族の女性の姿に見えたこと…。別に、うらまれるようなことは何もしなかったはずですが(苦笑)、もしかして、みやげに買った首輪に持ち主の霊がもれなくくっついて来たとか!?
…などと考え、なかなか眠りに落ちることができませんでした。
多分、ただの残像だったと思うんですけどねえ…謎です。

 妙に色気のある(笑)幼女。

●パーイ
メーホンソンでの恐怖の一夜(笑)から、翌日、逃げるようにして次の町パーイへ。
パーイは、気が抜けるくらいのんびりした町。南国の太陽の光に包まれた、いかにも東南アジアの田舎といった風景が広がっています。そんな土地柄か、欧米人パッカーたちの沈没地となっている様子。こういう場所を見つける欧米人の嗅覚って鋭いなあ、といつも感心します(笑)。
数日間移動続きだったので、わたしもここで1日休養することに。本当は、自転車を借りて少数民族の村をガシガシ周ろうとしていたのですが、町の雰囲気にあっさり流されました(苦笑)。
書き物したり、散歩したり、川辺の食堂でゆっくりご飯を食べたり、足のマッサージに行ったり…と、旅の中の休日"とでもいうようなゆる〜い時間を過ごしました。従って、特筆すべきことが何もありません(苦笑)。

 お行儀の悪い女子はどこにでもいる(笑)。パーイのバス停にて。

●チェンライ
かなり北上してきました。国境のチェンコーンまではあとわずか。
ここにもチェンマイ同様、ナイトマーケットがあるのですが、わたしはこっちの方が好き。チェンマイよりも規模は小さいけれど、その分庶民的で、熱気があって、夜歩きの楽しさがぎゅっとつまっている感じがします。
飲食にしても物販にしても、店の人との距離が近くて、出店をちょいちょいと冷やかすのが楽しいですよね。
バンコクを出て以来急にはまっているソムタム(青パパイヤのサラダ。食べるとめっちゃ辛くていつも後悔するのだけど、そのループが何だかクセになるんだよなあ(笑)))とすいかシェークで夕食にしたあとは、調子に乗って、日本では確実にやらないネイルアートまでやってもらいました。まあ、日本のような凝ったやつではなく、ツメに絵を描くだけの”ネイルペインティング”って感じですけどね。ちなみに、死神とこうもりの絵を描いてもらいました。歪んだ嗜好ですまん。でもけっこう可愛いんだよ〜。

日常的に屋台のある暮らしっていいですよね。外に出て行くという行為じたいも楽しいし、ちょっとだけ祭りの気分が味わえて、ルーティンな日常にほんの少し彩りを添えてくれるような気がします。

 町のほとんどの人がここで食事をしているのではなかろうか…。

●ゴールデントライアングル(チェンセーン)
せっかくなので、有名な“黄金の三角地帯”も攻めておきました。ここが実質、タイ観光のラストです。そして、死ぬほど暑い…なんだこの暑さは…。体がしぼみそうです。
メコン川を挟んでミャンマー・ラオス・タイの3カ国が国境を接するこの場所は、世界屈指の麻薬密造地帯(アフガニスタン・パキスタン・イラン国境付近には、黄金の三日月地帯というのもあるそうな)。
今は、そのような不穏な空気はすでになく、茶色の大河・メコン川が悠々とたゆたい、それと知らなければ、何てことないただの東南アジアの田舎町。ただ、国境という特殊な土地柄は、風景に緊張感のエッセンスを添えているような気もしたり(しなかったり)。
当時の面影を伝えるのは、オピウム博物館。展示内容はそれほど充実していませんが、首長族のおねえさんが横たわって阿片のパイプをふかしている写真はけっこう衝撃的でした。平和な田舎の裏の顔を見るようで、何だかやるせなくなります。田舎は基本的に娯楽がないから、いったん麻薬なんかが蔓延すると、すごい勢いで広まりそうですよね…。
ここを仕切っていたという、麻薬王クンサーにも興味を持ちました。底知れぬ怪しさと、ただの悪党ではない感じに、何だか惹きつけられるものがあります。

 「GOLDEN TRIANGLE」の看板。背後に流れるのがメコン河。

とこのよーにして、タイの旅は穏やかに、そして着実に終焉を迎えつつあるわけですが、ここからは話題をがらっと変えまして…。
タイのみならず、旅自体の終わりがちらほら見え始めている昨今ですが、ちょっと前からわたしの中で、とあるささやかな(?)野心が芽生え始めておりました。
「HPを本にしたいなぁ…」
正直、これまでにも、うっすらと思ってはいたことでした。同じように旅のHPを持っている人たちが出版しているのを見聞きするにつけ、羨ましいという気持ちもありました。でも、目の前の旅が精一杯で、その思いは、車窓の風景のように、過ぎっては消えていっていたのです。

とは云え、何から手をつけたらいいのかが分かりません。そもそも、この旅行記だって完結しているわけでもないし…。
とりあえず、バンコクでタラタラしている間、安いネットカフェで出版関連のHPをあちこち覗いてみました。まずは、原稿を受け付けている出版社を探してみようと思って。
そもそも、シロートの原稿を募集している出版社じたい少ないのですが、有名中堅どころの某社がたまたまHPで、ジャンルを問わず原稿募集をしていたので、メールを送ってみました。
タオ島からバンコクに戻ってくると、返事が来ていました。ちょっとドキドキしながらメールを開封したところ……なかなか辛らつなことが書いてありました。
何しろ冒頭から「貴方のサイトを書籍化すると、MAX1000部しか売れません」ときたよ(苦笑)。1000部って!具体的な数字って、具体的に刺さるよねえ(笑)。
今年に入ってから、HPの1日の平均アクセスが1500から2000くらいになって、実は内心、調子こいていたんだよ。でも、所詮は井の中の蛙、ってことなのね。MAXで1000部なんて、つまり誰にも求められていないってことでしょ?ムダに森林破壊するだけってことでしょ?(苦笑)
どの道、旅先で出来ることは限られているから、今あがいてもしょうがないけれど、これが現実か…と、後味の悪さを噛みしめながらネットカフェを後にしたのでした。

現実。それはとりも直さず、帰国してからも続く(であろう)人生のこと…でもある。
旅の中で、エアポケットのような時間に陥るとき、いろんなことが、どうなっていくのだろうと判らないままやり過ごす。
父ちゃんは再婚するかも知れない。わたしは誰とも結ばれないかも知れない。まともに食べていけないかも知れない。
わたしに未来はあるのだろうか?人生はこうして何となく、今日と明日は地続きになっているように見えるけれど、ある日突然終わるのだろうか?
「孤独にはもう慣れた」―旅の途上で、何度もそうつぶやいた気がする。
わたしはこの3年と少し、何を求めてさまよい続けてきたのだろう。楽しいから、という理由だけなら、こんなにいつまでもふらついたりはしないだろう。
何だかんだで、わたしは結果を求めているのかも知れない。この、当てもない、生産性なんてものとはそもそも対極にある旅にすらも、それを求めていて、だから、本を出したいなんてことを考えるのかも知れない…。
ごく平凡な人間が、社会的地位や名声に囚われることは、何もそれほど珍しいことではない。わたしも所詮は、未だにそこにこだわる人間だってことだ。まあ、旅に出たから悟りを開けるわけでもないけれど。

…と、ひとしきり考えたところで、ふと立ち止まる。
そもそも、凹む必要なんてあるのか?
考えてもみよう。クソ暑い炎天下で排気ガスにまみれながらソーセージを売る屋台のおっちゃんのことを。気味の悪い日本語で勧誘してくるトゥクトゥクのドライバーを。ウルルンとは程遠い、しかめっ面でみやげを売りつけてくる(笑)出稼ぎの少数民族たちを。
日本で普通水準の生活をしていれば、彼らのように生きたいとは誰も思わないかも知れない。立派でカッコいい仕事をしているわけでもなく、低賃金で社会的身分もおそらく低い彼ら。
しかしそれが何だというのか?彼らは生きているではないか。淡々と(かどうか分からないけど)日々をまっとうして生きている彼らと同じように、わたしも生きればいいではないか。
そもそも、わたしはいったいどれ程の人間だというのか?わたしは作家先生にでもなって、ちやほやされたいのか?
大体、こんなHPを書いていることにしたって、もとはと云えば、ごくごく自主的な動機。
つまり、書きたいから書いてきた。誰かのためでもなく、ただ自分のために、自分で始めたこと。そこに評価を求めるのは、本末転倒ではないのか?

……とにかく。
今は目の前の旅に集中するべきだ。
結果なんか求めてやっている旅じゃない、ってことを、もう一度きちんと思い出そう。どうせあと少しの、貴重な旅の日々なのだから。

(2005年5月 ムアンシン)

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